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隣国とのズレ

朝日新聞などから
中国・韓国との歴史認識の共有が
叫ばれているが、
果たしてそんなことが可能なのか。


●2つの国の間で、完全な理解だの了解だのが出来るはずがない。個人同士・親子や夫婦だって理解なんて出来ないのだから。
      《福田和也 「この国の仇」
       他の著書「俺の大東亜代理戦争」》


●もともと歴史認識というものは、日本国内においてさえ一致が成立しえない性格を有している。
        《長谷川慶太郎 「大分水嶺 」》


●ワシントンはアメリカ建国の父だが、イギリスにとってみれば反乱軍の長である。でも英米は歴史認識で問題はない。お互い歴史には表も裏もあることを認識している大人の関係だからである。
  《櫻井よしこ フジテレビ「報道2001」》


●秀吉は韓国では一番嫌われているが、日本では戦国時代に終止符を打った偉大な人物となる。ある国の偉人が外国から見たら侵略者、というケースはいくらでもある。(アレキサンダー、ナポレオンなど)

●「自国の歴史認識の方が絶対正しい」と思うのは自由だが、それを外交ルートを通して要求することは、民主主義国家の政治家としては越えては成らない一線を越えた行為だ。
   《井沢元彦
    「なぜ中国人、韓国人に媚びるのか」》

●日本側は一生懸命に勉強しているのに対して、韓国側は「日本人が妄言を言っている。歴史を歪曲している」と決めつけるだけで、まともに考え勉強しようとしない。だから議論をすればひっくり返せる。
           《黒田勝弘  〃  》


図星でなければ人はからみはしない。
      《山本夏彦 「世間知らずの高枕」》


●事実をきちんと検証すれば、いかに根拠のないことが独り歩きし、日本への非難に結びついているかがはっきりするにもかかわらず、それを「許されない歴史観」だとか「妄言」だとか騒いで、「歴史の改竄者」のようなレッテルを貼って封じ込める。
       《新田均 「日本を貶める人々」》


そもそも言論の自由のない国と歴史論争をやっても、解決するはずがない。
      《中西輝政 文芸春秋2005/6月号》


●いいところはいいと認めずに全部が悪いと否定する言い方は、社会主義独裁政権のやり口。
  《曽野綾子 「大声小声」
    他の著書「人間にとって成熟とは何か」》


●他国との安易な歴史認識の共有などあり得ない。ことにナショナリズムを卒業しているわが国と、今ちょうど初期ナショナリズムの爆発期を迎えている近隣アジア諸国とが歴史認識で相互に歩み寄るとしたら、わが国の屈服という結果をもたらすほかはないだろう。
        《新しい歴史教科書をつくる会》


●そもそも歴史観と外交なんて、全く次元の違う話。歴史観によって外交が左右されるなんてことは、本来あってはならないこと。例えば、アメリカの黒人奴隷はアフリカ西海岸から来たが、だからといって今のアメリカ政府が西アフリカ諸国に遠慮するかということ。
     《岡崎久彦 「賢者は歴史に学ぶ」》


中国側の歴史学者は中共の思想統制下におかれていて、その制約を無視することは絶対に容認されない。「冷戦」の影響がこういう形で合理的な歴史研究を阻害する事態を認めなければならない。
 《長谷川慶太郎 「歴史頭脳を持っているか」》


●日韓双方の歴史学者の最大の相違点は、日本の学者が実証的な研究を重んじているのに対し、韓国の学者の研究が政治的な主張から脱却できていない点だ。真の歴史共同研究というものは、双方の社会が成熟し、言論や学問の自由が十分に認められた状態でなければ意味がない。
  
      《主張 産経新聞2005/6/14》


●「歴史問題」などというものは存在しない。存在するのは「中国問題」・「韓国問題」だけである。東京裁判に関して大部分の戦勝国は、この問題を決着済みだとしている。
      《橋爪大三郎 諸君!2005/8月号》


歴史問題が復活した端緒は、これも全てのケースで証明できるように、日本国内の反政府運動が外国に持ち込まれた結果である。
      《岡崎久彦 中央公論2005/9月号》

●「歴史問題」は、過去の認識というよりも現在の政治問題だから、考えるべきことは政治的な問題の管理である。日米の両国間でも、真珠湾攻撃や原爆の投下などに関して歴史認識が一致しているわけではないが、「歴史問題」が起こっていないのは、日米では歴史が単に歴史だからである。

