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左翼とは

左翼・右翼とは、取りも直さず
その人の考え方のことである。
ヤクザやインテリのことを指す言葉ではない。


●「右」「左」の定義…
思想を「右」「左」で分けるようになったのは、18世紀のフランス革命からである。この時、国民議会の議員は大きく二派に分かれた。

◇「国王に、議会が決めた法律を拒否する『拒否権』を与え、議会は庶民院と貴族院の二院制とする」という、穏健的・保守的な議員。

◇「国王の『拒否権』は認めない、議会は一院制とする」という急進的・革新的な議員。
…そしてたまたま、保守派の議員が、議長席から見て右側の席に集まり、革新派の議員が左側に集まって座ったのが始まりである。

●ざっくり言えば、フランス革命が「自由・平等・同胞愛(博愛は誤訳)」をスローガンとして、これを抑圧する国王や国家権力の旧体制を打破しようとしたものであることから、
◇「左」は個人の「自由」や「平等」を重んじる社会への「革新」を目指す。
◇「右」は国王(日本の場合は天皇)や、国家を重んじる体制を「保守」する
   …といったところだ。
    《小林よしのり SAPIO 2013/5月号》


●「左翼」=理性や啓蒙の子であり、民主主義・平等・人権をこの世で実現しようとする。政治や経済の仕組みは人間の手で作りかえることができる、という前提でものを考える。しばしば左翼は、革命によって理想の世の中を作り出すことを夢見てきた。

●「右翼」=伝統や人間の感情・情緒を重んじる。長い間定着してきた世の中の仕組みは、多少の弊害があってもそう簡単には変えられないし、変えるべきものでもないと右翼は考える。また個人よりも共同体の価値を重視する。
…20世紀には左右の対立は、資本主義を倒すべきか否かをめぐるものであった。
              《知恵蔵2006》


●コミンテルンからの攪乱・破壊指令を受けて実行するというのが、日本の左翼運動の出発点だったと考えると、未だにその体質をずっと引きずっていると見ていい。つまり何かを建設するという方向にはなり得なくて、体制破壊・弱体化を少しでも推し進めれば、それで運動の成果は上がっているという考え方。

いったい左翼というものは、何を望んでいるのか。
なるほど国が混乱しないことには左翼政権はあり得ないわけだから、規制の社会秩序・道徳や規範は乱れれば乱れるほどよい。
経済も不景気になるほどよい。旧ソ連でも、革命を起こすためには戦争に負ければよいと、日露戦争でも第一次大戦でも彼らはそう願った。
    《渡部昇一 「国を売る人びと」 
        他の著書「日本を嵌める人々」》

●共産・社会主義者も国民全体から見ればごく少数のはずだが、一部社会的な影響力を行使できる場に偏在しているのが現状。特に大学はそれが顕著である。大学の教員の中に占める左翼の割合は、ほかのどの世界と比べても一番多いだろう。拠点確保という意味で意識的に大学に入ってくる人もいれば、逆にそうした大学教育で洗脳されてしまって、卒業後に民間企業にでも就職すれば解けるはずの迷妄がそのままに、学内に残って後継者を育てることに使命を見いだす人もいる。

●特に国立大学の教育学部は、その殆どが日本共産党の影響下にあると言われている。共産党系でないと採用されないとさえ言われている。税金でもって社会主義者・共産主義者を飼い、培養する機構に大学がなってしまっている。(私学助成金が国から出ているから私学も含めて)
            《八木秀次  〃  》

●左翼は潰れる心配がないところで増える。(大学・官庁など)可能性として潰れることがあるようなところは、風通しもよく競争があるものだから、左翼運動なんてやっていられない。
            《林道義  〃  》

●なぜ大学に左翼勢力がはびこり得たか…
やはりマスコミとの連携が大きい。戦後、学者にとってのステータスというのは、少なくとも社会科学系では朝日新聞に名前が載るとか、岩波書店から本が出るとかいう時代があった。これら朝日・岩波に気に入られようとして左翼の虜になる、あるいは傾斜していくという傾向はなくなっていない。 
            《渡部昇一  〃  》


