賢者の説得力ホーム国内の反日勢力進歩的文化人

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進歩的文化人

①  

かつては、ソ連や北朝鮮・中国などの
社会主義国家を賛美し、
資本主義国家ひいては
日本を揶揄していた「進歩的」文化人。
彼らによって、日本の言論界は牛耳られていた。
その彼らがいかにいいかげんな言説を
垂れ流していたのかを紹介する。


●進歩的文化人らの守りの本尊であった、共産主義の祖国・ソ連があっけなく崩壊し、彼らは喪家の狗同然となったが、その怨念が彼らをいやがうえにも反日へ駆り立てた。
もはや国際情勢や日本と世界の未来を語っても誰も相手にしないが、日本の現状や過去の歴史に対する断罪ならば、当分の間はボロが出ないからである。

    《稲垣武 「『悪魔祓い』の現在史」》
(他著書「『悪魔祓い』の戦後史 進歩的文化人の言論と責任」)


小田実氏はホー・チ・ミンを礼賛し、金日成を偉大な指導者だと称えた。 
    《徳岡孝夫 「『民主主義』を疑え!」》
       (他著書「ニュース一人旅」)


●昭和33年6月25日付毎日新聞夕刊に掲載されたコラム「女優と防衛大生」で、大江健三郎氏はこう書いた。
「ぼくは、防衛大生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの屈辱だと思っている。ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」  
    《潮匡人 「憲法九条は諸悪の根源」》
(他著書「護憲派メディアの何が気持ち悪いのか 」)


大江健三郎なんて、招待されて中国へ行って「北京にはハエが一匹もいない」と言ってきた。

《岸田秀「日本人はなぜかくも卑屈になったのか」》
       (他著書「歴史を精神分析する」)


大江健三郎は「世界」67年9月号で、核実験成功のキノコ雲を見守る中国の若い研究者や労働者の喜びの表情が、「いかにも美しく感動的であったか」と述べている。
 
大江の代表的な論調…

◇天皇制:「日本人の未来にとって悪しき種子にほかならない」(59年)

◇「天皇は非民主主義的な遺物で、第二次大戦の恐怖を想起させる」(94年)

◇自衛隊:「自衛隊は違憲だから、中国や朝鮮の人民と協力して全廃を目指さねばならない」(95年)

◇中国:「北京の青年たちは<明るい目>をしている。日本人は<暗い目>。

◇人民公社はすばらしい」(60年)

◇「私が恐ろしいと思うのは、中国の人たちが『もう日本に謝罪をもとめない』と言い出す日のことです」(2001年)
◇つくる会の教科書:「各地の教育委員たちに採択しないよう訴える」(2001年)

◇反核運動:「もし北朝鮮による核兵器が現実化した時、日本は安保条約を廃止し、米の核兵器による北朝鮮への第一撃のみならず、第二撃の報復も要求しないと声明せよ」(2001年)
    《秦郁彦 「歪められる日本現代史」》
 (他著書「慰安婦問題の決算 現代史の深淵」)


●知性というのは、「自分の愚かさ」に他人に指摘されるより先に気づく能力のことであって、自分の正しさをいついかなる場合でも言い立てる能力のことではない。学者が学者でいられるのは、自分の理論を否定するデータを他の研究者より早く発見しようと努力する限りにおいてである。経営者が経営者でいられるのは、自分のビジネスモデルの限界に、市場の反応より先に気づく限りにおいてである。

どれほど証拠をつきつけられても自説を譲らず、どれほど諫言されても自分に都合の悪いデータを無視するような人間は、失敗を先延ばしにする分だけ、結局被害を大きくすることしかできない。
       《内田樹 「街場の現代思想 」》


大江健三郎は「私は民主主義以外の一切の価値を認めない」とかいうのだが、それならば北京へ行って民主主義を大いに語り、中国の非民主的教科書や人権侵害を厳しく批判したらどうなのか?しかし彼は正反対のことをやっている。中国では絶対に民主主義の民の字も出さない。

