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戦犯の名誉回復

不当な裁判でもきちんと罪を償い
国会でも名誉回復されたにもかかわらず
永遠の犯罪者だと
朝日や左翼から糾弾される彼ら。
だったら戦犯を罵る「国会議員」辻元清美も
いまだに立派な犯罪者である。


東京裁判に法的根拠がないということは、裁かれたのは犯罪人ではない。「裁かれた」のではなく報復リンチにあったようなもので、戦争犯罪裁判で命を落とした人は、言ってみれば「戦死者」である。

●昭和27年4月に独立を回復した時から、日本政府は直ちにこの人たちの名誉回復にとりかかり、28年の国会では全会一致(共産党も含む)で「戦犯として処刑された人々は、法務死であって戦死者とみなす」と決議した。

●よって日本には戦犯なるものは存在しない。戦犯と呼ばれる人々は全て戦死者であり、戦場の戦死者と等しく靖国の英霊であることに変わりはない。
          《小堀桂一郎 出典不明》
    (他著書「歴史修正主義からの挑戰」)



●1952年4月に占領が終わると、東京裁判はじめ各地の戦争裁判の結果、「戦犯」として服役している人たちの早期釈放を求める国民運動が起きた。日弁連の「戦犯の赦免勧告に関する意見書」が政府に提出されたことなどをキッカケにして4千万人もの署名が集まり、政府は10月までに全戦犯の赦免・減刑勧告を旧連合国に対し行った。
圧倒的に多くの日本人は東京裁判の判決にはとらわれず、「ご苦労様でした」と監獄から戻ってくる日本人を迎えたのである。
     《中西輝政 「靖国と日本人の心」》

「戦犯の刑死は法務死である」とする国会決議(恩給法の改正)は、旧社会党はじめ衆参両議院の本会議でほぼ全会一致、議席数の95%以上の議員が賛成している。(1955年)
         《小堀桂一郎 〃 》



●昭和28年8月3日の衆院本会議で戦犯の赦免に関する決議を採択し、巣鴨プリズンに拘束されていた戦犯を日本の責任において全て釈放した。以後、この件には日本の法律が適用されるのが当然で、日本国憲法には「不遡及、一事不再理」が明記されている。過去の戦犯裁判の内容を、60年目に蒸し返すのは憲法違反だ。

      《上坂冬子 産経新聞2005/6/3》


●昭和26年に大橋武夫法務総裁(現在の法相)が、戦犯について「(A級戦犯は)国内法においては、あくまで犯罪者ではない。国内法の適用においてこれを犯罪者と扱うことは、いかなる意味でも適当でない」と明確に答弁している。
       《安倍晋三 諸君!2005/8月号》

●そもそも「戦犯」を援護法の対象とする法改正については、社会党の堤ツルヨ議員が先頭に立って「早く殺されたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社の中にさえ入れてもらえない」のはおかしいと提起した。
           《岡崎久彦 〃 》



●「戦死者」の定義でいうと、弾が当たって死んだ人、飢えで死んだ人、あるいはスパイをやって敵に捕まって死んだ人とか、戦争での死に方はいろいろある。でそのうちの1つに、戦争に負けてしまって、それで裁判という見せしめの儀式をさせられて、そこで縛り首にあった人もいるわけであって、「一連の戦争の中で死んだ人」というふうに定義したほうが一番常識に近い。
         《西部邁 「本日の雑談」》
           (他著書「大衆への反逆」)


●1952年以後、日本が戦犯をみな釈放したことに対して、サンフランシスコ条約の当事国から異論は出なかった。
      《田中明彦 中央公論2005/9月号》

 
A・B・C級の区別なく”戦犯”釈放運動は、全国的に推進された。(ごく短期間で4千万人もの署名)今日の時点から遡って、半世紀前の日本人の心情を歪めてはならない。   
      《大原康男 産経新聞2005/10/1》


●清算されたはずの戦犯問題は、その後共産党・社会党の左翼陣営によって「東京裁判史観」として蒸し返され、保守陣営にも贖罪意識が植えつけられた。

      《屋山太郎 産経新聞2006/2/10》
 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」)


