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満州と日本人

日本人が勝手に入植し、
関東軍という軍隊まで駐留させて、
中国の領土である満州を
掠め取ったとされているが…


アジア地図


満州族が中国を支配していた時代(清)は、中国人は中国と満州は別の場所だと言っていた。しかし清が倒れて中華民国が成立すると、一緒だと言い始めた。
      ※管理者注…尖閣問題とそっくり!

●清国は満州に中国の人が住むのを許さなかった。もともと狩猟民族だった満州族は、自分で農耕をしなかったから、中国人や朝鮮人を奴隷として使う満州人経営の農園以外は、殆ど荒野として取り残されていた。

●そこに北からロシアが侵入してきた。そのもともとの目的は、シベリア鉄道を日本海まで貫通させるためだったが、それだけでは満足せず、南下をして大連まで鉄道を作りそこに大きな港を建設した。(そして朝鮮半島まで狙うようになったことが、日露戦争の原因となった) ロシアは膨大な荒野に、忽然とモダンな近代都市を作り上げた。
         《福田和也 「魂の昭和史」》


●日露戦争が起こり、日本が満州に乗り込んでくる。日本もロシアに負けじと巨額の投資をした。満州には、そういう国際的フロンティアみたいなところがあった。
●満州という土地そのものが、ある意味で誰のものでもないという、茫然とした性格を元来もっていた。(立場・視点によって姿を変える相対的なもの)
       《福田和也 「地ひらく(上)」》



●国民政府は満州は中国の一部だと主張したが、日清戦争以前の清朝時代、満州は完全にロシアに占拠されていた。当時清の官吏が満州の町に行くときは、ロシアの査証が必要だったという事実もある。

●そのロシアを追っ払ったのは日本である。当然日本にはそれなりの権益があり、逆に国民政府が自国領だという根拠は殆どない。
     《岡崎久彦 「諸君! 2002/11月号」》


当時の満州は「ノーマンズ・ランド」で無主の地である、と欧米ではいわれていた。

《渡部昇一「中国・韓国人に教えてあげたい本当の近現代史」》(他著書「決定版人物日本史」)


●満州事変前の満州の総人口は約3千万で、漢人が80%を占めていた。満州の面積は台湾・朝鮮・樺太を含めた当時の日本の約1.5倍(内地の3倍)だが、人口は約3分の1という状態だった。せまい国土に人口が満ちあふれた日本本土にとっては、理想的なはけ口だった。

●満州における「特殊権益」は、日露戦争で日本が勝った結果、講和条約に基づいてロシア帝国政府が清国政府の承認を得て、日本帝国政府に移転譲渡した各種の権利と、特権及びそれ以後に清国政府との協約で日本が得た諸権益のこと。

●「関東」=関所の東という意味で、万里の長城の起点・山海関(満州の入口)以東の地、満州のことである。そのうち関東州は、大連・旅順のある遼東半島の南西端にある日本の租借地だった。

関東軍の任務は、関東州と満鉄の保護で、当初兵力は1個師団約1万余名であった。それが後年、極東ソ連軍の増強に伴い関東軍も増強されて、日本の国防第一線部隊となった。その基本には、ソ連を仮想敵国とした陸軍の国防戦略があった。日本が満州に異常な執着を示したのはそのためであった。
  《益井康一 「なぜ日本は戦争を始めたのか」》


●満鉄(南満州鉄道)は株式会社組織で、日本政府が株の半分を所有していて、総裁以下役員の人事権を握っていたが、残り半分は誰でも持つことができた。

●炭鉱や鉄鉱石の鉱山の権利も、鉄道に付属するものとして獲得した。そうでなければ何ひとつつくれなかった。鉄道が開通すれば、それはあらゆる経済活動の中心になる。収穫した農産物の輸送が楽になり、よく売れるようになるから、周辺には農地がどんどん開拓される。農民の人口が増え交易が盛んになると、町も栄える。
 《長谷川慶太郎 「歴史頭脳を持っているか」》
          (他著書「日本の難題」)


●諸外国も、日本が満州に特殊な権益を持っていることは認めていた。イギリスも日本の満州権益については国民政府(中国)に働きかけたり、衝突を避けるためにかなり熱心で好意的だった。
       《北村稔 Voice2007/8月号》






●当時日本国内では、政府の「混みあいますから満州へ」のスローガンのもと、新天地での可能性を求めて満州へ人々は出発していった。
       《田原総一朗 「日本の戦争」》


●中国人人口がいかに増えても、満州人やモンゴル人の土地に漢人農民が流入したのであって、中国政府が統治していた中国、という観念は当てはまらない。
      《宮脇淳子 諸君! 2006/2月号》


●辛亥革命で清朝が倒れたとき、孫文は「中華民国は清朝の支配地を全て受け継ぐ」とした。これは漢民族による侵略と植民地化の宣言といってもよい。漢民族の中華民国は、独立した蒙古やチベットに軍隊を送って抑え込んだし、長城以北の満州も漢民族国家の領土として取り込もうとした。
これをたとえれば、ソ連が崩壊したときに、独立したウクライナやバルト三国へ「旧ソ連の地域は全部ロシアだ」といって軍隊を送り独立を潰すようなもの。
     《中西輝政 歴史街道2006/4月号》



満州事変前、中国は、満州に対して何一つ建設的な事業をしてこなかった。たとえば、満州国が行ったアヘン断禁政策(終戦までに阿片中毒者60万人を完治した)が、中国政府や張学良政権にできたか。張自身が阿片中毒者であったではないか。
        《中村粲 正論2002/2月号》


 
【満州事変】
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