大江健三郎は中国共産党政治局常務委員の李長春氏という民主主義を圧殺する機関のボスの前で、まるで一匹の犬のように、尻尾を思いっきり振って媚びを売った。その様子は日本では報道されなかったが、あの醜態が日本で放送されたら、なにがノーベル賞文化人だと強い非難を受けたはずだ。

《石平「売国奴 なぜ中韓は反日を国是とするのか」》


石川達三は昭和31年、ソ連や中国を訪問後、「共産国家に自由はある」などと両国を賛美した作家として知られている。
        《石川水穂 産経新聞2009/8/9》
  (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」)


●「馬鹿でひどい軍部が純粋な国民をだました。勝者のアメリカが上陸してきて、馬鹿なやつを追っ払ってくれ、新しい人間の時代が始まった」と事実を隠蔽して戦後は始まった。

●それを理論化したのが東大教授だった丸山眞男で、軍部と在郷軍人会長連を悪者にして日本のインテリに免罪符を与えた。そして自らは神格化された。
       《岸田秀 「しゃべる唯幻論者」》


丸山眞男の「現代政治の思想と行動」(1957年)は、悉く日本の国民性がいかに劣っていて、いやらしくて、つまらなくて、だめであるかということを論証しているもの。これは欧米における日本学の基本テキストになった。

●だから、日本の悪口を理路整然と書けば外国においてすばらしい学者として認められるという、その戦術を一番先にやった模範的な学者である。と同時に、欧米で評価されるのは「世界的な学者」ということになるから、丸山眞男が日本国内で俗ウケするのはやむを得ないのだ。
    《谷沢永一 「『名著』の解読学」》
 (他著書「歴史が遺してくれた 日本人の誇り」)

丸山は、この東大法学部の学生を「革命戦士」として育てることに専念した。そのためにも彼らを「本来のインテリ」として、過去に汚れなき社会集団の継承者として描くことにしたのだ。そして丸山の標的になっておだてられて、「ゲバ棒学生」という「革命の戦士」になった東大法学部の一部は、人生を棒にふった。しかし丸山は人生を喪失した自分の教え子に対して、申し訳ないの一言もなかった。

●戦後の日本で、ソ連に支配され、共産体制を強制された東ヨーロッパを研究する学者が突然に増える。
津田塾大学の百瀬宏を始め20~30名思い浮かべても、ほぼ全員がマルキストで「反日教」の信徒たちである。

●彼らが何のためにポーランドやチェコやハンガリーの研究をする道を選んだかといえば、日本にいずれソ連軍が入ってきて日本がソ連の植民地になった時、つまりソ連の支配下になった日本を想定して、ソ連の日本支配・日本搾取の手助けをすることを意図してのことである。

平野義太郎はマルクス主義学者の日本を代表する1人だったのに、戦時中は「転向」して右翼になり「大アジア主義の歴史的発展」(1945年)という分厚い本を書く。戦後はまた「再転向」して日本共産党で活躍する。平野はその本だけは自分の「著作集」から抹殺して、書かなかったことにしている。
             《中川八洋 〃 》


大江志乃夫(歴史学者・作家)などは、朝鮮戦争については分が悪いので、「南朝鮮側と北朝鮮側のいずれが戦端を開いたかはともかく」(「家永日本史の検定」三省堂)と書いている。一番重要な問題を「ともかく」とは何だということである。
       《稲垣武 「朝日新聞の大研究」》
 


●芥川賞ってやっぱりいい賞だと思う。政治性がまったくないから。又吉栄喜さんの「豚の報い」が受賞したとき(平成7年下期)も大江健三郎さんが「基地の問題が出てこない」と批判するから、僕は「そんなの本質的な問題じゃない。沖縄には基地以前から伝統と文化があるんだ」ってだいぶやりあった。
        《村上龍 文芸春秋2007/3月号》


●革命をした国を訪れて夢想とは裏腹な現実を見聞しても、それは革命の理想を達成するための一時的な犠牲であると思い込む。

●政治といい外交といい、それは自国の置かれた社会状況や国際環境の中での最良の選択を、いかにして見出すかという作業なのだが、革命幻想に酔った連中は現実を無視した百%の理想を追及する。

