首相の靖国参拝総理大臣の靖国参拝については
中国や韓国が強く反発しているが… |
●靖国参拝は、むしろ日本にとっては内面的問題であって、国家という次元における自己確認のよすがに他ならない。今日の日本という国家が形成される過程で、戦争を含めていろいろな出来事がありさまざまな犠牲が払われてきた。 ●それを正確にたどり熟知することでのみ健全な自己認識が生まれてくるのであって、戦争という国家最大の出来事のために生命を賭した先人を悼み感謝するという行為が、国家経営のための基本行事であることを否定する者は誰もいまい。 ●総理の靖国参拝は、トインビーが奇跡ともいった日本という近代国家建設の歴史的功績への、子孫としての真摯な答礼に他ならない。それによる功罪含めた自らの歴史への自主的な認識を、いかなる他国多民族も損なう権利などありはしない。 《石原慎太郎 「日本よ」》 ●日米戦争のことで未だに日本に憎しみを抱いているアメリカ人ですら、日本人が戦死者を弔うのは当たり前のことだと感じている。「良い戦争」だろうが「悪い戦争」だろうが、戦死者を弔うのはどこの国でも当然のこと。南北戦争で負けた南部は敗軍であり賊軍だったが、北部の人間は南部の人間が戦死者を弔うのを非難しただろうか。 《前米国務次官補カール・フォード 諸君!2005年7月号》 ●A級戦犯が祀られているからと言って、他に246万余の霊が祀られている靖国神社に行けない理由になるだろうか。 《坂元一哉 中央公論2005年8月号》 ●自分を温かい目で見る心を育て、自分の親を温かい目で見るという心を育てる。自分の国のために命をかけてきた人たち、つまり日本の先人たち、その歴史を温かい目で見る。そういう身近なところから愛情を広げる以外に、世界を平和にするということはあり得ないわけです。 《高橋史朗 「新しい歴史教科書を『つくる会』が問う日本のビジョン」》(他著書「私たちの美しい日の丸・君が代」) ●振り返れば、戦後60年の日本の指導者の殆どが靖国神社にお参りしているが、その人たちの中には1人も軍国主義者はいない。他国を侵略した人もいなければ、しようとした人もいない。宗教を弾圧した人もいない。 《安倍晋三 正論2005年12月号》 ●江藤淳…「自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、この地上のどこにあったろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にそのことを嘆け。そして、決して屈するな」 《金美齢 「この日本をどうする」》 ●近代国家が成立してから、戦争に従事して国家のために生命を捧げた人々を顕彰(厳密には慰霊ではない)するということは、いかなる国家も例外なく行っていること。歴史とは死者と生者が連続しているという物語で、この物語を維持する仕組みを失ってしまえば、国家も歴史も崩壊する。
《佐藤優 「国家の自縛」》 ●アーリントン墓地にだって、南北戦争の南軍の将兵が埋葬されている。彼らは奴隷制度を擁護した軍人だが、歴代大統領はアーリントン墓地で公平に弔意を表明している。だからといって、黒人やアフリカ諸国が抗議するという話は聞いたことがない。もちろん大統領が奴隷制度の復活を願っているわけでもない。 《ケヴィン・ドーク米ジョージタウン大学教授 諸君!2006年8月号》 ●毎年8月15日、武道館で催されている「全国戦没者追悼式」には、ABC級全ての戦犯遺族も招待されている。そこには天皇皇后両陛下御臨席の下、首相・衆参議長も参列しているのである。全国追悼式で戦犯が慰霊されるのは問題なしで、靖国神社は駄目という理由があるのか。 《澤英武 正論2006年9月号》 ●晴れて独立した日本は、いの一番に何をしたか…靖国参拝である。 吉田茂首相が閣僚と衆参両議長を引き連れて靖国神社に向かったのは、サンフランシスコ平和条約調印の日からわずか1ヵ月と十日後、秋の例大祭の10月18日であった。これが戦後初の靖国公式参拝で、日本政府の独立を待ちかねたように起こした行動であった。 《上坂冬子 「戦争を知らない人のための靖国問題」》 ●昭和61年8月14日に後藤田正晴官房長官が、「靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していることなどもあって、(中略)近隣諸国の国民の間に、わが国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、(中略)平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある」とする談話を発表。