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天皇とは

万世一系の天皇家。
共産主義者や左翼過激派は
「人民の敵」として糾弾する。
その感覚は日本人の心情からは
程遠いものである。
天皇・皇室というものが歴史的に
庶民からどのように想われてきたのか。



●天皇の日常は、今でもそうですが、いかなる神主よりも神主で、神に仕える祭事がじつに多く、どんな神主より忙しいですね。少なくとも摂関政治以後は、神もしくは神主である性格がより濃厚になった。

●だから、いかなる騒乱の世でも京都の御所だけはおかされなかった。応仁の乱前後、京都で盗賊が横行し、あらゆる物持ちの家や倉は常に脅かされているのですが、盗賊は、塀一重の御所にだけは入らない。天皇さんだけでなく、大神主である天皇さんの眷属である公卿の家にも入らない。驚くべきことです。盗賊ですら、神聖血族集団ということを認めていた。
 《司馬遼太郎 「司馬遼太郎対話選集(3)」》


●この国では、武力をもって天下をとるにしても、朝廷を擁し、それを利用しなければ天下が落ち着かぬ、という慣習がある。
         《司馬遼太郎 「関ヶ原」》


●古来より、朝廷・皇室は、五穀豊穣や疫病退散を祈る数多くの祭礼を行ってきた。朝廷・皇室は国家の繁栄と国民の幸福を祈ることを、その重要な役目としてきたはずである。皇族は、自らのためではなく、国家・国民のために、全身全霊を傾けて祈っているから尊いのだ。
         《投稿 正論2008/8月号》


●誰も見ているわけでもないのに、毎朝、毎夕、お祀りをやっている公の感覚、無私の感覚というものが、皇室の中はちゃんとある。そういうことの大切さを考えておかないと、日本人が「民主主義がいい、近代社会がいい」と言いながら、どんどん驕り高ぶっていってしまっていることの歯止めの部分---本来日本人は何に感謝し、何に伏し、生きていくかというもの---を守っているというね。そこに天皇の価値があるわけだ。
 《小林よしのり 「徹底討論!皇室は必要か」》


●お茶の水の「文化学院」の西村伊作院長(戦前)…「天皇は日本にとって正装したときのネクタイのような存在」
        《上坂冬子 正論2008/2月号》


●天皇家は緩衝地帯みたいなもの。むきだしの人間たちだけで合宿するよりも、1つの緩衝地帯をつくっておいたほうが、人間社会のバランスを保つのにいいのではないか。
         《上坂冬子 「大声小声」》

●大統領制にすると、もっとすごい権力を持つこともあるわけだ。だからそういう国体でいいのですか、ということになってくる。
          《曽野綾子  〃  》


天皇家は日本国民のご本家であり、ご先祖の一番の基である。その基を我々は神話的に「神」と呼んでいる。
    《谷沢永一 「こんな日本に誰がした」》


●わが国は万世一系、世界で一番古い皇統をいただいている。万世一系ということは、王朝の交替がなかった、革命がなかったということ。徹底した争い、破局的な闘いがなかったということ。つまりは平和だったのだ。1つの王朝が滅んで、別の王朝が興隆するなんていう、国内全てを灰にして人口が半分になるような闘いを経験していない。

●これに対して他国では…
●支那 : 漢の末、五湖十六国、宋の滅亡過程等、人口が四分の一になったなんて時代がいくらもある。
●ヨーロッパ : ローマ帝国の末期は人口が数分の一になったと云われているし、宗教戦争では二分の一まで減っている。(ペストも流行ったが)

…やっぱりありがたいこと。「君」の「代」が続いたおかげである。これからも平和な国であるためには、「君が代」が「千代に八千代に」続いてもらうのが一番いい。
        《福田和也 「平成ゾンビ集」》


●他国の皇帝は暴力・武力によって権力の座についたが、日本の天皇の場合はそうではない。争って地位についた者は、また争って地位から落ちる。天皇は政治権力を超えて、権威としてずっと続いてきたのである。
  《所功 そこまで言って委員会2007/4/29》


●「天皇陛下」と言ったら、パッと踵を鳴らして直立させられたが、あんなものは日本人の心の中にある天皇じゃない。家庭でも非常に天皇のことが話題になる。どこの宮様の妃殿下はどこからいらした、などということを母親などはよく知っていて、なんか皇族を自分の親戚みたいに思っていた。
       《山崎政和 「諸君!の30年」》


