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中国の内戦

中国は歴史上、常に内戦状態にあった。
日中戦争中も、またその前後も、
国民党と共産党による内戦
(国共内戦)を中心に
軍閥(武装した政治集団)同士の戦争が
続き、国内は騒乱状態に陥っていた。


●辛亥革命から日中戦争に至るまでの中国は、軍閥内戦・国民党内戦・国共内戦が休む間もなく続いた戦乱の時代だった。全国的に見ても、省VS省、村VS村、といった戦争は絶えることがなく、例えば四川省だけでも約500回の軍閥内戦があった。

《黄文雄 「日中戦争知られざる真実」他の著書「「日中戦争」は侵略ではなかった」》


●袁世凱が突然死し、強力な指導者を失った中国は分裂した。溥儀を皇帝として復位させる試みも失敗し、中国はほどなく各地方軍閥間の内戦に突入した。(地方軍閥が支配する小国家に分裂していった)
       《田辺裕 「世界の地理(20)」》


軍閥の混戦に農繁期も農閑期もなかった。果てしない内戦は、国土を荒廃させ、農作物を痛めつけた。「大役の後、必ず凶年あり」。田畑が荒らされるだけではなく、戦いの後多数の死骸がそのまま放置され、土と水を汚し、疫病を流行らせた。

●そればかりではない。軍閥はその武力を拡張するため、農民に重税を課し、働き盛りの男たちを奪い去った。彼らは己の覇権保持のために地方の富を根こそぎにする掠奪者にすぎなかった。各省を束ねる大軍閥から小鎮を徘徊する小軍閥まで軍閥は幾重にも覆い重なり、農民から富・収穫物・牛馬・荷車・若者など、彼らの役に立つものなら何もかも搾り取り続けた。農民たちは戦乱のたびに逃げまどい、また兵士や運搬夫となって戦場にかり出された。

●軍閥の兵士たちは簡単に匪賊に変身したり、土匪が軍閥軍に組み入れられたりした。そして一説によれば、4億の民の中に土匪の数は500万と言われたという。このように土匪と軍閥軍とは、その規模の大小を除けば、殆どその性質や基盤を同じくしていた。

●地主や金持ちは、生き残るためには自ら武装するか、軍閥や匪賊と結託するほかなく、そのための費用はみな農民からむしり取るしかなくなった。
これに対し追いつめられた農民たちは、地主や郷紳の家を襲い、ため込まれていた食糧を奪い、家畜をつぶし食いあさった。それゆえ初めから匪賊となり、金持ちやその家族を人質にし、身代金の取り立てを行う輩の方が多かった。
《西岡香織 「報道戦線から見た「日中戦争」」》



●世の動乱を見ると、己の利益ではなく人のためを願い闘う者がいるものである。ところが中国にはこれが全くない。血の海に膝まで浸かり、村といわず町といわずことごとく絞られ荒らされ、死者・拷問・餓死者が毎年数百万もでるのに、何万という大学出の学士様は手をこまねいているだけで何もしない国。…こういう国は世界のどこにもない。

解決策を1つ提案しよう。ハーグ条約やジュネーブ条約に基づいて、警察を各国から集めて治安維持団を組織し、これを中国に派遣して秩序の回復に努めてはどうか。こうした海外の指導・協力体制が整えば、暴君どもは退治できるであろう。
         《ラルフ・タウンゼント
           「暗黒大陸中国の真実」》


●満州事変から支那事変に至る時期の蒋介石の政策は、「安内攘外」(外の敵を撃つには、先ず国内の安定から)だった。蒋談…「共産主義がひとたび民衆の心の内に浸透すると、回復は不可能になる。日本の侵略は、中国の国力が充実すればいつでも撃攘し得る。先ず内を安じて後、外に当たるのが物事の順序である」
       《中村粲 「大東亜戦争への道」》


国共内戦での死者は、日中戦争のそれより多かった。
   《黄文雄 「近代中国は日本がつくった」》


●当時の支那は、軍閥が割拠していて国民国家じゃない。国民国家がないところに出ていくことが、国際法上の侵略の定義に当たるか。
    《小林よしのり SAPIO 2005/1/19号》



●清朝没落後、中国の政治的中心がどこにあるかということについては、日本のみならず列強が非常に苦労した。フランスの外務大臣だったブリアンは、「ケスク・ラ・シーヌ?(支那とは何ぞや)」という名言を吐いたと言われる。支那という呼称自体からして、列強にとっては中華民国ではどの政府だかわからない。そこで地域的な呼称である支那を使っていたから、そのまま国の名称になった。
      《江藤淳 「大空白の時代」
        他の著書「閉された言語空間」》


●ともかくも中国にあっては、王朝やその出先の地方長官が人民に利益をもたらすという例は秦以後もほとんどなく、人民としては、匪賊同様、これも虎狼のたぐいと見、できるだけその害をよりすくなく逃れることのみを考えてきたし、でなければ暮しも命も、保ってゆかない。 
       《司馬遼太郎 「項羽と劉邦」》


●当時の中国は、近代国家の要件を備えていなかった(国家間の取り決めを守らない)ため、各国は自国民の安全を保持しるための「租借地」だの「治外法権」だのといった特権を設定するか、あるいはこの国での居住および活動を放棄するか、の二者択一を迫られざるを得なかったのである。

辛亥革命以後の中国には、そもそも中央政府と呼べるものすらなく、「政治的憂乱、内乱」がまさに日常的な現実だった。それは全ての関係国に、困惑と混乱を与えるものでもあった。その領土的行政的保全を慎重しようにも、そもそもその前提となる国家そのものの実態がなかったのである。
            《伊藤哲夫 産経新聞》



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