賢者の説得力ホーム沖縄集団自決煽動する輩

 

煽動する輩

従軍慰安婦などと同様、このような問題には
必ず煽りたて騒ぎ立てる
国内勢力(主に左翼や朝日新聞)がいる。


●「鉄の暴風」は、沖縄がアメリカに占領されていた時代の産物である。そこでは日本軍の悪行が強調され、アメリカ軍はその惨状からの解放者として描かれている。「自決命令」といったフィクションもその流れの中で生まれ、さらにそれが反戦運動に利用され広まっていったのである。

●慶良間諸島での事実関係が明らかにされて以降、反戦運動によく利用されるようになったのは、沖縄本島・読谷村のチビチリガマ(洞窟の名)で80人以上が自決した事件だ。これについては、軍の自決命令があったとする文献はない。しかし直接命令はなかったにしても住民は日本軍に死を強制された、として集団自決を「集団強制死」と言い換えるべきだ、と主張する論者がある。(下嶋哲朗) 住民は「捕虜になったら敵に惨殺される」という軍の洗脳のために、アメリカに投降するという選択肢を失っていた、だから自決の道を選んだ人々は日本軍に殺されたのと同様だ、というのだ。

●しかし考えてみていただきたい。当時アメリカ軍は沖縄で軍人・民間人の区別もなく砲弾を撃ち込み、頭上から爆弾の雨を降らせていた。そのような相手の「人道」に期待して投降するということが、はたしてすぐに決断できるものだろうか。
「捕虜になったら敵に惨殺される」というイメージは洗脳によって植えつけられたものではなく、沖縄に住む人々の実感に根ざした予測だったのである。
       《原田実 新潮45 2006/4月号》
 


●曽野綾子氏は、関係者や赤松隊の生存者を探し調査を始めた。すると生き残った当時の村長も、軍と村長の連絡役だった安里巡査も健在なのに戦後の20数年、会いに来たジャーナリストは皆無だった。つまり「鉄の暴風」は伝聞だけで書かれたという事実が判明した。

大江の「沖縄ノート」も、現地調査なしで書いた。大江は慶良間の守備隊を集団自決の命令者だという前提で、「ペテン」「屠殺者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべき」としている。
    《秦郁彦 「歪められる日本現代史」
         他の著書「現代史の虚実」》


●”梅澤隊長命による住民の集団自決”は、家永三郎氏の「太平洋戦争」、中野好夫・新崎盛暉両氏の「沖縄問題二十年」、大江健三郎氏の「沖縄ノート」などによって喧伝され、「梅澤=集団自決命令=軍国主義の悪」の構図が強調された。

●この間、氏の家族は濡れ衣に苦しんだ。梅澤氏は幾度か職場を変え、夫人は息をひそめて暮らし、子息は都会に住むのを嫌い、人を会わなくて済む地方に移り住んだ。
    《櫻井よしこ 週刊新潮2007/1/4・11》


●大江健三郎氏が「沖縄ノート」で1970年の慰霊祭に訪沖した赤松隊長を激しく批判しているが、そもそもは村長や遺族会などが「赤松隊長のおかげで今の村がある」と氏を招待したのに、左翼団体のせいで大騒ぎになってしまったと無念そうに話された。村長は生前、赤松氏を「神様のような人」と形容していたという。

実は渡嘉敷島には、赤松隊長の小さい顕彰碑がある。当初、立派なものを作ろうと計画したが、左翼勢力が騒ぐとの理由で誰にも分からない場所に隠匿している。そして、今でも毎年、遺族会などの人たちの手で赤松隊長の慰霊祭を続けているのだそうだ。
          《原剛 正論2007/6月号》


●沖縄県民は、プロパガンダに対する免疫力が極めて弱い。これはかつて沖縄を統治した米軍の政策に起因する…
米軍は27年間にわたって沖縄を統治したが、その間、したたかな歴史・思想教育を行った。米陸軍第8心理作戦部隊が、県民の復帰運動を阻喪させるため、県民の心理に「戦前沖縄県民は日本国民に差別された。その帰結こそが沖縄戦の悲劇であった」とするドグマ(教義)を植えつけたのだ。もちろん、旧日本軍のイメージ失墜も同時に図られていたのである。