●だが、「歴史」が政治的正統性の基礎である国には、史実を丹念に語っても生産的ではないし、中・韓の正史を対置するのは愚策である。政治が正史を必要としなくなってはじめて「歴史」は「歴史」となり、それによってはじめて「清算」の道が開けるだろう。
           《田所昌幸  〃  》

●日本は客観的にみて、これほどうまくいった戦後処理は多くないだろう。アメリカをはじめ戦勝国との関係も良好である。歴史問題を蒸し返している韓国・中国は、講和条約に戦勝国として席を連ねなかった国々であることに注意すべきだろう。韓国は日本の一部だったので、日本と戦争できるはずもない。中国は抗日戦争を戦ったが、当時はゲリラで、国家となったのは1949年だ。このいまいましい思いが、両国のナショナリズムの底流にある。
          《橋爪大三郎  〃  》


●歴史認識と歴史解釈は主権国家の聖域に属することであり、ある民族がどのような歴史物語をもつかは自由でなければならない。
       《井尻千男 「日本あやうし」》


●「長年敵対関係にあったドイツとポーランドだって、共通の歴史認識をもつために共同研究を行い、今では両国共通の歴史教科書を持っている」と言うが…
欧州の歴史はギリシャ文明以来3千年に及び、そのうちの2千5百年はほぼボーダレス、つまりギリシャ文明・ローマ帝国・キリスト教・神聖ローマ帝国といった共通の歴史を持ち、最後の5百年あるいは2百年といった短い期間が、それぞれの国民国家が国境線を持つようになった近代の歴史である。

●ボーダレス時代は「歴史認識の共有」(というより、正確には歴史的事実の確認と共有)はある程度できたのだが、お互いに戦争ばかりしていた近5百年については共有などできなかった。
そこで、何年何月にどのような事件があったかの歴史的事実は両国で確認し共有(いわば歴史的データブックの作成)するが、その解釈や評価、つまり歴史認識についてはそれぞれの国で記述する、と決着がついた。

●日中韓は、民族の自己認識の違いは言うまでもなく、儒教の受け入れ方、かつての華夷秩序の認識のしかた、近代の国民国家の形成など異なった文化を持ち、異なった歴史過程を歩んできたのである。にもかかわらず「歴史認識を共有しよう」というのは空夢にちかい。
     《松本健一 「日本の論点2006」》


人は分かって自分に不都合なことなら、断じて分かろうとしない。  
      《山本夏彦 「山本夏彦名言集」
          他の著書「茶の間の正義」》


●ヴォルテール…「歴史は自由な国においてのみ真実に書かれ得る」
      《西村幸祐 「『反日』の超克」
         他の著書「「反日」の構造」》


●「南京事件」1つをとっても、その真相を現地調査の形で追求しようとすること自体、中国政府の強硬な反対で不可能となっている。日中戦争の発火点となった蘆溝橋事件について誰が挑発行動を展開したかなど、未だに真相が明らかにされていないのも、中共の姿勢が真相究明拒否で一貫しているためでもある。

●ヨーロッパの場合でも、第二次大戦の歴史を参戦国が共同で編纂するまでに至ったのは、ソ連が崩壊し、全ての歴史的資料を公開する路線をロシア政府が承認してからである。
こうした情勢になってはじめて、ソ連共産党の独裁体制を支えてきた秘密警察・KGBの弾圧ぶりが公表できた。その結果、第二次大戦初期にソ連軍の捕虜となったポーランド将校の大量虐殺事件「カチンの森事件」の真相究明が可能になり、ロシアのエリツィン大統領の公式謝罪へとつながったのである。

●歴史的事実を確定する作業も、必要な資料は一切政治的な判断抜きで無条件に提供されてこそ、有効な判断材料になる。しかし、共産党の一党独裁体制が残っている限り、彼らにとって少しでも不利あるいは今までの主張と矛盾すると思われる資料は一切公表しない。それが独裁体制の共通した姿勢だからだ。

●一方、敗戦国はあらゆる資料、あらゆる決定に至るプロセスについて全てディスクローズすることを要求され、ディスクローズせざるを得ない状況に追い込まれる。
       《長谷川慶太郎 「大分水嶺」》
 


●政治家が歴史のことをどう言おうと、所詮それは政治外交の駆け引きにすぎない。そうと承知の上で互いに対処すべきものである。それを、相手を満足させる文書や発言でその場を収めるのは、外交上の愚策である。そんな政治的駆け引きと真正なる「歴史」とは全く別物である。
       《市川真一 産経新聞2006/10/5》