●提案のすべては何気ないもので、ただそれをつなぎあわせると恐ろしい決定であることが分かるのは、ずっとあとである。
     《山本夏彦 「何用あって月世界へ 」》


●「大甘の理想主義」=左翼  「ズブズブの現実主義」=保守 
            《小浜逸郎 正論


●左翼は、「保守」=「秩序・権威・全体主義・時代錯誤・体制派」と見る。健全な秩序を崩すことに快感を覚えるだけでなく、むしろ積極的な意義を見いだしているのである。 
    
   《林道義 正論 2005/9月号》


●たとえば「鉄人28号」という物語がある。ああいう類のヒーローは、ぱぁっと空を飛んで人を助け行く。小さい子供がそれを読んで、自分でそのつもりになって風呂敷を首に巻いてパーっとやっている。しかし実際にそれで2階から飛んで死んだという子がいるかというと、それはいない。子供というものはすごい。ストーリーがものすごく生きているのだが、それと外的現実との間をきれいに調整している。
   《河合隼雄
    「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」》


●その昔、左翼のデモ隊などが警察や自衛隊を「税金泥棒」と罵った時期があった。
  《石堂淑朗 「日本人の敵は『日本人』だ」》


●1990年1月、「天皇に戦争責任はある」と発言した長崎市の本島等市長を、長崎市の右翼団体「正気塾」の幹部が狙撃し重傷を負わせている。
この後、「言論へのテロは断じて許さない」とする市民団体・労組・ジャーナリスト等のデモ行進が何度もあった。

この人たちは一度でも正気塾への直接行動があったか。行われたデモは正気塾とは何の関係もないどこかの公園や街頭で、しかも同じく何の関係もない一般市民に向かって「言論の自由を守れ」と訴えたものばかりだ。市長を狙撃したのは一般市民ではない。国家機関による凶行なら、一般市民に訴え、その政党を支持しないよう啓発する意味があるだろう。しかし正気塾を屈服させるのに一般市民を啓発して何の役に立つのか。
          《呉智英 「サルの正義」》


●左翼は「資本主義は戦争勢力で、社会主義は平和勢力」という短絡思考で、森羅万象を切り刻んだ。
  《屋山太郎 「なぜ中韓になめられるのか」》


●彼らには、戦後日本がソ連や中国・北朝鮮のような社会になるべきだという理想があった。でも現実はそうならなかった。彼らはそうならなかったことを実に悔しく思っている。
その悔しさをどう晴らすかというと、今の日本が悪くなればいいわけである。とにかく今の日本がうまくいっているのが妬ましくてしようがないから、何でもかんでも難クセをつけて、日本を悪いほうへ導こうとする。
       《井沢元彦 「朝日新聞の正義」》


●「新しいことがよきことだ」と「変革」を第一の価値に置いてしまい、急進主義に走ったために、ルールの体系は崩壊した。 
          《西部邁 論座2006/5月号》


●短期的には合理的だが、長期的には合理的でないふるまいというものがある。あるいは少数の人間だけが行う限り合理的だが、一定数以上が同調すると合理的ではないふるまいというものがある…

◇「他人の生命財産を自由に簒奪してもよい」というルールは、力のあるものにとって短期的には合理的であるが、それが長期にわたって継続すると、最終的には「最強のひとり」に全ての富が集積して、彼以外の全員が死ぬか奴隷になるかして共同体は崩壊する。

◇子供を育てることは女性の社会的活動にハンディを負わせる。だから「私は子供を産まない」という女性は、他の女性よりも高い賃金・高い地位を得る可能性が高い。
しかし、女性全員が社会的アチーブメントを求めて子供を産むのを止めると、「社会」がなくなるので、賃金も地位も空語となる。

●倫理的でない人間というのは、「全員が自分みたいな人間ばかりになった社会」の風景を想像できない人間のことである。私たちが自分に課すべき倫理的規範は、ある意味で簡単なものである。それは社会の全員が「自分みたいな人間」になっても生きていけるような人間になることである。
         《内田樹 「街場の現代思想」》


●戦後の教育のおかげで、国民は自分の愚に気づいた。が、愚に気づいたといふことは、必ずしも賢に至り着いたことを意味しない。一つの愚から目ざめて、また別の愚に突進するといふことも間々起りうる。

