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仏印進駐

仏印(=フランス領インドシナ
現在のベトナム・ラオス・カンボジア)
に日本が兵を進めたことから
アジア侵略が開始され、
それに欧米列強が強く反発したことが
太平洋戦争のきっかけといわれている。



●日本の仏印進駐自体は、国際法的には全く問題ない。
ビシー政権というナチと和解した政権がいて、日本はその政府と外交的に協定を結んで合法的に進駐したので、現地のフランス軍は武装解除もされていない。
1944年4月にビシー政権が倒れたあとは武装解除するが、仏印進駐の時から大戦下まで全くやっていない。

    《福田和也 「国家と戦争―徹底討議」》
        (他著書「いわゆるA級戦犯」)


日本が南部仏印に進駐した理由…

●米英蘭の対日包囲陣構成上、仏印は重要地域であり、いつ米英側から仏印進駐が行われるかも知れず、日本はこれに対して自衛措置を講ずる必要があった。

日本の南部仏印進駐に対して、米国がかくも神経を尖らせた理由…

●米国は世界ゴム消費の約57%を占めていたが、国内生産は皆無であった。南洋は戦略物資の宝庫で、特に米英が最も必要とするこのゴムは世界生産額の90%を、また錫はマレー・蘭印・タイで世界の60%を占めていた。

この東亜供給路が日本の進出によって断たれることが、米国にとって甚大な打撃であった。(米国が日本に加えてきた経済圧迫の手段を、日本が握ることによって逆になる)
米国は対日政策の決め手を失うことになる。米英側はこれに報復した。(在米英日本資産凍結/石油禁輸)
      《中村粲 「大東亜戦争への道 」》


●近衛内閣は7月21日の大本営政府連絡会議で、陸海軍両統帥部から次の実行を迫られた…

①7月2日の御前会議決定にもとづく内外諸施策をすみやかに完遂し、目下進行中の仏印進駐を既定方針通り的確に遂行すること。

②発足進行中の南方及び北方戦備は渋滞することを許されず、強力確実に遂行すること。

③日米国交調整はあくまでも既定方針を堅持し、とくに三国枢軸精神に背馳せざること。

…これらはいずれも米英と真っ向から対立するものであった。

●連絡会議の行われた日、ウェルズ米国務次官は野村大使に、日本軍の南部仏印進駐が行われるようなことになれば、日米交渉はご破算になることを警告してきた。

●しかし日本軍はこれを無視して、7月28日 南部仏印へ進駐を開始した。

●この報復措置としてアメリカは、8月1日 対日石油輸出を禁止したのである。

●なぜ日本軍は警告を無視したのか。これは米英の陰謀を感じ取ったからである。
先に40年1月24日、日米通商条約が失効すると、日本は重要物資13品目の輸出をオランダに求めた。(錫・ゴム・石油・ボーキサイト・ニッケル鉱・屑鉄等)最初オランダ政府は、別に異存はなかった。

ところがアメリカが、日本は米国から仕入れていた石油を蘭印に肩代わりさせる考えであるから、日本に大量の石油を供給しないようにと圧力をかけた。
オランダは両国の板挟みになって苦しんでいたが、三国同盟が締結されると、ドイツを敵国としているオランダはこれを口実として、純度の高い石油は日本に売らないことを米英に約束した。

●その後も米英は種々な策略を弄して、オランダと日本の軍需物資輸入を妨害したから、オランダもついに米英に引きずり込まれ、ABCDラインが成功するに至ったのだった。

《清水惣七
 「ABCDラインの陰謀―仕掛けられた大東亜戦争」》


●なぜ南部仏印に進駐したのか…

①援蒋ルート遮断のため北部仏印へ進駐したが、日中戦争のための資源獲得上、さらに南部にも進駐して支配力を高める必要がいわれ、すでに仏印は大東亜共栄圏構想の中にあった。

②米国の貿易制限が強化される中、石油輸出禁止が予想され、南方資源(特に蘭印の石油)確保が緊急の課題となった。外交による獲得が不可能の場合、対英・蘭印作戦のために南部仏印を軍事基地化しておくことが必要であった。

③国際的な情報として、41年2月に”極東2月危機”なるものが流され、英米軍の増強・対日ABCD包囲網形成がいわれ、米英軍が日本軍より先に仏印・蘭印を占領するのではないかという恐れがあった。(大西洋では米英仏軍によるそのような実例があった)

④蘭印交渉が失敗したこと。

⑤米国は大西洋にコミットしているから、蘭印に手をつけなければ行動を起こさないだろうという判断に陥っていた。
      《大杉一雄 中央公論2005/11月号》


●前年の北部仏印進駐に対しても、アメリカはくず鉄・鉄鋼等の対日禁輸制裁を発動しており、南部仏印への進出に伴うアメリカの制裁強化は予想不可能な事態ではなかった。

●しかし、6月の独ソ戦開始に慌てた政府・軍部は、南方資源確保を優先し、日米交渉で妥協を見せないアメリカへのいらだちの高まりもあって、安易に南部仏印進駐を決めてしまったのである。
        《中西寛 産経新聞2006/12/1》
 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」)


        



【日米開戦】
日本の大義/戦後もアジアで継続された東亜の解放
日本軍の仏印進駐
/あくまでも自衛措置
対日経済制裁/それはすでに戦争行為だった
日米交渉/戦争回避を望む日本と開戦を目論むアメリカ
ハルノート/交渉をぶち壊した最後通告
真珠湾攻撃/騙まし討ちというプロパガンダ