●日本側が「改めて史実の調査と確認を」と述べるだけでも、中国側は「反中」「極右」「侵略美化」、さらには「軍国主義復活」とまで糾弾されるのである。
 《古森義久 「日中再考」
   他の著書「中・韓「反日ロビー」の実像」》


●中国の教科書は義和団事件を「八ヵ国2千人余りからなる侵略軍が北京に侵攻した」と言うが、これは民間人の救出に向かったものである。義和団の非道には一言も触れることなく、ただ連合軍の非道ぶりのみが書かれている。

●辛亥革命の成功は、日本なしにはあり得なかったと言っても過言ではない。でも中国の教科書は、その事実を全く無視して書いていない。
《勝岡寛次 「韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する」》


●柳条湖事件は、中国人による多くの排日・侮日行動が原因である。
→いや、その排日運動以前の歴史的背景として「21ヵ条」や「五・四運動」がある。
「21ヵ条」を日本が提示せざるを得なかったのは、ポーツマス条約での権益を維持せんがためである。

いったいどこまで遡っていけばいいのか。
    《小浜逸郎 「ぼくらの『侵略』戦争」》


●人民解放軍は、中越戦争というまぎれもない戦争行為によってベトナムを侵し、ウイグル族やチベット族を抑圧する暴力装置にもなっている。
ベトナム人から見れば、中国人は侵略者であり加害者である。(もっともそのベトナム人も、カンボジア人から見れば侵略・加害者であるが) ウイグル・チベットにとっては、漢民族は永遠の侵略者・加害者である。つまり、歴史をどの時間帯で区切るかによって、侵略責任・戦争責任は異なってくる。
      《中嶋嶺雄 「諸君!の30年」》


●中国では歴史教育とは、政治宣伝と同義である。
  《八木秀次 「『女性天皇容認論』を排す」      他の著書「精撰「尋常小學修身書」」》


中国では思想・主義を人民に強制するため、古代史から文革・毛沢東に関する評価まで、党議で決定している。
《黄文雄 「日中戦争 真実の歴史」他の著書「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか」》







●日中戦争のポイントは、誰が誰を「侵略」したのか、そしてそもそも「侵略」は本当だったのか、ということにある。これを明らかにするには綿密な調査が必要だが、日本は自らの手で検証することを怠ってきた。その結果、「日本が中国を侵略した」という方向で戦後教育を進めてしまった。

●反対に中国側はひたすら「侵略があった」と強調し続けてきたのである。
     《櫻井よしこ 文芸春秋2007/1月号》


●知識人には海外から圧力がかかることもある。例えば中国研究者が中国に批判的な研究をすると、当局に睨まれ、中国国内に入れてもらえなくなる。こんなことは他の国では考えられないことだけれど、中国はそうやって日本の研究者に対してプレッシャーを与えている。
      《櫻井よしこ 諸君!2007/2月号》

●史料を見せてもらえなかったり、材料を取れなくなる。そうなると研究者にとって命取りだから、若い研究者はみんな怖がってしまう。日本に中国ベッタリの研究者が多いのは、そういった背景がある。

●訪日しようとした李登輝さんに、わが大学にだけは来ないで欲しい、と切なる願いを訴えた有名な中国学者が2,3人いた。
           《古田博司  〃  》

●慶応大学の小島朋之教授は、学生が李登輝氏を講師に呼ぼうとしたら、強力に反対して中止させた。
          《櫻井よしこ  〃  》 


日韓でも歴史共同研究をやったが、お互いの歴史をつき合わせても結局何の結論も出なかった。せいぜい「お互い話が通じない」ということがわかるぐらい。
       《屋山太郎 諸君!2007/3月号》


●よく日中との比較で持ち出される独仏の歴史和解にしても、戦後の独仏が冷戦下で同じ陣営に属し、総合的な関係がよかったという事実がある。総合的な関係がよいから歴史和解が進んだのであって、その逆ではない。
      《坂元一哉 産経新聞2007/3/3》


フランスとドイツの関係でも、どちらかが歴史認識を改めたから仲良くなったわけではなく、外交問題にしなくなって、話し合いができるようになったのである。

●韓国では偽証罪がものすごく多い。それに対して日本では極端に少ない。2000年の数字だが、日本5件に対して韓国は実に1,198件。なぜ韓国に偽証罪が多いかというと、身内を守って嘘をつくのは道徳的に正しいことだからである。国家の国法への忠よりも家族への孝が優先されている。
           《呉善花 「売国奴」》