●彼らが革命の主体と恃んだ労働者・農民には、頭でっかちのインテリにはない独特のリアリズムがあり、進歩的文化人らの革命幻想が伝染することはなかった。彼らの影響力は、せいぜい学生や競争社会とは無縁な官公立学校の教師、官公労の組合員と世間知らずの一部の主婦くらいにしか及ばず、それがますます彼らを苛立たせた。労働者は賃上げなど経済闘争には熱心でも、政治闘争にはソッポを向く場合が多く、農民も殆どが保守化してしまった。となれば進歩的文化人の喧噪も、ただの空騒ぎに終わったのは慶賀の至りであった。

●わが国には進歩的文化人という独特の人種が存在して、現実の推移などお構いなく、森羅万象を恣意的に解釈したばかりか、大胆にもその手法で未来の予測まで敢えてした。彼らの現状解釈や未来予測は片っ端から現実に裏切られたが、彼らは恬として恥じることなく同じ過ちを繰り返した。

●彼らはもはや国際情勢などについては発言の場を失った。
《稲垣武 「『悪魔祓い』の戦後史 進歩的文化人の言論と責任」》

●「過去に目を閉ざす者は現在にも目を閉ざす」という言葉が好きな進歩的文化人たち。だが自らの「ソ連・中国・北朝鮮礼賛の過去の妄言」には知らん振りをする。
          《松原隆一郎 〃 》
 


徹底的に「しらばくれる」という独特の強いメンタリティが、左翼知識人にはある。
       《中西輝政 諸君!2007/2月号》


●進歩派は、「支配と抵抗」や「搾取と徴発」といった二元論的分析や、事実を図式にあてはめるかのような論法をする。
        《塚瀬進 「満洲の日本人」》
 (他著書「溥儀 変転する政治に翻弄された生涯」)


●「先生のお説は、終戦前とは随分違うようですが、理由は何ですか?」 教授は、戦後に変わった進歩的文化人のように、それは軍部の圧迫があったからだ、という下手な遁辞は言わなかった。「史観というものは生きたものです。固定したものではありません。時代とともに常に発展しています。死物ではなく、いつも前進しているのですよ」
 
●玖村は、もともと国家的な歴史学者であった。彼が敗戦後、マルクス主義の理論を適用し、唯物史観に走ったのは、学生の人気を得、著書をかいて、世間に名前を知られたかったのである。進歩的なことを言えば、学生の人気が集り、著書が売れると思った。学生の人気を博することは、大学教授の保身の術の一つである、と考えた。
     《松本清張 「カルネアデスの舟板」》


●思ったら飯の食いあげになることを、人は思わない。
     《山本夏彦 「何用あって月世界へ」》
       (他著書「茶の間の正義」)


日本という国は蔑むべき存在だ、悪いことばかりしている国であると観念して、それに対抗する自分を「自立した市民」とみなすわけである。「反権力」「日本否定」のイデオロギーである。学生時代にエリート意識が強烈で、「革命」による権力獲得に最も近いと信じていた者が、社会に出てから官僚よりも権力に遠くなった苛立ちから生ずるコンプレックスである。

●観念主義者は、それが夢であってもよいと考える。その理想を追い続けることが彼らにとっての人生であり、自分の言説に動かされてついてくる人々がいつも存在してくれていることが必要なのである。このような観念の場に自らを置くことによって、この上ない満足感・幸福感・やすらぎの境地を得る。

無上のユーフォーリア(陶酔感)に浸りきることが、ときには観念と現実との間に見境がつかない精神状態を招くようである。新聞記者のような場合には、それが「虚報」という形となって現れる

     《宮脇磊介 「
騙されやすい日本人」》


●かつて「あらしのよるに」の結末部に対して、大江健三郎が一見美しい終わり方だが、実は「友人や家族、国家のために命を賭けてもいい」という発想がいかに残酷な強制をもたらすかという批判を記していた。
    《樋口尚文 キネマ旬報2006/7月下旬号》