A級戦犯存在をことさらに強調してみせた。 「この後藤田談話が以後の首相の手足を縛り、A級戦犯を『悪者』にした」(戦犯遺族)とみる向きも少なくない。 《産経新聞2006年8月11日》 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」) ●自衛隊の妻が、自分がクリスチャンであるのに亡夫が神道で弔われたと訴訟を起こした。クリスチャンであることはその妻の個人の問題であって、自分の信仰で国家儀式まで圧倒してしまおうというところが問題。いやなら出席しなければいいだけ。 《西部邁 「愛国心」》 ●嫌な者、見解を異にする者はただ靖国に行かなければいいのだし、他人事として黙っていればいいのだ。私たちは何もシナ人や韓国・朝鮮の人々に靖国神社への参拝や敬意を強いている訳ではない。 《石原慎太郎 正論2005年10月号》 ●近代国家が存在する限り、戦没者の顕彰の問題は残るのであって、要はそれを排外主義のシンボルにしないことである。日本の愛国主義、正統なナショナリズムは排外主義とは縁がない。この伝統を維持することである。 ●悲しみを無理をしてでも喜びに変えるところから信仰は生まれるし、文学も生まれるのだと思う。結局のところ、悲しみをいつまでも持ち続け、耐えることができる人物は、一握りの強者だけになると思う。「悲しみの罠」から人々を解放するのが宗教や文学、そして時には国家の機能だと思う。首相の靖国参拝は、慰めや癒しを必要とする多くの人々の心をとらえることができる。 ●現在の靖国神社は宗教法人格を有する宗教団体で、国家予算によって運営されているわけでもなければ、靖国参拝を国家によって強要されているわけでもない。「首相の参拝によってPTSDが生じたとして」宗教的人格権が傷つけられたとする訴訟を起こしている人々がいるが、他者危害排除の原則をここまで拡大すると、社会生活が著しく窮屈になると思う。 《佐藤優 「国家の自縛」》 ●総理は、A級戦犯だけを拝みに行かれたわけではない。むしろA級はほんの一握りの人たちだ。「英霊」の99%は戦争の犠牲者である。とすれば、悲惨な戦争を回避する決意を新たにするために、靖国神社に参られても少しも不自然ではない。 《曽野綾子 「透明な歳月の光」》 (他著書「人間にとって成熟とは何か」) ●A級戦犯が合祀されているから天皇が参拝できなくなったというのは、時系列が違う。 1976年に三木首相が私的参拝と言ってしまった。それから国会で天皇の参拝が公的か私的かという問題になった。(政教分離の問題) それで天皇は参拝できなくなってしまった。 ●A級戦犯の合祀はその後だから、天皇が参拝しないのとは関係ない。(76年の参拝が最後。それまでは戦後2,3年に一度くらいの割合で参拝していた) 《岡崎久彦 テレビ朝日「サンデープロジェクト」2005/6/12》 ●歴代総理は春秋の例大祭などにほぼ毎年ごく当たり前に公式参拝しており、それに中韓が反発することなど一切なかった。だが国内の言論空間は、60年安保・全共闘運動を経て左翼に占領された。 ●75年、三木は首相として初めて終戦記念日に参拝したが、そこで左翼に媚び「内閣総理としてではなく、三木個人としての参拝である」と言った。それ以降、靖国は政争の具にされた。またそれまで数年おきに行われていた天皇の御親拝も、この年を最後に行われていない。天皇には「私人」という立場はないのだ。 《小林よしのり 「靖國論」》 ●昭和天皇の側近・木戸幸一内相の「日記」をみると、天皇はA級戦犯に同情を示している。 ◇昭和20年8月29日…「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところ」 ◇ 〃 9月20日…「敵側のいわゆる戦争犯罪人、ことにいわゆる責任者はいずれもかつては忠誠を尽くしたる人々」 《産経新聞2006年7月21日》 ●そもそも外国指導者の指示によって、首相が足を踏み入れられない場所が自国内に生じる。そんな馬鹿げたことが、世界のどこの国で許されますか。 