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社民党
(旧社会党含む)

旧社会党時代は朝鮮労働党とお友だち。
日本人拉致に関わった疑いが
盛んに取り沙汰されている恐ろしい政党。
その後、社民党と名称を変えるが、
相変わらず幼稚な左翼思想は
ますます国民に愛想をつかされている。
過去の日本を貶める彼らの「過去」を暴露する。


●社会党の議員たちは、信奉して来た社会主義が世界的な誤謬であったことが立証され、社会主義によって経営されてきた国家が全て経済的敗北を喫するまで、そのことがわからなかったのだ。

●これはまさに政治家として基本的な才能の欠如を示している。本来なら彼らは全て政治家をやめて、他の仕事に就くべきである。それでいて彼らは全く恥ずかしげもなかった。自己批判するどころか、党名を変更すれば許されると考えた。
      《曽野綾子 「ほくそ笑む人々」》


●細川辞任を受け誕生した羽田内閣は、さきがけ・社会党が連立を離脱し、わずか65日で総辞職。自民党は社会党に首相の座を差し出す「奇策」を使い、約11ヵ月で与党に復活する。(1994年6月30日)その後社会党は社民党に党名変更するも、事実上崩壊。
      《編集部 文芸春秋2005/12月号》


社会党はこれまで半世紀の日本の繁栄に、何の貢献もしてこなかった人たちである。
せいぜい何か力があったとすれば、自民党を牽制する効力ぐらいだろう。

●力がなかっただけではない。彼らは過去に人権を無視しつづけた社会主義諸国が全盛を極めていた頃、彼らと極めて親しい間柄にあった。そのような社会主義国家に対して非難の声を上げるどころか、支援して来た立場であった。私たちが社会主義国に自由に入れない時代にも、彼らはそれらの国の体制や実態を実際に見聞できる立場にいたのに、である。その点、北京を殴られながら退去させられた共産党の方が、ずっと筋道を通している。

●あれほど声を揃えて大東亜戦争を謝れというのなら、社会党こそ人権を迫害した社会主義を信奉したことを、謝らなくてはならない。

●社会党は日韓平和条約にも反対だった。これもウヤムヤにしたつもりかもしれないけれど、それまでは北朝鮮一本やりだった。それならそれでいい。それを貫けば、1つの明確な選択であったのだ。

社会党は沖縄返還にさえ反対だったのだ。返還の翌年、1973年のNHKによる沖縄県民の意識調査では、本土復帰してよかったという人は38%だったが、1992年には81%になっている。しかし社会党は沖縄の一部の人たちと共に、沖縄を日本に受け取ることを拒んだ。

●呆れ返ると言えば、村山首相以外にない。
サンフランシスコ条約も、自衛隊も、君が代も日の丸も、安保も、韓国も、沖縄返還も、成田空港も、消費税も全て認めなかった人が、総理になった途端、それらを全て容認したのである。「一晩悩んだ」だけでこういう変わり方ができる人は信じられない。社会党員は、これほど方針を変えるなら議員を辞職して、政治家として長い間これほど眼がなかったことを詫びてもいいだろう。

●北朝鮮・金日成主席の80歳の誕生日には、社会党議員が中心になって、日本の議員たちが大挙祝いに押しかけた。
     《曽野綾子 「流行としての世紀末」》



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