●オーストラリアの代わりに囚人が送り込まれるようになったタスマニア島は、毎年4千人位、1853年までに6万9千人が送り込まれたという記録がある。これはイギリスから送られた囚人の約半数であるそうだ。
●タスマニアには旧石器時代のような生活を送っていた原住民がいて、ブーメランという唯一の武器(弓や矢を知らない)を使って鳥や獣を捕っていた。
◇イギリス移民が大挙して原住民の居所を襲い、放火して付近一帯の土地まで焼き払い、そこに本国から持参した穀類の種子を蒔いたようなことは枚挙に暇がないほどであった。
◇数十名の原住民をカヌーに乗せて、沖の方へ漕ぎ出させた後、海岸から一斉射撃を浴びせて、あたかも鳥獣を殺すようにして殺戮したりした。
◇原住民が夜中沐浴している時や、野営の篝火を囲んで楽しく団欒している時、突然襲撃して、全団を皆殺しにするような行為もしばしばあった。
…1830年に開始されたもので、植民地政府が現地農民にコーヒーや砂糖きび、藍、煙草、胡椒などを強制的に栽培させ、オランダはこれらの熱帯作物を大量にヨーロッパへ輸出して、莫大な富を築いた。
●ひどいのは、アメリカ軍は自分たちより先にフィリピン兵を出して日本軍と闘わせ、そのフィリピン兵が全滅した後やっと自分たちが出ていった。
●フィリピンの歴史学者は、そういうことを知っている。でも、日本兵が虐殺したと文句を言えば、日本政府は賠償だとしてカネを出してくれたので、日本のせいにしておいた方が都合がよかったのである。
●カール・マルクスには、イギリスのインド植民地化を論じた『イギリスのインド支配の将来の結果』という小論がある。(大月書店『マルクス・エンゲルス全集』第9巻所収)
●そこでマルクスはこう言っている。「問題は、イギリス人がインドを征服する権利があったかどうかにあるのではなく、インドがイギリス人に征服されるよりも、トルコ人、ペルシア人、ロシア人に征服されたほうがましかどうかにある。イギリスは、インドで二重の使命を果たさなければならない。
一つは破壊の使命であり、一つは再生の使命である。古いアジア主義を滅ぼすことと、西欧的社会の物質的基礎をアジアにすえることである」。
●要するに、マルクスは、インドが近代化されるにはイギリスによって植民地にされるよりしかたがないと言っているのだ。どうせインドはトルコかペルシアかロシアによって植民地にされるだろうから、それならイギリスによって植民地化された方がましだ。イギリス人にインドを支配する権利があるかどうかは問題ではないのだ、と。マルクスのこの冷酷なまでのリアリズムに西洋人の傲慢を見た。
《呉智英 「健全なる精神」》
(他著書「
真実の名古屋論 」)
●フランスが植民地にしたベトナムでは、「住民には人頭税のほか結婚税も取った」・
「重税に抗議するデモには、仏戦闘機が容赦なく機銃掃射を浴びせた。死んだ者を弔うと徴税吏が飛んできて、葬式税を取り立てた」(A・ビオリス「インドシナSOS」から)
●サマール島の民が米兵を殺すと、「報復にその島と隣のレイテ島の住民全てを殺した」・「3年かけて20万人を殺した頃、やっと島民の抵抗がやんだ」(米上院公聴会の証言)
《高山正之 週刊新潮2005/6/17》
●帝国主義時代のイギリスは、アジア・アフリカ諸国の人々を劣等人種と見なしていた。だから、自由・民主主義・市場経済・法の支配などの西欧的価値観を植民地に輸出しようとは考えなかった。
●アーネスト・ゲルナー「民族とナショナリズム」…「第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となっていたイラク国家は、襲撃者たちが遠征の前と後とに最も近い駐在所に報告し、殺人と略奪とのきちんとした官僚的な記録を義務として残すという条件の下に、部族による襲撃を大目にみていた」
→しかし、日本はイギリスのような二重基準を採らなかった。
《佐藤優 「
日米開戦の真実」》
●沖縄戦でアメリカ軍は黒人を先頭に立てた。イギリスはネパールのグルカ兵を使った。他の連合軍も植民地の人たちを防壁に使った。
《野田明美 諸君!2007/10月号》
●英仏の植民地統治は間接統治で、その点では手馴れていた。例えばベトナムやカンボジアはフランスの統治した国。しかしフランスとは敵対関係にない。かつてミッテラン大統領が訪問すると、両国とも大歓迎をした。かつてかなり搾取されていただろうにと不思議で、現地に行った時いろいろ聞いてみた。