●今日、さういふことになつてゐはしないか。忍耐、奉仕、天命、愛国などといふ昔の徳目の愚民政策のために利用されたと言ふなら、自由、平等、民主主義、平和などの今日の徳目も同じことではないか。それらによつて、国民は戦前より少しも幸福になどなつてはゐないのである。福祉国家の夢は富国強兵の夢ほどにも、人人に幸福を約束しない。

●左翼は民主主義を楯にして、暴力に左右の別をたてる。すなはち左の暴力は大衆行動であつて、大衆行動は暴力ではなく民主主義的政治行動であり、それを挑発し弾圧する力こそ暴力であるといふことになる。
        《福田恆存 「日本への遺言」》


大体、左翼系の運動の人というのは自腹を切らない。保守系の政治運動家や右翼の人はきちんと自腹を切る。左翼系は人の腹を切らせるのは非常に得意なのである。だから行政にいろんな支援金を出せとか、NGOをつくったからカネを出せとか、そういうことを言うのは大体左翼系の特徴なのだ。
          《佐藤優 「国家の自縛」》


自分に甘く、他人に厳しい、それが「サヨク」の共通する特徴だということは、これまでも幾人かの識者が指摘している。
  《中宮崇 「天晴れ!筑紫哲也news 23 」》



●ソ連崩壊後、左翼の勢いはかつての面影もない。だが、学界や教育界、学校、そして労働組合等の閉鎖的世界では、彼らの勢力はなお健在である。
   《吉澤国雄
    「真正保守がこの国の活路をひらく」》


左翼運動をやっている人たちというのは、基本的にとても勘違いしやすいタイプの人たちである。いいことをやっているという思い込みがあるから、けっこう強引だったり、押しが強かったりもする。
それこそ赤軍派ではないが、総括で仲間を殺しても、自分たちの正義のためだというような論理が成り立ってしまう人たちなのだ。
   《和田秀樹 「永田町「精神分析」報告」》


●「生きることは身体に悪い」 「欲しいものは与えることによってしか手に入らない」 「私と世界が対立するときは、世界の方に理がある」 「私たちが自己実現できないのは、『何か強大で邪悪なもの』が妨害しているからではなく、単に私たちが無力で無能だからである」   
…ということを私たちは知りたくない。だから、必死でそこから目をそらそうとする。でもそれは、自分が何を知りたくないのかを知っているからできることである。知っているけれど、知っていることを知りたくないのである。
  《内田樹 「村上春樹にご用心」
   他の著書「もういちど村上春樹にご用心」》






学校の教室、ホームルームのような場で、ひとまず耳ざわりのいいものとして聞こえるもの言いや、そこでの立ち居振る舞い、それこそが「反日マスコミ」に象徴されるサヨクぶりや、プロ市民的もの言い、つまり「反日」の発生地点である。それはある意味で「優等生」のたしなみ、であり、その限りでそれは「先生」という立場にほめられる、評価されるためのもの、という縛りがかかる。

●学校と、その延長線上にあたる世界、たとえば、テレビやラジオ、出版といったいわゆるマスコミ、大学などの学者・研究者から学校の教員、そして役所に医者、弁護士…何のことはない、昨今いわゆる「勝ち組」と称されるような職種の多くは、それら学校民主主義の型通りが跋扈する場としてふさわしいものになっている。

●もう一度わかりやすく定義しておこう。サヨクやプロ市民といった「反日」の身振りは、そのような学校民主主義の「優等生」たちの身だしなみであり、その限りにおいてはそれはまさに戦後、高度経済成長期以降に輪郭をあらわにしていったニッポンのエリートカルチュアの、あるコアの部分でもあった。

●身だしなみである以上、それはいちいち考えなくてもいいもの、になっている。マナーとしてのサヨク、とにかくそういうもの、としての「反日」。なぜネクタイをしなければいけないのか、なぜ靴をはかねばならないのか、といったことをいちいち考えながらこなしている者はいない。

●同じように、すでにその場のマナーと化してしまったサヨクぶり、プロ市民らしさは、いちいち疑問を呈するようなものでもなくなっている。「反日マスコミ」のあの反省のなさ、世間から浴びせられている視線についての自覚の欠如は、それほどまでに彼らの「反日」が単なる習い性、深く考えた上で自覚的に選択されたものなどではとうになくなっていることの、雄弁な証拠に過ぎない。

