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大局的視点

あの一連の日本の戦争は、大局的視点から眺めると
どういうことが言えるのだろうか。
そこには、「進歩的文化人」にはない達見が輝く。



●黒船来航について、イギリスではこのような議論がある…「米国は日本の富に目をつけて開国を迫り、ドアを開けろと要求したが、ドアが開くと我々が進入するのではなく、強い日本人が中から世界に飛び出してしまった」 日本を舐めていろんなことをしていると、結局寝た子を起こしたことになる…と。 
       《日下公人 「 闘え、日本人」》


日本が植民地にならないために、より富国強兵化をする。富国強兵のためには、より多くの資源を必要とするという必然性にぶつかる。 
    《松本健一 「ぼくらの『侵略』戦争」》


●イギリスとロシア間で行われたユーラシア大陸全体とその周囲の海域をめぐる争いが、おびただしい民族や国家が揺り動かされ転倒され破壊された。そのような国の中に日本も含まれている。

●長期的な視点から見れば、対米戦争の下地は、日露戦争勝利からワシントン体制の成立までの時期に作られたと言っていい。ほぼ一方的にアメリカによって日米間の悪意は形成された。
日露戦争に思いがけず日本が勝利したことで、太平洋の彼岸に予期せぬライバルが登場したことに対しての、アメリカが抱いた脅威と、それに基づく様々な敵視政策(日系移民の排斥から日英同盟の破壊に至る)はやはり悪質なもので、真珠湾に際して日本人の大半が快哉を叫んだことは、当然だった。
           《福田和也 「地ひらく


●中国に次々と入り込んでくるヨーロッパ列強に対して、日本も何らかの形で中国に勢力を持とうとしたのは、冷静に考えればやむをえない国家力学のなせる業だった。はじめに中国に手を突っ込んだヨーロッパに対するカウンターとして、日本も何らかのアクションを起こさざるを得なかった。
            《西部邁 「愛国心」》


●大東亜戦争を可能にした主役が「近代」であったことは紛れもない。日本はアジアの中で唯一近代を獲得したがゆえに、「近代戦争」に突入することが可能になったのである。そしてそれが可能であったからこそ、アジアの植民地一掃という義務も生じた。また可能であったがゆえに、戦後経済大国になることにも成功した。歴史は連続している。(欧米と互角だったからこそ、長期戦が可能だった) 
         《西尾幹二 「歴史と常識」》


太平洋戦争は、根底には白人帝国主義による人種差別が日本を包囲した。
         《藤岡信勝 「歴史の本音」》


●日本はただ「武力」で負けただけ。それ以上でも以下でもない。戦争とはそういうもの。
        《佐々淳行 諸君!2002/1月号》


●第三世界の覚醒を図る日本を、植民地を失うことを恐れた白人たちが押し潰そうとし、それに中国人を使おうとした。中国人は簡単に買収に応じて日本を裏切った。そういう構図だった。
  《高山正之 「歪曲報道」 
    他の著書「偉人リンカーンは奴隷好き」》



●侵略戦争なら計画戦争であり、勝つか負けるかの見通しがつく。勝つ見込みがないなら仕掛けない。
しかし大東亜戦争は、そのままじっとしていれば国が亡びる淵に立たされた。いうなれば、窮鼠猫を噛む戦争だった。
         《瀬島龍三 「日本の証言」》


●大局的に見るならば、日米両国は「資本主義同士を戦わせて共倒れさせ、世界の覇権を奪取する」というソ連の陰謀に乗せられて戦ってしまったとも言える。
         《平間洋一 正論2006/8月号》


●日米開戦までの7つの契機…

①ペリーによる日本開国 : 平和に暮らしていた日本を力づくで開国させた。深層心理に怨念が宿った。「日米百年戦争」が始まる。

②李朝朝鮮とその宗主国清朝の李鴻章による「夷を以て夷を制する」対日政策 : これが日本に日清・日露両戦争を戦わせ、「外征型」国づくりを強いた。

③米国の太平洋国家化 : インディアンとメキシコから土地を奪い、太平洋岸に達した米国は、1898年の米西戦争で海洋帝国化し、東アジアに進出する。

④西海岸における排日移民運動とワシントン条約体制 : 在華キリスト教宣教師が伝える「親中反日」感情が米紙を通じて全米に広がり、日米衝突の底流となる。

⑤世界大不況とブロック経済化 : 英米とも関税障壁を高めて、日本の輸出を締め出した。ABCDラインの前哨戦だったといえるかもしれない。

⑥反日親中大統領ルーズベルトの登場 : 彼は母方の祖父が対清阿片貿易で儲けたことに罪悪感を抱き、大統領当選後「私はシナに深く同情している。何が何でもスティムソンと共に日本を叩くのだ」と言い放って、ブレーンの学者を呆れさせた。