●そうすると、英がインドを、仏がインドシナを統治した際に直接統治はしなかった。これが日本との決定的な違いである。農場などはプランテーションを作って、宗主国側の管理者は別荘みたいな所で優雅に暮らすが、直接的に民衆を支配する警察官や徴税吏は他国の人を使う。自分たちに反感の矢が向かないためのテクニックである。
●一方でカンボジアは、とても反ベトナム感情の強い国である。カンボジアが親中、ベトナムが親ソということもあって中ソ対立を反映して国境紛争も起きているが、基本的にはそうした対立よりも植民地統治の手法に根ざすところが大きいのである。
●フランス人がカンボジアを支配する時に、徴税吏や検察官としてベトナム人を雇ったためである。カンボジア人が税金を収めない時に、裸にしてムチ打ちにしたり、手を縛って連行したのはみなベトナム人だった。
フランス人は雲の上にいるから、後ろで糸を引いているのが目には見えない。 《三宅久之
「『日本の問題点』をずばり読み解く」》
●「米西戦争でたくさんのフィリピン人が殺されたんです。フィリピンは白色人種によって全てを奪われたんですよ。
スペインが去った後、アメリカはフィリピンに英語を強要し、アメリカの植民地にしてゆきました」
フィリピン人通訳のマリオ・ピネダ氏は、フィリピン人は白人国家間の覇権争いの犠牲者だとして続けた。
●「アメリカは、アジアにおける唯一の植民地フィリピンを徹底的に弾圧しました。アメリカの国旗に頭を下げない人々は皆グアム島に送られたんですよ。グアム島の人口の30%がフィリピン系である理由にはこうした歴史的背景があります」
●「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本の“教育”の成果です。ですが、
アメリカの統治を受けたフィリピンでは、人々は鉛筆すら作ることができなかったんですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」
そしてピネダ氏は、「フィリピンはいまでもアメリカのパペットレジーン(操り人形)ですよ」と呟き、苦笑いを浮かべるのだった。
《井上和彦 「
日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」》
●ビルマは19世紀に三度にわたってイギリスに侵攻され、1886年に英領インドの一州として植民地にされた。ビルマ国王夫妻は、これも英領スリランカに流され、その地で死亡する。王子は処刑され、王女はなんとイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまう。
《日下公人 「
日本はどれほどいい国か」》
【アジア以外の植民地では…】
●コロンブス(スペイン)がやったことといえば、
いたずらに中南米の原住民インディオを略奪し、殺害することだけだった。コロンブスは一介の冒険者にすぎない。有益な植民地事業の糸口は作れなかった。
《祝田秀全 「
忘れてしまった高校の世界史をマンガで復習する本」》
●アフリカの悲劇---貧困、飢餓、部族抗争、暴虐な独裁政治、このまず全部が植民地支配に起因するものである。
《呉智英 「健全なる精神」》
●韓国併合時代、列強はどんなことをしていたか…
◇イギリス…オーストラリアのタスマニア人(3千人以上)を皆殺しにしている。
◇ドイツ …ユダヤ人のジェノサイドを試みる。
◇アメリカ…奴隷の売買をしたり、買ってきた奴隷と白人とを結ばせ、子供を産ませて大儲けしたりしていた。(奴隷牧場)
…これらに対して日本は、35年の朝鮮統治を通じて、民衆を獣以下の扱いにしたことは一度もない。
《小室直樹 「自ら国を潰すのか
」》
(他著書「
国民のための戦争と平和」)
●アイルランドの受難史は、語って語り尽くせない。イギリスの不当な支配は12世紀に始まる。
エリザベス女王(一世)はイギリス貴族を入植させた。イギリスの歴史教科書では大英雄とされるクロムウェルは、アイルランドを攻めて数千人を虐殺した。宗教・政治・経済、あらゆる面でイギリス人はアイルランド人を掠奪し搾取した。
●1801年、イギリスに合併された後に起った1845~49年のジャガイモ飢饉。数十万が餓死したが、イギリス地主は平然と小作料を取り立て続けた。死ななかった者は新大陸に棄民された。
●後年、皮肉にもその人々が、テロによりイギリス支配に抵抗するIRAの強力な後援者になった。
《徳岡孝夫 「『民主主義』を疑え!