●過去の歴史について、日本では多様な見解を発表できる土壌があるが、中国では、近代以降中国と日本が戦ったいくつかの戦争についての評価は、もはや一本化された形で定着されている。
学会発表や学術論文を執筆する場合、極東軍事裁判の記録を「第一次史料」として使用している研究者は決して稀ではないのである。ただこれは、単に歴史研究の水準を示しているのではなく、より重要なことは、東京裁判によって下された結論が、第二次大戦についての中国側の統一見解でもあるということなのである。
        《劉傑 「中国人の歴史観」》


●中国には「避諱」という文化伝統がある。国家や偉大な人物の名誉を守るためならば、都合の悪い事実は隠すべきだという考え方である。つまり中国にとって歴史とは、「事実の追及」ではなく「国家の擁護」という政治なのである。
       《林思雲 文芸春秋2009/4月号》


●中国国民の中からも「嘘や腐敗はもううんざりだ」という声が上がりはじめ、歴史学者でも実証的な研究をしようという人も出てきている。しかし、そうした学者たちは当局に弾圧され、不当に拘束されたり、軟禁されたりしている。
     《阿古智子 文芸春秋2013/10月号》

●私は、2002~2010年まで、日韓両国の学者が集まった「歴史共同研究委員会」のメンバーだったが、韓国側の主張があまりに事実と違うので、資料を使って説明しようとすると、韓国側は立ち上がって「韓国に対する愛情はないのか」 「研究者としての良心はあるのか」と怒鳴るのである。私など、その時期に怒鳴り合いすぎて、入れ歯になってしまった。(笑)

●朴槿恵大統領は「加害者と被害者の歴史は千年変わらない」と言っている。だから中韓との歴史問題には終わりがないのである。
          《古田博司  〃  》

●われわれ日本人にとって「事実」といえば「客観的な事実」。法律の言葉で言えば、かくかくこのように物事が発生したという「発生事実」を指す。ところが、中国・韓国では「決定事実」、つまり自分たちが人為的に決定した事実こそが「事実」なのである。
           《川村雄介  〃  》

●まさにそれこそ、日中韓の歴史認識問題が終わらない最大の原因だと思う。朱子学や陽明学など、今も中韓の人々の中核を成している思想においては、自分が思ったことが即事実なのである。
           《古田博司  〃  》

●日中の事実観の違いについては、歴史学者の津田左右吉が指摘している。
◇「自己の主張し又は要望するところを恰も現実に存在するものの如く考へ、それを根拠として理説を立てるのが支那の思想家の通有な態度」
◇「(中国人は)自己の主張を主張することにのみつとめ、それが実行し得られるかどうかを現実の事態そのものについて考へない」(『シナ思想と日本』1938年刊)
…現在でも十分通用する指摘である。

●中国で「歴史」といえば、あくまでも王朝が自分の支配の正当性を主張するものであって、それが事実に基づいているかは問題ではない。

●毛沢東にしても、共産党の中で自分がいかに正しかったかという視点で歴史を作り、文字にしてまわりを納得させてきた。文革後も、1981年に結党以来の歴史をどう解釈するべきかを書いた『建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議』という分厚い本を出す。もちろん鄧小平体制を正当化する内容である。それを共産党員は一生懸命読んで、頭に叩き込む。当然、反論は許されない。
結局、そうして作られた歴史を、日本に対しても押し付けてくるわけである。 
           《北村稔  〃  》

●その歴史観を未来に投影すると、「新しい華夷秩序」となる。近代百年の歴史を書き換えて、清代からダイレクトにつながる栄光の歴史を現実のものにしようというわけである。
           《松本健一  〃  》

●歴史的事実を正確に教えるならば、必ずしも共産党政権が望むような歴史にはならない。連合国として、勝ち組に加えてもらったのはあくまでも蒋介石の国民政府である。独立も租界の回収もすべて国民政府時代の出来事。国際連合の代表権ももともとは国民政府にあったわけだし。
           《北村稔  〃  》

先の大戦は、韓国は日本の一部だから敗戦国になる。
         
《古田博司  〃  》


●わたしだって祖国が外国によって植民地にされていたという事実は口惜しいし、独力で近代化できたら、どんなによかったかと思いますよ。でも、願望と事実とは違います。(台湾の学者)
    《井沢元彦 「恨の法廷」
      他の著書「「言霊の国」解体新書」》

 ※関連ページ : 「中国共産党」も参考に

【自虐史観】
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