賢者の説得力ホーム憲法論議集団的自衛権

 

集団的自衛権

自国が直接攻撃を受けていなくとも、
他国と協力して直接攻撃を受けている国を
防衛する「集団的自衛権」。
これは世界中どこの国でも
国際法で認められているものであるが、
これもやはり日本だけが
なぜか反対の声が大きい…


●集団的自衛権について国際法上は保有しているが、憲法上行使できないという現行の内閣法制局(一官僚機構)の公式見解は、論理的に破綻している。国連憲章でもサンフランシスコ講和条約や日米安保条約でも、さらには日ソ共同宣言でも認められている権利が、しかもそれらの条約や共同宣言が国権の最高機関たる国会で承認されているにもかかわらず、なぜ行使できないのか。
     《村田晃嗣 「日本の論点2006」》


●国家と国家の間では、より大きな悪を防ぐために、より小さな悪を選ばざるを得ない時がある。
朝鮮戦争における北朝鮮の武力侵略を回復するための国連軍の活動や、イラクのクウェート侵略を防ぐための多国籍軍の活動などは、放っておけば侵略者の野望を満たすことになるのを防ぐための、国連の許可した戦争である。
        《関嘉彦 諸君!1994/1月号》


●「日本には平和憲法があるのだから、戦争に巻き込まれるような場所に自衛隊を派遣するのは間違いだ」
→これを国外から見ると、「外国人は平和維持活動で死んでもよいが、日本人だけは血を流すな」という驚くべき独善とエゴイズムの主張となってしまう。

●戦後、地球上のどこかで戦争のない年はなかった。その中で日本とその他数ヶ国だけが白地のままである。これは平和憲法のおかげで日本が戦争に巻き込まれずにすんだことを示すというが、観点を変えてみると、これは「一国平和主義」の立場になってしまう。第九条が世界平和に貢献するという言説とは逆に、それが周辺諸国の戦争を防止するのに、いかに無力・無関係であったかを示す。
       《藤岡信勝 「汚辱の近現代史」》


●日本国憲法は、侵略戦争を禁じたものと理解すべきであり、対テロ戦争(集団的自衛権)には何も関係がないのであるから、憲法が制約になるという理屈はそもそも成り立たない。
  《八木秀次 「「女性天皇容認論」を排す 」》


●朝鮮戦争のとき、アメリカは自衛隊を創設させたが、その際、第九条との関係で「日本の自衛権はどこまで許されるか?」という問題が起き、内閣法制局がアメリカの意向をうかがった上で「必要最小限」という概念を使い始めた。いつの間にか独り歩きして「集団的自衛権は所有しているが、行使はできない。それは”必要最小限”を越えるからだ」という解釈がなされるようになってしまった。
…政治家が内閣法制局に概念に支配されてしまったわけである。こんな情けないことはない。こうした問題は法制局が解釈するのではなく、政治家が解釈すべきだ。
       《中曽根康弘 正論2007/7月号》


●集団的自衛権について…

◇地球の裏側までいってアメリカと共同で軍事活動をしよう、とは全く考えていない。日本の安全保障に重大な被害をもたらす、密接にかかわるような周辺事態での共同行動である。その場合でも権利が留保できるから、周辺事態でも自動的に権利を行使するということは考えていない。

◇次に国際貢献活動。活動への参加は是々非々で主体的に判断すべきものだが、その際、集団安全保障活動ができるようにする。 
      《前原誠治 週刊金曜日2006/9/35》


●湾岸戦争時、国連安保理の武力行使容認決議に基づいて行われたにもかかわらず、戦争だからただ反対と国際社会にアピール(文学者・小説家中心で為したアメリカでの反戦広告)を出したものの、かえって失笑どころか顰蹙を買ってしまった。日本の一国平和主義の姿勢に対し、アメリカをはじめ多国籍軍を編成した国々は、「日本は我々に便所掃除をさせる気か」と厳しく非難した。

