韓国の戦争犯罪韓国よ、過去の日本を非難する資格があるのか?
ベトナム戦争での残忍な民間人殺戮に 頬かむりする韓国の卑劣を暴く! |
韓国の大量虐殺事件を告発する ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実 ●韓国は、日本の慰安婦をとやかくいう前に、おのれの国の民間人大量虐殺を、世界に対して謝罪しなければならない。戦争犯罪に時効はない。韓国を、できるだけ早く、戦犯法廷に告発し、裁くことを提言する。 ●ベトナム戦争を汚い戦争にした最大の犯人は、韓国軍の大量虐殺事件である。アメリカはソンミ事件だけであるが、韓国軍は、ベトナム全土で、約100ヵ所、1万人から3万人の大量虐殺事件を起こしている。 ●アメリカは、大量虐殺事件の当事者でもないのに、大国として、すべての責任を引き受けた。カリー中尉は裁判にかけられた。アメリカはベトナム戦争を総括し、とるべき責任をとった。ベトナム戦争は正義の戦争ではなかったというのが、一般のアメリカ国民の理解となっている。 ●しかし、韓国は、アメリカの陰に隠れて、ベトナム全土の大量虐殺にほっかむりし、責任をのがれてきた。当時の指揮官の全斗煥も、盧泰愚も、大統領にまで上り詰めた。韓国という国は、大量虐殺を指揮した戦争犯罪者が、大統領になる国である。常軌を逸している。 ●さらに、韓国が許されないのは、あろうことか、ベトナム戦争を正義の戦争だと公言し、賛美し、4万坪の広大な施設をつくり、見学コースとして公開していることである。韓国では、ベトナム戦争に対する国家国民ぐるみの総括も反省もない。まして謝罪はない。 ●われわれは、昨年(管理者注=平成25年)と今年2回、ベトナムの中部5省を歩きまわり調査し、その証拠を数多く発見した。多くの虐殺地で、多くのベトナム人が「韓国軍は残虐だった」と証言した。両親を含む一家8人を惨殺され、たった一人の生き残りの男性は、「絶対に忘れない。復讐をしたい」とまで言いきった。 ●韓国軍の民間人の殺し方は、残虐きわまりない。強姦し、放火し、妊婦の腹を割き、首を斬り落とし、手足を切り裂いた。しかも、女、子供、老人、ゼロ歳児もいる。 ●今回調査した虐殺慰霊碑は、ベトナム人が建立したものであった。ゆえに、韓国軍の残虐行為を忘れないように、そしていつか復讐するという願いを込めて、「恨みの碑」「憎悪の碑」「復讐の碑」などと命名している。 …いくつかの事例 【ビンアンの大虐殺】 ●ビンアン虐殺事件は、韓国軍によるベトナム戦争中の最大級の虐殺事件であった。虐殺された犠牲者の数が1004名である。すべてが農民(民間人)、とくに、女、子供、老人である。それはひどいものだったと、年寄りから聞かされているそうだ。 ●一口に1004人といっても、現代の日本人には想像できない規模の大量虐殺である。昭和20年7月のわが郷里、徳島空襲の犠牲者が、一晩で、1000名だった。 ●大量の焼夷弾を投下する空襲と比較して、虐殺というものは、韓国兵という人間が、ベトナム人を一人ひとり、撃ち殺し、切り刻み、手榴弾で爆殺するのであるから、空襲よりもはるかに残虐であり、非人道的だと想像できる。 ●1ヶ所の虐殺だけでも残虐非道であるのに、しかも20世紀後半に、ベトナム全土で繰り広げられた、1万人から3万人の虐殺は、世界的な許されざる大量虐殺ということになる。 【ファン・バン・フック家の虐殺】 ●ビンアンの慰霊廟を出て、畑の中の道を3キロくらい歩くと、小さな集落がある。その1軒がファン・バン・フックさんの家である。この家の庭に虐殺碑がある。個人の家に慰霊碑があるのは、よほどのことである。1969年2月12日、フックさんの一家10人が韓国兵に虐殺されたのである。 ●フックさんは、家の中で4人、外で6人殺されたと語った。フックさんは外出中で、難を免れたそうだ。 突然、戦車や装甲車で武装した韓国軍が村に侵入してきた。そして、片っ端から、家に火をつけ、人間を狩るように探しだした。 ●家にいた女性は暴行を受け、ナイフで切られ、なぶり殺しにされた。男は射殺された。フック家も放火された。 【ニョーラム村の虐殺】 ●ニョーラム村周辺では、かなり広範囲に渡って韓国軍が住民を虐殺した。81歳のソンさんによると、韓国軍がヘリコプターと戦車でやってきた。最初はお菓子やパンを配ってくれたので、人々は安心して家々から、この場所に集まり始めた。韓国軍は家々に声をかけて人々を集めた。人々は、何かを配ってくれると思って、続々と集まってきた。 ●しかし、突然、韓国兵は、手榴弾、機関銃、鉄砲で住民をあたりかまわず撃ち始めた。その光景はすさまじく、遠くのほうで畑仕事をしていた人にも、うめき声や逃げ惑う人の声、赤子や子供をかばう母親の声が、爆発音と銃声の間に聞こえてきた。虐殺が終わった後、多くの親戚や親、兄弟などが集まり、嗚咽する声がやまなかったそうだ。 