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A級戦犯

東條英機らA級戦犯は、
日本では極悪人扱いされているが…



●オランダ代表判事レーリングでさえ、厳しい判定(個別意見書は9名に死刑判決)を下しつつも、「被告はそのほとんどが一流の人物でした。全員ではないものの、大多数は傑出した人物でした。海軍軍人、それに東條も確かにとても頭が切れました…本当に立派な人たちでした」と、A級戦犯とされた日本人被告の人間としての側面を高く評価した。(「The Tokyo Trial and Beyond」)
        《牛村圭 中央公論2005/9月号》



●むしろ日本人の方が極悪人扱いして来た。
        《牛村圭 諸君!2007/5月号》



●東京裁判で東條が問われたのは、もっぱら開戦責任だった。
          《読売新聞2005/7/15》



●東條英機は、あの裁判の判決通りに従い、結果的にはそのこともあって日本は講和条約にこぎつけたのだから、平和のために命を提供したという見方ができる。
 《上坂冬子 「日本はそんなに悪い国なのか」》
       (他著書「死ぬという大仕事」)


●当時存在しなかった「平和に対する罪」と異なり、戦争法規違反の「B級戦犯」を裁くことは罪刑法定主義に反しない。その意味でも「A級戦犯」だけを罪悪視する立場は、法的論拠を欠く。
         《潮匡人 正論2005/8月号》


「平和に対する罪」・「人道に対する罪」は本来成立しないわけだから、我が国にはA級戦犯は1人もいない「戦争犯罪」は元来、戦時国際法規による厳密な定義の上で初めて成り立つ概念である。その定義には全くおかまいなしに、ただ戦争に積極的に関わっただけのことを指して「戦犯」と呼ぶ。
      《小堀桂一郎 諸君!2005/6月号》


●東條は昭和22年12月19日付の口述書で、日本の戦争の正当性を主張する一方で、自らの敗戦責任については明確に認めている。「敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし私の責任である。衷心より進んでこれを負荷せんことを希望するものである」
            《産経新聞2005/8/1》
 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」)



全ては歴史の流れである。東條らの役割など、恒河(ガンジス河)の砂の一粒でしかない。
      《岡崎久彦 中央公論2006/1月号》



東條は、国内法も国際法も一切犯していない。
    《小林よしのり SAPIO2006/6/14号》



●東條は獄中で毅然とした信念を持っていた。それは、日本はもともと国際法を犯した戦争はしていないということ。従って真実を理路整然と証言すれば、おのずから無罪を証明することになり、目的は果たされるはずだ、という確固たる考えである。

  《佐藤早苗 「東条英機 封印された真実」》
 (他著書「特攻基地知覧始末記 特攻隊員異聞 」)


●戦後の日本社会は、A級戦犯として断罪された25名に「悪」という色をつけてしまった。日本人1人1人、罪があった人もなかった人も、自己の免責と保身のためA級戦犯の糾弾に走ったのだ。

●「A級戦犯は全員が無罪を主張し責任逃れに終始している。潔くない」と思い込んでいる人も多いが…
日本が「理由なき侵略戦争」を共同謀議の下で遂行したことが、裁判所憲章で規定された「平和に対する罪」にあたると検事団は主張したのである。

●ところが日本側には大義名分(アジアの植民地化を進める列強に抗すべく大東亜新秩序を掲げ、米国の挑発に堪えかねて自衛戦争に乗り出した)があった。検事団が主張しているような意味での罪の意識はないし、共同謀議もないから、そのような責任は負いかねる、と。
…”起訴状の意味で”「無罪」を主張したということが、なぜか「彼らは責任を全く認めようとしなかった」と誤解されたままになっている。

●東條や広田・重光をはじめ、被告席に並んだ人たちは「敗戦という苦しみを与え国民に対して申し訳ない。そのことについての責任は負う」と思っていたし、実際に書き残している。東京裁判は、「日本国民への敗戦責任」を問う場所ではなかった。
       《牛村圭 文芸春秋2006/9月号》
 