《安倍晋三 諸君!2005年3月号》 ●「A級戦犯」合祀後においても、アジア諸国を含め世界中の高官・武官が靖国に参拝している… 米・独・豪・英・ソ連・ロシア・トルコ・ルーマニア・イスラエル・スイス・ポーランド・イタリア・インド・インドネシア・タイ・ミャンマー・マレーシア・台湾・スリランカ・ソロモン諸島・エジプト・南アフリカ・モロッコ・カナダ・ブラジル・チリ など。その中には、なんと旧朝鮮王族や韓国武官の名もある。 …かつての交戦国や戦災を被ったアジア諸国をも含め、世界各国の高官・武官が参拝している。この事実を見ただけでも「気持ちを傷つける」式の批判が的外れであることは明らかだ。 ●「日本の首相の靖国参拝は、第二次世界大戦の忌まわしい過去を思い出させ、国民の感情を傷つけた」と抗議しながら、一方、文革で数千万人ともいわれる市民を死亡・行方不明に追いやった張本人・毛沢東の肖像画を、天安門広場に掲げているのも理解に苦しむ話だ。 《石原慎太郎 文芸春秋2005年6月号》 ●アーリントン墓地には朝鮮戦争で中国人の義勇兵を殺した米兵だっているはずなのに、胡錦濤や江沢民も訪米したら花輪を持ってアーリントンに行くじゃないか。同じように胡錦濤は靖国神社に参拝するべき。しないのは国家間の礼儀に悖る。 ●アーリントン墓地で「中国人を殺した軍人だけ掘り返せ」とは言えないだろう。胡錦濤がイギリスに行って、ウェストミンスター寺院の「無名戦士の墓」から、阿片戦争の戦死者を除去せよと主張したら、国際的に攻撃される。 《相林(中国民主運動海外聯席会議副幹事長) 諸君!2005年7月号》 ●インド人(ヒンズー教徒)は牛を食べない。牛は神の使者と信じているから。だから牛肉を食べることは、彼らの「心を傷つける」行為である。しかしインド人の人々は外国に向かって「オレたちの心が傷つくから牛肉を食うな」とは言わない。 《井沢元彦 文芸春秋2005年7月号》 ●かつて中曽根氏は、親日派の胡耀邦氏が失脚して外交が滞ることを懸念し、靖国参拝を断念した。 《松本健一 中央公論2005年8月号》 ●過去の主な経緯… ◇昭和53年:A級戦犯合祀 ◇昭和54年4月:大平首相が参拝するが、中国は特に問題にせず。 ◇昭和55年8月:鈴木首相15日に参拝するも、やはり中国は問題にせず。 ◇昭和60年8月:中曽根首相15日に公式参拝。中国より反発があったため翌年から見送り。 《産経新聞2005年6月20日》 ●1985年秋の例大祭の際に、中曽根首相が中国に言われて参拝を止めた。ではその結果日中関係が好転したかというと、そうとはいえない。 ●中曽根が公式参拝をやめたのは86年。90年代に入るころから、中国では江沢民の反日教育が始まっている。そして先の大戦で日本軍が中国で殺傷した人数を、それまでの2千万人から急に3千5百万人だと言い出す。 《秦郁彦 月刊現代2005年8月号》 ●中曽根元首相こそ、靖国問題を日本の対中外交のトゲにした張本人である。すでにA級戦犯が合祀された1978年秋以降も靖国問題は日中外交上の問題になっていなかったにもかかわらず、1985年8月15日にあえて大見えをきって公式参拝、ひとたび中国側の非難に出会うや、同年秋の例大祭への参拝を中止した。 これで中国側は、日中外交における靖国問題での対日戦術の有効性を大いに満喫することになったのである。 ●中曽根氏は、改革派の胡燿邦が中国内部で保守派に攻撃されるのを避けるためにも、靖国参拝を中止したのだと後にあちこちで述べているが、そのような期待は通じず胡はやがて失脚し、「A級戦犯」問題と日中外交上の靖国問題が残ったのであった。 …中国に迎合して政治決着することの代価がいかに高くつくかを、教訓として学ぶべきであったのだ。 《中嶋嶺雄 産経新聞2006年2月6日》 ●意外なことに戦後参拝した要人の数は、アメリカが最も多い。首相の参拝に表立って反対する国は、世界百九十数ヵ国のうちわずか2ヵ国だけである。 ●竹本忠雄・筑波大学名誉教授… 「およそ一国が独立国といえるためには、3つの自由がなければなりません。第一は自国の防人をもって自国を守ること。第二は自ら教育したいように自らの子弟を教育するということ。そして第三は、自ら祀りたいように自分たちの神々を祀るということ。この3つであります。日本に、このなかのどの自由もありません」 《江碕道朗 正論2005年8月号》 ●内政干渉は国際法・国際慣習のタブーである。