●大抵の国では、戦争に負けると元首は国外に逃亡を謀ったり、自国民に惨殺されるという結末になりがちだが、日本はそうはならなかった。
同じ昭和天皇の下で、国民はおしなべて嬉々として頑張ってきた。太陽が照っているときはその恩恵を意識していないのと似ていて、日本人は意識下に当然のように祖先伝承の感情としての天皇を、大切に思っていたから。

《谷沢永一 「拝啓韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国殿」》


●未曾有の敗戦という過酷な現実にも拘わらず、各種の世論調査は「天皇制」に対する国民の揺るぎない支持を証していた…

◇昭和20年10月9日 読売新聞
   「天皇制支持」95% 反対5%
◇昭和21年2月4日 毎日新聞
   「支持」92%
        《勝岡寛次 正論 2005/11月号》


●敗戦時、GHQのマッカーサーには日本国民から多数の「天皇助命嘆願書」が届いた。
 《ワン・シューグァン 「20世紀からの決別」》


終戦直後、日本人はなによりもまず、だれもが天皇を守ろうとした。その願いは、社会秩序の徐々なる崩壊を防ぎ、明日にしっかりと立ち向かおうとする構えと重なっていた。
天皇を守ろうとした人々は気づく気づかないは別として、独善・猜疑心・悪意・流血が連鎖・循環する悲劇を繰り返すまいとしたのである。

◇ルイ16世は退位させられ、逮捕され、断頭台にのぼった。フランスはその後、ロベスピエールの恐怖政治となった。続いてナポレオンが登場し皇帝となり、さらにルイ18世、そして共和制、再びルイ・ナポレオンの帝政となった。

◇ロシアは皇帝ニコライ二世一族を殺害した後、レーニンが老若男女を問わず全ての知識人を殺害するか、国外に追放した。彼の後継者スターリンは、マルクス主義に献身と情熱を捧げてきたあらかたの知識人を抹殺してしまった。

●そして天皇は国民のその願いに応えた。天皇は国民に新たな自信を与え、新しい国家統一の心柱となり、あの敗戦からの立ち直りのための忍苦と希望を求めて、歳月を国民とともに歩まれたのである。
        《鳥居民 産経新聞2006/4/29》


●日本は第二次大戦に突入するときに、指導者階級と国民とが必ずしも2つに分かれてはいなかった。日本では天皇と国民は運命共同体だった。つまり上と下の考え方や意識が、そう大きく分離していなかった。われわれは一丸となって戦争に突入した。だから負けた後で1億総ザンゲといったのだ。敗戦の日に、宮城の前にひれ伏して泣いたのは正直な姿だった。
      《西尾幹二 「歴史を裁く愚かさ」》


●私は天皇制に就いても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるけれど、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。

●社会的に忘れられた時にすら政治的に担ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代わり得るものならば、孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代わり得なかっただけである。
           《坂口安吾 「堕落論」》






●歴史上、天皇の出番はそう多くあるものではない…

◇1945年に天皇制がなかったならば、日本はナチス・ドイツのように全土が焦土となるまで戦い続けたかもしれない。
◇明治維新の時に天皇制がなければ、徳川と薩長との間の関ヶ原の報復戦となり、英仏露などの帝国主義国家の好餌となっていたかもしれない。

…既存の制度(維新の時の幕藩体制、戦時中の軍の専権体制など)のもとでは、事態を収拾する方法が全くなくなった時に、国家民族分裂を避ける方法として、国民統合の象徴である天皇制がその存在価値を示したのである。

●天皇を神聖と呼ぼうが象徴と呼ぼうが、それはその時々の憲法がつけた呼び名であって、天皇制そのものは現行憲法どころか、明治憲法以前から日本人が持っている固有の制度である。今後も天皇制は、百年に一度あるかどうか分からない国家と民族の危機に備え、他の国が持っていない日本民族固有の財産として大切に保存すべきである。
      《岡崎久彦 「吉田茂とその時代」》


●歴代の天皇陛下は天災でさえも「自分の不徳の致すところだ」と一身に引き受けておられた。
         《葛城奈海 正論2012/6月号》


●皇室の存在のありがた味に気づいたのは、実は私がジャーナリスト駆け出しの頃、パレスチナにいたときに、イスラエルから弾圧されているガザ地区の普通の住民が「われわれのお母さんはどこにいるんだろう」という言葉を聞いたときだった。

●日本には、有事の時には国のお父さんとお母さんがいる。3・11の時も天皇陛下のお言葉で国がまとまって助け合って家族になれる。この強さが日本なのである。
     《大高未貴 チャンネル桜2016/2/20》


●天皇を見て、日本という国を具体的に感じた。この日本の安寧を守るのだと自然に使命感がふくらんできた。
    《中條高徳
     「おじいちゃん戦争のことを教えて」》