賢者の説得力ホーム中国について中国共産党

 サイトマップ

中国共産党

反日プロパガンダの発祥地・中国共産党の
真実に迫る。
これらのことは、中国人民には
決して知らされない。


●中国の共産革命の事実は、共産軍が占領した地域では地主・富農・国民党幹部に対する公開処刑が大々的に行われ、その数は1千万人以上にのぼったと推定されるが、その種のニュースは日本には殆ど報道されなかった。
 《稲垣武 《「悪魔祓い」の戦後史
  他の著書「このヒジョ-シキが日本を滅ぼす」》



●長年虐げられてきた小作農や下級階層の人々で構成された「紅軍」(毛沢東と朱徳が指導。ロシア顧問が指示を与えていた)は、行く先々で地主・商店主・自作農などに襲いかかっていった。そのため、百万人近い人々が殺された。
 《K・カール・カワカミ 「シナ大陸の真相」》



有史以来、最も中国人を殺したのは、間違いなく共産党政権である。
     
《井沢元彦 諸君!2005/6月号》



●中国共産党のやり方…金のありそうな者を拷問する。羽振りが良く資本主義と思われる者は、即刻殺す。福建省西部の三分の一は共産党が支配しており、こいつらはアヘンができて百姓に金が入る春夏になると、山から下りてきてぶん取っていく。
        《ラルフ・タウンゼント
          「暗黒大陸中国の真実」》



●中国革命は、毛沢東のスローガン「農村が都市を包囲する」の戦略によって成功した。広大な領土を持つ中国の農村地帯でゲリラ戦を展開しながら、徐々に「解放区」を広げ、遂に都市を包囲して次々と陥落させた。
       《兵本達吉 諸君! 2005/2月号》



●毛沢東は、「政権の崩壊は政財的理由ではなくて、治安的理由だ」ということを考えつく。治安が悪くなれば必ず政権は潰れる。経済が悪くなっても容易には潰れない。

●中国は今でも国軍がなく、共産党の軍隊(人民解放軍)だけという珍しい国。この党自ら軍隊を作り出して勝つというのは、毛理論の非常に結実した部分。(カストロ・ホメイニに応用されていく)
    《堺屋太一 「だから歴史は面白い」》

●レーニンの場合「帝国主義戦争を内乱へ」という言葉があって、ドイツ軍によるロシアへの圧力を計算に入れていた。いってみれば受け身の戦略。
ところが毛沢東は、積極的に日本軍を国土に導き入れる戦略を構想し実現した。そして国・共・日が対立し合う三派鼎立の状況をつくり、漁夫の利を得るという戦略を考えついた。毛にとっては、国土を壊滅状態に導くことが革命の前提条件だった。(そのための手段として日本軍でもゲリラでも何でもよかった)
ある程度、国土を安全に保とうという気持ちがあれば、彼のやり方は通用しない。
          《谷沢永一  〃  》



●中国は「共産党の権力」しか存在せず、これでは腐敗を撲滅しようがない。また「報道の自由」も「表現の自由」も「政治結社の自由」もない。一応8つの政党が名目上存在を許されているが、見かけに過ぎず、共産党に監視され操作され資金の提供を受けている「衛星政党」でしかない。

●民主国家ではメディアが政治を監視するが、中国では政府がメディアを使って国民を監視している。
        《何清漣 諸君!2002/10月号》

中国の社会主義建設のための人的犠牲(粛清・虐殺・飢餓など)は、5~8千万人といわれる。
            《黄文雄  〃  》



●マッカーサー(1951年5月 米国上院軍事外交合同委員会にて)…「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは、共産主義者を中国において強大にさせたことだと、私は考える」
     《小堀桂一郎 諸君!2005/6月号》



●中ソ論争以降、ソビエトから助力を受けた事実を中国は極力消そうとして、実際国民には殆ど知られていない。しかし、農民ゲリラを中核とした中共が曲がりなりにも社会主義国家を樹立できたのは、兵器をはじめさまざまな物心両面のソビエトと東欧諸国の援助があったればこそ。
…日本の巨額の援助やODAを隠蔽しているのと同じこと。 
    《福田和也 「バカでもわかる戦争論」
       他の著書「俺の大東亜代理戦争」》



●毛沢東の本に「農村は都市を包囲する」と書いてあるが、その意味は「その都市を破壊しろ」、つまり都市は長い間、農村を人間扱いしてこなかったんだから仕返しをする、ということなのである。
  《日下公人 「けじめをつけろ、責任者!」
     他の著書「新しい「幸福」への12章」》



