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アジア諸国の独立

日本が敗れた大東亜戦争。その後、アジア諸国は
続々とたくましく独立いていく。



戦後、イギリスやオランダはアジアの植民地を奪還しようとした。ところが、現地の人々は占領時に白人が日本軍にさんざんやっつけられたのを見ていたから、何するものぞという独立運動が高まった。
            《諸君!2002/2月号》

 
●第二次大戦の戦勝国となった彼(欧米諸国)らは、たとえば日本撤退後のインドネシアを再び植民地にしようとしたオランダを見るまでもなく、英も仏も同じように植民地に戻ってそれを維持するために戦っている。その時、二度と植民地になるまいと彼らを決意させ鼓舞したのは、やはり近代国家としての日本の存在が精神的バックボーンにあった。
       《石原慎太郎 正論2004/11月号》


●1945年7月に、ようやく日本がインドネシア独立を承認したのを受け、敗戦直後の8月17日独立を宣言した。
その後、オランダが再来し、独立維持のための戦争が始まった。このとき、元日本兵約千人は帰国せず、アジア解放のために参戦した。
→1949年12月、インドネシアは念願の独立を果たした。
《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史」
他の著書「NOといえる教科書 真実の日韓関係史」》



●1942年、石油資源確保のために日本はインドネシアに進出した。その時日本軍はわずか9日間でオランダ軍を掃討してしまった。(植民地からの解放) 
     《藤岡信勝 湊川栄太 「歴史の本音」》
 

●日本の仏印進駐時、植民地軍(フランス軍)の一部は抵抗したが、少数の日本軍によってあっけなく撃破され降伏した。これを見たベトナム人は、弱い仏軍に呆れてしまった。
 《佐治芳彦 「新戦争論『太平洋戦争』の真実」》


「インパール作戦」=自分の国の存続すら危ない時期に、20万人の兵士を投入して「インド解放のため」というよその国の自立を助けるという、前代未聞の作戦。(結局全滅で終わった)
       《高山正之 「世界は腹黒い」》


●元朝日記者の井川一久氏が、ベトナム残留日本兵の生き残りの松嶋春義元一等兵にインタビューした記録がある。(「靖国」平成12年4月号)「どうして残ったのか」という質問に松嶋氏は「ベトナム人を見殺しにしておめおめと日本に帰れるかと思った」と答えた。 
  《屋山太郎 「なぜ中韓になめられるのか」》
 


●アメリカ人のジョイス・C・レブラ氏(コロラド大学教授)はこう述べている。
「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。(中略)民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)

●さらに日本が独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配を許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間はいまや武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる遺志に支えられていた」(『東南アジアの解放と日本の遺産』)
     《八木秀次 「日本を讒する人々」
        他の著書「日本を嵌める人々」》


●フィリピンの場合は、他のアジアの国とちょっと違って、どうも独立したいと思っていないような気がするが…
       《野田明美 諸君!2007/10月号》

●あそこはずいぶんスペイン統治が長かったから、植民地としての立場に慣れてしまっていたのかもしれない。太平洋戦争のときも、フィリピンの住民はみなアメリカの味方をする。日本軍が優勢なうちはそうでもないのだが、アメリカ軍が反攻に転じ、敗れた日本兵が山に隠れる。そうすると原住民たちは弱った日本兵を襲ったり、その居場所をアメリカ軍に通報したりした。 
        《伊藤桂一 〃  》


●1942年2月15日、日本軍はシンガポールを占領した。白旗を掲げたパーシバル将軍以下のイギリス兵の惨めな姿を目の当たりに見た原住民は、数世紀にわたる白人支配の没落を肌で感じた。一方中国系の住民には共産党員が多く、日本軍に対するレジスタンスを行い多くの犠牲者を出した。

●イギリスのシンガポール喪失は、インド・ビルマ・スリランカの独立、さらに1956年のスエズ紛争など、イギリス植民帝国解体の呼び水となったといえる。シンガポール陥落は、アジアさらにアフリカなど第三世界独立独立の呼び水となり、世界史のベクトルを大きく変えた。
    《佐治芳彦 「雑学太平洋戦争の真実」》



●日本軍がオランダの植民地であるインドネシアを進攻、進駐してから終戦までの三年半の間に日本軍は、次のような政策を実施したのである。

●第一に、教育の普及である。インドネシアを360年間にわたって支配してきたオランダは、住民の大半を文盲のまま放置するという極端な愚民政策を採用した。20世紀に入ってからは、インドネシア側の要望を受け入れ、3年の初等教育を実施したが、学校に通うことができたのは全体の数%であった。住民の大半が文盲では、独立しても自ら国家を運営するだけの人材を確保できない。

●日本軍は独立させるためにも、まず教育の充実から始めないといけないと考えた。学校を増やすためには教師が必要なため、まず師範学校を新設し、教師の育成から始めた。

●元ジャカルタ市長で大統領特別スタッフであったチョコロアミノト氏は私のインタビューに対して、「日本人がしてくれた大きな功績は、インドネシア語の普及です。これはもう大変なもので、これによって民族の統一、感情の統一、行動の統一がもたらされ、大きな効果をあげたと確信します」と、高く評価していた。

