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親日のアジア②
  ②

日本軍はアジアの人々に多大なる苦しみを与えた、
とされている。
しかし、その割にはなぜか親日的な国は多い…



●インドの有名な国際政治学者K・サブラーマンヤム氏の論文(2005年5月インドの大手紙「ヒンドゥスタン・タイムズ」)…

◇日本の戦時中の行動は、他の欧米列強がしたことと何ら変わりない。

◇インドは中国と異なり、第二次大戦における日本の軍事行動を非難しない。

◇東南アジアで日本軍がアメリカ・イギリス・フランス・オランダの植民地を素早く撃破したことこそ、戦後に欧米列強が再びアジア(植民地支配)に戻ることを困難にしたのである。

◇中国政府が、日本の支配下で自国民が味わった苦痛を語るのはもっともかもしれない。だが、他のアジア諸国について語る資格はない。アジアの国々における脱植民地運動が、日本のお陰で勢いづいたのである。

◇歴史の選別的な復元(その多くは世界各地で災厄となっており、わが国も例外ではない)は、まったく非生産的であり、政治的な意図に基づくことがほとんどである。
       《古森義久 諸君! 2005/10月号》



●インドネシアのユウォノ・スダルソノ国防相が10月上旬にロイター通信のインタビューに応じて語った安倍政権下の日本への見解…

◇「東アジアの安全保障での日本のより力強く、より積極的な役割を歓迎する。日本のそうした役割は中国との均衡という点でも好ましい」

◇「わたしは安倍政権下での日本が『普通の国』になるための一環として、これまでの防衛庁を止めて、防衛省を設置することを望む。地域的な安全保障の役割を果たすために憲法第9条を改正することも賛成する」

◇「日本は自国の防衛もこれまでよりは強化して、米国に防衛をゆだねる度合いを減らし、なお米国との同盟関係を保ちながら前進してほしい」

…要するに、インドネシアの国防大臣は中国のパワー膨張に対し、日本が安全保障面でより大きな役割を果たしてくれたほうがよい、というのである。東南アジア諸国が中国の膨張を念頭に入れたうえで安倍政権下の日本の新たな安保政策に期待を寄せるという構図は、ベトナムのグエン・タン・ズン首相の日本訪問でも浮かび上がった。
       《古森義久 KJCLUB2013/6/13》


【司馬遼太郎が敬愛した台湾人・蔡焜燦
「誇り高い日本精神よ、再び」旭日双光章を受章した「愛日家」】(インタビュー)

●台湾の下水道施設は、内地(本土)よりも早く整備されたほどで、蔓延していた伝染病は一掃されました。それほどまでに日本は台湾の発展を考えていた。

●内地で行われていた教育と全く同じレベルのものが、同じ領内の台湾で行われていた。学校には最新鋭の視聴覚授業の設備があり、日本人教師たちは、我々に‘私‘ではなく‘公‘を大切にすることを教えた。中国の‘自分さえよければそれでいい‘という考え方とは全く違うものだった。だから、私は大東亜戦争で喜んで日本のために戦いたいと考えて陸軍に志願したのです。

●確かに日本が台湾で作ったインフラは、戦後の台湾の発展に大いに役立った。だが、我々が最も喜ぶのは、ダムや橋や鉄道ではなく、正直さや勤勉さ、約束を守ることなどを大切にする教育です。そうした道徳観を、台湾では『日本精神』と呼んでいるのです。

●残念ながら、日本と入れ替わるように台湾の支配者となった中国人には、そうした倫理観はなく、自分が儲かることしか考えていなかった。台湾では、嘘や不正、自分勝手な行動を、『日本精神』の反対語として、『中国式』と呼ぶ人もいる。それでは、ビジネスはうまくいくはずがない。台湾の‘元日本人‘たちの成功には、日本の教育が強く影響している。だからこそ、私は日本への感謝を今でも日本人に伝え続けているのです。

●『日本精神』は、ここ(台湾)にはまだ生きています。台湾には、日本が学ぶべき‘正しい日本の歴史‘がある。ぜひ、それを今の日本人に知ってもらいたい。かつての日本の姿を完全否定する中国や韓国ばかりが日本の隣人ではないのです。今でも『日本精神』を崇敬する隣国があることを忘れないでほしい。

