賢者の説得力ホーム戦争責任謝罪

 

謝 罪

とにかく日本は
アジアに対して悪いことをしたから
半永久的に謝りつづけなければならないと、
朝日新聞や中国・韓国はいう…


謝罪して身をかわすという怠惰な行動の根本にあるのは、「泣く子と地頭には勝てぬ」という蔑視だ。日本の平謝りは、歴史的な事実の追求に対する怠慢である。   
   《上坂冬子 「歴史はねじまげられない」》


●「謝罪」ということであれば、近代ではそれを条約の形で現実化するのが常識。
   《谷沢永一
  「 「進歩的文化人」という名の国賊12人」》


●さきの大戦で、日本がアジア各国に「侵略した」ことを謝罪しなければならないとするならば、その何十倍もの謝罪を欧米諸国はアジア各国に対してしなければならない。 
《渡部昇一 「渡部昇一の『国益原論』入門」他の著書「日本は「侵略国家」ではない!」》 


●実際、私は中国のある要人から「中国のほうから何か言い出したことはない。あなた方の国で騒ぐから抗議するのだ」とのホンネを聞いた。
       《前野徹 「戦後歴史の真実」》


●政府の首脳が謝るについては、その謝る理由を国民に説明して、そして国民がわかったと納得した段階ではじめて、首脳が国民を代表して相手国に謝ることになる。しかしそんなプロセスは、いつも全く無い。
    《橋爪大三郎 ぼくらの『侵略』戦争」》


●日本政府が韓国に謝罪するということは、香港を租借し開発したことに対してイギリスが北京政府に謝るのと、本質的に同じ性格のものである。
  《渡部昇一 「田中眞紀子総理大臣待望論」》


嘘を言われても怒る。本当のことを言われても怒る。何を言ったらいいのか。
   《曽野綾子 「昼寝するお化け」
    他の著書「人間にとって成熟とは何か」》


●反省するのであれば、過去を回顧したり署名運動をしたりするだけでは不十分。せめてお金を出すことだ。それもいささか自分にとっては辛いくらいの額がいい。さもなければ、危険や病気や、時には死の危険くらい承知で、被害を与えた土地に行って働くことである。語っていたって仕方がない。 
    《曽野綾子 「流行としての世紀末」》


●加害者が何十回にわたって謝罪を繰り返しても、被害者の怨恨感情が鎮まらないことが多いのはなぜか。その最大の原因は、「因果応報」の原則が謝罪によっては果たされないからである。謝れば謝るほど、自分が悪いと相手に思わせることになる。しかしその悪い自分には何の罪刑も科されていない。これが相手の公正感を掻き乱す。

●逆に、加害者たる自分にも義があったのだと正直に公言した方がよい場合がある。その言い分にして説得力があるならば、応報原則からして当方の罪刑が軽くなるからである。
《西部邁 「無念の戦後史」他の著書「どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由」》


●中国人が簡単に謝らないのは、謝ることを責任と密接に繋げて考えるからだ。責任の所在が完全にはっきりしないうちは謝らない。

●日本人は簡単に謝る。しかし謝るときにまず考えるのは、責任よりはむしろ、その行為によって自分と相手が置かれている目の前の「事態」が悪化するかどうかということだ。事態の悪化を防ぐために先に謝り、その後「で、何が悪かったのだろう」と考える。  

《尚会鵬 徐晨陽 「中国人は恐ろしいか!?」他の著書「これでわかる中国人の常識・非常識」》


国家と国家の間においての場合は、謝罪などという行為は成り立たないというのが、国際関係の常識である。そもそも国家はそれ自体が一個の独立した絶対価値であって、国家をとやかく合理的に品評できる資格をもつ超越的な論理は、この世にはありえない。

●したがって、また国家を合法的に弾劾したり裁いたりすることのできる超絶的な法体系も、地球上にはありえない。国家は絶対価値であって、いかなる国家も他の国家の上に聳えることはなく、ゆえに他の国家の下に屈することもない、というのが現代における国家観念の基本である。

●では、お互いに絶対的価値である国家と国家との間に、連帯を保つ必要が生じたり、また紛争を解決しなければならぬときはどうするか。そういう場合に採択される唯一の方法が条約である。条約を結ぶ、あるいは条約を破棄する、それのみが国家と国家との間における行動様式である。
  《谷沢永一 「自虐史観もうやめたい!」
            他の著書「歴史通」》