●戦勝国の報復裁判だと承知しながら戦犯たちは、その遺書に平和のために命を提供すると書き残して処刑されている。現に戦犯の処刑後に平和条約が締結された。
        《上坂冬子 産経新聞2005/6/3》


東條英機…「敗戦責任は、国民に八つ裂きにされても私は痛感している。しかし、開戦責任は連合国軍側に承伏するわけには絶対にいかない」
 
       《財界にいがた 2007/7月号》


●1956年12月、日本の国連加盟にあたって「日本は東西の架け橋になる」という歴史的演説をした外務大臣・重光葵を、各国の代表が握手攻めで迎え、日本に対する期待の大きさを見せた。
重光は言うまでもなく東京裁判で禁固7年の有罪判決を受けた「A級戦犯」であった。その人物が戦後間もない時期に、国際社会でこれだけ歓迎されていたのである。
《中西輝政 「靖国と日本人の心」》(他著書「なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか」)


●A級戦犯として有罪判決を受けた人は全部で25名。そのうち14人が絞首刑か獄中死して、靖国に合祀された。東京裁判の正当性を認めるのであれば、死者以外も糾弾しなければならない。(重光葵から勲一等を剥奪しなければ筋が通らない)
      《安倍晋三 諸君!2005/3月号》
 
「A級戦犯」は単に敵に処刑された日本人である。
         
 《渡部昇一 〃 》

「A級戦犯」と称される人々の政治運営の誤りなどは検証されるべきだが、彼らを「犯罪者」と扱い続けるのは無理がある。 
          《桜田淳 〃 》


●軍部が悪くて解放してやったという、アメリカの解放神話に調子を合わせているものだから、必然的に戦犯は、日本を戦争に引きずり込んだ極悪人ということにならざるを得ない。この解放神話に迎合していることを自覚しないと、靖国問題は解決しない。  
 《小滝透 
  「日本人はなぜかくも卑屈になったのか」》
    (他著書「戦後70年日本転覆思想史」)


百歩譲ってあれを国際裁判と認めるとしても、刑期を全うした者は晴れて自由の身になるはずだ。
たとえばA級戦犯として服役した重光葵外相が、刑期を終えて釈放後に日本初の代表として国連総会で演説したことなどは好例であろう。同じ論理を適用するならば、死刑に処された東條英機首相が60年目に蛇蝎のごとく扱われる理由はない。
       《上坂冬子 産経新聞2005/6/3》






罪を償った人が罪人でないのは当たり前だ。A級戦犯はもはや罪人ではない。朝日新聞よ、「罪を償っても罪人は罪人だ」といえるのか?
         《SAPIO 2005/6/22号》


現在の日本において、受刑者を「犯罪者」と呼び、不起訴者を「容疑者」と平然と呼ぶ人々がいる。

《別宮暖朗 「東京裁判の謎を解く 極東国際軍事裁判の基礎知識」》 


●敗戦責任者と戦争犯罪人は同じではない。その2つを混同してはならない。
       《平川祐弘 諸君!2006/8月号》


●A級戦犯は普通の意味での犯罪者ではなく、国家意志の遂行者・体現者である。だからこそ戦勝国がその首を求めたのだ。A級戦犯は日本国のために日本国を代表して命を投げ出した。
        《呉智英 「健全なる精神」》
         (他著書「真実の名古屋論 」)


●蔵相の賀屋興宣などは、ロンドン軍縮条約とか第二次上海事変などの節目節目で軍部に強く抵抗していたのに、起訴され有罪判決を受けている。
武藤章などは、対米開戦に最後まで反対して回避のために奔走していたのに、当時軍務局長だったというだけで死刑にされている。
       《福田和也 新潮45 2008/9月号》


●東京裁判に法的根拠がないということは、裁かれたのは犯罪人ではない。「裁かれた」のではなく報復リンチにあったようなもので、戦争犯罪裁判で命を落とした人は、言ってみれば「戦死者」である。
          《小堀桂一郎 出典不明》
    (他著書「歴史修正主義からの挑戰」)


●あろうことか、「A」容疑者は、30名から28名に減らされた。理由は、法廷に28名しか並ばせるスペースがなかったからだ。
       《藤田裕行 SAPIO2015/4月号》







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