賢者の説得力ホーム国内の反日勢力変わった人たち

 

変わった人たち

左翼には、日本という国家を否定する
ちょっと変わった人たちが多く、
それを格好いいと信じる幼稚さも持ち合わせる。


●海外で反日運動を続けて、現地のマスコミにちやほやされ舞い上がる日本人もいる。こんな手合いを良心の塊のように扱うマスコミもある。(例:大館香名女という人は、「尖閣は中国のもの」と叫んでデモに参加し水死した活動家の柩に向かって号泣し、香港のマスコミの寵児となった。また彼女は香港のカラオケから日本の軍歌を追放する運動をしていた)
     《稲垣武 「「悪魔祓い」の現在史 」》


日本の左翼だけが「国賊」になった。世界各国の共産党の主だった人々は、例外なく愛国者である。もちろん彼らも資本家を憎むが、祖国をまるごと憎むということはない。祖国への愛が強いからこそ共産主義者になった、という例も決して珍しくない。(日本だけの特殊な現象)
       《谷沢永一 「悪魔の思想」
            他の著書「歴史通」》


●慰安婦・731部隊の人体実験や細菌作戦・南京大虐殺など、形式的には東京裁判やBC級裁判で処理ずみのはず。それが半世紀ぶりに蒸し返され「再審」に持ち込まれようとしている。蒸し返した発起人が多くの場合、日本人の運動家である。
      《秦郁彦 「現代史の争点」
         他の著書「現代史の虚実」》


●反日派を見分ける指標…
①匿名かあるいは半公然と外国の力を借りて「第三者の意見」と錯覚させつつ、自らの主張を実現させようとする。(裏で外国政府に情報を提供してけしかける)

②平然とダブルスタンダードを使い分ける。

③単純な事実ミスを指摘されても、決してそれを認めず、論点をすり替える。

④群れて行動する。(シンポジウム・テレビ討論会に決して1人では出てこようとしない)

⑤甘えの構造(住み心地のいい日本で安全な生活をしていながら反日を叫びたい)

⑥「反戦平和」を戦闘的な口調で叫ぶ。
      《秦郁彦 SAPIO 2005/9/28》


●どのような国家観を持とうと彼らの自由だが、彼らの反日的言動の自由を保障しているのは国家である。そのことを忘れては、何の説得力も持たない。
    《八木秀次 「教育黒書」
     他の著書「精撰「尋常小學修身書」》


●コスモポリタンなんか理屈ではありえても、現実には絶対ありえない。朝鮮人でもなければアメリカ人でもなければ、フランス人でもなければ日本人でもない人間なんてありえない。
       《野村秋介 「時代に反逆する」》


●日本は国家を意識せずに毎日が暮らせる国である。国家からの保護は天然のものと思っているから、それへの感謝はなく、介入や干渉は全て負担と感じるから、「地球市民」になりたいと発想するのだ。

●国家は文明生活の基盤システムであり、経済発展のインフラであり、外国からの侵略や掠奪から自分を守るために必要不可欠なものである。だから人間は国家をつくった。何度でもつくる。もしも国家がなくなったときは、再び国家をつくる。地球市民になれて嬉しいという人はいるかも知れないが、すぐに後悔することだろう。
    《日下公人
     「戦争が嫌いな人のための戦争学」》


●いかなる人も、どこかの主権国家の庇護と統制のもとにある。地球はただ人間に原料や場を提供するだけで、人工的な制度を提供するものではない。制度は国家か特定の集団が与えるのである。そして制度なしには、私たちはターザンの生活をするより他はない。

我々がもし山野に隠れて住むならば、自分の身の安全だけを考えて長寿を楽しめばよい。しかしもし我々が社会というものを形づくり、そのシステムの恩恵を受けて生きるならば、人間は決して1人で生きているのではない。医療・教育・エネルギー・交通・通信・物資の補給・その他あらゆる文化的な設備まで利用している。利用したものは、それなりの対価を払わねばならない。税金もその1つだが、もう1つは命をさし出すことなのである。