●全共闘世代の知識人やジャーナリストは、かつて熱烈に信奉していたマルクス主義が完全に失敗し、今ではそれを口にするのも恥ずかしいという哀れな状況に陥ってる。だが、そうした人たちは自分が左翼思想の持ち主であることを決してカミングアウトしない。左翼であることを自認せず、あくまで不偏不党、客観中立を装って論じる。
       《佐藤貴彦 正論2007/7月号》


●進歩主義は人間の善性に信頼をおくかぎり、ユートピアと一体である。しかし、そのユートピアから見て、或いはよくなるはずの未来から見て、日本の現状を批判するという姿勢が余りにも強すぎる。

●60年安保に際して、大部分の国民を巻き込んだ安保反対闘争のオピニオン・リーダーだったのが、進歩的文化人である。もし仮に彼らの主張通りにして、安保条約破棄、社会党政権の樹立がなされていたら、経済大国・平和国家とはほど遠い現実が支配したであろう。

その点、一般国民は賢明であった。当初は安保改定反対であったが、その後の日本の繁栄に改定日米安保条約が大きく貢献していることを見抜き、今では日米安保は日本にとって必須という認識が大半を占めている。

●進歩的文化人は、ソ連のスターリンの独裁や人権抑圧、或いは中国の文革という集団ヒステリー現象、さらに北朝鮮の狂信的独裁制と経済の貧困等々を当時何と言ったか。「それらはアメリカ帝国主義が社会主義国を陥れるためのプロパガンダである」と。

《吉澤国雄 「真正保守がこの国の活路をひらく」》
    (他著書「九条護憲亡国派に諌言す」)
 


●連中にとっての社会主義・共産主義は、それを口実として論壇に自分の座を確保するための処世術だったのだから、どうしてこの日本に革命を起こすかなんて、そういう物騒な議論は頭から願い下げなのである。座り心地のよい、執筆者生活を楽しんでいるのに、修羅場へ引っ張り出されるなんて迷惑千万だろう。

    《谷沢永一 「自虐史観もうやめたい!」》
 (他著書「歴史が遺してくれた 日本人の誇り」)


●自分の信奉するイデオロギー以外は一切認めないという狭量な人々は、相手の価値観を認めないわけだから、口では何と言おうと民主主義者ではあり得ない。
       《井沢元彦 「逆説の日本史6」》


●「潜思録」辺見庸

「怒りをなえさせるもの-それは語ることの容易ではない深い羞じの感情である。西の大都市の知事に当選したという得意満面の青年が、傲岸不遜を絵にかいたような東の大都市の知事に、あいさつと称してぺこぺことゴマをすりにいき、取材陣、というよりテレビと新聞の糞バエどもがぶんぶんとこれにたかった。懇談後、なにを話したのか問われた傲慢知事、ギロリとまわりを睨めつけて、さもえらそうに『いえないねえ…』。晴眼だけれども卓眼ではないためが、テレビがひりだした排泄物にしか見えない西の青年と暴力団ふうにしか映らない東の老人、まるで二人して世界制覇でもなしたかのように、肩で風切り、いいたい放題である。(略)四百六十万票の事実が、まぎれもないわれわれの世界である。眼をとじ耳をふさぎ口をつぐんで高踏を気どろうとも、愚劣な溶媒はどのみち、われわれの精神をも侵してくる。抗うほかない」
            《月刊現代2008/4月号》

※橋下徹知事と石原慎太郎知事のことだが、こんな下劣な文書しか書くことができない人物が、「平和・人権・平等」を謳うとは…。(管理者)




●いまから振り返れば何とも哀しいことだが、日本のインテリたち、特に社会科学者の多くは、日本がどんなに遅れているかという研究ばかりをしていた。「天皇制」とは遅れた絶対主義であり、これを経ていよいよ資本主義となり新たな階級闘争が始まると教えたのは、32年テーゼにまで遡るソ連からの下賜物であった。そして、これを信じた日本の「前近代性」にがんじがらめになり、経済成長による日本の変貌に全く気づくことがなかった。

●日本の左翼人士は、「天皇制」が日本の後進性であり、日本人の主体的な自立を妨げてきたのではないかという議論をずっと続けてきた。本当にそうであるならば、今日までの経済成長の過程で、こんなものはとっくに滅びているはずではないか。

