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北方領土

こんな理不尽なこと、世の中に許されるのか。
それとも、これが「世界」なのか!



●昭和20年8月15日、日本が連合国に降伏したのを機に、各国は一斉に武器を置いた。
にもかかわらず3日後の8月18日にスターリンの軍隊は北方領土に攻撃を始め、日本が降伏文書に調印してから3日後に占領を宣言している。負けたと宣言している国に攻め込んで占領したのだから、これをナラズモノ国家といわずに何といおう。しかもスターリンは4島を独占して2年目に、在住する日本人を1人残らず島から追い出して、今日に至った。(現在14,000人ほどのロシア人が住みついている)
       《上坂冬子 正論2004/11月号》


●ロシアには昔戦争して大勝した。
日本が米国に敗れたとき、裏口から入ってきて火事場ドロをやった。火事場ドロ最中に占守島で戦いになったが、日本が圧勝した。どこをとってもロシアに戦勝などない。
彼等は終戦のあとも日本の領土侵攻を続け、9月2日にやっと北方四島を盗った。火事場ドロではなく見下げ果てた鎮火後ドロだ。それを戦勝記念日とは笑わせる。
      《高山正之 週刊新潮2010/10/21》


●ソ連・ロシアが対日参戦の根拠に挙げるのは、米英首脳と交わした「ヤルタ協定」(45年2月)。同協定は、ドイツ降伏の2,3ヶ月後をめどにソ連の対日参戦を求めている。しかし、これは連合国間の密約に過ぎず、領土問題に何ら影響を与えないことは米国も認めている。

また、米英首脳が署名し、ソ連も参加表明した「大西洋憲章」(41年)は、戦争による領土拡張を求めないとうたっており、ソ連はこの原則を引き継いだポツダム宣言にも参加している。ロシアが唱える北方領土の「戦争の結果としての領有権」という理論は、自己矛盾そのものだ。
          《産経新聞2010/11/10》


●ヤルタ会談で通訳を務め、後にアメリカ駐ソ連大使となるチャールズ・ボーレンは、ヤルタ会談に関する回顧録の中で、ルーズベルトは大きな過ちを犯したと述べている。
スターリンが千島列島を要求し、ルーズベルトが千島列島を定義することなしにこれを受け入れたことが仇となって、北方四島という日本の固有の領土まで強奪されてしまったのだ、とはっきり書いている。

●1956年に日ソの国交回復交渉が始まったとき、アメリカは「ヤルタ会談はなんら領土の移転を含むものではなく、意図声明にすぎない」と声明を出している。しかも、歯舞・色丹・国後・択捉は日本の固有の領土であるとも言っている。
       《新井弘一 諸君!2007/8月号》


●1917年のロシア革命以降のソ連の歴史は、客観的に見て侵略と急激な膨張の歴史であった。第一に、ソ連が自国領土に併合した地域は、
①フィンランドからカレリア地峡、ラドカ湖西部、北部沿岸地帯、フィンランド湾内の諸島など
②沿バルト三国
③ドイツから東プロシャの北半分
④ポーランド東部
⑤チェコスロバキアの一部
⑥ルーマニアの一部
⑦外蒙の一部
⑧日本から北方領土

…など主要8地域にものぼり、その総数は約67万平方キロに達する。これはわが国の倍近く、イギリス、イタリア、ギリシャ三国の合計に匹敵する。
  《香山健一
    産経新聞 昭和正論座 昭和55/1/21)》


●ソ連はドイツをはじめ敗戦国から(日本を含む=満州等よりの施設撤去)多くの賠償を取り立てるとともに、第二次大戦で領土を拡張した唯一の大国である。

●「大西洋憲章」の第一項、第二項には、領土の変更を認めないことが明示されている。そしてこの憲章には戦争の終了まで52ヵ国が署名し、「連合国宣言」と呼ばれるようになった。
ソ連の領土拡張は、明らかにこの宣言違反ということになる。ヒトラーが併合した外国領土よりソ連の方がずっと広いのであって、連合国はこのソ連の行為により枢軸国に対する戦争の大義名分を失ったということもできよう。
  《若槻泰雄 「売文業者たちの戦後責任」》


●1956年、鳩山一郎らを相手に北方領土交渉をしたフルシチョフ・ソ連最高会議幹部は、領土問題をこう語っている。「ロシアの力が弱くて自分の領土を守ることができなかったとき、日本の帝国主義が力づくでこれらの島を奪い取った」