●国際法上、講和条約とうのは、罪深き者もそうでない者もともかくここでご破算にしようという性質を持っている。おまえの国はここが悪かったから領土を返せ、賠償金をいくら払え、それでご破算だというものなのである。(示談交渉のようなもの)平和へ戻るための会議という設定になっている。
  《中條高徳
   「子々孫々に語りつぎたい日本の歴史」》


とにかく謝って金を払っているうちは問題も先送りされ、事なかれ主義者にとっては当面の安息にはなるだろう。  
   《山田風太郎 「ぼくらの『侵略』戦争」》


●過去の日本が犯した過ちを、自分は生涯の恥として心に刻むという立派な人もいるが、私には立派すぎて思い上がりにさえ感じられる。普通の人間は、自分が罪を犯した場合は大いに恥じ、自分の責任において徹底的に償うだろう。しかし自分の関与していない罪についてまで詫びるような不誠実なことはできない。
     《上坂冬子 「償いは済んでいる」》


国家間で戦争が終わって何年も経った後で戦争を謝罪した例はない。まして敗戦国が謝罪した例は、史上日本以外にはない。敗戦は暴力による屈服であるから、それ自体がすでに謝罪である。二重謝罪を避けるために講和条約がある。
           《西尾幹二 出典不明》


●アメリカの新進日本研究者ジェーン・ヤマザキ氏…「謝罪が成功するには受け手がそれを受け入れる用意があることが不可欠なのに、韓国や中国は謝罪受け入れの意思がなく、歴史問題での和解をする気がない」

●アメリカが過去の対外行動に関する国家としての謝罪を拒むことの理由…
◇そもそも私たちが何のコントロールも持ちえなかった過去の行動や政策に対し、いまその罪を受け入れることはできない。
◇過去の行動への謝罪は、国際的に自国の立場を低くする自己卑下につながる。
◇謝罪には現在の自国民の自国への誇りを減らす悪効果を発揮する。
国際的な謝罪は、もはや自己を弁護できない自国の先祖と未来の世代の両方の名声を傷つける危険がある。
      《古森義久 SAPIO2007/5/9》


●反論しなければ認めたと見なされるのが、国際社会なのだ。
     《西岡力 「よくわかる慰安婦問題」》


●日本が国際的に一番立場が弱かったのは敗戦直後だったわけで、その頃には日本は中韓に謝っていないのである。それから時間が経てば経つほど日本の地位は回復していったのだが、何十年も経ってから謝り始めるという非常に珍奇な現象が見受けられる。

●これはどういうことかというと、簡単な話で、A級戦犯にされたり、その容疑で捕まったような人たちは、東京裁判という「とにかく日本を裁いてしまえ」という裁判で被告あるいは容疑者になったわけであるが、日本が独立を回復すると、この人たちは戦前の知識を持っていて、中韓もそれがわかっているから文句を言わない。こういう状態がずっと続いて、佐藤栄作や大平正芳あたりまでは謝らなかった。

●靖国にも参拝したし、新聞記者がそれに対して何を言おうと関係なかったのであるが、その後だんだんフニャフニャになってきたのである。
その理由は1つ、昔の知識がない。向こうは相手がたじろぐとわかると、ウソでも何でも嵩にかかって言ってくる。ウソでも何かと言われると、反撃する知識がないものだから謝る。
    《渡部昇一 「こんな日本に誰がした」》


●私が謝罪される側に属していたなら、「お前たちは歴史を超越するほどの卓越した能力をどこで手に入れたのか、死者たちの死を賭した蛮勇や軽率を頭ごなしに非難する資格をお前たちは誰から与えられたのか。お前たちの謝罪は、自分もまた歴史の流れのなかで泳いでいるにすぎないということを忘れるという意味で、精神的小児病に罹っている」と嘲笑ってやるところだ。
         《西部邁 正論2008/1月号》
 






●歴史カードは、日本人が「すいません」と言ってすごすご引き下がる圧力効果と、韓国人にもたらす「元気の素」としての効果があるから維持されるのであって、効果がなくなればカードは使えない。応じなければいいのだ。
    《黒田勝弘
     「なぜ中国人、韓国人に媚びるのか」》


イギリスにアヘン戦争の故事を持ち出し、ロシアに「アムール川の虐殺」(1900年)を責めても、ゆさぶり効果は皆無に近いことを中国はよく承知している。しかし相手が日本となれば、ゆさぶり効果はいぜんとして小さくないから、「カード」として捨て切れない。
        《秦郁彦 諸君!2005/1月号》