●日本の戦後60年間でインテリの圧倒的多数が一体何をやっってきたかといえば、実は膨大な数の反日日本人を育て、事実を曲げて東アジアナショナリズムを支持し、結果として「愛国しない」心をもつハイカラ好みの日本侮蔑者を大量増殖させてきたということに尽きる。 
       《古田博司 「新しい神の国」》
        (他著書「日本文明圏の覚醒」)


かのノーベル文学賞作家にして反戦平和主義者の大江健三郎センセイがスウェーデン国王から受け取った賞金も、アルフレッド・ノーベルが発明し、世界中の戦場で使われたダイナマイトを売りまくって得た遺産運用金の一部なのである。
        《宮嶋茂樹 正論2009/1月号》


大江がストックホルムへ飛び立った空港は、左翼が批判している成田空港である。
彼には是非、船と鉄道でスウェーデンに旅してもらいたかった。
     《谷沢永一 「こんな日本に誰がした」》


●進歩的文化人の果たした貴重な役割は、左翼への関心をおのずから薄れさせ、諸者をしだいに興奮から醒まし、国民としての良識に落ち着かせるという望ましい静謐化だった。まことに皮肉。

        《谷沢永一 「悪魔の思想」》


●進歩的文化人批判の嚆矢は、高橋義孝「進歩的文化人諸君!」(文芸春秋 昭和29年2月号)だが、そこでは進歩的文化人は次のように定義されている。

「第一に大学の教師をしていて、第二に共産党乃至は社会党左派の同調者で、第三に新聞雑誌によくものを書き、第四に本当の政党的政治活動をしているような口吻を時折洩らし、その実せいぜいのところ一度か二度何かの縁故で、選挙の応援弁士として壇上に立った位で、第六に若い人たちの間における自分の人気を気にかけ、いつも若い人たちの寵をえていたいと思い…(以下略)」
        《竹内洋 諸君!2009/6月号》
 


●超偽善者は大江健三郎です。この偽善者ぶりはもはやエライの域に達しています。なにしろ大江さんは沖縄の人を聖者と思っています。大したものです。ここまでの差別をわしは知りません。

●「沖縄ノート」で、「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分を変えることはできないか」このフレーズを大江さんは何度も何度も繰り返す。
      《小林よしのり 「誇りある沖縄へ」》


●私の畏友・島田洋一福井県立大学教授(「救う会」副会長)によれば、今から十年近く前の事だが、ある後輩の学者の結婚披露宴で島田氏と同席した五百旗頭真氏は、控室における数人の雑談の際、島田氏の顔を見ながら「(北朝鮮の)拉致なんて小さな問題にこだわるのは、日本外交として恥ずかしい」と言い放ったそうだ。私の知る限り、産経新聞(4月12日)のみが報道している。 
        《梅原克彦 正論2011/7月号》







大江は、昔の話をほじくり出されて大恥かいているだろう。防衛大学の学生をけなして、青年の未来は北朝鮮にしかないと書いて、あの国に何百人もの日本人が拉致されて殺されて、今じゃ辻褄が合わなくなったんだろうから、沈黙してたがね。
     《石原慎太郎 新潮45 2011/11月号》


●1960年の安保反対で国会周辺で荒れた学生を、丸山真男は民主主義の勝利のように讃えた。
だが、その同じ学生が68年、東大法学部を襲うや、丸山は今度は「暴徒だ」と憤慨した。
辞職する丸山教授を8年前に学生を煽動した自業自得と見ていた。授業再開となるや、東大非常勤に私は江藤淳を招いた。
      《平川祐弘 産経新聞2011/10/24》
 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」)


和田春樹氏は、「植民地支配の反省のために、竹島の韓国の領有を認めるべきだ」と発言している。
   《稲田朋美 衆院法務委員会2011/10/25》


戦後の日本知識層には、一言で相手を怯ませる「殺し文句」があった。「お前は『反動だ』」という罵倒がそれだ。インテリは「保守・反動・右寄り」というレッテルを貼られることをとても恐れる。そしてほめ言葉は「進歩的」だった。
         《佐々淳行 正論2012/6月号》