⑦中ソの謀略 : 蒋介石は米英に日本を牽制させようとした。毛沢東は日本に蒋介石を叩かせようとした。スターリンは日中衝突を望んだ。三者の思惑が第二次上海事変で実った。
      《伊原吉之助 産経新聞2006/12/4》


●大戦後、多くのアジア・アフリカ諸国が独立した。日本が欧米の列強を駆逐し、なおかつ最終的に敗戦したからこそ「成し得た」成果なのである。日本は敗れるために開戦を強いられたのである。

●これが目に見えない巨大なエネルギーの仕業であったことは、ごく僅かな人間しか知らない。人知を遥かに超えた「何か」が、常に地球を被い、歴史の歪みから吹き出ようと、我々の出方を見守っているのだ。
      《山口令子 「だまってられない」》


●日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に向けて追い込まれていったのである。
あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。
    
    《佐藤優 「日米開戦の真実」》



●福沢諭吉の「脱亜論」=日本は最初、朝鮮や清国と手を結んで欧米の侵略に抵抗しようとしたのだが、しかし、その2つの国がかえってお荷物で、われわれにとって迷惑以外の何物でもない存在だから、切り捨てて、自分たちだけで欧米の仲間に入って生きていく以外方法はないのだ、という現実認識が述べられている。
《岡田英弘 「日本人のための歴史学―こうして世界史は創られた! 」》


●それまでの世界は、人類史の一時期である帝国主義の時代を経過していたのであり、黄色人種では日本だけが真の独立を守り得たその代償として、血の滲むような絶えざる抗戦を続け、それゆえに複雑な試行錯誤が避けられなかった。
       《谷沢永一 「私の見るところ」》



●昭和前期史を一言で言えば、19世紀の苛烈な帝国主義競争を生き抜いてきた日本が、その規範の中での既得権の維持を求めたのに対して、中国のナショナリズムが国権の回復を求めて日本の影響力を排除しようとし、日本としては、それに対処する正攻法として時の実力者である英米社会と協同して既存の国際秩序を守る方針をとったが、アメリカはむしろ中国のナショナリズムに同情的に傾き、結局はそれに成功せず、孤立外交に走り、ついに中国側の戦略に屈した歴史である。 
      《岡崎久彦 「運命の十年」
          他の著書「国家の叡智」》

●私は国際関係という側面から歴史を学んできた人間として、戦争をめぐる原因や責任を考えるに際しては「長すぎる前史」を考えることは、歴史の議論としてはしばしば誤りにつながると考えている。

●他方、どうしても長い視野(スパン)を求めたいというのなら、うんと長くとる必要があり、この場合それは必ず「文明史」あるいは本来の意味での「世界史」的な展望として論じられなければならない。

●こうした観点から、私は「昭和戦争史」を考えるに際しては、一方では1940年夏から41年夏までの1年間こそが、日本にとって真に決定的であった「運命の一年」であったと考える。

●他方、より長い視野を問題とするなら、ペリー来航(1853年)から国際連盟脱退(1933年)までの80年間を長大な日本史における一つの転回現象として把え、より文明論的なマクロ・ヒストリーの一端として把える視野がなければならないと思う。

●1940年5月10日に始まったヒトラーの「西部大攻勢」が、たった一ヶ月余りでフランスを降伏させ、イギリス軍をダンケルクに追いつめ英国崩壊が目前に迫るという新事態を現出させ、世界情勢を根底から変えることになった。
この情勢転換に瞠目した日本では、再び対独接近を図ろうとする動きが表面化し、同年7月第二次近衛内閣の成立を見た。そしてまことに性急なことに、その二ヶ月後には日独伊三国同盟への締結へと突っ走ってしまい、ここにもはや後戻りできない「真珠湾」への道が始まった。
            《中西輝政  〃  》