●それで日本は仕方なく、100億ドル以上もの資金を拠出させられた。さらに戦争終結後、PKO協力法を制定し、何とか自衛隊を海外派遣する道は開いた。
《吉澤国雄 「真正保守がこの国の活路をひらく」》


●国際法上は持っているが、憲法上、行使できないという。いったいこれはどういう意味なのか。国際法と国内法(憲法)の関係について、3つの学説が存在する…

◇1つは二元論である。「国際法と国内法とでは規律の対象も効力の基礎も異なり両者はまったく異にすると説く。そして国際法と国内法が同一の法体系に属することを否認し、別個の法秩序に属するとする」考え方である。

◇もう1つは国際法優位論である。「国際法と国内法とは、別個の独立した2つの法秩序ではなく、両者は1つの統一した法体系を成し、かつその体系のうちで、国際法が上位の、国内法が下位の法秩序を構成する」とする考え方だ。

◇この他に、国際法優位論と対照的な国内法優位論があるが、日本の憲法学者を除き、国内法優位論を採る国際法学者は、ほとんどいない。

●仮に二元論に立つなら、国際法上、集団的自衛権を保有している以上、憲法つまり国内法がどう規定していようと、日本国が集団的自衛権を「行使できない」という結論は出てこないはずだ。なぜなら、両者は別個の法体系に属するからである。一方の規定で他方の規定を説明するのは論理矛盾である。あるいは、国際法優位論を採るなら、憲法がどうあれ、集団的自衛権を行使できるとの結論になろう。上位にある国際法が優先するのは論理的な帰結である。

●改めて、彼ら護憲リベラル派に問いたい。国内法(憲法・法律)と国際法(条約)はどちらが上位なのか。「A級戦犯」の問題についてだけ条約優位を主張するのは、二枚舌ではないだろうか。

●九条のどこにも、個別的自衛権とも集団的自衛権とも書いていない。どちらも書いていない以上、憲法を根拠に集団的自衛権行使を否認する政府見解は、通常許される法解釈の範囲を著しく逸脱している。

●実は、集団的自衛権行使禁止が憲法上の要請であるとする論拠は、過去において一度も明示されたことがない。論拠を示さず「必要最小限の範囲を超える」と言っているだけ。     
   《潮匡人 「憲法九条は諸悪の根源」
       他の著書「常識としての軍事学」》


●集団的自衛権の行使が憲法に違反するというのも妄説である。これは55年体制下での政府の国会答弁「日本は集団的自衛権は持っているが、憲法の下では行使できない」に依拠している。
しかしこの国会答弁そのものが、予算を通すために社会党の抵抗をできるだけ少なくしたかった、政府与党の政治的妥協の産物なのであって、法理の上から出たものではない。

●そもそも国連憲章にも明記してある集団的自衛権行使の権利を、日本だけが憲法で禁じられているとするのは奇怪だ。

 《稲垣武 「『悪魔祓い』の現在史」
  他の著書「このヒジョ-シキが日本を滅ぼす」》


●日米の駆逐艦が並んで走っていて、第三者に日本艦が攻撃されればアメリカ艦は助ける義務があるのに、アメリカ艦が攻撃されても日本艦は助けない、というのだから、子供が考えてもおかしい。
      《藤原正彦 文芸春秋2010/7月号》


●元空将の織田邦男氏は、集団的自衛権を行使できないままだと任務遂行に弊害が出る朝鮮半島有事のシナリオとして「米軍の民間人救出作戦」を挙げる。
半島有事が起きると、日米両政府とも真っ先に韓国からの自国民避難に着手することになる。韓国に住む米国人は約22万人、日本人は約3万人とされる。米国は軍用機に加え、チャーター機や民間航空機も総動員し、短時間で米国人を脱出させる。第一の避難先として日本を想定しており、日韓間をピストン輸送するため航空機が日本に向けて列をなす。