●インテリはもし日本が中国の影響で社会主義国になったら、自分は反革命罪で首を絞め殺されるんじゃないかというような恐怖に戦いて、それを避けるために自分は反社会主義ではないというアリバイをいっぱい残そうとしてきた。

●かつてはソ連に対しても同様の態度をとる進歩的文化人がいた。偉そうに言っていた連中の中に、そういう雰囲気を私は感じていた。(いわば一種の保険を掛けている意識)
   《加地伸行 「日本と中国 永遠の誤解」》
      (他著書「死んでも治らない人々」)


●70年代までの中国の情報鎖国の中でも、香港や台湾経由で亡命者などの証言を通して、中国の農民はひどい目に遭っているとか、文革は悲惨な権力闘争でしかないという情報はずいぶん出てきたのだが、全て反共宣伝・反中謀略だと検討もされずに否定されてきた。

●これはソ連や北朝鮮についても言えることだが、「社会主義に都合の悪いことを隠すのは正義だ」という思想が、インテリと目される人々の間にあった。
        《北村稔 諸君!2005/12月号》


●私たちの学生時代だと、「反共」とだけは言われたくない雰囲気があった。
        《伊藤隆 諸君!2007/2月号》


●革新を標榜していた人たちに「けじめ」をつけてもらいたい。あれだけ間違った主張や学説をふりまいていたのだから。中国は人民の天国だといったり、ベトナムは北が入ってくれば解放されるといった学者や新聞記者もずいぶんいたから。

●過去数十年にわたる中国報道のでたらめさに対して、各新聞社がお詫びの報告を出したり、社長は辞めたりしたかしら。中曽根や竹下のリクルートにおけるけじめなんていうものじゃない。彼らは我々人民を騙し続けたのだから。
         《曽野綾子 「大声小声」》
         (他著書「私の危険な本音」)


●戦前、いわゆる自由主義者や左派言論人の蒙った言論統制と、戦後に左翼陣営が有形無形の圧力によって作り上げた各種の言論的抑圧の空間と、いったいどちらが苛烈だったのか。
        《中西輝政 諸君!2007/2月号》


●東京大学教授の小森陽一氏は、06年10月に出版した著書の「あとがき」において、「安倍晋三が戦犯である祖父岸信介を最も優れた政治家として尊敬していると公言している」ことを理由のひとつにして、安倍晋三氏を「もっとも危険な政治家」だと決めつけた。

●つまりこの東大教授からみれば、安倍晋三という人間が自らの祖父を尊敬してはいけないのである。彼の論理からすると、安倍晋三氏は自分が「危険な政治家」でないことを証明するためには、自らの敬愛する祖父と絶縁したり、あるいは罵倒しなければないのだろうか。一教師からの口から出たとは思えない野蛮な暴論である。

●日本の左翼が中国の四人組から継承したと思われる卑劣な政治手法の中の最たるものは、何といってもやはりあの悪名高い「人民裁判」である。四人組の跋扈した時代、善良な市民を殺すには「人民裁判」ほど便利な方法はなかった。「人民裁判」と称する以上、その「裁判」自体に法的正当性があるかどうか、人を裁くような権限を持っているかどうかはいっさい不問にされているから、四人組とその傘下のならず者たちは誰かを葬り去ろうとするときは、いつも好んで「人民裁判」を開いた。

●しかもその際、「裁判」の参加者全員が、事前に選ばれた「毛沢東思想を共有する革命群衆」であるから、「革命群衆」を煽動してヒステリックな状態を盛り立てていけば、冤罪者への「有罪判決」がたちまち下されるのがいつものパターンであった。

●こうして見ると、2000年12月に九段会館で開かれた「女性国際戦犯法廷」というものは、まさに四人組流の「人民裁判」の日本版であることがよく分かる。「国際法廷」と称していながらも、それは、元朝日新聞編集委員の松井やより女史を中心とする、日本の左翼知識人のグループによって牛耳られていたことが分かっている。
そして「法廷メンバー」には、中国の華東政法学院経済法研究所副所長の周洪鈞や、上海師範大学歴史科教授の蘇智良などの共産党の御用知識人と、現在でも「人民裁判」を盛んにやっている北朝鮮の鄭南用共和国国際法学会常務委員が選ばれている。