●東京裁判が終結してから6年余りたった1955年8月、全国の満20歳以上の男女3千人を対象に政府によって「戦犯裁判に対する国民の態度」に関する世論調査が試みられた。(回収率64.7%)

◇「戦争中の政治や軍事の指導者達は戦勝国から戦争裁判にかけられて処罰されましたが、戦争を起こした以上そうなったのも当然だと思いますか。負けたのだから仕方がないと思いますか」
   「当然」19%  「仕方がない」66%
   「不明」15%

◇「負けてもああいうことはひどいやり方だと思いますか」
   「ひどすぎた」  63% 
   「そうは思わない」31%

●舞踊団や落語家・漫才師などの芸人の慰問や、各県人会らがこぞって訪れる「巣鴨詣」がブームになった。以上3点、「恥ずべき国民の意識」である。
   《粟屋憲太郎 週刊金曜日2005/12/23》

…「恥ずべき」とは、さすが日本屈指の左翼雑誌「週刊金曜日」のお抱え学者である。(管理者)
   


●戦犯の赦免の法律に関して真っ先にこの問題を取り上げたのは、堤ツルヨという社会党の議員だった。その結果、遺族年金法・恩給法まで成立している。(赦免の法律の方が先)

●A級戦犯問題を論じる上で、こうして積み上げてきた法的な議論がないがしろにされている。国権の最高機関である立法府において、決議し、法律まで作ったものを無視するならば、日本は法治国家の名に値しない。…戦後間もない当時の方が、日本に「日本人」が多かった。戦争中の実態を知っていたから、東京裁判の虚構が見抜けた。
      《中條高徳 諸君!2006/2月号》


●北海道新聞第一面のトップに「東條英機ら7人の絞首刑」のことが載ったとき、父は「かわいそうに、家族の人たちが気の毒だ」といったようなことを呟いていた。母はもちろん眼に涙を浮かべていた。しかし学校の先生は、そのことについて一言もなかったではないか。
        《西部邁 「無念の戦後史」》


●昭和27年7月から「戦犯」(1,224人)の早期釈放を求める一大運動(戦犯釈放嘆願署名運動)が起こる。(当時の人口7千万人中、4千万人の署名が集まった)まさに国家的願望だった。これによって我々は戦争について、責任は軍部、国民は被害者といった受け取り方ではなく、国民全部がかぶったといえる。
この点、戦争責任はヒトラーとナチスにあり、国民は全くの被害者としたドイツとは完全に異なる。

  《屋山太郎 「なぜ中韓になめられるのか」》
        (他著書「安倍晋三興国論」)


●昭和27年6月の戦犯釈放決議案に対する賛成討論で、社会党・堤ツルヨ議員…
「私は、この決議案に、むしろ即時釈放をつけていただきたい。わが国の議会での叫びは、おそらく世界の各国々の人々にはよく理解していただけることと存じます」

同年12月の同討論で、社会党・古屋貞雄議員…
「敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追及することは、正義の立場から考えても、基本的人権尊重の立場から考えても、私は断じて承服できない
…当時の国会議事録を見ると、東京裁判批判は社会党を含めごく普通に行われており、”東京裁判絶対論”を主張する議員は殆どいなかった。

●政府は昭和27年10月、A級戦犯を含む拘禁中の全ての戦犯の全面赦免を関係各国に要請。重光葵(禁固刑7年)や賀屋興宣(終身禁固刑)などは公職に返り咲いたが、連合国側は「戦争犯罪人だ」などと異論をはさまなかった。 
          《産経新聞2006/8/11》


●講和独立後の政治家たちは、社会党の議員に至るまで全会一致で「勝者の裁き」を拒否し、「歴史解釈権」を取り戻すことこそが「完全な独立国家」だと信じていた。

●それが60年安保闘争のあたりから、保守政治家が東京裁判批判は「反米」に繋がると恐れ始め控えるようになり、その隙に革新勢力はマスコミや日教組と手を組んで「東京裁判史観」の普及に励んだ。左翼はWGIPをGHQから引き継いだ。
     《小林よしのり SAPIO 2006/9/27》


●「戦犯の遺族にも年金が支給されるようになった(戦傷病者戦没者遺族等援護法)のは、戦犯の遺族たちの極端な生活困窮ぶりを日本政府が見かねたからだ」とあっさり片づける人がいて私は呆れた。

