賢者の説得力ホーム東京裁判B・C級戦犯

 

B・C級戦犯

主に外国で裁かれたB級・C級戦犯。
その実態とは…



●B・C級戦犯は裁判は形だけのもので、3,4回呼び出されただけで弁護の機会も与えられずに処刑されていった。1,2回殴ったためや、食糧が枯渇して捕虜に十分な食事を与えられなかったこと、あるいは人違いなどで銃殺刑に処された場合もあった。 
   《三宅久之
    「「日本の問題点」をずばり読み解く」》



●中国の戦犯法廷で死刑にされた人々は、死刑の前には市中を引き回され、刑場に着くまでに半死半生となった。死刑は大衆の見物する中での銃殺。射手はわざと急所をはずして撃ち、苦しめるだけ苦しませた。
        《小林よしのり 「靖國論」》



●C級戦犯の罪…例えば、捕虜を虐待したとされる下級兵士の場合、それは上官の命令に従っただけだから合法となれば、戦勝国側は復讐することが不可能になる。そこで「違法な命令に対する不服従の義務」というおかしな考えが出てきた。こんなことを言っていたら世界中の軍隊は成り立たなくなる。

●植民地を取られた恨みをイギリス人やオランダ人が持ち続けたため、B級・C級戦犯の死刑判決数はオランダが支配していたインドネシアのものが圧倒的に多かった。
           《諸君!2002/2月号》



●戦時中の捕虜・抑留者に対する虐待行為などに直接関係した人々、ならびにこれらの行為を指揮命令した人々に対する裁判は、BC級戦犯裁判として連合国軍の手で各地(49ヵ所)で行われた。(5,416名有罪、937名死刑判決)

●この裁判は、戦後の混乱期の現地で各軍がバラバラに行ったために、充分な審理をつくさず、被告の日本人に弁護の機会が十分に与えられなかった。よって…

◇無実な身で処刑された者もかなりあった。(人違い等で)
◇日本軍に虐げられた捕虜や現地住民の憎悪が向けられた。
◇通訳が無能なために、弁明が通じなかった。
◇無実を証明できる旧捕虜や住民の証言が許されなかった。
◇日本軍の上官が、下級者に罪をなすりつけた。
     《大江志乃夫 「日本の歴史(31)」
        他の著書「日本植民地探訪」》


BC級はひどい殺され方をしている。5千人が裁判もなしに殺されている。捕虜があまりにかわいそうで、なんとかゴボウを探してきて食べさせて生き延びさせたら、その捕虜があとで「あいつはひどい。木の根を食わせた」と言い、即決で処刑されたりする。
       《舛添要一 中央公論2005/6月号》


●BC級戦犯は、中国については記録が残らない数千名の”人民裁判”による刑死者があったともいわれる。戦犯容疑者を民衆の前に立たせ、「あいつに虐待を受けた」と”指名”されれば、それ以上の証拠は必要なく簡単に有罪にされたからだ。

●外務省公開文書では、中国裁判について公開処刑があったこと、不逮捕や釈放と引き換えに身代金を取った事実が述べられている。(ここでいう中国とは国民党政権であり、中共とソ連は連合国の機関と連携することなく、独自に日本軍戦犯の訴追処断を行った)
        《米田建三 正論2005/9月号》



      



●少年時代に安東で裁判風景を見聞した藤原作弥氏(現日銀副総裁)は、主催者と民主連盟(日本人の協力組織)が、かけあい漫才の呼吸で「人民諸君、有罪か」「ウぁー!」というぐあいに裁かれていったと書いている。(「満洲、少国民の戦記」より)
         《秦郁彦 「現代史の対決」》


●中国各地にB・C級戦犯として拘束され、命を奪われた日本兵は171名にものぼる。拘留中の病死者もいるが、圧倒的多数は処刑された。
     《櫻井よしこ 週刊新潮2005/12/29》


●BC級戦犯の遺書…「お父さんは何も悪いことはしていない。命令通り国のために働いてきた。それなのに命を奪われるのは残念だが、今ここでお父さんが惜しまず命を捨てていけば、お前たちが平和な時代に生きていけることになるのだと思って死んでいく…」
   《上坂冬子 「歴史はねじまげられない 」》



●足の上で火を燃やして虐待されたなどと証言した捕虜がいる。これに対して、いや、あれはお灸といって中国伝来のれっきとした治療法なのだと、処刑された人が懸命に弁明した記録が残っていた。 
    《上坂冬子 「思い出すだに腹が立つ」》


●戦犯裁判の殆どが戦勝国の恣意で行われていた。中国(中華民国)の裁判では賄賂がまかり通り、オランダの裁判では無期の求刑を受けた被告に片っ端から死刑を宣告する裁判長がいた。

「タナカ」というありふれた姓だったために、人違いされて絞首台に上がった人もいれば、アメリカの裁判で兵隊へのビンタ一つで死刑判決を受けた人もいる。

●当時、マニラ近辺におけるアメリカ軍の捕虜は約1,300名。それを昭和19年12月、米軍上陸前に日本に送ろうとした。船舶を手配して在留邦人と一緒に乗船させ日本に向かわせたら、スービック湾で米軍機の爆撃を受けてオロンガポ港に避難しようとして座礁、捕虜約200人が死んだ。
沈めたのは米軍だとはっきり分かっていながら、洪思翊中将(マニラで南方軍兵站監兼捕虜収容所長)に対し、「危険な海域に捕虜を送り出した」という理由で絞首刑に処せられた。

●輸送中の捕虜が米軍の爆撃で犠牲になった事故は、他にも何件か起きている。また、捕虜が収容されている船倉にベッドがないとか、全員が横になって就寝できないほど狭かったとか追及されても、日本兵も同様の環境だったわけだから、こちらには虐待という感覚はない。
      《牧野弘道 正論2008/4月号》


●橋田邦彦は、近衛内閣と東條内閣で文相を務めたにすぎず、昭和18年に閣外に去っているから、撃墜捕虜の生体解剖といった醜聞にも責任がない。にもかかわらず小泉親彦(東條内閣の厚生大臣で陸軍軍医中将)とともに「戦争犯罪人」容疑をかけられて、小泉に1日遅れて自殺した。
    《兵頭二十八 「東京裁判の謎を解く」》


 ※関連ページ : 「日本の軍隊」も参考に

【東京裁判】
公正な裁判とは/東京裁判と比較
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A級戦犯/誤解されている人物像
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