●《そこへ北朝鮮のミグ20戦闘機が接近し、民間人を乗せた航空機を撃ち落そうとしたら…》 
織田氏はそうシュミレーションし、「対領空侵犯措置として周辺上空を飛行している航空自衛隊の戦闘機パイロットは傍観するしかない」と指摘する。自衛隊法にミグ29を撃墜する根拠がない上、集団的自衛権に抵触するためだ。法的な制約を理由に対応が遅れ、民間人を死地に陥らせるようなことがあればどうなるか。

●こうした事態を意識し、安倍晋三首相は昨年10月16日の政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」でのあいさつでこう強調した。「自国のことのみを考えた安全保障政策ではむしろ敬意を失い、友人を失う」
           
《産経新聞2014/3/17》


●自衛隊が派遣されたPKOなどの国際平和協力活動のうち、最も過酷だったのはイラク派遣(平成16~20年)だ。隊員は黙々と任務をこなしたが、武器使用の制約により国際社会ではあり得ない対応を余儀なくされた。
《陸上自衛隊幹部が式典に参加中、建物の外で警護にあたっていたオーストラリア軍が暴徒に襲われた》
《陸自車両を警護するための打ち合せに来た豪軍車両が、陸自拠点の入り口で暴徒から攻撃された》
これは実際にイラクで起きた「事件」だ。

陸自はどう行動したか。2事例とも施設や拠点に引きこもり、傍観せざるを得なかった。武器使用の基準が国際標準より厳しく制限され、外国軍の隊員への駆け付け警護は憲法で禁じられた武力の行使にあたるとされるからだ。

●陸自はイラク南部サマワで給水や道路補修などの人道復興支援を行い、豪軍は治安維持を担っていた。陸自が拠点の外に出る際は豪軍に警護され、2つとも豪軍が陸自を守るための活動中に攻撃され、陸自は何もできなかった事例だ。「国際活動に参加できる組織ではない」「ともに活動する相手として信頼できない」 豪軍の酷評が陸自の教訓リポートに残されている。

「他国部隊は仕事を共有してくれると思っていたのに、警護を求められ仕事が増え、守っている自分たちが攻撃を受けても『見ざる聞かざる』。自衛隊はアブノーマルで理解不能な組織だと扱われていた」 
イラク派遣の全活動を把握する関係者はそう振り返る。陸自の派遣隊員は他国部隊から白い目で見られ、自尊心を傷つけられた。法的な制約により士気は下がる要素しかなかった。 
            《産経新聞2014/3/18》






●「防衛学研究」(4月刊) 『集団的自衛と集団安全保障』
(町民全員でやる夜警で)「夜警は関係ない、その上危険なので参加しない、お金はあるので皆さんの夜食分程度は出しても良い」と言っているようなものだ。いずれ村八分になってもおかしくない。
        《冨澤暉 産経新聞2014/6/2》

●言いたくはないが、いまの日本人は世界でもっとも臆病な国民だろう。集団的自衛権をめぐるいくつかの新聞の主張は、臆病者の小賢しい理屈にしか思えない。
           《桑原聡  〃  》


●日本は明らかに冷戦の受益者だった。冷戦時代はとりあえず自由陣営に属していれば、それだけでアメリカや西側諸国の仲間だったが、冷戦後はPKOなどで汗を流し、時には血を流す覚悟を求められるようになった。
      《福田和也 新潮45 2008/10月号》


●私の中で一国平和主義がどういうプロセスで崩壊したかと言うと、湾岸戦争である。その前と後で「自衛隊は必要か」という世論調査で、パーセンテージがガラッと変わった。日本人の自衛隊に対する意識が大きく変わったのだ。

●日本政府は軍事的活動を一切せず、巨額のお金を出した。それによって日本が感謝されたかというと、正反対である。徹底的に軽蔑された。ワシントン・ポストにクウェートが感謝の広告を出したときに、日本は除かれていた。
        《藤岡信勝 産経新聞2006/1/4》


