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政教分離

政治家の靖国参拝は、
政教分離の原則に反しているといわれるが…


無宗教での儀式というのは、厳密にはありえない。国の象徴である神道を使うというのは、「宗教機関説」である。
《西部邁 「愛国心」他の著書「どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由」》



●戦没者の慰霊・追悼だけはなく、欧米諸国の公式儀礼において、その国で主流の宗教に特別な地位が与えられていることは決して珍しくない。バイブルに手を置いて宣誓するアメリカ大統領の就任式は有名。そしてどの国でもこのことが、他の宗教を迫害する、つまり「信教の自由」を侵すものとは少しも考えられていないのである。
     《中西輝政 「靖国と日本人の心」》

●西洋キリスト教文化圏でいうところの政教分離は、国家と教会の分離なのだ。教会が政治的な力を持つことを警戒するためのものであって、国家がおよそ宗教的なことに一切かかわりあってはいけないという論理はどこにもない。

●総理はみな毎年1月初めに伊勢神宮を参拝する。(村山首相も参拝した) 伊勢神宮のことは黙っておいて、なぜ靖国だけ政教分離の問題が云々されなければならないのか。単に靖国攻撃の口実として、政教分離規定が使われているだけではないのか。
          《小堀桂一郎  〃  》



●いろいろと宗教がある中で、最悪の宗教は無宗教である。人間が一切の言葉も価値も精神も持っていないというのが無宗教で、つまり精神は全て物質によって規定されるというのが俗流マルクス主義である。自分の精神が物質で決まるなんて、信じよと言われてもそんなことはできるはずがない。
        《西部邁 「本日の雑談②」》


●政教分離の原則を貫徹すると、官公庁の日曜休業も再考の要がある。(日曜休業はユダヤ・キリスト教由来) 現在の太陽暦も同じ。(グレゴリウス教皇発案)
       《呉智英 文芸春秋2005/7月号》



●そもそも政教分離とは、宗教は政治に容喙してはならないし、政治は宗教を弾圧してはならないという思想であって、政府の宗教活動を全て抑制するのが主眼ではない。村山首相でさえ、伊勢神宮にお参りした。
     《櫻井よしこ 文芸春秋2005/8月号》



●「無宗教の国立追悼施設建設」という意見もあるが、そんなものがあるのは自由のない共産主義国ぐらいのもので、殆どの民主国家はその国の伝統宗教で死者を追悼している。
    《井沢元彦 SAPIO 2005/7/27号》


●新たな無宗教の追悼施設というが、そもそも死者を慰霊すること自体、宗教的行為ではないのか。
      《長山靖生 中央公論2005/12月号》


●公明党の選挙母体は事実上創価学会だというのも政教分離に抵触しない筈はなく、公明党が首相の靖国参拝に反対し国立追悼施設の建設に熱心なのも、反神道ゆえであろうかと勘ぐりたくもなる。
       《上坂冬子 諸君!2006/1月号》


●憲法20条3項の政教分離規定は、神道を敵視する占領政策により盛り込まれたものであり、世界普遍の原理でも何でもない。政教分離は信教の自由を守るための制度的保障にすぎない。
       《稲田朋美 正論2006/10月号》


●政教分離とは、特定の宗教に国家が財政的援助をしないということだ。
       《平川祐弘 諸君!2006/8月号》


●政治と宗教が完全に分離できるわけがない。そうでないなら、神社・仏閣を文化財として保護するのも、宗教系の学校を援助するのも全て憲法違反になってしまう。
        《小林よしのり 「靖國論」》



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