賢者の説得力ホーム領土問題竹島
                                                                                                                                              

 

竹 島

中国さんも、韓国さんも、たのむよ…(泣)



●竹島が日本領土であることは、1905年の日韓協約(ならびに日露講和条約など)で国際法的に認められている。
      《松本健一 日本の論点2006》

※はい、これでおしまい…のはずなのに、普通の国は。(泣・管理者)


●日韓基本条約には、当時独立したばかりの朝鮮半島に含まれる島の名が列挙されているが、そこには竹島のタの字も見当たらない。
      《上坂冬子 産経新聞2008/8/15》


●日本が竹島を島根県に編入したのは1905年のこと。韓国が俺の物だと言い始めたのは1952年である。日本の抗議を無視して警備隊を常駐させ、桟橋を築き、何が面白いのか観光団まで送り込んでいるのは韓国の方ではないか。
      《紳士と淑女 諸君!2006/7月号》


●そもそもずっと無人島だった竹島周辺の漁場を開拓したのは、日本の漁民だった。だから竹島は江戸初期から実質的に日本の領土であり、明治38年の領有告示はそれを公式に追認したにすぎない。

●それが戦後紛争の種になったのは、昭和27年李承晩大統領が、竹島を日本領と定めたサンフランシスコ講和条約が発効し日本が外交権を回復する3ヵ月前の1月18日、空き巣狙い的に「李承晩ライン」を一方的に設け、竹島をその中に取り込んでからだ。
        《稲垣武 諸君!2006/7月号》


●国際法からいっても、領土紛争がある地域に「軍事力」をさし向けて占拠をすれば、明確に「侵略」なのだ。韓国は立派な侵略国家じゃないか。
        《福田和也 「人でなし稼業」》


●韓国政府は「李承晩ライン」を根拠に日本漁船を拿捕抑留し、漁船員の解放を求める日本側から「財産請求権の放棄」と「在日韓国人の法的地位」等の譲歩を引き出すなど、人質外交を展開した。

●韓国政府は、日本漁民を抑留しては体罰に処した。抑留された漁船員は2,791人、長い人は3年も抑留され、釜山収容所では過酷な待遇を受けた。拿捕の最中、韓国艦艇の銃撃で死亡した漁船員は2人、韓国のフリゲート艦に追突され21人が死亡した。
        《下條正男 正論2007/3月号》


●竹島の領有権がはっきりしたのは1905年。隠岐に住んでいた中井養三郎が明治政府に「リャンコ島」(竹島)の領土編入と貸与を願い出たことがきっかけである。

●政府による調査の結果、無主の地として確認された。そこで、国際法における「無主の地の先占」の規定に基づいて、翌年閣議決定で領土に編入することとなった。「島根県隠岐郡五箇村竹島」(現在は隠岐の島町)となった。(1905年2月22日)

●日本では江戸時代にこの竹島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と呼んでいたのでややこしくなった。江戸時代の本に、「竹島は朝鮮領」と書いてあるのはそのためである。
さらにシーボルト(ドイツの医学者・博物学者)が間違えて、鬱陵島を「松島」だと欧州に紹介したことによっても混乱が生じた。

●1898年に大韓帝国が作った地図「大韓全図」「大韓輿地図」には、韓国は自国領の東限を「東経130度」(鬱陵島まで)とはっきり記している。竹島は東経131度55分。
…韓国も「竹島は日本領」だと、地図上で認めているのである。

●1953年には、武装した韓国軍隊が上陸し、今も不法占拠を続けている。
1954年に日本が「国際司法裁判所で話し合おう」と提案したのを、韓国は拒否している。韓国政府は、国民に真実を明かせないからである。
  《竹内睦泰
   「日本・中国・韓国の歴史と問題点80」》


●サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立国になったのは、1952年4月28日のことだ。これに対して境界線が設定されたのは、朝鮮戦争で韓国の優勢が確立した1952年の1月18日だ。
つまり李承晩大統領は、講和条約発効で日本政府が独立を回復する前のタイミングを狙って軍事境界線を設定したのだ。

●独立回復後、日本が自衛隊を創設するのは1954年7月1日。韓国の不法な支配と漁船の拿捕に対抗しようにも、日本にその「実力」そのものがない時代に「李承晩ライン」が引かれたのである。
      《辛抱治郎 週刊朝日2012/9/14》


●日本は韓国の実効支配を黙って見ていたわけではない。一度、警察が主権を取り返すために竹島へ向かったが銃撃された。その後、漁船も銃撃され死者も出たため、日本は手が出せなかったのである。日本側はその間、一発の銃弾も撃っていない。
  《島田敏男 NHK双方向解説2012/9/22》


●米国はサンフランシスコ講和条約の草案を作成し、関係諸国に照会した。
戦勝国ではなかったが、米国は韓国にも見せた。韓国に関する部分には、日本が朝鮮(当時)の独立を承認することに加えて、日本が放棄する領土として「済州島、巨文島および鬱陵島」が挙げられていた。