●少なくとも「集団的自衛権」報道に関する限り、朝日の報道は記事になっていない。いや、そもそも報道に値しない。事実を伝えているのではなく、主張を掲げているだけだ。その紙面は政党の機関紙に近い。
ちなみに集団的自衛権に反対している党は、中国共産党と日本共産党と社会民主党の三つ。朝日が大好きなグローバルな視点からみれば、少数派に過ぎない。

●朝日の集団的自衛権批判キャンペーンの発火点となった3月3日付社説は、こう書き始めた。
「集団的自衛権とは何か。/日本に関係のある国が攻撃されたとき、自衛隊が反撃に加勢する権利である」

→完全な間違いである。集団的自衛権とは何か。正しくは以下のとおり。
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利」(政府答弁書・昭和56年5月29日)

●朝日が「密接な」の三文字を削った理由は何か。単に「日本に関係のある国」なら、ほとんどの国が含まれてしまうではないか。
同様に、「実力をもつて阻止する権利」を「反撃に加勢する権利」と言い換えたのはなぜか。
どちらも、集団的自衛権に対する読者の不安を助長する目的であろう。日本が泥沼の戦争に踏み出すのではない、なんとなく恐い。そう思わせるためではないのか。

●そもそも国際法上、「反撃」など許されない。それを、朝日が勝手に「反撃できる権利」と定義し、危ないと騒ぐ。自作自演のバカ騒ぎである。
「他国の武力攻撃がすんでしまった段階では、たとい自国の艦船、航空機に損害が生じていたとしても、自衛の行動派とりえない」(高野雄一著『国際法概論』弘文堂) 
それが国際法上の通説である。もはや外交その他の平和的手段によってしか対処できない。国連憲章が復仇権の留保を認めていないからである。

●日本国刑法も同様である。「反撃」は違法性を阻却しない。つまり犯罪となる。
正当防衛とは、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」。この「急迫」は「法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っている」状態である(最高裁判例)。ゆえに、過去の侵害に対する正当防衛(反撃)は認められない。そう考えるのが判例通説である。

●分かりやすく言えば、「やられたらやり返す」のは、それが「倍返し」であろうが、均衡のとれた反撃であろうが、ともに違法である。やられる前に、阻止(ないし抑止)する。それが法の要請である。だから答弁書も「阻止する権利」と定義した。
それを勝手に「反撃」と書き換え、批判キャンペーンを展開する。自作自演のマッチポンプ報道ではないか。

●朝日は「一からわかる集団的自衛権」と題した記事で、個別的自衛権をこう定義した。
「個別的自衛権とは何か?自分の身を守るために反撃する権利。正当防衛に近い」(3月3日付)
「反撃」については繰り返さない。問題はその次だ。個別的自衛権が「正当防衛に近い」というのも間違いである。朝日は「一から」分かっていない。そうでないなら、手の込んだ世論誘導であろう。

●「正当防衛に近い」のは自衛権である。もちろん集団的自衛権を含む。正当防衛とは「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛する」行為。自己を守るのが個別的自衛権、他人を守るのが集団的自衛権である。
そう理解できない日本人の誤解を利用した卑劣な世論操作であろう。大多数の日本人が、正当防衛を単なる自己防護と誤解している。その無知に付け入り、「正当防衛に近い個別的自衛権」はよいが、「アメリカの反撃に加勢する集団的自衛権」は危ない。そう読者の不安を煽っている。
         《潮匡人 WiLL2014/9月号》


●中小国は大国に対して単独では守りえない。したがって、利害関係の密接な国と手を組んで守ることになる。古来、唇歯輔車の関係といって、親しい仲間が滅びたら次は自分が危ないというのが、常識である。これを戦後の世界で定型化したのが、集団的自衛権である。
       《北岡伸一 中央公論2014/6月号》


●今回の安保法制でも、戦争リスクが高まるか高まらないかだけの話。それは普通の国際関係理論でいけば、中国は民主主義国じゃないから、圧倒的に中国の方が戦争のリスクは高い。

●さらに言えば、同盟していると戦争リスクは圧倒的に減る。こんなのはデータでちゃんとわかる話である。しかし反対派はこんな明白なことも認めない。認めてしまうと議論に負けてしまうから。

