対日経済制裁日本が中国への侵略を止めないから、
アメリカを中心とした欧米諸国は 日本に対して数々の経済制裁を加えてきた、 と言われているが… |
●米国の公式見解によると、日本が中国侵略をやめなかったから米国は英国などと協力してABCDラインを作り、日本に対する経済制裁に踏み切った、ということになっている。 ●だが、日本の外部への膨張に対して経済制裁に踏み切ったのなら、なぜそのほかの国家の対外膨張政策に対して制裁に踏み切らなかったのか。この米国の公式論は、自らの帝国主義的意図を隠蔽するものにほかならない。 《石田収 「新聞が日本をダメにした」》 ●日本の側から言うと、戦前に一番願ったことは 「日本は資源がないわけだから、資源を自由に売ってほしい。そして、できた製品を市場を開いて買って欲しい」 ということだった。 《藤岡信勝 「国家は誰が守るのか」》 (他著書「通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか」) ●アメリカ・イギリスの日本に対する経済制裁… ①当時の主な輸出品だった綿製品に40~50%もの関税をかけた。しかし日本は頑張ってこれを乗り切った。 ②今度は綿製品の国内消費の1%以内でなければならない、というように割り当ててきた。これも何とかやり切ってしまう。 ③そうすると今度は、雑貨へと攻撃対象が変わり100~200%もの高率関税がかかったが、日本は辛くもこれに耐えた。 ④さらに関税が高くなって、ついには800%というとんでもない関税までが実施された。 ⑤そしてさらに、中国において日貨排斥運動を煽り、ジリジリと日本経済を絞め続けた。
⑥それでも日本はへこたれなかったので、「締め出しだけではダメだ」ということで、今度は日本には工業の天然資源を売らないと言い出した。 →これにはさすがの日本もこたえた。「不買」はいいが「不売」は参ってしまう。石油・ゴム・錫などを産出するアジアの国々は殆どが植民地だった。そのため彼らも宗主国の言う通り、一斉に日本への輸出を閉ざしてしまった。 …米国はこのように念入りに外堀を埋めたうえで、突如ハルノートを提示してきた。 《渡部昇一 「渡部昇一の「国益原論」入門」》 (他著書「決定版人物日本史」) ●開戦前、日本はオランダを相手にインドネシアの石油を平和的に入手しようと一所懸命交渉した。 ところがオランダはドイツに占領されていたが、亡命政権はロンドンにあり英米のコントロール下にあったから、いくら金を払っても売らないことがはっきりしている。
《中西輝政 「二十世紀日本の戦争」》(他著書「なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか」) ●東條英機談… 「この戦争の直接の原因が、世界経済の構造的な変化によって起きた世界恐慌にある。そしてこれによって資源を持っているアメリカなどの国が、資源を持たない日本をいわゆるABCDラインの武力包囲と経済封鎖・日本資産の凍結・物資の禁輸などによって排除しようとしたために、窮地に追いつめられた日本が武力で資源獲得をしなければならなかった」 《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史」》(他著書「国連が世界に広めた『慰安婦=性奴隷』」) ●「日本資産の凍結」=国際紛争の際、相手国に対する制裁として、相手国ないし相手国人の資産の処分や移動を一時的に禁止して、自国政府の管理下に置くこと。(差し押さえ) 《佐治芳彦 「新戦争論「太平洋戦争」の真実」》