●確かに清朝から今日に至るまでの間、支配者は国民党・共産党と移り変わった。しかし社会の根幹をなす生産構造は実は全く変わっていない。中国の社会制度は、今も昔も封建的な地主制度的支配関係を基盤としている。そもそも中国では、本当の意味での社会主義革命など起きていなかったのだ。まさに今の中国は「社会主義の衣を着た封建王朝」に他ならない。

●そもそも中共の組織自体が、中国の伝統的な支配体制を忠実になぞっている。中共は80年代半ばまで、党員を24の等級に区分していた。そして人口の0.01%にすぎない1~13級までの幹部が、高級幹部として極めて大きな特権を与えられてきた。それは古代からの貴族制度そのもの。そして彼ら官僚たちは、独占的な政治権力を”資本”に蓄財を重ねていく。


●中共が政権を握って、民衆は幸せだったのか…
現在中国が取っている市場解放政策は、実は1930年代に国民党政権が行っていた国家主導型の経済政策と基本的には変わらない。土地改革にしても、この時期国民党は様々な実験的な試みを行っている。むしろ国民党政権の方が、その指導者に日本や欧米への留学出身者が多く、法治主義や民主主義を受け入れる基盤があった。少なくとも大躍進や文革ほどの民衆虐殺は起こらなかった。
       
《北村稔 諸君!2005/12月号》



●文明国と非文明国の違いは、その国が法治国家なのか人治国家なのかによる。法治国家は法の下の平等が原則である。つまり議員であろうが首相であろうが警察官であろうが、法律に則って行動しなければならないのである。

●独裁者や独裁政党が法の上に位置する国は人治国家であり、中国では中共は憲法の上の存在である。例えば中国の憲法は信教の自由を保障しているが、中共はチベット仏教の最高指導者やカトリックの司教を任命するという、宗教的にはおよそ暴挙としかいいようのないことを行っている。法輪功の場合は、中共により信者が投獄・殺害される等の弾圧を受けている。
         《原理 正論2006/10月号》

大躍進・文革・天安門事件と失政につぐ失政であったにもかかわらず、なおも人口13億のうち僅か5~6%を占める共産党員の独裁政治が今日も続いている。
           《古田博司  〃  》



●旧ソ連もそうだったが、中国や北朝鮮のように共産党が一党独裁政治をしている国家では、共産党が国家組織より上位にある。共産党が国家を「指導」することになる。
     《池上彰 「そうだったのか!中国」》



●実は、中国には特共(特別提供)と呼ばれている共産党員専用の農地があった。そこは全く汚染されていない「世外桃園」(中国の四字熟語:俗世から離れた桃源郷)だ。そこで農地を耕し、家畜を飼う。食の安全は綿密に検査されている。

●片や庶民は汚染された大地で育まれたもの、重金属混じり食材しか食べられない。癌や奇病も多発!共産党員にとってこうした毒食品は無縁だから、僕らの悲鳴は無視され続けていたのだ。
      《孫向文 週刊文春2013/10/31》



●ニューヨークタイムズが温家宝首相一族の個人資産が2千億円を超えると報道したばかりだが、薄熙来一族の個人資産はなんと1兆円を超えるという。この2人は例外ではない。

●2009年の中国人民銀行の公式報告書によれば、2,460億元ほどが不正に海外に持ち出されたという。この数字は控えめであり、06年の中央財経大学の調べでは1年間に7,600億元の資金が海外にマネーロンダリングされているという。日本円にして実に10兆円である。

●本来、その資金は中国の国民生活向上にこそ使われるべきものであろう。しかし間もなくやってくる中国の少子高齢化による経済崩壊に備え、共産党幹部などが海外逃亡をするために準備している可能性が高い。
       《成毛眞 産経新聞2012/12/8》





中国共産党は旧日本軍と戦って撃退した…というウソ
   ~中国共産党が最も隠蔽したい真実~


●上海での血で血を洗うような激しい戦いで、日本軍と戦っていたのは蒋軍で、「国共合作」(蒋介石の国民党と毛沢東の共産党との合体/今までいがみ合っていた2党が協力して日本軍を撃退するという目的=管理者注)が成立したからといって、中共軍が上海戦で1兵たりとも参加するなどということはなかった。
  《鈴木明 「新「南京大虐殺」のまぼろし」
    他の著書「「南京大虐殺」のまぼろし」》



