賢者の説得力ホーム憲法論議護憲派に対して

 

護憲派に対して

何があっても憲法を変えてはいけない、
とにかく「ダメなものダメ!」という護憲派。
彼らの頑ななまでの態度に対して、
改憲論者が一喝する。


●かつて私は「中央公論」(平成4年5月号)に、「憲法はいまのままでいいかと思うかと、国民に問いかけてはどうか」と書いただけで、新潟市主催の講演会をキャンセルされた。社会党の新潟支部委員長と市民連合議員団長、それに共産党市議団長らが、平和憲法に横やりを入れるような講師を招くなと市長に申し出たためで、結果として私は言論の自由を奪われている。
      《上坂冬子 産経新聞2005/7/21》


●要は国民の安全のために何をすべきかであって、憲法残って国亡ぶでは喜劇にもならない。「初めに憲法ありき」ではない。
 《稲垣武 「『悪魔祓い』の現在史」
  他の著書「このヒジョ-シキが日本を滅ぼす」》



●一国平和卑怯者は、防衛費分払わないでいいから、そのかわり有事の時は一切護ってもらえないという制度にすればいい。
   《勝谷誠彦 「帰ってきたバカとの闘い」》


世界の原則が未だに闘争であることを、日本人は承認しない。人間の醜さと最悪のケースを予想しないで生きるということは、人間の未熟さを示すことなのだが、日本人はそれを未熟とも思わずに生きて来られたのである。

●日本の戦後教育は「誰のためにも命を捨ててはならない」ことを、当然で最上の人間の徳と権利として教えた。しかし世界中には、信仰ゆえに全く逆の美学を持つ人も決して少なくないのである。
   《曽野綾子 「人はなぜ戦いに行くのか」
    他の著書「人間にとって成熟とは何か」》


護憲論者にこう問いたい。戦前の日本がアジアを「侵略」したというが、それを排除したのが結局は連合国の軍事力だという現実をどう説明するのか。そのままだったら「アジアの人民」は日本の「侵略」の下に置かれ続けただろうが、それでも実力の行使は一切許されないというのか。

●武力がなければ中立維持は困難となる。日本が他国の戦争に関わらない方針をとると、他国間の戦争では局外中立となる。中立国には国際法で一定の義務がある。

①避止義務…交戦国に軍需品を供与してはならない。
 →この義務は果たせる。
②黙認義務…戦時禁制品が没収されたりしても、その不利益を甘受しなければならない。
 →同様。
③防止義務…交戦国の一方に日本の領土を利用させると他の交戦国に重大な不利益となるので、それをさせない義務。例えば中国と台湾が軍事的緊張状態になった場合、双方とも沖縄を押さえると軍事的に優位に立てる。日本が戦争に関与したくないというなら、沖縄の利用を阻止しなければならない。
 →この義務をまともな軍隊を持たずしてどうして果たすのか。

       《加藤秀治郎 諸君!2006/6月号》


●護憲派も一昔前までは、日本が侵略を受けても無抵抗を貫けば、その崇高な心根に打たれて侵略国が退散するとか、日本国民は平和憲法に殉じて死ぬべきだ、とかの神がかり的なものが主流だったが、国民もだんだん夢物語には騙されなくなったので、最近は一見まともな理屈を並べる「修正派」が多くなってきた。
         《軽手思庵 諸君!2006/10月号》


●地べたに坐り込んで「注射いやいや」している幼児みたいに、「私」に閉じこもっているのは「思想」じゃない。
      《小林よしのり 「国家と戦争」》


●私は非武装中立という「極」自体が、あまり意味がないと思っている。その話になれば、改憲論は「戦争をできる国に」とか「戦争をしたがっている」という話になり、「非武装中立論だけが平和に向かっている」という、おこがましい話になる。改憲論も護憲論も非武装中立論も、いかに平和を維持していくかという前提で話をしているのである。