」》
(他著書「
ニュース一人旅」)
【アメリカはこういう教科書にしたらどうか】
●ヨーロッパの宗教戦争や国内の政治紛争のため、ヨーロッパに、はじめのうちは特にイギリスに住みにくくなった人たちが(悪く言えばイギリスで食い詰めた連中が)、インディアンが住んでいるところに勝手に侵入してきた。
●はじめ少人数の頃は、仲良くやろうという態度で接していたが、どんどん入植する白人が増えてくると、鉄砲で脅したり、ウィスキーで酔わせたりして片っ端からインディアンの土地を奪っていった。
●反抗する部族があれば、これ幸いと大虐殺を繰り返した。そしてバッファローなどインディアンの生活基盤となる動物を殆ど絶滅させ、インディアン自体を無力にした。
●広い土地の農業に手が足りないと、アフリカから大量の黒人を奴隷として輸入し、その貿易によってボストンは繁栄し、またその奴隷を使って南部は豊かになった。
●イギリスに防衛を任せながらも、税金を払いたくなくて戦争になったが、イギリスと敵対していたフランスが助けてくれたので勝つことができた。
●独立宣言では「すべての人間は神によって平等に創られ…」などと宣言したが、一応平等だったのは白人の男性、特にアングロサクソン系の男性であり、女性や黒人やインディアンやヒスパニックは平等に扱われなかった。特にインディアンの土地は奪っても泥棒と言われなかった。
●独立宣言文は、巨大な嘘と偽善の文書である。後にテキサス問題を悪用してメキシコシティを軍事占領し、テキサスを自国に編入し、アリゾナ・ニューメキシコ・カリフォルニアなどのメキシコ領を安く売らせて自国のものにした。太平洋ではハワイ王朝を滅ぼし、フィリピンを植民地とした。
●日本が台頭してくると、日系市民を迫害し、土地の所有を禁じ、更にホーリィ・スムート法によってアウタルキー(自給自足経済圏)政策をすすめ、日本がそれに対抗しようとする努力を潰そうとした。そして遂に石油などの禁輸によって、日本の軍隊のみならず経済まで絞め殺そうとした。
●そして戦争になると、日本の大都市無差別爆撃や原爆によるホロコーストを実行した。
1日のうちに殺された市民の数は、アウシュビッツ以上である。しかも国際法にもいかなる法律にも基づかない東京裁判をやって、日本を共同謀議による侵略国家とした…。
《渡部昇一
正論2002/11月号》
●英米蘭などの領土拡張は、生きるためのやむをえぬ進出ではなくて、むしろ一種の使命感の満足であり、ほとんど道楽のようなものだった。
《竹山道雄 「恐れずおもねらず」》
●西欧列強というのは、この何世紀か帝国主義の時代から植民地を多数く持っていたし、その支配する術をよく知っていた。それを日本は持っていなかったから、占領地で批判されるべきことを行い、逆にアメリカは日本で成功した。
●近代日本の最大の欠点というのは、植民地支配に関して、何のノウハウももつ必要がなかったということだろう。(ノウハウをもっていないということは、実は本来は“健全な国家”だったということなのだが)
●ところが、日本はいきなりそういう未経験の場に出くわした。ノウハウもないから、かなり混乱してしまうわけだが、米英蘭はそのノウハウが長い植民地支配で身についていた。アメリカはそれほどではないともいえるが、
