特攻隊朝日新聞など左翼は、特攻隊を
狂信的な宗教自爆テロと同一視するが 日本の若者は決して狂信的だったのではない。 家族を、そして国を、死んでも守るという 彼らの純粋な精神をなぜ理解できないのか。 |
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●宗教的な信条としてのテロと神風攻撃は、基本的に異なる。第一に日本の特攻隊員は、神格化された天皇のために死んだものなど一人もいやしない。宗教的な狂信などどこにもなかった。 ●第二に、彼等の攻撃対象はあくまでも敵艦であって、無差別に一般市民をも巻き添えにすることなど決してありはしなかった。 《石原慎太郎 産経新聞2010/8/2》 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」) ●本来われわれ日本人にしてみれば、今日も頻発するイスラム過激派などによる自爆テロと、大東亜戦争における特攻隊を同一視することはできない。自己の生命を犠牲にして何事かをなす、という点ではたしかに共通要素があるが、戦闘員ではない婦女子などの一般の人々を容赦なく巻きこむ、無差別なテロリズムの卑劣さと特攻とは、全く別なものである。 《富岡幸一郎 「新大東亜戦争肯定論」》 (他著書「虚妄の『戦後』」) ●特攻隊というのは、上から命令したものではない。 事の起こりは昭和19年秋、フィリピンのレイテ海戦で、当時その付近にいた海軍の第一航空艦隊の中で自然発生的に航空特攻攻撃というものが出てきたわけである。 ●それが海軍の他の航空艦隊に伝わって、さらに陸軍にも伝わったものである。(特攻が行われたレイテ海戦の第一航空艦隊司令長官・宇垣中将は、そういう命令を出してはいない) 《瀬島龍三 「日本の証言」》 (他著書「大東亜戦争の実相」) ●特攻隊は命中率が低く無駄な攻撃だったという説は、現代でも根強い。しかし、本当にそうだったのだろうか。 ●リチャード・ベイツ海軍中将は次のように述べている。「日本の海軍が頑強であることはあらかじめ知っていたけれども、こんなに頑強だとは思わなかった。(中略)われわれは艦が神風機の攻撃を受けても、航行できるかぎり現場に留まって、日本人にその効果を知らせてはならない」 ●また、アメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ミニッツ元帥は、沖縄戦で行われた特攻について、次のように語っている。 「我が海軍がこうむった損害は、戦争中のどの海戦よりも、はるかに大きかった。この大損害は、主として日本の航空攻撃、とくに特攻攻撃によるものであった」 ●また、レイモンド・スプルーアンス提督も、次のように述べている。 「特攻機はきわめて効果的な武器であり、われわれはこれを過小評価してはならない。(中略)特攻機は、大気圏外から安全かつ効果的に爆弾を投下する、わが陸軍の多くの爆撃機とはまったく反対である」 ●特攻の命中率は2割程度だったという説が多いが、戦史家の原勝洋氏が入手した米軍の機密文書では、特攻攻撃を行った航空機の命中率は56%だったことが示されている。こうした特攻の恐怖により、米兵はノイローゼに陥り、戦意喪失した者も多かったといわれている。 ●フランス人ジャーナリストのベルナール・ミローは、次のように述べている。 「ほんのひとにぎりの狂燥的人間なら、世界のどの国にだってかならず存在する。彼ら日本の特攻隊員たちはまったくその反対で、冷静で、正常な意識をもち、意欲的で、かつ明晰な人柄の人間だったのである」 ●「むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となったと筆者は考える」 ●「彼らを活気づけていた論理がどうあれ、彼らの勇気、決意、自己犠牲には、感嘆を禁じ得ないし、また禁ずべきではない。彼らは人間というものが、そのようであり得ることが可能なことを、はっきり我々に示してくれているのである」 ●「これら日本の英雄たちは、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れられてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである」 ●また、ビルマ(ミャンマー)の初代首相バー・モウも、「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」と語っている。 ●特攻の英霊の数については、陸海軍合わせて約6千柱にのぼるが、彼らの多くが、遺書と辞世の句を残している。