「歴史観」は個人の内面の問題である。権力がこれに介入することは、絶対に許されない。これは「リベラリズム」の鉄則ではないか。 《小室直樹 「これでも国家と呼べるのか」》 (他著書「政治無知が日本を滅ぼす」) ●合祀が発表されてから数えても、6年間にわたって中国は日本の首相の参拝を問題視していなかった。 《櫻井よしこ 文芸春秋2005年8月号》 ●国家は国を守るという目的のためにも、味方の兵士を祀ることが重要なので、敵は敵でちゃんとやっている。日本を守ろうとする意識が国民から無くなれば無くなるほど、喜ぶ国があるのではないか。 《李登輝 SAPIO 2005/8/24・9/7》 ●中華人民共和国の成立は、1949年10月1日であった。何よりの証拠に、1999年に中国は”建国50周年”をうたいあげているではないか。つまり中国は、建国前に処刑された外国の戦犯の霊に、外国の首相が参拝することにクレームをつけているのである。 《上坂冬子 諸君!2006年1月号》 ●「イメージ戦争」といえば、ドイツにエヴァルト・バンゼという地政学者がいた。彼は戦略としてやるべきことは「相手の国の中の分裂を狙え」と。中国はまさに靖国問題でそうした手法をとっていて、日本国内の世論の分裂に半ば成功しつつある。 《奥山真司 〃 》 ●民主党の前原誠司代表は、「A級戦犯が合祀されている間は靖国に参拝しない」と言っていたが、05年12月に「中国は軍事的に脅威である」と言明したため、訪中時に中国首脳との会談がキャンセルされた。 ●靖国にさえ行かなければすべて円満に行くはずではなかったのか。中国人はこうやって逆らうものを排除し、媚びるものだけを優遇する。 《屋山太郎 産経新聞2005年12月22日》 ●中国政府が日本に対して露骨な内政干渉をする一方で、国内のカトリック教や法輪功弾圧について海外から批判されると、内政干渉だと反論しているのは、信じられない二枚舌である。 《ケヴィン・ドーク米ジョージタウン大学教授 諸君!2006年8月号》 ●戦前、大陸で日貨排斥や日本企業への有形無形の圧迫を中国当局は取り締まらず、不当な行為も「愛国無罪」とされた。日本企業は企業のために、昔は軍に保護出兵を求めた。 今は分祀を求める。方向は一見逆だが、近視眼的な企業エゴの要請であることに変わりはない。 《平川祐弘 諸君!2006年8月号》 ●中共のレーゾンデートル(存在理由)… 「我々が日本軍国主義と果敢に闘ったからこそ、今日の中国がある。だから中国のために中共というのは不可欠な存在だ」ということを、民衆に絶えず言い聞かせる必要がある。そのために中共にとって一番都合がいいものが、靖国参拝問題なのである。日本がなかなか言うことを聞かないから、いつも日本に反省を求めているというポーズを取り続けるということができる。(中国の民衆にとっては、政治機構だけに共産主義が残っている必然性があるのかという疑問が絶えず出てくる) 《三宅久之 「『日本の問題点』をずばり読み解く」》(他著書「三宅久之の書けなかった特ダネ」) ●中共が靖国を攻撃するのに、共産主義が無神論であるということがある。神の存在を認めず、中国国内でも宗教を弾圧し、宗教施設を破壊している。中共は民間信仰を迷信であるなどとして、地方の神社などを破壊している。彼らは神聖という言葉の意味が理解できず、神社など要らないと思っているのである。 《安東幹 正論2006年9月号》 ●靖国神社に参拝して何の国益があるかと、日中友好を大事にする新聞は書く。 だが損得の問題ではない。ソロバンに合うか合わないかで靖国へ行ったり行かなかったりするのは、エコノミック・アニマルの所業ではないか。利益になってもならなくても、祖霊を祭るのは人倫の基本である。 ●みなが小泉よ靖国に行くなと言った。行かないと誓いさえすれば友好が生まれると言った。とんでもない。シナ人が喧嘩するところ、見たことないのか。彼らは一歩譲れば二歩踏み込む。主張し始めたら、言い募ってやまない。 《徳岡孝夫 「『民主主義』を疑え!」》 (他著書「完本紳士と淑女」) ●高橋哲哉氏が『靖国問題』(ちくま新書)で、小泉氏が靖国神社を参拝したのでPTSDになったと訴訟を起こしたキリスト教徒の事例について説明しているが、私もキリスト教徒だが、このような訴訟を起こす人は、寛容の幅が狭すぎると思う。 ●この論理は、日本に在住するムスリム/ムスリマ(イスラム教徒)が、「テレビを観ていると不浄な動物である豚が出てきたので、宗教感情を傷つけられ、PTSDになった」といってテレビ局を訴えることとあまり変わらないと思う。 《佐藤優 「国家と神とマルクス」》 ●ある遺族はこう訴えた…「国はかつて私のおやじに、お国のために死んでくれといった。死んだら靖国神社におまつりし国の手で守ってやるといった。死んでいった人たちが、死んでいった時に確信していたことぐらい、国は守ってほしい」…「靖国神社公式参拝」は遺族の悲願だった。 《小林よしのり 「靖國論」》 ●シベリア抑留を経験した神奈川県茅ヶ崎市の無職、岡田博さん(90)…「首相や他の閣僚もきちんと参拝して、戦没者に敬意を示してほしい」 《産経新聞2013年8月16日》 …朝日よ、このような声は無視していいのか?これは決して少数意見ではない。国民の過半数は参拝を望んでいるのだ。百歩譲って少数意見だとしても、朝日は常々「少数意見にこそ耳を傾けよ」と主張しているではないか!(もっとも朝日がそう言うときは、ごく少数の左翼的な意見に限られるが)(管理者) ●靖国参拝などで「アジア諸国が反発したり警戒している」と朝日はよく書くが、「諸国」といっても中国と韓国の「2ヵ国」だけ。東南アジア諸国で政府レベルで批判する国なんてもうない。たまに「市民」とやらの反対デモがあったって、大概、華僑系。 《高山正之 諸君!2004年11月号》 ●13億人の中国人のうち7億人は北京語を理解できず、3億人以上は小学校を卒業しているかどうかさえ疑問で、2億8千万の家庭のうち半分以上は全く新聞・雑誌を読まず、1億人以上は自分の名前すら書けない、と言われている。 ●つまり、中国人の多くは靖国神社がどういうものであるか、知るはずがない。だから中国政府の「中国人民は小泉首相の靖国参拝を怒っている」との声明は嘘。 《鳴霞(元中国共産主義青年団) SAPIO2005/8/24・9/7》 ●もしある国が、自国のために命を捧げた人たちに感謝し、その魂を祀ることをしなくなれば、その国はいずれ滅びる。このことは近代国家の国民なら皆理解していることで、他国が国家的な犠牲者に対する追悼の儀式を行うことに、何ら異議を唱えない。しかし中国人は、その概念を理解できないようだ。 《屋山太郎 「なぜ中韓になめられるのか」》(他著書「日本人としてこれだけは学んでおきたい政治の授業」) ●ロシアも対日戦勝国ですが、安倍首相の靖国参拝を非難するロシア人はいません。自国のために戦った兵士の御霊を指導者が敬うのは、当然のことと考えるからです。中韓の指導者だって、自国で同じことをしているではないですか。 《ロシア「セゴドゥニア通信社」日本支局長コツバ・セルギイ》 ●今年行われたシャングリラ会議(アジア安全保障会議)で、中国の軍人が「靖国についてどう思うんだ」と安倍首相を批判したときに、安倍首相は「世界の指導者たちが、国のために戦った方に手を合わせる、冥福を祈るには、世界共通のリーダーの姿勢だ」と明言して、周囲の国々から大拍手を受けた。 《渡邉哲也 チャンネル桜2014/12/6》 ●全体主義国の内政干渉は多くの場合ウラに取引があり、取引に応ずればおさまり、お仕着せの民衆運動もケロリと静まる。 《山本七平 「戦争責任と靖国問題」》 【2018年8月16日更新】 ●2014年1月、衆議院議員の新藤義孝さんが総務大臣をしている時、靖国神社を参拝しました。記者会見で朝日の記者が、「今回の閣僚の靖国参拝に海外からの批判が来ています」と言われて、新藤総務相が何と答えたか。 「海外からの批判とは、どこからの批判ですか?」 「たとえば、韓国ですとか」 「たとえばではなくて」 「韓国、中国…」 「と? 他には?」 「他には…私の記憶にはございません」 「それでは海外からではなく、2ヵ国からの批判ということになりますよね」 ●これが典型的な朝日新聞の質問のやり方です。世界が言っているという前提を立てて話を進めようとするのです。しかし、具体的にどこですかと訊くと、中国と韓国。他にはない。ひどい話です。 《百田尚樹 「『カエルの楽園』が地獄と化す日 」》 |
【関連ページ】 「親日のアジア」も参考に |
【靖国参拝】 ★靖国神社とは/英霊との約束の場 ★政教分離/本来の意味 ★戦犯の名誉回復/彼らはもう犯罪者ではない ★首相の靖国参拝/日本だけの特殊な足かせ ★靖国問題の扇動者/朝日新聞と左翼 |