日本復帰後、この米軍によって定着した反日史観に、今度は沖教組や地元マスコミが反米を追加し、以降、県民を翻弄し続けた。

●筆者は、1960年代に沖縄で少年期を過ごしたが、授業中、若い教員からそのドグマを来る日も来る日も延々と聞かされ、またこれに関する映画なども授業の一環として見せられた。その結果、筆者は30代になるまで、その深層心理に日本本土に対する抵抗意識を内在していたのである。

●しかし、本土復帰の12年前、1960年4月に沖縄教職員会(教員のベースアップを軍政府に要求する会・52年に結成)が核となって県下各種団体が合流し、沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成された。この時代、学校では日の丸を販売しており、各家庭に対し生徒を通じて祝祭日には国旗を掲揚するよう指導していた。従って住民は、この復帰協を純真な愛国心に基づいて結成されたと思っていた。

●ところが、69年の大会で穏健派の教員や同盟系組合員が排除され、極左勢力が主導権を掌握した。以降、県下各地で反日反米の暴力闘争が開始された。ストに参加しない組合員には、様々な嫌がらせがあったという。
      《惠隆之介 SAPIO2007/9/26》


●そもそもこの問題の発端は、沖縄タイムスが1950年に発刊した沖縄戦記「鉄の暴風」の次のような記述である…
◇「思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた」
◇「手榴弾は、あちこちで爆発した。轟然たる不気味な響音は、次々と谷間に、こだました。瞬時にして、-男、女、老人、子供、嬰児-の肉四散し、阿修羅の如き、阿鼻叫喚の光景が、くりひろげられた」

●また、梅沢裕少佐が守備隊長をしていた座間味島の集団自決について、「米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた」と書いた。なお、この本は本土では朝日新聞社から出版された。
この本に書かれた「命令」説は、大江健三郎の「沖縄ノート」や、家永三郎の「太平洋戦争」などに引用され、今も独り歩きしている。

●最近、沖縄県の元援護担当者が「軍命令は創作だった」と、自由主義史観研究会や産経新聞に証言した。これは軍命令説を覆す決定的な証言といえる。

●朝日新聞社説(07年9月30日)…「84歳の上洲幸子さんの証言は『もしアメリカ軍に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい』と日本軍の隊長から言われた、というものだ」
       《石川水穂 産経新聞2007/11/3》

       
↓ これに対して

●米側資料によると、沖縄戦で沢山の住民が自発的に降伏してきている。集団自決だけではなく、自由意思で降伏した事例も沢山あった。
        《足羽雄郎 正論2007/11月号》


●9月29日の教科書検定意見撤回を要求する県民集会には、既存左翼はもちろんのこと、革マル・中核などのセクトも沖縄に乗り込んだ。
        《藤岡信勝 正論2007/12月号》


●朝日は9月30日の社説で、県議会による渡嘉敷島と座間味島での聞き取り調査で、80歳になる老女が、当時村の助役だった兄が父に「敵の上陸は間違いないから軍から玉砕しなさいと命令が下りた」と伝えるのを聞いたとの新たな証言を得たとして、「軍隊用語の『玉砕』が使われていること自体が軍とのかかわりを物語る」と決めつけた。

●しかし、「玉砕」という言葉は、大本営発表でも使われているが、アッツ島の玉砕以来、頻繁に新聞紙上やNHKのラジオ放送で使われ、沖縄戦前には小学生でも知っていた。嘘だと思うなら、戦時中の朝日新聞を読んでみればいい。
         《稲垣武 正論2007/12月号》


●大江健三郎氏同様、日本軍が自決命令を下したと書いた中野好夫・新崎盛暉著「沖縄問題二十年」は、曾野綾子氏の著作が出版された翌年に絶版となった。家永三郎氏も「太平洋戦争」中の赤松命令を削除した。集団自決命令を彼らも否定せざるを得なかったのだ。

●1950年8月30日発行の「鉄の暴風」の初版は、沖縄タイムス社編、朝日新聞社刊である。4項にわたる「まえがき」は次のように括られている…「なお、この動乱を通じ、われわれ沖縄人として、おそらく、終生忘れることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。国境と民族を越えた彼らの人類愛によつて、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更正第一歩を踏みだすことができたことを、特筆しておきたい」
米国への歯の浮くようなこの賛辞は、何を意味するのか。米国が行った検閲・洗脳の結果である。