●「あの戦争」を持ち出せば、中国・韓国は日本に対して全面的被害者として、政治的・心理的に絶対的優位に立てるという暗黙の了解ができてしまっている。
    《佐伯啓思 「日本の論点2006」》


●韓国人はなぜ、朝鮮戦争における中国軍の参戦と国土の蹂躙を訴え、謝罪を求めないのだろう。
        《西尾幹二 「国民の歴史」》


●第二次大戦後の「武力紛争」は合計97件。解釈によってはもっと多くなる。実に多くの国が「武力紛争」に関わり、「武力行使」をしている。

で、日本は?誰もが知るように、武力紛争関与はゼロ。武力行使の回数もゼロだ。国連憲章下の60年、これが日本の実績である。「日本は戦前・戦中を美化して、過去を反省していない」との叱責は、このことから目をそらしている。
       《佐瀬昌盛 産経新聞2005/9/5》


現在、あの戦争が侵略だったかどうかが、現実政治の中で問題にされるのは、中国と韓国との関係に限られるといっていい。外交や軍事を展開する上で、その国がどういう歴史を有してきたかは、やはり重要な財産なのである。だから中国からすれば、これを外交的にも軍事的にも、日本を牽制するためのカードとして活用するのは当然といっていい。
それに対して日本としては、それをどうはね返していくか、あるいは無効化していくかという国家としての戦略を持たなければならない。これは国家運営にかかわる者としての常識である。
      《福田和也 文芸春秋2009/4月号》


●単に謝った方が楽だから、という理由で、安易な謝罪を積み重ねている。そのツケが今の日中関係にも暗い影を落としているのではないだろうか。
      《別宮暖朗 文芸春秋2009/4月号》


●本当はお隣の奥さんの方が悪い時も、自分は低く頭を下げて「まあ、私が至りませんで、本当に申し訳ございません」と言う。そうすると隣の奥さんも頭を下げて「いえいえ、私の方こそ悪うございました」と言う。これが日本の美徳である。
      《長谷川三千子 正論2009/6月号》


●対連合国平和条約の締結以後、我が国は米軍による東京大空襲をはじめとする全国60余の無防備都市に向けての爆撃、2度にわたる原爆投下等の歴然たる戦争犯罪に対し、政府次元での公的非難声明は決してしていない。平和条約とはそうしたものなのだ。 
      《小堀桂一郎 産経新聞2005/6/1》


●日韓の歴史問題は、1998年10月の金大中大統領訪日でいったんカタがついていた。金大中が「もう一度、日本は謝ってくれ。もう一度謝ってくれたら、もう言いません」と言ってきたので、日本は「日韓共同宣言」の中に”お詫び”の文言を盛り込んで、もう一度謝った。
     《岡崎久彦 「この国を守る決意」》


●終戦50年に村山首相が出した謝罪談話というのがある。これは国家の長が行ったことだから、外交の世界ではそれを最大限使わなきゃいけない。謝るのは1回言うから本物なのだ。何度も謝ることは信用できない。村山が国家の長として1回謝ったんだから、あれで話は終わり。
         《佐藤優 正論2005/7月号》

【12月19日 更新】

●これはキム・ワンソプに言われたことだが、事実がこうであるならば、日本は韓国に謝罪する必要がないにもかかわらず、謝罪してくるから、韓国人も勘違いするのだ。

●それは多分、日本人が韓国人を大切に思っていないからだと。本当に大事だと思うなら、本当に友情を築きたいと思うなら、事実に基づかないことで頭を下げたりという欺瞞の関係での友情などありえないから、韓国人がその一時怒ったとしても、でも事実はこうなんだ、お互いそれを受け止めてやっていこうというのが真摯な態度なのだ。それをしないのは、やっぱり日本人にとって韓国人は大した存在ではないと思っているんだろう、と彼に言われた。

●だから、韓国人を自分たちと対等にみなして、本当に友情を築きたいというんだったら、韓国人にとって苦い辛い話でも、事実はこうだったと日本人は言うべきだ。河野談話は、それとは真逆なことをした。それでも日韓の和解につながっていない。
     《上島嘉郎 チャンネル桜2014/8/27》



【戦争責任】
戦争責任/日本だけの特殊な対応
アジア諸国に対する謝罪/そもそも何を謝らなければならないのか
村山談話/その怪しい出自
日本の戦後賠償/根拠と際限のない要求
戦争責任に対する他国の振る舞い/これが国際基準だ