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靖国神社とは

そもそも靖国神社とはどういう神社なのだろうか。


●靖国神社には、戦死した軍人ばかりが祀られているのではない。
◎5万7千余の女性も含まれている。従軍看護婦その他の女性
◎沖縄で亡くなった「ひめゆり」・「白梅」など、7女学校部隊の生徒
◎「対馬丸」で沖縄から鹿児島へ疎開中、敵潜水艦に撃沈された小学生たち
◎学徒動員で軍需工場などで爆死した学生・生徒たち
◎1945年8/20、ソ連の侵入を最後まで日本に通話し続け、ついに自決、殉職した樺太真岡の女子電話交換手の方たち …なども祀られているのである。
      《尾川正二 「戦争虚構と真実」》


●靖国神社は、明治以来日本の戦争の犠牲となった人々約230万人を祀るところである。これはどの国にもあるものである。
      《北岡伸一 中央公論2005/6月号》 


●今の靖国神社は、昭和40年に「鎮霊社」という社が建立され、そこでは嘉永6年(1853年)以降の戦争・事変に関わって没した本殿に祀られていない日本人の御霊と、世界各国全ての戦没者の御霊が祀られている。もちろん朝敵とされた西郷隆盛や白虎隊の少年たち、戊辰の佐幕派も祀られている。(本殿は官軍のみ)
     《八木秀次 「日本を嵌める人々」》


アメリカは、あの日本人の旺盛な敢闘精神は、一体どこから出てくるのかと考えた。その答えが「国体護持の一念で、死ねば靖国神社に祀ってもらえるという安心感から、彼らはあのように勇猛果敢に戦えるのだ。だから恐ろしいのは靖国神社だ」というものだったらしい。そこで靖国を目の仇にした。
     
《小堀桂一郎 「靖国と日本人の心」》


●当時の軍隊の中では、「死んだら靖国で会おうな」と普通に会話していた。
   《李登輝 SAPIO 2005/8/24・9/7》

●遊就館は祭神を慰霊顕彰するために遺品を展示する施設だが、日本で最初の軍事博物館として明治15年に開館された歴史があり、靖国神社の付属施設とはいえ、日本の軍事博物館としての性格を併せ持っている。
軍事博物館イコール軍国主義礼賛というのであれば、中国や韓国、その他の国々の軍事博物館にも同じことが言えるのではないか。
           《宮澤佳廣  〃  》


●靖国信仰とは戦争賞揚などではなく、人生の不条理に向き合い、悲しみや恐れ、愛惜に区切りをつけ、勇気をもって男たちは戦い、女たちは生き続けるための力を与えられる。そういう場として大切なのだ。

●たしかに普通であれば悲しみである肉親の死を、「天子様に褒めていただいていると思うと、うれしゅうて」と歓びに転換させてしまう力は大変なものだと思う。けれどもそれをなぜ「救い」であったと考えてはいけないのだろう。
最愛の者を亡くす不条理を経験した母たちが「うちの子は神様にしてもらった」と思えたとしたら、それは大きな恵みだったのではないか。私がもし愛する人を亡くしたら、やはりその救いにすがるだろう。そうでなければ、そのあとどうやって生きろというのか。私たちは論理だけでは生きていけない。生きていくためにも、死をどう受け入れるかという論理を超えた神話と儀式が必要なのではないか。
     《さかもと未明 正論2005/10月号》


●兵の中には、自分の死が犬死に等しいものであることを知っていた人もいた。しかし、陛下のためや自分の愛する家族の住む日本を守るために、自分の死をも納得した人もいた。決して大東亜戦争が正しかったというのではない。ただ多くの死者の書いた思想を一本に括るような無礼なことだけはしてはならない。
  《曽野綾子 「流行としての世紀末」
   他の著書「人間にとって成熟とは何か」》


●遊就館は国立博物館でもないし、カミカゼ特攻や人間魚雷として戦死した兵士の行為が賛美されたり強調されていたとしても、その存在が事実に反せず、戦死者の魂を弔う理由が明示してあればいい。

●マルクス主義歴史学者による「田中メモランダムは事実の書である」といった事実無根の主張の方が問題である。事実を無視した偏った展示を行っている共産圏の歴史・平和博物館の類と比べれば、はるかに遊就館の方が事実に即したものである。