●1945年、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州を軍事侵略し、日本兵60万人余を強制抑留し、北方領土を奪うに至ったソ連の蛮行を、中露共同声明は「中国東北戦線解放」と呼ぶのである。
      《櫻井よしこ 産経新聞2011/2/10》


●2006年8月16日未明、北海道根室市のカニかご漁船「第31吉進丸」が、北方領土と北海道の中間ラインでロシア連邦保安庁国境警備庁の警備艇に銃撃・拿捕され、盛田光広氏が死亡、坂下登船長ら3人が連行された。
理由の如何を問わず、丸腰の船員を銃撃した国境警備庁のやり方は許せない。
     《鈴木宗男 「北方領土特命交渉」》







●ロシアに対しては、まずは「南樺太の帰属について話し合おう」でいい。
南樺太は戦後、サンフランシスコ平和条約で日本は確かに手放したけれど、当時のソ連はこの条約に加わっていないから、拾えていないのだ。だから「四島だけじゃないだろう」という姿勢を見せること。それで落としどころが四島ならそれでいいではないか。
       《勝谷誠彦 「代案を出せ!」》


●(中ロ)両国は連日のように、日本の領空すれすれに軍用機を飛ばしているが、ロシアは、偵察機ではなく、長距離爆撃機を2機出動させ、日本列島をぐるりと1周させた。しかも北方領土上空で、必要もないのに空中給油までしてみせた。もはや挑発の域を超えている。
       《産経抄 産経新聞2011/9/10》


●北方領土・国後島沖で1月29日、操業中の日本漁船2隻がロシア国境警備隊のヘリコプターから銃撃され、2隻の計20ヶ所で銃撃痕が見つかった。2隻は29日午後、ロシア側に協力金を支払って北方四島海域に入る「安全操業」からの帰港準備中に銃撃を受けた。

●ロシア主要メディアによると、国境警備局の担当者は30日、漁船が領海に入り停船要求を無視したため、ヘリが警告発砲したと主張、さらに船体を狙ったと認めた。

●一方、羅臼漁協は船の位置を衛星で把握するシステムで2隻の航跡を確認し、指定区域からの逸脱はなかったとしている。 
            《産経新聞2010/2/1》


●ソ連の侵攻…
◇8月16日に旧樺太の西岸にソ連軍が上陸し、樺太防衛にあたる日本軍との間で戦闘行為に入った。

◇8月18日には千島列島の占守島に上陸、ここでも日本軍の守備隊は抵抗した。

◇この日の夜、極東ソ連軍の最高司令官ワシレフスキーは、指揮下の部隊に旧樺太の日本領、それと新知島までの千島列島の北部諸島を25日までに占領するように命じた。

◇さらに太平洋艦隊に、9月1日までに新知島までの千島列島の南側の占領と、北海道の道北部分(釧路市と留萌市を結ぶ以北)の占領を命じた。

◇8月20日朝に、樺太西岸の真岡に上陸した。極東ソ連軍は北海道侵攻を目的に行動を開始したということができる。

◇8月28日、樺太からの部隊が択捉島に上陸。9月1日国後島、色丹島に上陸。9月5日に歯舞諸島を制圧した。

●ここで重要なのは、日本は9月2日にミズーリ号で連合国の示した降伏文書に調印しているが、極東ソ連軍はその日以後も軍事行動を起こしていることだ。
       《保阪正康 「昭和史七つの謎」》


●ソ連軍の上陸は四島の島民を恐怖のどん底に突き落とした。若い女性は変装して納屋に隠れたが、逃げ場を失い、幼子を抱えて海に身を投げた母親もいた。

●ソ連は1946年2月に四島を自国領に編入。島民を強制退去させる決定をした。島民は小型船で沖合に出た後、荷物用モッコ網に入れられてクレーンでつるしあげられ、大型貨物船の船倉に降ろされた。完全にモノ扱いだった。
    《産経新聞取材班
     「国会議員に読ませたい敗戦秘話」》



【領土問題】
尖閣諸島/美人を見たら自分の妻だと主張する国
竹島/弱っている人の懐から財布を奪う国
★北方領土/降参した人を蹴飛ばし財布を奪う国