《黄文雄 「日本人はなぜ特攻を選んだのか」》 ●終戦まで沖縄に夜間襲撃を続けた芙蓉部隊の美濃部正少佐… 「戦後よく特攻戦法を批判する人があります。それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎません。当時の軍籍に身を置いた者には、負けてよい戦法は論外と言わねばなりません。私は不可能を可能とすべき代案なきかぎり、特攻またやむをえず、と今でも考えている。戦いのきびしさは、ヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではありません」 《渡辺洋二 「彗星夜襲隊」》 ●沖縄戦のとき、沖縄の人たちは「鉄の嵐」といわれる、地形も変わるほどのものすごい米軍の艦砲射撃の中で、穴倉で兵隊も民間人も閉じ込められていた。 水も食糧も尽きようとしていたとき、一時だけ砲撃が休まったことがあった。その間に人々は穴からはいずり出して、病人を運び、食糧を調達した。 ●その時、人々が海の方向で見たものは、米戦艦に向かって一機、また一機と突っ込んでいく特攻機の姿だった。沖縄の人々の命を長らえるために、一人一人の特攻隊員が命を捧げて、そのわずかな時間をつくってくれた。沖縄県民たちは、両手を合わせ涙を流した…。 という話を沖縄の手登根安則さんから聞いた。これが日本人である。 《水島総 チャンネル桜2014/9/26》 ●出撃当日、彼らの所作は普段と変わらなかった。再びは踏むことのない祖国の大地を離れる直前、同僚に微笑みを浮かべ、あるいは沈痛な面持ちで見送る仲間を逆に激励して飛び去った者も多かった。 ●ただ、最後に見せた寛爾の表情や、検閲を意識し、また自らを納得させるためにも書かれたであろう遺書の文言を、悟りや無我の境地を映したものと読み違えてはならない。 ●出撃までの須臾の間、生身の人間にこれ以上の責め苦はないといえる程の苦悩を背負わせられながらも、自暴自棄を抑え心の動揺が表に出ぬよう必死に克己に努め、溢れる生への欲求や懊悩の全てを我が内に抱えたまま、彼らは自己以外のもののために出撃したのであり、だからこそ我々はその姿に人間として真の偉大さを認めることができるのである。 《西川吉光 諸君!2007/1月号》 朝日新聞「素粒子」にもの申す 特攻隊とテロ同一視に怒り ●今月13日付朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」に
●無差別攻撃行わず… 特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術だった。標的は軍事施設だけであり、決して無辜の民は標的にしなかった。無差別攻撃を行うテロとは根本的に違うのである。 ●極限状態の中で愛する者たちを守りたいと強く願う気持ち、国の行く末を案じる気持ちが、行動の芯であり源だったのはまぎれもない事実だ。そして、生への執着を断ち切るまでの想像を絶する努力と決断があったことは想像に難くない。 ●フランス人文学者のモーリス・パンゲは『自死の日本史』(ちくま学芸文庫)の中で、特攻隊員の思いを次のように分析している。 〈それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、しかし極めて論理的な結論ではなかっただろうか。それを狂信だと人は言う。しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した、何物にも曇らされることのない明晰な結論というべきものではないだろうか〉 〈強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。しかし、実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本のために死んだ〉 ●特攻は、宗教思想を曲解した行動とは根本的に違うのである。朝日新聞は昭和19年10月29日付1面で、
●にもかかわらず、その責任には触れず、特攻隊の英霊を冒涜、日本の伝統的価値観の象徴でもある特攻隊の誠を踏みにじり、日本人から「日本人の誇り」を奪うような論調は決して容認してはならない。 《宮本雅史 産経新聞2015/1/29》 …「70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った」のは、てめえら朝日自身じゃねえか! この新聞の薄っぺらさ、傲慢さ、そして無責任さが凝縮された、いつものクソコラムである。だから朝日は嫌われるのだ!(管理者) |
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【軍部について】 ★日本の軍部と政治/国民の方が軍部よりも過激 ★東條英機/独裁者とは隔絶する真実の姿 ★日本の軍隊/各地で賞賛された規律と精強さ ★特攻隊/いつまでも仲良くお暮し下さい。私も喜んで大空に散っていきます |