大東亜戦争とは、日本人がペリー来航以来感じてきた鬱屈の解放である。
         《福田和也 日本の論点2007》


●近代日本史は、東アジアの国際情勢と密接不可分な関係にあった。
  ◇イギリスのインド支配 ~明治維新の10年前
  ◇ 〃   ビルマ支配    ~ 明治19年
  ◇ 〃   マレー半島支配  ~ 明治42年
  ◇フランスのベトナム支配  ~ 明治20年
  ◇オランダのインドネシア支配 ~ 明治37年
  ◇アメリカのハワイ支配    ~ 明治31年
  ◇ 〃   フィリピン支配 ~ 明治31年
  ◇ロシアが北から不凍港を求めて南下
明治の日本人は、どんなにか心細かっただろう。
アジア地図

●このような時に、頼りになるべき中国(清)が自国の領土保全もままならない官僚的老廃国で、朝鮮はその属国にすぎなかった。そのまま放置しておけば、半島はロシアのものになるか欧米の草刈り場になり、その先には日本の植民地というレールは必至であった。

●中国・韓国ともこれほど無力にもかかわらず、日本に対しては「小癪な東夷・日本」という侮日感情を最初から抱いていた。(欧米の進出には比較的寛大に振る舞いながら)
…この前提を踏まえて戦争を考えなければ、話の辻褄が合わなくなってしまう。
        西尾幹二 「国民の歴史(上)



●1920年以降、かろうじて生き残った帝国主義勢力に加え、できるだけ多くの国を赤化しようとするソ連、世界制覇の夢を見るドイツ、恐慌後の米英によるブロック経済化を見て大東亜共栄圏を目論んだ日本、という新たな膨張勢力が列強として登場した。陣取りゲームとも言える帝国主義は、地球の表面積が限られている以上、いつかは大混乱となる。それが第一次大戦であり、第二次大戦であった。
…日本はこの大きな世界史の流れに明治維新とともに放り込まれてしまったのである。

●この帝国主義の荒波の中で、日本人はそれぞれの時代の最強国ロシアそしてアメリカに、独立自尊を賭け身を挺して挑むという民族の高貴な決意を示した。無謀にもロシアとアメリカに挑んだことは、別の視座から見ると、日本の救いでもある。日本の基本姿勢が他の列強とは全く違い、弱肉強食、すなわち弱い者いじめによる国益追求、という恥ずべきものでなく、あくまで独立自尊にあった、という証左にもなっているからである。
       《藤原正彦 文芸春秋2010/7月号》







●1932年晩秋、新渡戸稲造は米国のカリフォルニア大学で演壇に立ち、次のように訴えていた。
〈わが故郷に軍国主義の称号が冠されるのを聞くたびに私は、誰がそうさせたのだ、と尋ねたくなる。(中略)ペリー提督自身、当時としては圧倒的な武力を備えた艦隊とともに来日したのではなかったか?〉 
〈250年にわたって、連綿と平和を満喫していたわが国は、海外の列強によって無慈悲にたたき起こされ、武装することを教えられたが、今度は先生たちの教えを忠実に実行したという咎でこきおろされているのである〉
        
《関厚夫 産経新聞2012/3/27》

【7月13日更新】

●日独伊は資源小国であり、その国内潜在力に対して小さい購買力と市場しか持っていなかった。
しかし、このことが大戦の原因となったと考えるのは短絡的。日本の中国大陸における侵攻も、ドイツの中欧への進出も、列強の世界秩序に対する致命的な挑戦とはほど遠いものだった。(イタリアの「侵略」にいたっては、殆ど冗談ごとの域を出なかった)

●では一体誰が戦争を欲したのか…アメリカである。アメリカの国家目標だけが世界戦争を必要としていた。アメリカ中心の国際秩序を構成したかった。第一次大戦で壊し残したイギリスの世界覇権システムを完全に破壊し、植民地帝国なき世界を、つまりは自由で開かれた世界を作り、その上に君臨したかった。
  《福田和也 「第二次大戦とは何だったのか」
           他の著書「二十世紀論」》



●日本が日米戦争を戦ったのは、誇りを守るためであった。それはアメリカに関しても同じであって、アメリカの戦争目的も、現実的・合理的というより、アメリカを侮ってアジアでのし上がってきた日本の高慢ちきの鼻をへし折ることであった。

●戦前の日本はアメリカにとって現実的には何ら脅威ではなく、危害を加える恐れもなかった。利害・打算の争いは、お互いに算盤に合わないことはしないので、大したことにならない。しかし、誇りをかけた争いは、利害が考慮の外におかれるので歯止めがなく、限りなく過剰に残忍になりがちである。 
     《岸田秀 「「哀しみ」という感情」》