●今でも無政府主義者であることを以て、国家権力から自由でいる証と考えている人もいるらしいが、私たちは国家の制度に組み込まれているからこそ、種々の恩恵や保護を得られるのである。
しっかりした大人になるということは、人から受ける(してもらう)ばかりではなく、与える立場にもなることだ。

●オール・オア・ナッシング的な言い方は、大人の社会ではおかしいのである。生活には必ずいい面と悪い面とがある。だから仕方なく「ややいい方」を選ぶのだ。

●どこの国も歴史の中で願わしくない部分を持つ。それが1つもない国家などないだろう。しかし現在、こんなにもよく人々の暮らしを守り立てている日本の「ありよう」を拒否することが、それほどすばらしいことなのか
《曽野綾子 「人はなぜ戦いに行くのか」 他の著書「すぐばれるようなやり方で変節してしまう人々」》


●貧しい国では、日本と逆にどんな小さなことでも幸福につながる。今日、お腹が空かなくて済むことだけでも、子供がボールペン1本もらえたことだけでも輝くような幸福だ。幸福を感じる能力は、不幸の中でしか養われない。苦労を知らないと、すべてがよくて当たり前で、少しも幸福感を結びつかない。

●悪いことが起きると、私たちはただちにその理由を何らかの人や制度のせいにして犯人探しを始める。しかし何でもなくて済んでいることや、良かったことについては、あまりその理由を考えない。

日本人は政府が河口堰を作ると言って怒り、ブラジル人は何もしない政府の怠慢に耐えている。世界は実に複雑だ。
      《曽野綾子 「生きるための闘い」》


●シチズン(市民)とは「国家からの保護を受けるかわりに国家への忠誠を誓う人々」のことであるにもかかわらず、彼らは市民の名において国家の外に出ようとしていいる。      
《西部邁 「無念の戦後史」他の著書「どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由」》


●ナショナリズムは健全な国民ならば常識として持ち合わせていなければならないもの。そうしたナショナリズムに対して左翼系統は欺瞞的だった。第三世界がナショナリズムを唱えたら「よしよし、アメリカに逆らって盛大にやってくれ」と拍手しながら、自分の国のこととなると「ナショナリズムは危険である」と目くじらを立てる姿というのは、日本の文化の体系から制度まで崩壊させるものである。

●実際このナショナリズムを捨てようものなら、ホリエモンや姉歯に見られるがごとく犯罪や不道徳なとんでもないことが起こってしまう。 
          《西部邁 論座2006/5月号》


●国民の8割近くが「愛国心」を教えることに賛成している。 
        《百地章 産経新聞2006/4/26》


私は明らかに国家からの「恩恵」を蒙っている。多少は酷いめにも遭っているが、トータルでは「私が国家に奉仕した分より、かなり多めに私の方が国家から恩恵を受けている」ことについては確信がある。

●「批判はするが責任はとらない」というようなことは、集団のフルメンバーが取ることのできない態度である。というのは、ある社会を住みやすくするのは、最終的にはその社会が「住みにくい」と声を荒立てて批判する人間ではなく、その社会が「住みにくい」と批判されたときに「恥じ入る」人間だからである。
    《内田樹 「子どもは判ってくれない」》


パスポートの表紙をめくると、日本国外務大臣の職印の上段に次のように明記されているはずだ…「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の所官に要請する」
…自分の存在を世界に保証してくれる祖国を愛せないなら、パスポートを旅行先で捨ててみるといい。永久に日本に帰れず出国もできず、その国の刑務所で一生を終えるだろう。  
   《渡辺正次郎 「この国の恥ずかしい人々」 
       他の著書「黙ってられるか!!」》


●「愛国心をもつのは当然だが、国が特定の価値や信条を国民に押し付けるのは間違っている」と言うが…  それでは戦後憲法は、平和主義や基本的人権といった一定の価値を国民に押し付けたことになってしまう。 
       《佐伯啓思 産経新聞2006/8/1》


●現在の日本人は、本質的に優秀な人びとなのに、見るも無残な幼児性に冒されている。
その理由は、戦後の日本人を大きくダメにした日教組的教育が人間というものの現実を正視し把握しなかったのと、戦時中の日本人の生き方を鋭く批判したはずのマスコミが実は勇気がなく、無難な理想論に迎合して、そうでないものに対して思想弾圧までしたところにある。 
       《曽野綾子 産経新聞2013/1/1》