【キンタイ村の虐殺】 ●アメリカ軍の作戦は「索敵撃滅作戦」というもので、解放戦線や北ベトナム軍の兵士と拠点を見つけだして、撃滅するという作戦であった。最初に戦闘機による爆弾の投下をする。次に武装ヘリコプターによる空中からの攻撃である。まさに雨のように爆弾を降らせる物量作戦である。 ●トン氏(85歳、元北ベトナム軍の兵士)によると、韓国軍はヘリコプターでやって来て、家々に火を付け、家畜小屋を破壊した。家の中にいる子供・女性・老人・赤子のいる母親を見境なく撃ち殺した。 ●韓国兵に対して、解放軍と村人が徹底的な攻撃を加えて撃退した。家族や身内や友人の虐殺に怒った北ベトナム軍と解放軍、それに女性も、韓国軍から武器を奪って攻撃に参加した。 ●トン氏によると、解放戦線や北ベトナム軍は、これまで何度も米軍と戦闘をしてきた。しかし、村の中では絶対に戦闘をしていない。村が破壊されることを恐れたからである。このため、米軍との戦闘は村からはずれた場所でおこなわれた。米軍も解放戦線や北ベトナム軍とは、真正面から戦ってきた。米軍は虐殺はしなかった。 ●われわれは米軍に対して正面から戦ったし、彼らもわれわれと正面から戦った。ゆえに、恨みはなにもない。しかし、韓国軍は、赤子・子供・婦人・老人の住む村に侵入して、虐殺をした。 ●韓国軍は戦いもせずに、家々に火をつけ、家畜を殺し、生活ができないようにした。さらに女性を暴行し、強姦し、子供・婦人を殺した。人間以下の軍隊であるとトンさんは述べた。 ●村々には男の人が不在であったため、動ける女性は立ち上がり、韓国軍やアメリカ軍から、武器を奪って戦闘に参加している。この時の状況は、虐殺記念碑の彫刻に記録されている。 ●約100ヶ所、1万人~3万人を虐殺した韓国は、なんのおとがめもない。卑怯卑劣にもアメリカに責任をおっかぶせて逃げ隠れしてきた。 ●韓国は、おのれの戦争犯罪を棚にあげて、日本を非難することに血道をあげている。韓国人に言いたい。日本の戦争は、戦争裁判において裁かれて終わっている。韓国の戦争は裁かれていない。東京裁判では7人が絞首刑、東南アジア各地のBC級裁判では約1000名が処刑された。天文学的な賠償金を払い、天文学的な援助を行ってきた。 ●韓国の2ヶ所の戦争施設を調査してきた。第一は、ソウル北東90キロにある江原道華川の「ベトナム参戦勇士との出会いの場」(以下、参戦勇士の場)、第二はソウルの「戦争博物館」である。 ●参戦勇士の場は、4万坪の広大な敷地の中に、さまざまな施設が点在している。中央に「記念会館」がある。立派な建物である。この中には、ベトナム戦争での韓国軍の戦いを記念した品物が展示してある。 ●屋外の広場には、ベトナムのクチトンネルを再現したトンネル、韓国軍兵士が戦っている模型像、訓練施設、食堂、戦車、大砲などが展示してある。 ●ベトナム戦争の脇役、チョイ役だったのに、これほどの巨大施設をつくる韓国人の心理は理解に苦しむ。民族として華々しい戦歴をもたぬ韓国人にとって、ベトナム戦争は誇りある戦争なのだろう。しかし、自分たちはそう思っていても、世界史では、誰も評価していない。 《北岡俊明/北岡正敏 「韓国の大量虐殺事件を告発する」》
●しかし、ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争-韓国人のベトナム戦争』(金賢娥著・三元社刊)でこう証言している。 「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」 ●前出・具氏の調査によると、韓国軍によるベトナム民間人の虐殺被害者は少なくとも9千人以上と見られている。村人65人が犠牲になったビンディン省・タイビン村では、韓国兵士に輪姦された女性が焼き殺される惨たらしい事件も起きている。 ●そうした史実は国際的には知られているが、韓国の教科書にはもちろん載っていない。かわりに日本の軍隊が、慰安婦として若い朝鮮人女性を無理矢理連れ去ったという証拠のない話が大々的に書かれている。 ●韓国兵によるレイプなどでベトナム女性との間に生まれた子供は「ライダイハン」と呼ばれた。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称だ。 ●韓国「釜山日報」によると、現在、ベトナムにいるライダイハンは最大3万人と推計される(諸説あり、数千人とする指摘もある)。その多くは戦争終結後、ベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性の間に生まれた子供と言われているが、韓国兵のレイプにより生まれたライダイハンが少なからずいるのは事実だ。レイプされた被害者数はその何百倍、何千倍にも及ぶ可能性がある。 ●当然、ベトナムは戦時中から韓国への憎悪が燃え盛った。元朝日新聞サイゴン支局長の井川一久氏が振り返る。 「72年にサイゴンに赴任した直後、私の車がベトナム人青年のオートバイと接触事故を起こし、100人近い群集に取り囲まれるハプニングがありました。