●生活費補填の為だけなら生活困窮者援護の諸法を適用すればいいはずで、戦死者も戦病死者も戦犯も等しく援護する法律が制定されたのは、戦死者も戦犯も全て同じように国家のために命を捨てた人々なのだから、援助は当然だと。当時の国会の議事録には、戦犯は戦勝国からみれば犯罪人であろうが、日本にとっては犠牲者だという発言が繰り返されている。
      《上坂冬子 諸君!2006/1月号》







A級戦犯の名誉は国会において明確に回復されている。
もしそれが廃案にされたという事実があるならば、それも国家の決定だから仕方がない。しかし、立法されてそのまま法律が生きているのに、未だにA級戦犯を犯罪者扱いするのは法治国家のやることではない。

●その後、数回の国会論議を経て恩給法まで立法し、現に支給されているのである。恩給法を見れば、犯罪を犯せば支給停止になることが明白、という事実を知るだけでも当時の立法がそのまま生きていることが明白ではないか。しかも、関係当事国もそれを認めている。

●あの当時の代表的な意見といのは、戦犯はわれわれの国が決めて始めた戦争で戦った人たちだ、というものだった。今の人より戦争の原理原則を知っている。戦争というのはあくまでも国事マターである。立憲君主制をとる民主国家が、戦争をすることを決めたのである。ヒトラーが一声で決めたのとは話が違う。われわれのお国のために戦ったのだ。国民ももんぺを穿いて戦争に協力した。
   《中條高徳
    「子々孫々に語りつぎたい日本の歴史」》

●講和条約第11条には、「これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない」(この判決に関係ある国1つないし2つが日本政府の申し出にOKと言えば赦免してもいい)とはっきり書いてある。

●当時の外務省はそれを知っていたから、条約が発効するとすぐに関係諸国に交渉して、11ヵ国がOKを出したのだ。日本政府は条約で決めた条文によって全部戦犯をなくしたわけだから、これは誰にも文句のつけようがないはずである。 
          《渡部昇一 〃 》


●講和独立後の日本の政治家たちは、「勝者の裁き」を敢然と拒否することこそが「わが国の完全独立」と「世界平和」につながると信じた。勝者の裁きを否定して、連合国によって奪われた「歴史的解釈権」を晴れて取り戻した「完全な独立国家」として国際親交に努めたい…これが紛れもなく戦後の日本政治の原点だっといえよう。
1953年8月の「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」は、「戦争犯罪」否定の国会議決として可決されたのである。
    《江崎道朗 「世界がさばく東京裁判」》


●戦犯釈放の署名運動をリードしたのは、なんと日本弁護士会連合会である。

●戦犯が拘束されていた巣鴨の刑務所には、当時の芸能界の超一流どころが、気の毒だということで毎日交代で慰問に行った。長谷川一夫、渡辺はま子、藤山一郎、笠置シズ子、市川猿之助、柳家金語桜、辰巳柳太郎、徳川夢声などの人たちが、演劇・歌謡・舞踏・落語・漫談・曲芸・浪曲・講談などで戦犯と言われる人たちを励ましたのである。

●それが当時の日本国民の感情だった。A級戦犯はけしからんと思っていた人は、ごくまれだったのである。
    《田母神俊雄 「自らの身は顧みず」》


●民主党の野田佳彦国対委員長は、首相の靖国参拝に関して政府に以下のような質問主意書を提出した…

◇「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない。戦争犯罪人が合祀されていることを理由に首相の靖国神社参拝に反対する論理は、すでに破綻している。

◇「A級戦犯」として有罪判決を受け禁固7年とされた重光葵は釈放後、鳩山内閣の副総理・外相となり勲一等を授与された。同じく終身刑とされた賀屋興宣は池田内閣の法相を務めている。これらの事実は「戦犯」の名誉が国内的にも回復されているからこそ生じたと判断できる。

◇とすれば、同じ「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑になった東條英機以下7人、終身刑ならびに禁固刑とされ、服役中に獄中で死亡した5人、判決前に病のため死亡した2人もまた名誉を回復しているはずである。