●竹島・尖閣などの海洋権益は、日本が非武装中立になったら、外交的な話し合い抜きに向こうが実効支配してくることは間違いない。中間線・大陸棚の問題も同様。

●護憲派は「もしも」を過度の前提にしゃべっているというが、安全保障は仮定の話を前提にするのだ。もしもの場合、万が一の場合に備えるために今の自衛隊があると、多くの国民が認識している。
      《前原誠司 週刊金曜日2006/9/32》


●相手がどうでるか考えないで、一方的宣言だけでことがかたづくとするこのような発想は、欧米諸国にはとうていみられないのではあるまいか。
  《鯖田豊之
   「日本人の戦争観はなぜ「特異」なのか」》


平和は欲しいが平和を守るための力はいらない。これは、健康は欲しいが体を鍛えるのはいやだ、と言っているようなものだ。
       《林建良 「靖国と日本人の心」》


●誰もがまさか現在の日本が自衛隊をなくしてやっていけるとは思っていない。しかし自衛隊は明らかな軍隊なのだから、違憲の存在である。護憲派も自衛隊をなくせとは言わなくなっているのに、その一方で第9条を守れというのは、違憲状態を維持しろと言っているに等しい。
     《小谷野敦 「すばらしき愚民社会」》


自分の家族を守るために命を賭すのは御免だ、という私心しか持たぬものが、そのくせして自分らは人命を大事と思うヒューマニストだと思い込んでいるのだから、始末に負えない。

●まず、私的には死にたくはないが、公的には死なねばならぬかもしれないと考える。
次に、その公的な義務を放棄したような自分のことを考えると、私的にも不愉快になるので、公的に進んで危地に赴こうとする。しかしそこでも、私的にはなおも死にたくないと願う。
…こういうホンネの気持ちにおける循環は誰にでも生じることで、その循環に終止符を打つべく、人間の社会は徳律と法律のタテマエを蓄えてきたのである。つまり、タテマエなんかどうでもよいと考える人間は、ホンネにおいて公私の葛藤がない単純人間、いいかえると私心しかない人非人なのである。 

外国で「パシフィスト」(平和主義者)といえば、卑劣漢・臆病者といった否定的な意味合いで用いられることが多い。だから「お前はパシフィストだね」といわれたら、常識を持った外国人なら「俺は卑怯でも臆病でもない。いざとなったら家族のため、祖国のため戦う」と抗議するに違いない。      

《西部邁 「国民の道徳」他の著書「どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由」》







戦後は、軍事に触れるだけでも具合が悪いという細菌恐怖症のような気分がすっとつづいてきます。現実をきちっと認識しない平和論は、かえっておそろしいですね。
    《司馬遼太郎 「この国のかたち(4)」》


●スローガンと政策がチャンポンになっている。(区別できていない)
        《秦豊 「5時間討論:平和」》

【2月11日更新】

●朝日的左派文化人は、今回のイスラム国の人質事件に関しても、まさに戦後民主主義的な「日本は平和を愛好しているんだ。そのことがきちんと伝われば、われわれは攻撃されないはず」などと、誠に論証不可能なことを言っている。

「武力はいりません。従って私たちは殺されても文句は言いません」とまで言っているなら、それはひとつの思想として完結している。しかし、彼らはそうは言っていない。「武器はいらない、武力はいらない」で止まっている。
例えば、かつて美濃部都知事の時代、首都高速道路をきちんと造ろうという時に「一人でも反対があれば私は橋を架けない」と言った。でもこの後段として「だから冬でも泳いで渡れ」という話につながるはずである。つまり、この後段の部分をことごとく省いていたのが朝日新聞的世界観だった。それは現実を見ない、もしくは現実を考えなくてよいというものである。
     《上島嘉郎 チャンネル桜2015/2/7



【憲法論議】
第9条/世界が絶対に模倣しない条文
米国の押しつけ憲法/戦争をしている国が作った矛盾
護憲派に対して/聞く耳を持たない人々へ
他国の憲法/日本国憲法だけが平和を謳っているという欺瞞
集団的自衛権/世界に軽蔑されるエゴイズム国家・日本
自衛隊/世界に誇れる規律集団