●日本では、自虐史観という虚構が日本人から『誇り』を奪い去り、日本を‘自信喪失国家‘につくりかえてしまった感がある。しかし、それはアジア地域を不安定にさせているばかりか、世界の平和構築の障害になっている。誇りある日本が、アジア地域の安定と平和を担う真のリーダーたらんことを願う。
          
《週刊ポスト 2014/5/23》


●ボルティメッツという原爆を落とした機長は、戦後世界中をまわって講演して歩いた。バングラディッシュへ行ったときに、原爆を落とし日本をやっつけたあんたの話なんか聞きたくないということで追い返されている。イギリスに支配されていた彼らの心情がよく分かる出来事である。
     《高山正之 チャンネル桜2012/2/7》


●最も重要なパートナーは日本---。外務省が3月に発表したASEAN7か国(回答2144人)を対象とした調査では、そんな結果が得られた。日本を「最も重要なパートナー」に選んだのは65%。2位の中国(48%)、3位のアメリカ(47%)に大きく差をつけている。実は08年のこの調査では、1位は中国だったのだがあっさりと逆転した。

●調査結果を眺めるとベトナムやフィリピンなど中国との領土問題を抱える国ほど、日本支持の声が強い。中国の膨張政策への反発がそこから感じられる。

●アジア最貧国といわれるバングラデシュでも、日本への信頼は厚い。菅原伸忠氏は、NGOシャプラニールのメンバーとして10年から12年まで現地に駐在していた。バングラデシュでは07年に巨大サイクロンに襲われ、大きな被害を受けた。菅原氏も駐在中は復興支援活動に従事していた。

●驚いたのは、11年3月。東日本大震災が発生したときだ。このとき菅原さんは、サイクロン被害にあったバングラデシュ人から、地震と津波の被害にあった日本人へ、応援のメッセージを預かろうとしていた。
ところが、話を聞いた地元の長老は、村の人々を集めると。こう大演説をぶったのだ。「寄付に協力してくれ。私たちを助けてきてくれた日本人に、恩返しをしようじゃないか。1タカ(約1円強)、2タカでも構わない」

●村人は呼びかけに応えて次々に、シワだらけの紙幣を長老に手渡す。若い学生は、50タカ札を手に、悩んだ挙句に決断した。「やっぱり100タカ出す」
わずか約130円。それでも菅原さんはその気持ちが嬉しく、「思わず泣いてしまいました」という。

●カンボジアは長い内乱で、国内に地雷が多数残された。そこへ駆けつけたのが日本だ。自衛隊が地雷撤去をする傍ら、日本政府の無償援助によって、橋をかけるなどの道路整備を進めた。なかでも、トンレサップ河にかけられた橋は有名だ。カンボジアの札にも印刷されている。名前は「日本カンボジア友好橋」

●カンボジアの人々は日本人に対して、並々ならぬ敬意を示す。それは、日本には、戦争という悲劇から立ち直って急速に発展したという経験があるからだ。一般社団法人アジア支援機構代表理事の池間哲郎氏は「日本は私たちの見本であり、希望です」と言われたという。

●他国企業のブースで写真を撮っていても、日本人だとわかるとお咎めなし。一方で中国人が同様の行動をすればすぐに警備員が呼ばれる。すぐにそっくりのものを量産する中国への警戒の裏返しでもある。
…世界中に存在する親日国家と国民。その存在を知らないのは、案外、私たち日本人だけかもしれない。             《週刊ポスト 2014/5/30》



●台湾のシンクタンクが最近調査したところ、日本の集団的自衛権は台湾を守ってくれるものとして評価しているという台湾人が65%、そう思わない人は20数%しかいなかった。台湾の人たちは、いつ中国に呑み込まれるかという危機感がある。
     《西村幸祐 チャンネル桜2014/8/23



●東南アジア諸国は、決して反日ではない。その逆で、反中韓で親日的な感情を抱いている。日本が華僑から解放してくれたとして歓迎された。
《黄文雄 「『龍』を気取る中国 『虎』の威を借る韓国」》


●いまやインドの年間貿易額は対日本の約1兆円に対し、対中国は約6兆円に上るが、インド人は中国の恐ろしさをけっして忘れていない。第二次大戦後、ネルー首相が周恩来と平和五原則を締結した直後、中国はインドに侵攻してきたのである。右手で握手して左手で殴ってきたわけである。