同盟をしながら集団的自衛権がない、なんてロジックは世界にはない。ありえない。だから、国会でも「安保法制の有無によってどちらが戦争のリスクが高いのか」という議論をすれば簡単なことだと思う。それをやらないで「憲法違反」のみで押し通そうとするのである。

●「憲法違反だ」という言い方は、私が大蔵省にいたときに上司がよく使っていた言葉である。これはどういう意味かというと、「議論はしない。オレの言うことを聞け」ということなのである。
《高橋洋一 「チャンネル桜2015/7/25」以下同》

●G7の外相会談で、中国と名指しはしなかったけれども、事実上の中国非難の共同声明が出された。その後のシャングリラ会談では名指しで中国の力による国境変更について、強く触れられているのに、それすらも左翼メディアは報道しない。国際会議で共同声明が出されたものの中味をきちんと報道しないのだから、これは報道機関としての意味がない。 《渡邉哲也》

●憲法学者の8割とか9割が安保法制は違憲である、とのアンケート調査結果を朝日新聞は出した。その問いと同時に、その憲法学者に「自衛隊は違憲であるかどうか」を聞いたら、7割以上の人たちが「違憲である」と答えている。つまり、非常に偏った考え方を持つ憲法学者たちに聞いているということがわかった。しかし、朝日新聞はこのことを公表していなかった。これは非常におかしいことである。 《田中秀臣》

●都合の悪いことは報道しないんだよね、あそこは。 《水島総  〃  》


●日本は中国共産党の攻撃に直面している。日本だけじゃない。中国はフィリピンやベトナムの領土も取ろうとしているんだ。集団的自衛権はこういった仲間の国々をつなぎ連帯を促し、中国の攻撃から守る素晴らしい権利だ。
       《トニー・マラーノ
           FLASH 2014/7/29・8/5》


●野党は根本的議論を避けている。それは日米安保のことである。他国との同盟には集団的自衛権が必須である。ということは集団的自衛権を否定している者は、日米安保も否定しなければ理屈に合わない。でも、野党は「日米安保は不要」などと言ったら、国民からソッポを向かれることが分かっているから言わない。
そんな根本の議論をせずに、「戦争になる」「徴兵制が行なわれる」などと言っているから、国民の理解が深まらないのである。
     《長谷川幸洋
       そこまで言って委員会2015/9/13

【9月17日 更新分】

●今回の安保法制は、日米同盟の強化、域内外の友好国との信頼性を深め、今後のわが国および国際社会の平和と安全を確保するための重要法案であるにもかかわらず、安保法制とは全く関係のない、極めて瑣末な、情緒に訴えるだけの議論が行われていると感じています。それに乗っかってマスコミが反対を煽り、「戦争法案」などとキャンペーンしている。
    《火箱芳文(第32代陸上幕僚長)
     WiLL (ウィル) 2015年 10月号以下同》

●マスコミはインド洋派遣の時も「戦時派遣だ」と煽り、明日にでも戦争が起きるような書きっぷりでした。結果、そうはならなかったのに何の反省もなく、あの時と同じことをまたやっています。 《香田洋二(元海将)》

●「徴兵制になる」という指摘もあります…
現場を知る者からすると、徴兵制なんて迷惑でしかない。航空は技術者集団ですから、任期制隊員であっても5年くらいいてやっと一人前ですよ。徴兵なんて隊全体の足を引っ張るだけ。必要性を感じない。 《織田邦男(元空将)》

●「あなたの子供も徴兵され、戦争に駆り出されるかもしれない」などと言って、子供のいるお母さんたちを怖がらせて「戦争法案だ」と煽るんですから困ります。 《火箱芳文》