●インタビューをしたインドネシアの政治家たちが口を揃えて評価した点が、郷土防衛義勇軍(PETA)の結成など、インドネシアの青年に軍事訓練を施したことであった。PETAで訓練を受け、独立後は内閣官房長官や副首相を歴任したアラムシャ将軍は「日本軍の与えた良い点は、軍事に関する科学と技術や武器の使用方法を教えてくれたこと、またアジアの人々に『ヨーロッパに負けないぞ』という敢闘精神を植え付けてくれたことです。この二つから得たものは、勇気と自信でした」と断言する。

●昭和20年8月15日、日本の降伏直後、インドネシアは独立を宣言するが、宗主国のオランダはこれを認めず、再植民地化をはかるべくインドネシアに軍事進攻してきた。その結果、インドネシアは4年にわたってオランダ軍と独立戦争を戦ったが、その主力が、日本軍が育てたPETAだったのだ。

●オランダ時代には下級官吏までしか登用されなかったインドネシア人を積極的に高級官吏に登用し、日本人官僚が付きっきりで行政のノウハウを伝授した。

オランダ時代、政治集会は一切禁止だったが、日本軍は昭和20年、インドネシアの青年たちによる独立決起のための全国大会の開催を許可した。
かくしてオランダ時代に弾圧を受け、インドネシア各地にあってバラバラであった民族運動のグループはスカルノ博士を中心にまとまりを見せ、昭和20年5月には、全地域の代表を集めた「独立準備調査会」が結成され、日本軍からインドネシア人への行政移管が始まった。

●日本軍の敗北後、インドネシアに再侵略したオランダ軍は、インドネシア人が武器を持って組織的に抵抗してくるとは思っていなかった。果敢に抵抗するインドネシアを見てオランダ軍は「日本軍のせいでインドネシア人は従順な羊から虎になった」と、日本軍に対する憎悪を募らせた。

●インドネシアに対するほど本格的ではないにせよ、日本軍は、フィリピン、ビルマ(ミャンマー)、マレーシア、カンボジア、ベトナム、ラオスなど日本軍が進駐した地域において独立運動の指導者を支援・養成するなど、独立への準備を行っていた。

●英米連合国側も、日本軍の協力を得て独立を宣言したアジア各国を「傀儡政権」だと非難したものの、植民地支配から脱して「独立国家」となったという現実は無視できなかった。日本やドイツ、イタリアなどによって正式な国家承認を得た「独立国家」を、再び植民地の地位に引き戻すことを正当化する国際法は当時も今も存在していなかったからである。
      《江崎道朗 正論2013/12月号》



●戦後の歴史学者・森武麿は、『アジア・太平洋戦争』(集英社「日本の歴史」第20巻)で、日本の独立承認について
「フィリピンにとっては感謝すべきことではなかった」「日本軍の内面指導による傀儡政権であった」と書いている。
ならば、スペインやアメリカによる植民地化は、フィリピンにとって感謝すべきことだったのだろうか。植民地は傀儡政権よりもっと非道なことではないのだろうか。戦争の最中だから、フィリピンは日本から独立を与えられたといっても直後の政権はどうしても「傀儡」めいてくる。それでも独立を与えられたことは物事の第一歩で、植民地のままでいるよりはずっといいはずである。

●よく考えてみてほしい。相対的な比較の問題である。戦争の最中に絶対的な善政を与えるなどということは、どの国でも難しい。フィリピン人の多くは日本も嫌いだが、アメリカはもっと嫌いだと言っている。

●しかし白人の支配下に永年置かれ、混血し、奴隷根性を植えつけられたアジアの国には例が多いのだが、正確な自己認識を持とうとしない。歴史認識も持たない。
だから日本の学者がやるべきことは、客観的な調査と冷静な比較である。ところがそれをやらずにアメリカの戦後の言い分、日本占領政策を鵜呑みにし、アメリカの宣伝をそのまま歴史とみなして本を書く。
    《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封(2)」》






●オランダの植民地時代、インドネシア人の大半は学校に通えず、まともな教育を受けられず、単純労働に従事するほかなかった。19世紀には、過酷な搾取のため餓死者が続出し、平均寿命は35歳にまで低下したと言われる。

●また、体格的にも、オランダ人男性が平均身長180センチであるのに対し、インドネシア人は総じて小柄であるため、巨体のオランダ人にはとても勝てないと思い込んでいた。いや、実際に何度も蜂起を起こしたが、その都度オランダに武力鎮圧されたのだ。インドネシア人にとって白人は神の如く万能で、どうやってもかなう相手ではない、という抜き去りがたい劣等感があった。

●ところが大東亜戦争が始まるや、昭和17年3月、日本軍は僅か9日間の戦闘でジャワ島の米英蘭豪の連合軍を降伏させ、オランダの植民地支配の軛を破った。自分たちと同じ小柄な日本人が瞬く間に白人を打ち負かしたことは、インドネシア人に大きな衝撃を与えた。
      《長谷川司 正論2015/4月号》



【アジア侵略】
アジアの欧米植民地の残虐さ/日本人にはできない行為
アジアの華僑/欧米植民地に巣食う者
アジアで歓迎された日本軍/白人支配者を駆逐する軍隊
アジア諸国の独立/現地人に軍事訓練を施す侵略などあり得ない
親日のアジア/実はアジアはほとんどが親日国家