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日清戦争

日本共産党や左翼メディア、そして中国は
「日清戦争は日本の侵略戦争」
と言って憚らないが…。



●日清戦争=日本は朝鮮に改革を熱心に奨めた。しかし中国がツァーリの影響下によって立ちはだかった。中国は朝鮮に対する理不尽な宗主権と統治権さえも要求しつつ、日本の提唱した行政上・政治上の改革計画を、全てつぶしてしまった。

   《K・カール・カワカミ
        「シナ大陸の真相 1931‐1938」》


●そもそも日清の対立は、朝鮮問題をめぐってのものだった。日本は、明治維新後、アジア防衛体制確立のため、朝鮮の清国からの完全独立と日本と同様の近代化を望んでいた。

●一方清国は、朝鮮を属国とみなし、実権支配勢力を伸張しようとしていた。
   《黄文雄 「近代中国は日本がつくった」》
    (他著書「黄文雄の近現代史集中講座」)


●1886年、清の北洋艦隊が突如長崎に来襲して、水兵の大集団(500人以上)が商店に押し入って金品を強奪したり、酒を探して飲んだり、女性を追いかけるなどして、さんざんに暴れ狂った。急報により巡査の一隊が抜刀して市街戦になり、双方とも80数人の死傷者を出した。(長崎事件)

●この背景には、朝鮮問題をめぐる日清両国の紛争があり、清国は日本を脅すために長崎に殴り込みをかけた。この事件で、支那に対する日本人の敵愾心が燃え上がった。
 《益井康一 「日本と中国はなぜ戦ったのか」》
   (他著書「なぜ日本は戦争を始めたのか」)



 1891年6月に起きた「北洋艦隊事件」

●当時、東洋一の堅艦とうたわれた大艦巨砲の戦艦「定遠」「鎮遠」を中心とする清国北洋艦隊の日本来航。両艦の排水量はいずれも約7千トン以上で、30.5センチの巨大な主砲を備えていた。

●他方、日本帝国海軍は約3千トンの戦艦「扶桑」が最大で、双方の軍事力を比較すると、大人と子供ほどの格差があった。これらの艦隊が神戸や呉などを巡り、瀬戸内海で砲撃演習を繰り返したのである。

●当時の日本と清国の関係は、朝鮮半島をめぐって緊迫しており、この来航が日本を威圧する「砲艦外交」であることは明らかだった。
       《中西輝政 正論2010年12月号》



●日本が存立を脅かされていたのは、欧米からだけではなかった。隣の超大国・清国からも脅かされていた。阿片戦争の影響で新式の軍備の必要を痛感した清国はまだお金があったため、ヨーロッパ諸国からどんどん軍艦や鉄砲を買って、大いに軍備の拡張に乗り出したのである。これがじかに日本の存立を脅かしたのである。

《岡田英弘 「日本人のための歴史学 こうして世界史は創られた!」》



●日清戦争の原因…
清朝以上に恐ろしい大国は、不凍港を求めて東アジアに目を向け始めたロシアだった。ロシアは1891年にシベリア鉄道の建設に着手し、その脅威はひたひたと迫ってきた。

朝鮮半島が東方に領土を拡大しつつあるロシアの支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、日本は防衛が困難になると考えた。
…これによる半島をめぐる清国との綱引き。

《三浦朱門「全『歴史教科書』を徹底検証する」》
       (他著書「老年の品格」)


●東学党の乱での清国出兵の動機は、いうまでもなく属領保護である。清韓宗属関係を認めてはならじと日本が出兵し、日清戦争が勃発したのである。

自国を取り巻く国際環境の激変に殆ど思いをいたすことなく、党派的な抗争と内乱のとめどなき朝鮮、この朝鮮を属領として宗属関係をひたすら固守する清国、その背後に迫るロシア…。

風雲急を告げる極東アジア地政学の中で、自存を可能ならしめるわずかな選択肢として日本は朝鮮内政改革を提起し、これが清国によって拒否されるや戦争に打って出てこれに勝利し、自力によって朝鮮半島の安定を図るより他に方途はなかった。
       《渡辺利夫 諸君!2007年4月号》



●東学党の乱が起きたために、日本と清はそれぞれ軍を朝鮮に派遣する。そして、日本が不安定な朝鮮の内政を清とともに改革し、自立可能な国家に導こうと提案したのに対し、清が拒否した。

●この時、清は黄海に面した朝鮮の港町・牙山に兵を送っていた。朝鮮半島で兵を動かす際には互いに事前通知をすることを定めた天津条約に違反している。ソウルの南にある成歓にも清国軍がいるから、ソウルの日本軍を挟み撃ちにしようとしたわけである。

●さらに清国が牙山に船で増援部隊を送ろうとしたのに対し、日本は最後通牒を出して、これを阻止しようとした。

●そして日本の連合艦隊が牙山湾に到着すると、向かってきた清国の軍艦との間で海戦が始まる。したがって、日清戦争は清国の仕掛けた戦争なのである。

●日本の国内には戦争に対し賛否両論あったのだろうが、中国側は日本に簡単に勝てると思っていた。中国からすれば、日本は人口・国土とも小日本・貧日本に過ぎない。
      《別宮暖朗 文芸春秋2009年4月号》


        



●そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。原因は、朝鮮にある。といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある。

●ゆらい、半島国家というものは維持がむずかしい。この点、ヨーロッパにおけるバルカン半島やアジアにおけるベトナムなどがそれを証明しており、たまたまこの日清戦争の直前、ベトナムにおいてよく似た問題がおこっている。

●清国がベトナムの宗主権を主張し、これを植民地にしようとしたフランスと紛争し、その結果、清仏戦争がおこり、フランス海軍は清国福建艦隊を全滅させ、さらに陸軍においても清国は連戦連敗した。明治17年のことである。

●日本は、その過剰ともいうべき被害者意識から明治維新をおこした。統一国家をつくりいちはやく近代化することによって列強のアジア侵略から自国をまもろうとした。その強烈な被害者意識は当然ながら帝国主義の裏がえしであるにしても、ともかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった。
     《司馬遼太郎 「坂の上の雲(2)」》



●日本としては、日清戦争で取った遼東半島については、大陸進出のとっかかりといった意識はなくて、そこを押さえておけば、朝鮮半島の保護、ひいては国防にもつながるという考えだった。

  《福田和也
    「日本の近代(上) 教養としての歴史」》


日本は日清戦争に勝って結んだ下関条約の第1条が「朝鮮の独立を認める」。世界に様々な戦争が起きたが、他国の独立を承認させるための戦争など過去に例がない。
        《高山正之 正論2018年7月号》