◇サンフランシスコ講和条約と4回に及ぶ(戦犯釈放を求める)国会決議と関係諸国の対応によって、ABC級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。

社会的誤解を放置すれば、「A級戦犯」の人権侵害であると同時に、首相の靖国参拝に対する合理的な判断を妨げる。「A級戦犯」に対する認識を再確認することは、人権と国家の名誉を守るために緊急を要する。

◇外務省訳の「裁判」は「判決」の間違いとの指摘があるにもかかわらず、政府が「裁判」を受諾したとしている。裁判を受諾した場合は、日本は「南京大虐殺20数万」や「日本のソ連侵略」などの虚構も含め、満州事変以来一貫して侵略戦争を行っていたという(裁判の)解釈を受け入れたことになる。

●これに対して政府は、10月25日の閣議で次のような政府答弁書を決定した…
◇(極東軍事裁判やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した)刑は、わが国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない。
ABC各級の「戦犯」は、国内では戦争犯罪人とはいえない。
◇戦没者の追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、神道儀式によることなく、宗教上の目的によるものでないことが外観上でも明らかである場合は、憲法20条第3項の禁じる宗教活動に当たることはない。
          《産経新聞 2005/10/26》


●菅首相談話や村山談話は、当時の内閣の歴史認識を示したもので、戦犯の法的地位の問題とは無関係だ。
平成17年10月に提出された野田佳彦氏の質問主意書に対し、当時の小泉内閣は、国内法上は戦犯は存在しないとする答弁書を閣議決定した。これが日本政府の本来の公式な立場である。
           《産経新聞2011/8/18》


●たしかに11条には「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」と規定されているが、当時の西村熊雄外務省条約局長の国会答弁でも明らかなように、「裁判の受諾」は「裁判の判決の効力」の維持に関することに限られるので、昭和33年5月末日をもって最後の“戦犯”が釈放された段階で本条の使命は事実上終わっている。

したがって、刑の執行とは関係のないところで“戦犯”をどのように処遇するかは主権回復後の日本人の自由意思に委ねられることがらであって、同条約11条とは何の関係もない。関係ありとすれば、重光・賀屋両氏の復権も条約に触れることになろう。

●これまで“A級戦犯”合祀問題は、主として中国政府からの抗議という形で浮かび上がってきたものの、ことの本質はあくまでも日本の国内問題に属するものと見られてきた。それが単なる日本だけの問題にとどまらない、国際条約にも抵触する事柄だ、という意味の批判が与党の有力議員の口から飛び出したのである。

●中曽根参拝から3ヵ月余りたった昭和60年12月4日付で配信された共同通信記事によれば、中国を訪れていた桜内義雄衆院議員(前外相)は、呉学謙外相と会談した後に記者会見し、「靖国神社へのA級戦犯合祀は、戦犯を認めたサンフランシスコ講和条約11条からみて問題があるとの見解を表明した」というのである。
   《大原康男
     「日本を貶めた10人の売国政治家」》


●昭和28年8月3日の衆院本会議で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が採択され、その決議文では「中国は昨年8月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し」と明記し、更にフランス・フィリピン・豪州政府も全受刑者を赦免してくれたのであるから、日本国政府も国内で拘禁されている受刑者たちの全面的赦免を実現する時機に至ったのだ、と高く謳っている。

●この「赦免」について一般的には、罪人であるが恩典として釈放するという場合と、罪人とは認めないが故に当然の処置として釈放するという場合があり得るわけだが、我が国の政府の採った立場が正にその後者であることは、この決議に続く戦没者遺族等援護法及び恩給法の以後逐年の改正により、旧敵国の戦争犯罪裁判による刑死者等は国内法での罪人とは見なさない、との立法措置を執った事から明らかである。これが我が国の公論であり、定説である。
      《小堀桂一郎 産経新聞2005/6/1》






※関連ページ
東京裁判の「A級戦犯」も参考に

【靖国参拝】
靖国神社とは
英霊との約束の場
政教分離
本来の意味
戦犯の名誉回復
彼らはもう犯罪者ではない
首相の靖国参拝
日本だけの特殊な足かせ
靖国問題の扇動者
朝日新聞と左翼