●私は、「無難な理想論」というのは「偽善」がまかり通ることだと思う。綺麗事の“糖衣”で物事の本質を覆ってしまって、人間というものの苦い現実を見せないようにしている。それが戦後日本の何もかもを幼くさせてしまった。
        《金美齢 「この世の偽善」

●人の世は、一ついいことをしようと思うと、必ず関連して不都合な苦悩が出てくる。人生には、完全に善である存在もなければ、悪そのものという人もいない。その矛盾が分からないことが「幼児性」で、本来この矛盾に苦悩し、解決を考える方向に進むのが大人の魂であり、勇気というものだと思う。自分の都合だけ、あるいは物事の一面しか見ない「子ども大人」がいまの日本には多すぎる。
         《曽野綾子  〃  》

●私は「震災のなかに希望の光も見た」と言ったが、醜い姿も忘れてはならないと思っている。
たとえば、震災発生後の9月18日、愛知県日進市が予定していた被災三県の花火を含め計2千発の打ち上げを、「汚染された花火を持ち込むのか」などという市民からのフレームを受けて打ち上げを中止したこと。
この時、クレームの件数はわずか20件ほどだったという。

●同じく8月16日に京都市で行われた「五山送り火」でも、震災の津波でなき倒された岩手県陸前高田市の国の名勝「高田松原」の松で作ったまきを燃やす計画が「放射能汚染が心配」などとする市民の声を受け、二転三転したあげくに中止したこと。松の表皮部分から1キロ当たり1,130ベクレルの放射性セシウムが検出されたが、これは吸い込んでも健康に影響がないレベル。

●ほかにも風評被害で苦しむ福島県の生産者を支援するため、福岡市の商業施設でオープン予定だった福島県産品の販売所が、「汚染された農産物を持ち込むな」 「不買運動を起こす」などという抗議メールを受けて出店断念に追い込まれたこと。

●私はこうした報道を目にするたびに、正直、日本人に対する自分の確信が揺らぎそうになることがあった。いったいどちらの人々が本当の日本人なのか、と。
でも微細に見ればはっきりしている。そうした「市民」の多くは、単なる「地域エゴ」を市民運動と呼ぶ「プロ市民」である。日本にはプロ市民が信奉し、プロ市民の権利を保障する憲法があって、彼らの言論、表現の自由はマスコミにおいても最大限尊重され、彼らは偽善者であるにもかかわらず、常に正義、人権、人道といった衣装を纏って表に出てくる。私は彼らの価値観によってこの日本が舵取りされることを望まない。
            《金美齢  〃  》






要するに反抗期の子供の論点である。一番自分にとって大事な、自分を守ってくれているものに対して最も強く反抗する。
     《谷沢永一 「山本七平の知恵」
            他の著書「人間通」》


●06年11月19日、日比谷公会堂で開かれた「週刊金曜日」主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」での芝居…

「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミがずいぶん騒がしかった。でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」

「今日は、実はその子を連れてきているの。ちょっと連れてきて」


…そう言うとスタッフが舞台の下からケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを皇后に扮した人物に無造作に渡した。猿のぬいぐるみだ。

「ヒサヒト!お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」

…こう言い放って、そのぬいぐるみを舞台の左側に放り投げた。(笑いを取るはずのこのシーンで、さすがに観客の大半が凍りついてしまったという) やがてジャーナリストの矢崎泰久と中山千夏が登場。矢崎は

「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょう?」

と述べた後、「そう言えば、今日はご主人が来てませんね?」と皇后に扮した人物に尋ねた。

「ハイ」 「どこか悪いの?」 「ハイ、知っての通り、病でございまして。マエタテセン?じゃなかった、えーと、あ、そうそう、前立腺を悪くしまして、あまり芳しくないのですよ」

「それであっちの方は立つんですか?」

「私の記憶では…出会いのテニスコートの時は元気でございました」
         
 《週刊新潮2006/12/7》



【国内の反日勢力】
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