《石平 「なぜ、日本人は日本をおとしめ中国に媚びるのか」》(他著書「私はなぜ『中国』を捨てたのか」)


今年(2013年)8月15日に、BSフジ・プライムニュースの「若者に聞く戦争観」というテーマで、古市憲寿氏(28歳 東京大学大学院総合文化研究科博士課程)と、最近講演活動などで注目の山本みずき氏(18歳 慶応大学法学部1年生)との討論があった。そのときの山本氏の感想…チャンネル桜 2013/12/20

●例えば外国から侵略があった場合どうするかと問われ、私は後方から自衛隊を支援すると答えましたが、古市さんは「逃げる」と答えた。私は自分だけが助かるという発想はなかったので、古市さんの回答には驚いてしまいました。司会者がどこに逃げるのか聞いたが、そこはうやむやに…。《山本みずき》

●古市氏は、馬鹿なのではなく戦後民主主義に従順な優等生なんだと思う。30~40年くらい前なら通用する人だった。《古谷経衡》

●これは、言っていいのか躊躇するところですが、本番前に楽屋で出演者で話をしていたときに、古市さんは日本が自衛権を国家として先天的に認められていることを知らなかったんです。「日本に自衛権はないんでしょ」って言っていました。社会学の研究者なら最低限の知識としてもちあわせているはずなんですが…。《山本みずき》 

…18歳と28歳、大人と子供が逆である。東京大学大学院…汗。(管理者)


●元日のテレビ朝日は、恒例の「朝まで生テレビ」を放送した。今回はテーマが安倍首相の靖国参拝だったにもかかわらず、十人以上のゲストのうち明確な賛成派は山際澄夫氏ただ一人。これでは、他の地上波の偏向番組と変わらない。少なくとも賛成派が半分いれば、かなり実のある議論ができたのではないだろうか。

●番組途中で、山際氏が議論の偏向ぶりを訴えて国民の声を聞くべきだと言うと、さすがに司会の田原総一朗氏が視聴者の電話とファックスによるアンケートをとることを決めた。

●その結果は、71%が安倍首相の靖国参拝に賛成だった。山際氏がこの結果を受けて、「これはこれでフェアな数字だと思いますよ。よくやっていただきました」とコメントすると、出演者の古市憲寿という人物が「まあ、統計的にはあまり意味のない数字ですけどね。この番組を見ている人がどう思ってるかってことですね」と応じた。この人物、学者らしいのだが、とても学者らしからぬ感情的な低レベルな反応だ。この発言が、この番組の最近の凋落を物語っている。
       《西村幸祐 WiLL2014/3月号》

…だったら、結果が出る前に言えよ。逆の結果だったら歓迎するくせに。(管理者)



大江健三郎

●川端康成に続く、日本で二人目のノーベル賞作家。だが、海外ではもちろん(実際かなりの点数が英、独、仏などで訳されてはいるが、日本側のメディアの仕掛けたプロモーション以外の場面で大江作品が海外で話題になったことはほとんどない)、わが国においても作家としてよりは、知識人としての存在感の方が大きい。

●海外においてその知名度と作品の評価が、大江の敵視する三島や川端の足元にも及ばないことは、何ともお気の毒と云うほかない。海外での評価の低さは、大江の作品が一貫して古典から前衛にいたる西洋文学の吸収、模倣、引用、借用から成り立っているとすれば、当然かもしれない。その点からすれば、大江の作品世界は、すべては西洋からの借り物であった日本近代の無残な写し絵として考察に値すべきものかもしれない。
       《福田和也 「作家の値うち」》
         (他著書「魂の昭和史」)


●戦後日本で左翼やリベラルと呼ばれた人々が「進んだ西洋」を価値判断の基準とする姿勢をとったのは、西洋を絶対視していたというより、むしろ戦略的に「日本の現状を批判するための拠点を、あえて理想化された西洋社会のイメージに求めた」側面がかなりあった。