●東京裁判で日本側弁護人を務めたアメリカ人、ウィリアム・ローガンの冒頭陳述… 「欧米諸国は日本の権利を完全に無視して無謀な経済的立法を行ったこと。また、真珠湾に先立つ数年間、故意に且つ計画的に、しかして共謀的に日本に対して経済的・軍事的圧力を加え、しかもその結果が戦争になることは十分に承知しており、そう言明しながら彼らが右の行動をとったという事実がある。 また、肯定的弁護として、次の事実が証明される。すなわち、情勢はいよいよ切迫し、ますます耐え難くなったので、遂に日本は欧米諸国の思うつぼにはまり日本からまず手を出すようにと彼らが予測し、希望した通り自己の生存そのもののために戦争の決意をせざるを得なくなった」 《諸君!2002/2月号》 ●ロス在住のアメリカ人弁護士… 「1941年8月による対日石油禁輸の決定は、国際法上の戦争に当たる行為であり、同年12月の真珠湾攻撃は防衛的な性格のものであるはずだ。このことを日本人はなぜもっと主張しないのか。不思議に思っている」。 《藤岡信勝 湊川栄太 「歴史の本音」》 ●第二次大戦が始まった時、日本は戦争回避に向けて細心の注意を払っていた。時にアメリカと戦争ということにならぬよう心を砕いていた。 ●それをいつ対米開戦を考えざるを得なくなったかというと、米英加蘭における日本の在外資産凍結によって、日本に石油が入ってこなくなってからである。(国家として成り立たなくなる) 日本は英米に屈服するか、あるいは対決するかの選択に迫られた。(窮鼠猫を噛む状態。追い詰められ自分が生きていくために立ち上がった) 《瀬島龍三 諸君!2002/10月号》 ●アメリカは1938年7月から、日本に対して経済的な抑圧策を取り始めた。そして、その翌年の7月26日に対日通商条約を一方的に廃棄し、日本に苛酷な経済的重圧を加えてきた。 ●東京裁判の検察側は、対日経済封鎖に対して「たんに軍事的補給品の減少のみを目的としたもの」と言い逃れているが、弁護人側はこれを反駁し、封鎖はあらゆる種類の民需品に及び、通商、さらには食糧にさえ影響を与えたとして数字的にこれを検証し、多くの動かし難い記録や証拠を提出した。 ●東京裁判のパール判事… 「禁輸が有効になったときの品目ならびにその日付を一瞥しただけでも、この措置が、民間人の生活にも、どれほどまでの影響を及ぼしたかが明らかになるであろう。疑いもなく、これらの品目の多くは、日本の民間人の生活にとって、絶対に必要であった」 ●石油を禁止した途端に戦争になるであろうということは、アメリカの政治家や評論家・軍人の間の常識となっていた。しかるに、彼らはあえてその石油禁輸を断行したのである。 ●当時ハウス大佐は、英外相バルフォアに対して次のように語ったという…
「世界は彼ら(日本人)に対してアメリカに行ってはならない、いずれの白人国にも行ってはならない、中国もだめ、シベリアにも行ってはいけないといった。しかも彼らの国は、土地はすべて耕しつくされており、しかも、人口は日々に増加しつつある。彼らはいったい、どこへ行ったらいいのだろうか」 《田中正明 「パール判事の日本無罪論」》 ●エネルギーの供給源を断たれた国が、それを求めて戦争への道を歩んでいく。これは国際社会では当然の成り行きである。湾岸戦争がいい例。
イラクにアメリカは多国籍軍を編制して50万人近くの軍隊を派兵した。クウェートの人権が蹂躙されたという理由だけではない。中東が産油地帯で、石油の供給が断たれる恐れがあったからこそ、アメリカはあれほどの軍隊を送ったのだ。
《前野徹 「戦後歴史の真実」》 |
※関連ページ : そもそも経済制裁を最初に受ける原因となった日中戦争は侵略ではないから、「制裁」という行為は不当である。日本の侵略ではない理由は「満洲問題」の「事変勃発」、「日中戦争」の「上海事変」を参考に。 |
【日米開戦】 ★日本の大義/戦後もアジアで継続された東亜の解放 ★日本軍の仏印進駐/あくまでも自衛措置 ★対日経済制裁/それはすでに戦争行為だった ★日米交渉/戦争回避を望む日本と開戦を目論むアメリカ ★ハルノート/交渉をぶち壊した最後通告 ★真珠湾攻撃/騙まし討ちというプロパガンダ |