実際には中共は殆ど日本とは戦っていない。参加した大型の会戦は、1937年山西省での「平型関戦役」と1940年華北での「百団大戦」くらいで、林彪も参加した平型関戦役は日本軍の補給部隊へのゲリラ攻撃に過ぎない。

●1943年から中共が領域を拡大し戦力を増強させることができるようになったのは、共産軍が日本軍に対して積極的な作戦を全く行わなかったからである。
蒋介石にとって何よりも我慢できなかったのは、日本軍が大陸縦断の大攻勢を行っているさなか、共産軍と政治工作員が国民政府軍が瓦解・退却したあとの広大な地域に浸透を続けていることだった。日本軍は都市と交通線を支配するだけだったから、毛沢東が言うところの「蒋介石が捨てた土地」はたちまち毛のものとなってしまった。

●華北で、揚子江デルタ地域で、そして大陸縦断作戦で、国民政府の軍隊が日本軍によって叩かれたことが、毛沢東と中共にとってそれこそ神風となった。それが国共合作を仕掛けた中共のはじめからの狙いだったのである。 
         《鳥居民 諸君!2006/2月号》



●抗日戦争に臨む毛の基本姿勢は、共産党軍の戦力を温存し勢力範囲を拡大していく一方で、スターリンが動くのを待つ、というものだった。従って日本軍が華北及び上海方面から侵攻してきたとき、毛は蒋と交渉して共産党軍を正面戦に投入せず、国民政府軍の側面部隊として遊撃戦に使うことを了承させた。

●毛は共産党軍の指揮官に対して、「日本軍が国民政府軍を打ち負かすのを待ち、日本軍が進軍していったあとの後背地を領土として獲得せよ」「戦闘ではなく…根拠地創造に集中せよ」と命じた。日本は鉄道や大都市を支配しているだけで、それ以外の小さな町や農村は早い者勝ちの取り放題だった。

●毛は同時に、敗走した国民政府軍の兵隊を集めて共産党軍を拡大せよ、という命令も出した。侵攻していく日本軍の後方でおこぼれを拾って共産党軍を拡大強化していく、というのが毛の作戦だった。当時は「日本が占領地を多く取れば取るほど好都合」という意識だった、と毛は後に語っている。

●林彪が1941年に書いた報告書によると、毛は交戦許可を何度求めても拒絶したという。
結局、林彪は自分独自の判断で平型関付近で日本軍と交戦することになった。毛はこの戦闘を聞いて猛烈に怒った。「蒋を利する」だけだという。その一方で毛はこの戦いを最大限に膨らまし、中共は国民党より抗日に熱心である、と宣伝するのに利用した。

●日本軍は中共軍を攻撃対象にしなかった。中共は厄介な存在ではあるが戦略的重要性はない、というのが日本側の見方であった。華中では、共産軍が鉄道を攻撃しないかわりに、日本軍は農村地域に展開する共産軍を攻撃しない、という取引が成立した。何年もの間、日本軍の鉄道は問題なく運行され、共産軍は静かに勢力を拡大していった。

のちに毛は、「彼ら(日本軍)が重慶…あたりまで侵攻してくれることを望んでいた」と語っている。そうなればソ連は介入せざるをえないだろう、というのが毛の計算だった。
《ユン・チアン ジョン・ハリディ 「マオ 誰も知らなかった毛沢東」》



●北京郊外の蘆溝橋にある「中国人民抗日戦争記念館」内の展示では、「正面作戦」で「85万余人」、百団大戦との総計「154万余人」の日本軍を殲滅したと主張する。この数字が事実なら、日本軍は大陸で名実ともに大敗北を喫したことになる。 
      《潮匡人 SAPIO 2005/9/28》



●中共が今も「日本軍3千を殲滅した」と誇ってやまない「平型関の勝利」なるものの実態は、谷間のぬかるみで立ち往生した日本の輸送隊を、たまたま山腹から眺めていた林彪の部隊が、思い切ってこれを一斉射撃したことろ、200人もの日本将兵が死亡したというだけの話である。
 黄文雄 「今こそ中国人に突きつける 日中戦争真実の歴史」 他の著書「だから日本人は騙される」》



●戦争中、日本の諜報機関と毛沢東は手を組んで、蒋介石の軍隊を弱体化させていた証拠の山が、モスクワの図書館から出てきた。
        《宮崎正弘 正論2005/8月号》



      



●30万人近い勢力だった共産党軍は、内戦で最終的には国民党軍に大敗北し、3万人ほどまでに縮小してしまう。(1937年段階、国民党軍の百分の一にすぎなかった)
     《櫻井よしこ 諸君!2005/12月号》