●同書…「日本軍は、米兵が上陸した頃、二、三ヵ所で歩哨戦を演じたことはあつたが、最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降、隊長梅沢少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した」
事実は正反対だ。梅沢隊は直属の部下104名中、実に70名が戦死したのだ。「全員投降」したのでもない。また梅沢氏は90歳の現在も矍鑠としており、裁判にも証人として立った。

●「鉄の暴風」は、この種の出鱈目をはじめ、”反日情報”が満載されているのだが、これらのあまりにも明白な間違いは、その後重ねられた版からひっそりと削除された。大江氏の頼った書は、この程度のものだった。
     《櫻井よしこ 週刊新潮2007/12/6》


今、沖縄集団自決問題で左翼勢力が狙っているのは、沖縄と本土の、それも保守派との分断・対立のように思える。中国も近年、琉球王朝の歴史を持ち出して、沖縄県民の日本帰属意識を希薄しに、あわよくば近い将来、沖縄が中国に帰属することを企図している。
     
  《八木秀次 正論2008/1月号》


沖縄集団自決の「真実」を糾明する筈の集会が、「11万人」という大嘘を振りかざした。

●渡嘉敷島の人々は集団自決の軍命令のなかったことを皆知っているのだ。だからあの集会にも一人も参加していないと聞いている。(職場や組合による強制動員は別にして) 集団自決の現場から生き残った金城登美さん(69歳)の御主人も、隊長命令説を強く否定している方である。
         《中村粲 正論2008/1月号》


軍命説を裏付ける新証言を精力的に発掘しても、怪しげなものばかり。困った朝日新聞は「軍は無関係というのか」(07年3月31日社説)とアジるだけ。琉球新報は「決定的な要因は、日本軍の存在の有無」(07年6月2日)と居直った。
         《秦郁彦 諸君!2008/2月号》


●「鉄の暴風」の初版は、おかしなことに東京の朝日新聞社から出ている。沖縄タイムスの専務が昭和25年3月前後に上京していろいろと交渉しているのである。交渉相手である朝日は(これは記録が残っているが)最初はつっぱねた。こんなものは今時出せない、出しても売れないと。

●ところが、一週間経ったら、朝日の態度が豹変した。「是非出そう」ということになり、沖縄タイムスと朝日で1万冊ずつ分担して出した。その時にこの沖縄タイムスの専務は、マッカーサーにも会っている。マッカーサーという人は、突然上京して会えるような人ではないのである。 
        《勝岡寛次 正論2008/2月号》


●今年(07年)の3月以来、いわゆる検定意見で教科書が修正されたというニュースが伝わるとともに、連日のように沖縄の集団自決のことが取り上げられるようになった。沖縄タイムスと琉球新報は毎日のように「軍命の新証拠現る」と報道している。内容を見たら、いずれも伝聞で、お父ちゃんがそう言ってた類のものか、命令は命令でも安全な場所への集合を呼びかける命令があったとか、そんな話ばかりだった。

●そんな中、7月7日に沖縄タイムスには、座間味島にいた梅澤隊長が住民に対して「米軍が来たら舌を噛みきって死になさい」と言ったという証言が載っており、ぎょっとしたのだが、間もなく訂正記事が出た。

●しかしその後、朝日新聞はこれを社説で取り上げたのである。(9月30日) なんと誤報記事を根拠にしてこの問題を取り上げたのだ。誤報を真実と信じた人は多かったと思う。朝日が紙面で訂正したのは10月になってからであった。

●曾野綾子氏の本が出版された後、家永三郎氏の「太平洋戦争」、「沖縄県史」でも赤松命令については削除されていた。いろんな書物に書かれてあった渡嘉敷島における赤松命令説は全て削除されるか、訂正されるか、絶版になった。(座間味島の梅澤命令説は残っているものもある)
唯一残ったのが、「沖縄ノート」、そして「鉄の暴風」というわけである。 
        《徳永信一 正論2008/2月号》







最近、沖縄の左翼団体(反戦地主会等)が、北朝鮮と密接な関係にあることが暴露された。(「諸君!」平成9年5月号) なお、検定意見撤回県民大会の参加団体の中には、日中友好協会沖縄県支部や、反戦地主会が実行委員として名を連ねていた。
         《惠隆之介 正論2008/3月号》