●日本の若者たちが遊就館を見学し、かつての日本軍の行動をある程度尊敬すること自体は別に危険なことではない。広島や長崎の原爆祈念館を見て、戦争の悲惨さを学ぶことも重要。要は、様々な戦争観を知り学ぶことができる民主主義が、今の日本には根付いていることが肝要なのである。
  《ケヴィン・ドーク 諸君!2006/8月号》


●靖国神社は何のためにあるのか。それは祖国のための犠牲を顕彰することが、近代国家には不可欠だからである。近代国家がその存立のため、国防のため、対外戦争に備えるためにほかならない。
靖国神社は平和のための神社ではない。戦争のための神社である。近代のはじめから、国のために戦った人たちを顕彰することが、次の戦いに対する最も基本的な備えであり、またこれから戦地に向かう人々に対する最低の礼儀である。戦後日本において、国軍の統帥者たる総理大臣が靖国に赴くことは、第一の義務である。
     《福田和也 文芸春秋2006/8月号》


●靖国神社は日本の偉大な歴史の象徴である。明治維新から近代国家へという新しい時代の幕開けに、国の礎となった人々の御霊を祀るために創建されたものである。列強の植民地となることなく、白人に屈することなく大国の地位を築き上げ、有色人種のチャンピオンとなり、多くの民族の希望の星となった偉大な日本の歴史の象徴である。
        《安東幹 正論2006/9月号》






●靖国本殿脇の鎮魂社には、靖国神社本殿に祀られていない人々と、世界中の全ての戦死者や戦争被害者の霊が祀られていて、神官が毎日務めを果たしている。アーリントン墓地や韓国の国立墓地に、他国の戦死者が眠っているであろうか?
      《西村幸祐 「『反日』の超克」
        他の著書「「反日」の構造」》


●戦地に赴く兵たちは、「生きては帰りません。死んだら靖国で会いましょう」と言って家を出た。現に志願兵となった私の兄も、そういって日の丸の波に送られて行ったのを覚えている。

●国民が国のために命を捨てれば、国家はその霊を神として靖国神社に祀るというのが、いわば当時の国家と国民との約束事であり、遺族は血縁者が靖国に祀られることによって1つの命の終焉を納得した。

●「僕のお父さんは荒井友一といふものです、出征の前夜僕と乳兄弟を寄せて父は『戦争に行く、今度父さんの顔を見たくなつたら東京の靖国神社に母さんに連れられて来い、父さんはきつとそこに祀られてゐるよ』といはれた。(中略)どうか部隊長が戦地のお父さんに家のことなど心配せずお国のために働くやう訓示下さいませ」 「此坊やこそ金鵄勲章 部隊長に父を頼む手紙」として朝日新聞1937年11月25日付に載っている。
  《上坂冬子
   「戦争を知らない人のための靖国問題」》


●今の私は、もし誰か父を一方的に謗るひとがいたら、きっとそれに諾々とはしない。父の名誉のために戦うだろう。かりに父に非があったとしても、私たちのための過ちだったと信じ、それを共有しようとするだろう。子が親の思いを忘れること-靖国を否定することは、私たちが己一個だけではない、大きな命の連環の中で生かされていることを忘れ、それを手放すことなのに。
     《さかもと未明 正論2006/10月号》


●古来、日本には敵・味方を問わず、その霊を弔う慣習がある。日露戦争後も、日本はまずロシア軍の慰霊碑を建て、その後、スケールも小さい日本軍の碑を建てたという。その伝統は古く、聖徳太子のころまで遡ることができるようである。
      《尾川正二 「戦争虚構と真実」》


●河野洋平衆院議長は、「政府が特定の宗教に拠らない追悼施設の設置について、真剣に検討を進めることが求められる」と述べた。むろん政治家だから、どんな意見を述べようと自由である。
しかしその間にも、靖国神社への坂道を遺族たちが、戦死した家族と会えると信じて汗だくで歩いていることを考えなかったのだろうか。そのことを思えば、とても遺族の前で言えることではない。
       《産経抄 産経新聞2008/8/17》



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