●日中戦争が始まった後も、中共軍は日本軍とは正面衝突していない。日本軍が支配する点(拠点)と線(移動経路)以外の広大な空白地帯を支配することに汲々としていた。

●1930年代の中共が中国で何をやっていたかというと、農民からの収穫で食いつないでいた。例えば、彼らが占領した中央ソビエト区では、10万人以上の紅軍兵士と多数のソビエト政府人員を養うために食糧が不足し、農民は国民政府時代より過酷な課税に苦しめられていた。
            《北村稔  〃  》



毛沢東は「われわれは日本軍と正規戦はやらない」と宣言した。「敵が来れば逃げる、敵が退けば進む、そのとき隠れ蓑に使うのは人民だ」というのである。「人民を隠れ蓑に利用して進んだり退いたりして、敵を苛立たせる、人民が水でわれわれは魚だ」と言っているのだから、なんともひどい話である。隠れ蓑に使われた人民は、ただただ迷惑である。日本軍はいちいち人民を検査しなければならない。しかし証拠を探している暇はない。怪しい者を処断しなくては自分が殺されるからである。    
 《日下公人 「戦争が嫌いな人のための戦争学」》



普段酒の飲めなかった毛沢東は、日本軍勝利の知らせが入った時だけは祝杯を上げて喜んだと言われている。毛は結局、蒋介石を利用して日本軍と戦わせて軍事力を弱めさせ、その間自分は延安に身を置いたり、長征をしたりして逃げている。
     《金文学 「逆検定中国国定教科書」》



●毛沢東は、「力の70%は勢力拡大、20%は妥協、10%は日本と戦うこと」と指令を出していたのである。(中国人研究者・謝幼田「抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか」より)

●日本の敗北後、ソ連は共産党を支援した。満州に侵攻していたソ連は、日本軍を武装解除した上で土地を中共に引き渡した。さらにソ連軍は共産党の軍に膨大な武器を供与していた。
…日本軍との戦いで国民党軍が消耗していたのに対して、共産党軍は勢力を増大させていた。そこにソ連から大量の武器が届いたわけだから、内戦では共産党が有利になった。
     《池上彰 「そうだったのか!中国」》



     【中国共産党の反日煽動】


内政がうまくいかない場合、前政権を批判するか、外国を攻撃して人民の不満をそちらに向けさせるのが、古今東西を通じて政治を担う三流の者たちの常道である。
   
   《河上和雄 文芸春秋2005/7月号》



●中華人民共和国は、1949年に政権樹立してから現在に至るまで、殆どが運動に次ぐ運動、改革に次ぐ改革で騒乱が絶えなかった。これらの運動は、文革を頂点に全て失敗に終わっている。(共産党内部報告:餓死者・虐殺死者5~8千万人)1978年末から中国が「改革解放」を断行せざるを得なかったのは、このような社会主義社会建設の失敗に原因があった。
…中国政府は、このような国造りの失敗の原因を、人民の手前どこかへ責任転嫁せざるを得ない。失敗によってうっせきした民衆の不満をそらすため、日本を狙った。「日本軍の侵略で中国の社会が荒廃し、発展が停滞した」という主張である。
 《黄文雄
 「「龍」を気取る中国 「虎」の威を借る韓国」》



ニューヨーク・タイムズ コラムニスト ニコラス・クリストフ記者…
中国の日本に関する歴史教育は、次世代の中国人たちに「日本への憎しみを植え付ける」ことが目的である。
ではなぜ中国は日本をこれほどたたくのか?中国政府が共産主義イデオロギーが消えるにつれ、国家の団結を保つのに必要な新しい国家的接着剤を作り出すために、ナショナリズムのボタンを押し続けているから。

●「中国の国民感情」=共産党主導の歴史教育の人工的製品(政策) 
        《古森義久 諸君! 2005/2月号》



●反日ロジック…「中国の人民を日本軍国主義者から解放したのは共産党であり、共産党あっての中国である。だから共産党の統治は永遠なのだ。共産党の最大の功績は日本軍国主義者の打破だったが、その日本はいまもなお軍国主義を反省せず、開き直っている。だから中国共産党は、その悪しき日本をなお敵視し糾弾する。共産党の偉大さへの賞賛を人民に保たせるには、日本の邪悪さをいつまでも人民に認識させておかねばならない」 
       《古森義久 諸君!2006/1月号》