●野党が雑駁な議論を吹っ掛けて、安倍総理が退けるところまで退いてしまうことになれば、北京は高笑いでしょうね。 《香田洋二》

●今回の法案は、「集団的自衛権は一切認めない」というところから、「武力行使の三要件」の厳しい条件付きながら、集団的自衛権を少しでも使えると明確にしたことに大きな意味があります。
野党や反対派は「認めたらすぐ米国の戦争に加担する」と考えているようですが、「わが国の存立危機事態に使えるようにしておく」だけであって、実際に使わなければならない事態になったら改めて国会で審議して決めることになっているんです。

それを最初から「一切使えない」としてしまったら、いざという時の備えが何もできないわけです。ただ反対し、善良な国民を扇動している野党の国会議員たちは、国家や国民の平和と安全に関して一定の責任があると思いますが、それで本当にいいのですか、と訊きたいですよ。《火箱芳文》

●日本ではなぜか、「集団的自衛権はやりすぎ、個別的自衛権ならよい」という雰囲気が定着しており、たとえば邦人輸送中の米艦防護でも「個別的自衛権でやればいいじゃないか」という人がいます。
しかし実際には、米艦に乗っている邦人は日本の主権や法律が及ばない米軍の保護下にあるため、この船を守るのは「集団的自衛権」です。

●また、このような「盲目的個別的自衛権信仰」とは逆に、国連憲章では「個別的自衛権の乱用」は禁止されていて、むしろ集団的自衛権で対応したうえで国連に報告することを求めています。
仮に邦人輸送中の米艦を守るために外国に対する武力の行使を行った場合、国際的にどう見ても集団的自衛権を発動しているのに、日本国内の論理だけを基準に「個別的自衛権です」と言っても通用しません。

●特に今回、議論されていた自衛隊の「リスク論」は、国民感情に訴えて反対の空気を作り出す作戦の最たるものでした。
基本的にわが国の防衛に関しては、「事に及んでは危険を顧みず」と宣誓するのが自衛官です。「そんなつもりはなかった」という自衛官もなかにはいるかもしれませんが、世界で唯一、自由に辞められる軍事組織が自衛隊ですから、そういう人には辞めてもらえばよいのです。

●他の国の軍隊ではそう簡単に辞められず、仮に辞めても「不名誉除隊」となり、その後の経歴に付きまとって国民として不利益を背負うことになりますが自衛隊の場合はそうではありません。 《香田洋二》

●自衛隊の活動には当然リスクはある。危険な任務だからこそ自衛隊が派遣される。自衛隊25万人がリスクを負うことで、国家国民全体のリスクを減らすことができる。

自衛隊の任務は、国家国民のために命を懸けて守ろうとするから崇高であるのです。自衛官には、そのことに対する矜持がある。
それを法案に反対する野党の議員は、「あたかも屠殺場に連れて行かれる家畜のように自衛官が殺されたりするのは可哀想だから行かせるな」と行って法案に反対している。これは自衛官に対する尊信の念など微塵も感じない、自衛隊に対する冒涜です。 
《火箱芳文》

●憲法前文にはこうあります。
〈われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ〉
九条を理由に「国際社会に対して何もできません」と言いながら、戦後のわが国の理念を述べている前文の理念を反故にしていいのか、真剣に議論することが必要です。

●たとえばホルムズ海峡の機雷掃海の話が出ていますが、あそこは日本のみならず世界にとって大事なシーレーンです。封鎖されれば世界中に大きな影響が出ることは火を見るより明らかです。
機雷掃海の技術と部隊勢力は日本が世界一です。
ホルムズ海峡で何かあった時、世界中が「日本に何としてもお願いしたい」と頼むことは明白です。その時に「九条があるし、集団安全保障による武力行使は認められていないので何もできません」と断ることが、はたして憲法前文の理念と両立しうるでしょうか。 《香田洋二》



【憲法論議】

第9条/世界が絶対に模倣しない条文
米国の押しつけ憲法/戦争をしている国が作った矛盾
護憲派に対して/聞く耳を持たない人々へ
他国の憲法/日本国憲法だけが平和を謳っているという欺瞞
集団的自衛権/世界に軽蔑されるエゴイズム国家・日本
自衛隊/世界に誇れる規律集団