イギリスはどのように一つの民族を、一つの国家を植民地支配していって、精神まで骨抜きにしてしまうかということに関しては、超ベテランだったということだ。
《保阪正康 「日本解体」》
(他著書「
あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」)
●人間の尊厳を無視した冷酷なまでの植民地統治を、なぜ彼らは痛痒も感じずに実行し得たのか。
会田雄次氏が『アーロン収容所』の中で触れているように、端的に言ってしまえば、
彼らにとって有色人種は「人間」の範疇に入っていなかったからである。会田氏が捕虜の雑役として英軍士官室を掃除中、その部屋の主の女性士官が彼の目の前で裸になって着替えを始めた。「日本人を含むアジア人を犬か鶏か、家畜なみに思い込んでいる。だから裸を見られても別に羞恥心も働かない」と会田氏は言う。
●そういう目で英国の植民地施策を見ると、なるほどサーカスあたりの動物の調教に似ている。人間(白人)には絶対、勝てないことを鞭(弾圧)で十分、思い知らせて反抗を押えこみ、好ましい植民地人をつくるためには人種交配も平気で行う…。
《高山正之 「日本はどれほどいい国か」》
●そもそも、満洲事変の起きた1931年は、フランスでも植民地帝国主義が爛熟を極めたとも言える年であった。パリではこの年、
「国際植民地博覧会」なる一大イベントが大々的に開催された。これは、それまでの1世紀にわたるフランスの植民地事業を総括し、フランスと植民地が不可分であることを国の内外にアピールするのを目的とした「フランス植民地帝国主義の集大成」といった趣をなすものであった。
●会場にはアンコールワットをはじめ、各植民地の著名な建造物の巨大な複製品が築かれていた。さらに、各植民地から動員された現地住民は見世物同然に来場者の目に晒されるように配置され、民族に優劣の序列をつけるようなパネルも展示されていた。
《大岡優一郎
「
東京裁判―フランス人判事の無罪論」》
●アフリカの悲劇---貧困、飢餓、部族抗争、暴虐な独裁政治、このまず全部が植民地支配に起因するものである。
《呉智英 「健全なる精神」》
●西洋がほんとうに文明だというのなら、未開の国に対しては慈愛を本にしてゆっくりと説明しながら開明に導いてゆくのが本当なのに、実際はそうではなく、
相手の国が未開であればあるほどむごい残忍なやりかたで自分の利益をはかっているではないか。
《奈良本辰也 「
西郷隆盛語録」》
●伝説の女性歌手ビリー・ホリデイが歌った「奇妙な果実」の意味するところは、木につるされた黒人の遺体である。白人の反感を買ったり、犯罪の疑いをかけられたりして、大勢がリンチを受けて殺された。
●ビリーが歌った20世紀まで蛮行は続いた。信じがたいことに、予告されて見せ物になり、女性や子どもまで集まったという。撮影した写真は絵はがきに使われた。
《天声人語 朝日新聞2014/11/27》
●英国の植民地政策は狡猾を極めた。まずインド農村の税制を強化、生活難におとしいれ、次にマラヤ、ビルマ(現ミャンマー)など周辺地のゴム園、茶園の賃金水準をインドの3倍以上に設定、インド人が海外出稼ぎに出ざるを得ないように仕向けるのである。
●この政策実現により各地の商品作物の栽培は急増、英国の貿易輸出額の3分の1を占めるに至るのである。
《深田祐介 産経新聞2008/1/17》