●韓国の駐米大使であった梁佑燦氏は1951年7月19日、ジョン・F・ダレス国務長官顧問を訪問し、日本が放棄すべき領土に「独島」を加えてほしいと要請した。ダレスは「その島は日本が朝鮮を併合する前から朝鮮のものであったか」と尋ねた。梁大使は「そうだ」と答え、ダレスは、もしそうであるなら、日本が放棄すべき領土に独島を加えるのは問題ないと述べた。

●米国はその後調査を行い、梁大使の説明が事実と異なることを突き止めた。同年8月10日付の書簡で、米国は韓国の要請に正式な回答を出した。
「われわれの情報によれば(独島は)朝鮮の一部として扱われたことが一度もなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません」
というものだった。
(以上の内容は、国立国会図書館参事の塚本孝氏が「中央公論」04年10月号に報じた)
 《櫻井よしこ 「国売りたもうことなかれ」》






●韓国警備艇は竹島周辺で操業する日本漁船を狙い撃ちし、次々と拿捕した。54年10月に拿捕され、3年半の抑留生活を送った漁船員・山本義雄氏は自著『掠奪の海』(東京ライフ社)で韓国警備艇の無法ぶりをこう記している。

「国際法を無視して、暗夜の海上を無灯で遊弋し、漁船の灯火を発見するや銃撃を加えて、拿捕掠奪を行うのである。自船の位置を測定する測定器具(六分儀)すら備えていぬ韓国の警備艇である。李ラインが何処か判る筈がない。韓国警備艇にとっては、自船のいるところが即ち李ラインなのである」

●日韓漁業協議会によると、65年の日韓基本条約及び漁業協定締結までに、韓国によって拿捕された漁船は328隻。逮捕・抑留されたえ船員は3929人で死傷者は44人に上る。
損害額は64年当時の評価基準で約90億円と算定された。なお、損害賠償については日韓基本条約の付随条約により請求権を事実上放棄しているため、漁船への被害補償は実質的に日本政府が肩代わりすることとなった。

●李ラインが設定された当時、日本の海上保安庁には重武装した韓国警備艇に対抗する船舶がなく(海上自衛隊創設は54年7月)、有効な対策が取れずにいた。
そうした状況下で発生したのが「第一大邦丸事件」だ。53年2月4日、福岡の漁船「第一大邦丸」は僚船とともに韓国・済州島沖で操業中、突如、韓国警備艇の急襲を受けた。

●韓国側の銃撃によって、漁労長(漁の指揮官)の瀬戸重次郎氏が頭部に被弾し死亡。両船舶は拿捕され、船員18名が済州島に連行された。
その後、船員たちは現地の防空団詰所に監禁された。4畳ほどの部屋に押し込められた船員たちには食糧も与えられず、船に残されたわずかな食糧で命をつないだという。漁船に残された船員の私物や金目の装備品はすべて持ち去られ、約38tの漁獲物も韓国警察に押収された。

●54年7月、韓国は実刑判決を受け刑期を終えた船員たちを「釜山外国人収容所」に移送し長期抑留する措置を取った。日本との国交正常化交渉を有利に進めたい李承晩には、船員たちを「人質」として利用する狙いがあった。その中には未成年者も含まれ、船員の抑留者は最大で1000名近くまで膨れ上がった。

●日韓漁業協議会編纂の『日韓漁業対策運動史』によれば、「収容舎はバラック建で、ガラス窓、畳など満足なものは一枚もなく、天井、内張りは全然ない豚小屋同様のものであった」といい、刑務官による暴行や嫌がらせも日常的に行われた。
食糧事情においては質、量、衛生状態のどれをとっても酷く、蝿の死骸が混入した飯や発酵した麦、腐った魚が提供されることも珍しくなかったという。日本から届けられる差し入れ品の横領も多発し、収容者は日用品にも事欠く生活を強いられた。

●そうした劣悪な環境で収容者の心身は次第に蝕まれていった。55年12月に収容所で腸チフスが流行すると、多くの者が治療を受けられず、衰弱した船員の1人が死亡した。抑留船員の山本義雄氏は、その時の想いを前掲書『略奪の海』にこう綴っている。
「Sさん(原文は実名)の状態は実に酷かった。腰には床摺れが出来、そこの肉は腐っていた。(中略)罪人でもないSさんは同僚や縁者がおりながら、一人の看取る者もなく、灯火の消える如く死んでいった。いや、殺ろされたのである」

60年当時、駐日米大使のダグラス・マッカーサー2世は、韓国の漁船拿捕・日本人抑留を「海賊行為」「残酷で野蛮な弾圧行為」と非難したが、竹島を自国領土と言い張る韓国政府から反省や謝罪の意が表明されたことは一度もない。
      《編集部SAPIO 2015/10月号》



【領土問題】
尖閣諸島/美人を見たら自分の妻だと主張する国
★竹島/弱っている人の懐から財布を奪う国
北方領土/降参した人を蹴飛ばし財布を奪う国