●ところが、「じゃあ、もう西洋中心主義はやめましょう。西洋近代とは大して素晴らしいものじゃなかったし、他の地域を植民地にしてひどい連中だったのです」ということになると、この国で「進歩的」な知識人であるためにいちばん必要なツールだった、「日本を批判するための思想軸」自体もなくなってしまった。
     《與那覇潤 「『日本史』の終わり」》


●先日、某古書店の前を通ったときのこと。道路に面したショーウインドーを覗いてみた。全集物がそれこそ山と積まれていてなかなかおもしろい。その中に『桑原武夫集』(全10巻 岩波版)があった。値札はなんと「2500円」。しばし「2500円」という朱筆にくぎ付けとなった。1冊が250円ではないか。その値段なら、書店の前に置いた縁台の上に並べられている程度の本ということだ。

桑原武夫といえば、かつては颯爽と京大人文科学研究所を率い、一世を風靡した進歩的文化人、それもスターであった。日本中の学生にとって〈神〉のような存在でもあり、戦後日本における進歩的文化人の中心の一人であった。それが今や2500円なのである。しかも売れずにショーウインドーの中にいる。栄枯盛衰とはよく言ったものである。今や左翼論壇は崩壊し、寂としている。どうしてこんなことになってしまったのであろう。わずか30,40年の間に。
      《加地伸行 産経新聞2014/3/16》


大江健三郎…安保に反対、紅衛兵を支持、大学のバリケード闘争も支持、女子大生に自衛隊員には嫁に行くなと差別的檄も飛ばした。
       
《平川祏弘 産経新聞2012/9/21》






●20年近く前、「朝まで生テレビ」に出演していた頃、ある回のテーマが「異議あり!日本」だった。在日の外国人を連れて来て日本を批判させるという企画である。当時、売れていたのが辛淑玉。在日三世だが、日本の悪口ばかり。あまりにひどいので舛添要一氏が諫めたら、彼女は「加害者は発言する資格がない」とまで言ったのである。

●そこで私は出番だと思って、「台湾出身の私には発言権があるでしょう」と切り出した。「歴史には光と影がある。台湾統治には影もあったかもしれない。でも、光が勝ったからいまの親日の台湾がある」と言うと、今度は大島渚が「金さん、あんたは日本でうまく立ち回るためにそういう発言をするんでしょう」と言ったのである。

あの当時は日本の悪口三昧のほうが「進歩的文化人」と見られてどこからでもお呼びがかかった。むしろ、私のように本当のことを言う人間は干されていた。
でもいまは、百田さんがテレビに呼ばれ、私も定期的に発言する機会を与えられて全国から講演の依頼がある。時代は確実に変わってきているのではないか? 
         《金美齢 WiLL2014/1月号》



●政治家は、公の発言をなす場合にも、世論の表面に対して好むと好まざるとにかかわらず少々は迎合してみせなければならない。世論の風向きに添わねば、その地位を保証されないというのが民主主義の習いだからである。

●こうした心理的力学から最も自由なのは本来は知識人のはずである。知識の見地からすれば、世論の裏面に無関心ではおれるわけがない。そんなことをするのは知識の基準である「真偽」を、政治の基準つまり「善悪」に売り渡す所業だといってよい。

●ところが知識人は大挙して世論の表面にすぎないものを善とみなし、そこで偽善のポーズをとることに専心している。もっといえば、世論の表面なるものは知識人の破廉恥によって分泌された偽善的な言説の堆積から成っている。つまり曲学阿世が民主主義における知識人の常態となっているのである。

      《西部邁 「リベラルマインド」》
       (他著書「大衆への反逆」)


     【進歩的文化人 その②へ


 ※関連ページ : 朝日新聞の「反日的言動」も参考に

【国内の反日勢力】
左翼とは/意味とルーツ
進歩的文化人/過去の欺瞞が暴かれていく
日教組/朝日新聞が絶対報じないその弊害
過激な左翼/いまだに暴れる連中
全共闘/恥知らずな輩
反日国家の傀儡/スパイ工作にはめられる者
変わった人たち/日本を嫌う者
左翼とは正反対の保守とは/常識や世界基準ということ