●中国人は生まれた時から、「日本人は悪いヤツだ」「日本には何をしたって構わない」と教わって育つ。
        《諸君!2002/10月号》



●周恩来など当時の中共幹部には、日本留学や何よりも日中戦争の中で日本人というものをよく知っていたため、知日派がいたが、江沢民体制以降は若手の指導者は欧米留学派が主流を占め、知日派がいなくなった。
       《田中健之 中央公論2005/6月号》



●1つの民族(日本)を標的にしたこれほど執拗な宣伝は、人類史上例がなく、辛うじてナチス・ドイツ時代の反ユダヤ主義が思い浮かぶくらいだ。 
       《入江隆則 文芸春秋2005/7月号》



●柳条湖事件を記念する建物「918記念館」で最も驚かされるのは、「日本軍国主義時代のイデオローグ」として、大川周明・北一輝・頭山満・内田良平らの顔写真が、あたかも犯罪者のように並んでいる箇所である。この人たちこそ孫文革命を情熱をこめて支援し、中華民国の建国に協力したのではないのか?ともかく孫文ほど日本に世話になった政治家は珍しい。
       《宮崎正弘 産経新聞》



●戦前も戦後も、反日暴動は「日本の侵略」があろうとなかろうと、火のないところに煙を立たせるための「政治」によるヤラセだったのだ。 
      《中西輝政 文芸春秋2005/6月号》



●ぼくは北京の軍事博物館の人に、3500万人の内訳を聞いた。すると「まだ、つくっていません」って。(笑)3500万人を殺傷するには、当時中国に駐屯していた日本兵の全員が「百人斬り」をしないと計算が合わなくなってしまう。
       《秦郁彦 月刊現代 2005/8月号》



●ソ連崩壊後、多数の中国人は共産主義の夢を捨てた。そこで中共は政権を維持するために、民族主義を打ち立てた。反日教育はそのために非常に良い材料である。 
        《江碕道朗 正論2005/8月号》



●中国政府が出した「中国歴史教師教学用書」という教え方のマニュアルを見ると、南京事件の項には「…教師は生徒をして日本帝国主義に対する深い恨みを心に植えつけるようにしなくてはならない」。また満州事変のところには「思想教育が予期された目的を達成するために、授業に望むときには教師自身が日本帝国主義を心より恨み、教えなくてはならない」 
     《櫻井よしこ 文芸春秋 2005/8月号》



●ナショナリズムというものは、一般に国家があって民族があれば天然・自然に存在するものだ。それだけであれば健全なのだが、それを一度政府が主導して煽動すると、その後収拾するのが難しくなる。
      《岡崎久彦 中央公論 2005/8月号》



アジアのリーダーは日本ではないということを、事実をもって証明することがどうしても必要になってくる。中国はそのためには日本を侮辱しなければならないと考えている。(反日デモ・領海侵犯等)「中国は日本をこづき回し、意のままにできるのだ」ということをアジア各国に誇示したいのだ。

●日中関係が特に悪化したとされる時期の2004年12月~2005年3月の期間中、中国側が最重要とみなした懸案事項は、どう考えても靖国問題ではなく、日本の常任理事国入りへの試みだった。
4月の反日デモをみても、スローガンなどはみな「日本の国連常任理事国入り反対」であって、首相の靖国参拝が主標的になったという形跡は全くない。現実に小泉首相がそれ以前に参拝したのは、2004年1月だった。
  《ジョン・タシック(元米国務省中国分析部長)
         諸君! 2006/1月号》



●中国中央テレビは05年8月15日ゴールデンタイムに、夷狄撃攘の特別番組を組んだ。老若男女が大会場で抗日歌曲の洪水に酔い痴れるのだ。人民解放軍ばかりか少数民族や子供達まで動員し、戦火は焦眉の急とばかり「打倒日本帝国主義!」「鬼子(日本人)どもの首をはねろ!殺せ!」の大合唱。

●8月13日には中国航空博物館で、日中両軍に模したラジコン飛行機数十機で模擬空中戦を行い、日本機を次々に撃墜して溜飲を下げた。
   《鷹木ガナンシア敦 SAPIO 2005/9/28》



【中国について】
中国共産党
/自国民を殺してきた党・反日の拠点
ルール違反/だから世界で嫌われる
虚言癖/息を吐くように嘘をつく
尊大さ/だから世界で嫌われるpart2
侵略行為/いまだに帝国主義の国家
少数民族弾圧/朝日が絶対に報じない酷い拷問と虐殺