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21ヵ条の要求

ヨーロッパが第一次世界大戦で混乱し
世界の目がアジアから離れている
最中の1915年
日本は中国に「21ヵ条の要求」を
つきつけた。
これは「中国政府内に日本人を入れろ」
「借りている土地の期限を
99年間に延長しろ」
など中国にとって過酷なものだった。
これを呑まないと戦争するぞと
最後通牒を発してまで迫ったため、
世界から「火事場泥棒」と批難される

この日本の行為は、中国民衆の反感を買い
今日の反日の原点ともいわれている。
この理不尽な要求が、日本の中国侵略の
足がかりとなったというが…


●中国が(地方・中央問わず)あまりにも執拗に妨害を推進したため、日本は「21ヵ条」を出さねばならなくなった。これは中国に侵害されかけているこの地域での、日本の足場をしっかりと固めようとしただけである。

●「21ヵ条は、日本が最後通牒を発した後で、中国がしかたなしに調印した」はウソ。最後通牒が出される85日前(要求提出からわずか24日後)に、中国は大部分を受け入れていた。最後通牒は、中国側代表が日本に出してくれと非公式に求めてきた。これにより袁世凱が政敵に対する言い訳にするため。(加藤外相の伝記による)

●アメリカ側は、この要求の内、16ヵ条については何の異議もないとした。唯一の異議は「グループ5」であり、これは「要求」ではなく「要望」だった。これは撤回されている。 
     《K・カール・カワカミ
       「シナ大陸の真相―1931‐1938」》


●中国政府が出した1915年の山東省の日本軍の即時撤退が、無謀な要求だった。「21ヵ条」は、これに対して「かねてからの懸案」も一挙に解決するために出したもの。その懸案とは…

①日露戦争以来満州に持っていた権益は、中国側が約束を破ることもあり不安定なものだった。

②それらの権益は短い期限付きのものだった。

③万里の長城以南に列強は莫大な権益を持っていたが、日本は何も持っていなかった。

    《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史4」》
(他著書「通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか」)


●日本が求めたのは、「第一次世界大戦で敵国ドイツを駆逐して獲得した権益の承認」「日露戦争で獲得した権益の承認」「外国を不用意に介入させない」です。「権益」というと何だかいかめしいですが、今でたとえるなら「中国に進出している日本企業の権利と安全を保障せよ」くらいの内容です。

●今も中国の暴動で日本人が経営しているお店が破壊されたりサラリーマンがリンチされたりしても中国政府は何もしませんが、まったく同じことです。どこが「泣く泣く」受け入れるような内容なのでしょうか。パスポートを持っている外国人の安全を守ることは主権国家として当然の義務です。

「十四か条の要求」とは、要するに「まともに国際法を守れ」ということです。
    《倉山満 「嘘だらけの日中近現代史」》


●「21ヵ条要求」は、内容が公になるずっと前に、中国代表団は調印に同意していた。(交渉に当たった日本外交官から直接聞いた)
ところが中国側はこう持ち出してきた。「内容はこれで結構だが、『要求』ということにしてはくれまいか。そうした方が見栄えがする。やむなく調印したのだという風にしたいのだが」と。

これを受けて日本側は、高圧的な態度に出るふりをした。それで中国人は不承不承署名をするのだという風にしたのである。裏で金が動いたであろう。中国との交渉事は金次第とみてきたからである。(極東問題に詳しいジャーナリストのジョージ・ブロンソン・リー氏は、親日派の雑誌で「当時外国人の記者には、この辺の裏事情は知られていた」と述べている)

●ところがアメリカがこれに噛みついた。「哀れな中国に過酷な要求を突きつけるとは許せん」とばかり、同情が湧き上がった。
         《ラルフ・タウンゼント
           「暗黒大陸中国の真実」》


●我が国は中国側に21ヵ条全てを押しつけ受諾させたわけではない。実際にはおよそ3ヵ月に及ぶ交渉(25回)が展開され、日中双方による交渉経過を経て撤回や保留、大幅修正、微修正など多岐にわたる手直しが施されたのである。

●こうして合計7ヵ条の条文は明確に取り下げられ、他にも大幅修正で殆ど換骨奪胎となった条文も5ヵ条ほどあった。その他についても微修正したものが多く、結果的に原文の半分程度が受諾されたのである。