興奮した群集は『ダイハン!』と口々に叫びながら、憎悪に満ちた眼でこちらを睨んでいる。私を韓国人と勘違いしたのです。パスポートと記者証を見せて難を逃れましたが、現地でどれほど韓国人が嫌われているかを痛感する出来事でした」 《SAPIO 2013年12月号》 ⇧このリンクは最新号 韓国軍はベトナムで何をしたのか ●ベトナムの、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部は、ベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった。ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。 ●このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺のすさまじさを知ったという。 集落全体では、66年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。 ●15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。 「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵士が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」 ●ここではゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔が建っている。そこには「韓国軍が行った非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。 ●ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ナダン。そこから20キロほど南へ下るとハミ村がある。68年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。 ●犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。殺戮と破壊…これがベトナム戦争で韓国軍が行ったものだと、現地の人々は口をそろえた。 ●ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏がいう。 「当初の韓国軍の主な任務は『ベトコン掃討作戦』でしたが、68年以降は『農村の無人化作戦』に変わりました。わかりやすくいえば、反米の南ベトナム解放戦線が大半を支配していた農村部を壊滅状態にすることです。戦場でベトナム人を見つけたら。女、子供問わず抹殺するのが仕事。彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。女性を見つけたらレイプした。単独ではなく輪姦です。そして用が済めば殺す。もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」 ●こうした韓国軍の行為が明らかになるにつれ、反韓感情がベトナム人の間で湧いていったという。井川氏が続ける。 「ベトナム人たちにとって韓国軍は"アメリカの金を目当てにやってきた傭兵"という認識でした。 彼らには何の大義もない。それどころか犯罪者集団だという人もいた。支局長時代、ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くといったら"私は行けません。彼らの前に立つだけでも吐き気がする"と拒否されました」 ●朴槿恵大統領は昨年、抗日運動の記念日(3月1日)に、「加害者と被害者の立場は1000年経っても変わらない」と演説し、日韓に横たわる歴史認識の相違に徹底的に固執する態度を表明した。 ●ならば、韓国軍によるベトナムの歴史についてはどう考えるのか。韓国政府はいまだに民間人の虐殺やレイプについて、その存在を認めてはいない。 ●両国の国交正常化から6年後の98年、金大中大統領がベトナムを訪れ、「ベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と謝罪した。虐殺やレイプに触れたわけではない。 ●それでも強い反発を見せたのが、当時野党のハンナラ党副総裁の職にあった朴槿恵大統領だ。「(韓国軍)勇士の名誉を傷つける言動だ」と猛烈に批判したのである。朴大統領は、昨年9月にベトナムを訪問しているが、謝罪はおろか、ベトナム戦争の歴史には一切触れなかった。 《週刊ポスト 2014年3月28日》 ※「日韓併合」も参考に |
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