高度成長期の大衆化をくぐってゆく過程で、サヨクは間違いなくある「自由」の表象、「個人」であることを最も手軽かつ効率的に見にまとうことのできるアイテムと化していった。だからこそ身だしなみとして誰もが身にまとえる、それこそお手軽なジーンズみたいなものになっていったわけである。
       《大月隆寛 正論2009/7月号》


●『左』は何もしない。中国や北朝鮮の目を覚まさせられない。国際親善を唱えているだけだ。
       《日下公人 産経新聞2006/9/14》


●「思想」とは自分の思いこみを掘り下げていくこと。それを止めて石頭になると「イデオロギー」と化す。
          《長谷川三千子 出典不明》


●昔から青年は反抗的なところがあったし、反抗児たちは次の歴史の発展へのばねとなってきた。しかし、口先だけの否定的哲学は、いわばアクセサリーのようなものでしかない。それは彼が年をとるにつれて消え失せ、なんの傷跡も残しはしない。

●しかし、なんという精力の空費か。習慣として反対することがなければ、肯定的にせよ、社会についてもっと深く考えるだろうに、そうではなく、深く考えもしないで反対を大声でがなり立てることに精力が空しく費やされていく。それはまじめな反抗の存在の何倍も恐ろしいことなのである。
       《高坂正堯 産経新聞1973/12/27》

【3月12日更新】

テイラー、ロキイチ、バーカーといった心理学者は、左翼の権威主義的性格について研究している。
熱狂的な左翼とファシズムは心理的に近い。このことを最初に指摘したのはエリック・ホッファーだといわれているが、これは共産国の現実をみれば十分納得できることではないだろうか。
       《佐藤貴彦 正論2007/7月号》



【ハト派】
 自分の方が友好的態度を示せば、誰も自分に危害を加えないだろうと考える楽天的な人。ハト派には大別して
①現実のきびしさを理解できない幼稚バト
②断固たる態度をとる勇気に欠ける臆病バト
③ハト派的言辞を弄した方がマスコミの受けがよいと考えている俗悪バト
④自分たちの意見に同調しない非ハト派を発見すると、凶暴化するタカバト
    …の4種類がある。

【タカ派】 ハト派の意見に賛成しないが故に、ハト派から攻撃されている人たち。
         《香山健一 「天使の辞典」》


●いわゆるプロ市民と呼ばれる人たちのガレキ受け入れをめぐる反応は、本当に醜い。日頃は弱者に対する一層の支援を唱えていながら、国難の今、一番の弱者である被災地の方々の苦しみを少しでも肩代わりしようとは考えない。「放射能汚染から子供を守れ」などのスローガンで抗議活動をしているようだが、それを聞いた被災地の親御さんたちがどう思うか…。 
         《銀谷翠 正論2012/6月号》

●現にガレキ受け入れを表明している自治体の首長は、東京都をはじめ大半が保守系である。
           《河添惠子  〃  》


「これこれでなきゃダメ」というのが原理主義である。
「使えるものがこれしかないから、これで何とか折り合いをつけよう」というのが機能主義である。

●原理主義者は「リソースは無限である」ということを前提にして、至純にして最高のものを求める。機能主義者は「閉じられた世界、有限の時間、限られた資源」の中で、相対的に「よりましなもの」を求める。

どちらがよりよい生き方であるかは決しがたい。けれども、無人島に漂着したとき、どちらが生き延びる確率が高いかはすぐわかる。
   《内田樹 「こんな日本でよかったね」》

※解説 「原理主義者=左翼」 「機能主義者=保守」(管理者)


【国内の反日勢力】
左翼とは/意味とルーツ
進歩的文化人/過去の欺瞞が暴かれていく
日教組/朝日新聞が絶対報じないその弊害
過激な左翼/いまだに暴れる連中
全共闘/恥知らずな輩
反日国家の傀儡/スパイ工作にはめられる者
変わった人たち/日本を嫌う者
左翼とは正反対の保守とは/常識や世界基準ということ