《三浦朱門 「全『歴史教科書』を徹底検証する」》
         (他著書「老年の品格」)


●21ヵ条要求問題は、第一次大戦で日本が山東半島のドイツ権益を継承することになった。そのためには中華民国の承認を必要とする、ということをきっかけとして日支間の交渉に希望条項を付けたことから始まった。
希望条項を明文化したところに日本側の誤算があったのだが、その要求に対して中華民国は、ドイツの権益は清国から得たものであって中華民国から得たものではない、といって権益の移譲を完全否定した。日本に限らず欧米列強全てに対して、中華民国は一方的に既往の権利義務関係を否定し、なおかつそれが正義であると主張した。(革命外交)

これは日本側がいかにも理不尽なことを行ったかのように言われているが、あれも中国側の巧妙な宣伝にしてやられた。
《江藤淳 「大空白の時代」》(他著書「閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」)


●旅順・大連および満鉄の租借権は、ロシアと中国との当初の条約を引き継ぐ期間限定の脆弱なもので、権益が20~30年でなくなってしまう危機感が常にあった。それで1915年の21ヵ条要求の際に、香港のように99年のリースに延ばせと要求して延長させた。
         《北村稔 Voice2007/8月号》


●「21ヵ条要求」が厭だと思ったら、その場でシナ政府は対日宣戦を布告すべきなのだ。条約を正式に結んでおいて、後からそれを民衆暴動工作等で覆そうをするのは、近代の精神ではない。反近代の匪賊頭目のスタイルだろう。
       《兵藤二十八 正論2005/8月号》


●21ヵ条要求にしても、そのうち14ヵ条はすでに条約として締結してあるものを、キチンと守ってくれという要求。残りの7ヵ条の「希望事項」というのが評判が悪いのだが、あくまでも「希望」である。
           《諸君!2002/11月号》


●21ヵ条要求・第2号の旅大租借地と満鉄等の99ヵ年延長は決して例外的ではなく、1898年にイギリスが清から租借した香港はやはり99ヵ年期限であった。
また満蒙での日本人の土地所有権・居住営業権などは、中国はすでに外蒙において同様の特権をロシアに与えていた。

●中国側は21ヵ条の内容を甚だしく歪曲誇張して内外に宣伝した…

【当時最有力の排日団体「湖北全省商界外交後援会」の作成した21ヵ条非難の説明書】
◇南満州の警察と行政権を日本に譲渡す。
◇中国陸海軍は必ず日本人を教官とすべし。
◇中国の学校では必ず日本語を教授すべし。
◇中国に内乱あるときは日本に武力援助を求め、日本また中国の秩序維持に当るべし。
◇中国の石油特権を譲与す。
◇中国全部を解放し、日本人に自由に営業させること。
…など、日本の要求とは全く無関係な要求を捏造して列挙している。これが不必要な誤解を招き、21ヵ条が以後の排日運動の中心題目となった。

●21ヵ条は「脅迫されて」結ばれたものであるから無効であるとして、中国は国会で無効を決議した。しかし、多少とも圧力をかけたことを口実として条約を無効にし得るなら、世界に現存する条約の大部分は即刻無効となるだろう。例えば…

◇三国干渉による遼東還付条約は「脅迫」そのもので無効となる。
◇力でドイツに押し付けられたベルサイユ条約
◇原爆投下で日本に強要させたポツダム宣言…等。
そもそも日本は、中国の自由意思を束縛したこともなく、4ヶ月にも及ぶ外交交渉の結果、成立した条約ではないか。 
       《中村粲 「大東亜戦争への道 」》


●21ヵ条は、日本は中国における政治経済活動の「西洋列強並み」を求めたのである。

 《黄文雄 「日中戦争真実の歴史」》
 (他著書「『日中戦争』は侵略ではなかった」)



    



【日中戦争】
21ヵ条の要求/中国プロパガンダの第一弾
中国の内戦/日中戦争前の国内混乱状態
西安事件/日中戦争前夜
盧溝橋事件/中国共産党の罠という定説
盧溝橋事件後/中国の暗躍と戦争拡大
上海事変/実は中国の侵略行為
日中和平工作/中国の妨害
日中戦争の実相/意外と緩やかな戦闘
中国の民衆/日本軍を支援した者も少なくない
日中戦争への欧米の介入/中立のはずが中国へ肩入れ