●「おばあは嘘つかない」という教義を信じない。おばあも普通の人間であり、嘘もつけば、勘違いや記憶違いで証言するときもある。あるいは質問者の誘導に乗ってしまうときもあれば、サービス精神で過剰に言ってしまうこともあるかもしれない。時代の価値観の変化に適応してしまって、当時の感覚を否定したがっているかもしれない。あるいは、おばあはクールに証言しているのだが、質問者が自分の偏見に都合よく解釈して、記録してしまうかもしれない。 証言なら何でも証拠にして権力に抗する歴史にしてしまえという「オーラル・ヒストリー」こそ、まさに「歴史修正主義」なのだ。

●沖縄戦では、庶民の証言が重要であることくらい当たり前である。問題は、庶民の証言にも、政治家や官僚ら権力者の証言にも、等しく「史料検証」が必要だということなのだ。「庶民の証言を選ぶか、権力者の証言を選ぶか」なんて、あまりにもレベルが低すぎる。
    《小林よしのり SAPIO2008/8/6》


●11万人集めたという大会の決議文が、6月の意見書と同じく「集団自決が日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と、微妙にトーンダウンさせてあることに気付いた人々は、意外と少なかったのではあるまいか。関与とは、「自決せよ」との軍命から強制・誘導を経て、「自決するな」という軍命まで含む便利な日本語である。

●沖縄の政界・新聞・運動体のリーダーたちの言動を注意深く観察すれば、大多数が内心では「軍命も強制もなかった」と認識していることが見てとれる。沖縄県議会の仲里利信議長さえ、「集団自決に日本軍の組織だった命令はなかったと思う」と東京新聞記者に語っている。(07年6月28日付)
         《秦郁彦 「現代史の虚実」》


●沖縄のマスコミは最近、皇民化教育も、総動員体制も、玉砕の訓辞まで軍命であるかのようにとことん拡大解釈している。本来この問題は、当時の守備隊長からの命令があったかなかったかで議論が始まったはずである。

●「守備隊長からの命令、すなわち軍命はなかった」と主張する者を、いつの間にか沖縄左翼はまるで「集団自決はなかった」と言っているかのように伝える。しかも言葉の書き換えもいつの間にか進んで、当初は軍の「関与」と言っていたのが、「強制」に変わった。沖縄のマスコミでは07年の9月あたりを境にして一斉に「関与」から「強制」に変わっている。「関与」だと確かに善意の関与とも取られると思ったのだろう。これは、何らかの組織から統一した指令が出ているとしか思えない。

●本土の偽善者はともかく、沖縄のマスコミが沖縄県民の意見を代表しているわけではない。マスコミと県民の間には大きな乖離がある。
    
《小林よしのり 「誇りある沖縄へ」》


●今の沖縄で本当に孤独なのは、「沖縄論」を読んでいる人たちではなく、マスコミかもしれない。県民は信じてもいないのに、自分たちの世界だけで必死にもがいている。
        《砥板芳行 正論2008/8月号》


●徐々に慰安婦の強制連行を信じない人間が増えてきて、東京あたりではもうできなくなったので、沖縄に来てやっている。夢破れた左翼の人たちが、人の土地で勝手に戦争をしている。「いい加減にしてくれ」というのが沖縄県民の本音だと思う。95年の少女暴行事件を機に沖縄の問題がクローズアップされたとき、ほとんど死に体だった左翼の人たちが「夢よ再び」で沖縄にどっと来てしまった。
       《宮城能彦 「誇りある沖縄へ」》

すっぽり抜け落ちているのが、あの戦争は「アメリカにやられた」ということ。軍民一体で戦った敵がそこにいたという意識がない。私は昭和24年生まれだから、駐留してきた米軍に対して「こいつらが俺たちの親戚や沖縄県民を殺した奴らだ」という意識が今もあるわけである。
それが今は「日本軍対住民」という図式にされてしまい、反日的な感覚だけが残っている。アメリカと戦って亡くなった方々に対して、本当に申し訳ないのである。
            《高里洋介  〃  》
 

 ※関連ページ : 国内の反日勢力の「過激な左翼」も参考に)

【沖縄集団自決】

沖縄での自決命令
/日本軍を敬愛する当時の沖縄の人たち
集団自決命令説を煽動する輩/朝日新聞と本土の過激派左翼
米軍基地反対闘争/本土の過激派左翼が煽動する運動