賢者の説得力ホーム戦争責任責任

 

責 任

「戦争責任」とは?誰が誰に「責任」を追及し
どのようにして「責任」をとるのか…


●戦争とは外交の手段であり政治の延長だった。負ければ賠償金を払い領土を失うが、国民全部が道徳的責任を問われることはない。
        《「新しい歴史教科書改訂版」》


●そもそも「戦争責任」とは何なのだろう。戦争を起こした責任なのか、(もしこれなら、逆の側に起こさせた責任はなかったのか)戦争に負けた責任なのか、戦争をもっと早く終わらせなかった責任なのか。

●戦争は一握りの軍国主義者が引き起こしたなどと言いつのるのは、真っ赤なウソである。今になって自分だけが戦争に反対したかのごとき正義づら、あるいは苦痛ばかりを味わった被害者づらをして、他の「戦争責任」をあげつらうのは、おこがましい。
   《石井英夫 「クロニクル産経抄25年」》



●「東條が悪い」「天皇が悪い」「軍部が悪い」と全て他者の責任にしている人々は、「戦争に勝てばいい」という考えの裏返しである。戦争責任はあの時代の中に内在していたものである。国民は騙されていたというなら、騙されていた責任がある。
           《保坂正康 出典不明》


例えば、「親が銀行強盗をした場合、子に責任はあるのか」。進歩派は「親は親、子は子」となる。すると、戦争も我々には責任はないことになる。
     《呉智英 「ぼくらの『侵略』戦争」》


●「破滅への道」を願った日本人は一人もいなかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ。
       《中村粲 「大東亜戦争への道」》


●私たちが2つの大戦を通して反省してみるとしたら、それは戦争責任などという実態も概念もない空論ではなく、あれらの戦争が本当に国益になっていたかどうか、戦争することが本当に得なのか、あるいは損になるのかを計算することしか意味はない。

《谷沢永一 渡部昇一 「日本に『戦争責任』なし」他の著書「禁忌破りの近現代史」》


私はリベートをもらう席に坐ったことはないが、坐れば必ずとるリベートを、坐れなかったばかりに潔白だとは思わない。
           《山本夏彦 出典不明》


●「ベルサイユ条約」の原案を作成した仏のクレマンソー首相は、「ヨーロッパの平和というものは、ドイツを永遠に落とし込めていく以外に方法がない」という固定観念で、ドイツが何世紀かかっても復興できないような、過酷な条件を考えた。

●ところが、イギリス大使の随員として条約の現場にいた若き経済学者・ケインズは、「こんなものをドイツに押し付けたら、必ず第二次世界大戦が起こる」と英首相に進言したが、受け入れられなかった。
第二次大戦の責任を追及するなら、「ベルサイユ条約」で署名した全権がまず問題になる。
     《谷沢永一 「大国・日本の正体」》


●あの戦争に関しては、ルーズベルトやチャーチル、スターリンや蒋介石やチトーにも責任がある。
        《西尾幹二 「歴史と常識」》


●一般に、他者の責任を追及する言動には卑しさがつきまとう。少なくともそういう場合が多い。というのも、法律という成文にせよ徳律という慣習にせよ、ルールがはっきりしているなら、ルールに基づいて制裁を科せばよいだけの話だからだ。責任が発生するのは、そのルールを運営しているものにおいてであって、罰せられるものにさらに責任を負えというのは残酷というものである。

●行為者の動機がさほど不徳にまみれていなくても、その被害が甚大で、しかもルールが不備なために厳しい制裁が科されない場合がある。(例えば不注意運転で何人もの人間が死に至らしめられても、たかだか数年の懲役ですむ)そのような時、被害者の側は深い「怨恨」の感情を抱く。それが責任論をいつまでも長引かせることとなる。過去の大戦に関する戦争責任論で配慮しなければならないのは、そのことだけといってよい。

●逆にいうと、怨恨を抱く事情がないにもかかわらず、自分の反体制気分を満足させることを狙って、戦争責任論を逞しくしているいわゆる戦後知識人は卑しい心根の持ち主だといわざるをえない。ましてや、被害を受けた他国人の(主としてその子孫たちの)怨恨に便乗して、それをなすのは言語道断である。さらにいえば、その怨恨とて、半世紀を閲すれば外交上の駆け引きのための演出であることが少なくないのである。
         《西部邁 「国民の道徳」》


●ある世代が仮に「痛切な反省」をしたとしても、それを何世代にもわたって反省すべく「努力」するわけにはいかない。精神の自由を拘束するに等しい暴論というものだ。
       《井尻千男 「日本あやうし」》


●「戦争責任」の観念は自明なものではない。国際社会で主権性を認められた国家の戦争行為を、超越的な規範で裁くこと自体が、本質的に不可能なことだからである。
      《佐伯啓思 中央公論2005/9月号》


●端的に言へば、大東亜戦争は罪悪なのではなく、失敗だつたのである。失敗と解つてゐなければならぬ戦争を起こした事に過ちがあつたのに過ぎない。
       《福田恆存 「日本への遺言」》


犯罪とは反社会的行為である。だからもちろん社会により時代により、犯罪の定義は違ってくる。旧ソ連で政治的自由主義を説くことは、シベリア流刑に価する犯罪だった。
         《養老孟司 「異見あり」》


●終戦直後の、国民の社会意識の状態を捉えようとしたとき、まず予想したのは戦争責任追及の問題意識の強さだった。戦争が悲惨な結果で終わったわけだから、当然、国民の側に痛烈な戦争責任を追及する声が挙がっているに違いないと予想したのだが、事実その通りだった。軍部の指導者や天皇に対して、その戦争責任を追及する声が、世論調査や集会スローガンや新聞論調の形で挙がっていた。

●東京裁判が進行し、公職追放が進められていく過程で、軍部や天皇に対してだけではなく、行政機構の各段階における責任者や地域社会のリーダーたちに対してまで、ある場合には投書というような形で戦争責任追及の声が挙がった。
しかし、なぜか国民自身が戦争責任を、主体的・自覚的に追及する声が挙がっている例は殆どなかった。これは奇妙なる事態だった。

●私自身、いわゆる「小国民」としての経験があるので、実感として言い切れるのだが、第二次大戦中、熱心にあの戦争を支えていたのは、日本社会の指導者たちだけではなく、多くの国民も本気になって、そう思い込んで、戦争の担い手になっていた。今までその事態を直視しなかっただけなのである。

●M・マイヤーというアメリカのジャーナリスト…
彼は戦前のドイツを知っていた。第二次大戦後、ドイツのある町へ1年間住みつき、日常生活の中で、なぜヒトラーを支持したのか、ナチスの体制に取り込まれてしまったのか、なぜ抵抗しなかったのかを話題にした。友人となった町の住民たちが語ってくれたのは、ほかに選択肢がなかったからで、ある日、決意して飛び込んだわけではない、という事情だった。大きな河の流れのような歴史の流れに流されただけだ、という答えであったわけである。

●このジャーナリストは、結局こういうことであったのではないか、と説明している…
我々が朝、会社への出勤に急いでいる途中、道端で犬が子供に苛められているのを見つける。時間があれば止めるのだが、電車の時間に間に合わせるため、つい見過ごしてしまう-

…それと同じではないか、というのである。つまり、歴史的に決定的な瞬間というのは、あとからそのように意義づけられるものであって、その瞬間瞬間には、日常性の論理が圧倒しているような瞬間であったにすぎないということである。何か決定的と思える、誰の目にも入ってくる歴史的な瞬間があって、その瞬間における歴史的決断について、我々の責任が問われるのではない、ということである。  
    
《高橋彦博 「民衆の側の戦争責任」》






●大本営発表にしても、「大嘘の連続」というのが常識になっている。確かに1942年6月のミッドウェー海戦で、日本が4隻の空母を喪失したにもかかわらず、その事実を隠蔽したという話は悪名高い。
日本の戦争指導部は、被害を隠し、国民に動揺を与えず、別の戦線で日本に有利な局面を作り出すことが国益と考えたのであろう。しかし、このような大嘘をついたツケが回り、戦後、アメリカが「大多数の国民は騙されていた」という神話を作る上で利用されたのである。

ただし、ここで冷静に考えていただきたいのは、大本営発表がこのような事実の歪曲を行うようになったのは、戦局が日本にとって不利になってからであるということだ。そもそも国家というものは、国益上必要であると確信することについては嘘をつく。国民のためによかれと思って行ったことでも、結果として国民に対して嘘をついてしまった場合は、後で嘘をついたという事実を明らかにするということが、国民に対する信頼をつなぎとめることになる。
       《佐藤優 「日米開戦の真実」》


 ※関連ページ : 「朝日新聞の戦争責任」も参考に

【戦争責任】
戦争責任/日本だけの特殊な対応
アジア諸国に対する謝罪/そもそも何を謝らなければならないのか
村山談話/その怪しい出自
日本の戦後賠償/根拠と際限のない要求
戦争責任に対する他国の振る舞い/これが国際基準だ