●一方、インドには日本に特別の敬意を抱いている。それは、日露戦争で日本が勝利したからである。アジアの小国が白人国家・ロシアと戦って勝ったことは、イギリスの植民地だったインドへの強い希望を与えたのである。すべてを失った日本が奇跡の経済復興を成し遂げたことも、インド人は驚異と尊敬の目で見ている。
  《インド・ビジネスセンター代表・島田卓 
          FLASH 2014/7/29・8/5》



     



※下記の文章は、ある意味、アジアや南方における日本の取り組みの典型例といえる。じっくりと読んでいただきたい。(管理者)

●日本の真南の太平洋上、約300の島から成るパラオ共和国は、1543年、スペインが発見して植民地とし、その後1899年にドイツが買収した。
第一次大戦時に、日本は日英同盟に基づき連合国側としてドイツに宣戦布告して参戦、南洋諸島を攻略・制圧した。そして大戦の戦後処理をしたパリ講和会議によって、パラオを含む南洋諸島は日本の委任統治となり、1914年から1945年まで日本の施政下にあった。

●この委任統治時代に、日本はパラオ諸島のコロール島に南洋庁を置き、サトウキビ、パイナップル、稲作等を持ち込み、缶詰やビール工場を作って雇用を創出すると同時に、道路の舗装、橋や病院等の近代建築物の建設、電話線網を敷設するといったインフラ整備を積極的に行った。
公立学校も作り、日本の子供たちと同じような教育を全島の子供たちに受けさせた。

●この結果、パラオの人口は2万人から5万人に増え、同国に未曾有の経済的発展をもたらした。
こうした統治政策で、パラオは原初的な自給自足経済から市場経済へと変わり、財産所有権も氏族から個人の手に移り、近代社会の基盤ができたのだ。

400年におよぶ植民地化の歴史の中、たった30年間に過ぎない日本統治時代が一番良かったと、今も現地の人たちが回顧するパラオ共和国は、世界一の親日国家だと言っても過言ではない。
もっともパラオのみならず、台湾、朝鮮半島、満州、南洋諸島と、日本が戦前に統治したすべての地域において、このように「内地」の日本と同じ社会基盤を築くことに、何と日本の国家予算の三分の一が贈与されている。欧米列強による植民地政策、つまり「現地からの資源搾取」とは、その様相が全く逆だったわけだ。

●太平洋戦争を通じ、南洋諸島の若者たちも、台湾や韓国の若者同様、「お世話になった日本のために」ともに戦い、それぞれ2万数千名の尊い命を捧げたことを忘れないで欲しい。彼らの御魂はともに戦った日本兵と同じく、靖国神社に祀られている。

●日本軍玉砕後、島に戻ったパラオの住民たちが見たのは、焦土と化した島に放置されたおびただしい数の日本兵の遺体だった。
一緒に汗水流して働いた日本人。一緒に歌を歌った日本人。パラオの人たちは泣きながら、日本兵の遺体を埋葬し墓地を作った。この墓地は島民の手によって現在も整然と維持され、英霊の遺徳は讃えられている。日本から遺骨収集に行くと、「戦死者は母なる大地ペリュリューに抱かれている。収集しないで静かに眠らせて欲しい」と島民から言われるそうだ。

●終戦後、米国の信託統治が始まるが、彼らが最初にやったことは、日本がパラオに残したものをすべて破壊することだった。畑は掘り返され、発電所を壊し、道路の舗装は剥がされ、校庭の二宮金次郎像は引きずり降ろされた。毎朝、集まった村人たちが日本海軍岡田中将から、「美しいパラオを一日も早く自分たちの手で収めるようにせよ」との訓示を受けた、想い出の場所である南洋神社も例外ではなかった。

●米国は、徹底した反日教育を行った。歴史の授業では米国製の教科書を使い、「日本人によるパラオ人虐殺事件」があった等と記載して広めようとしたが、パラオの年長者が「そんな事実は全くない」と完全否定したため、歪曲されたその情報がパラオで浸透することはなかった。

●1994年10月、パラオは米国から独立した。その独立式典でパラオの国家斉唱の後に流れたのは、日本の国歌「君が代」だった。パラオの長老たちは、今でも日本のことを「内地」と呼ぶ。
「日本人は厳しかった。しかし我々に農業とまじめに働くこと、そして嘘をつかないことを教えてくれた」
 《池田整治 「マインドコントロール(2)」》



     【親日のアジア その①へ

 ※関連ページ : 日韓併合の「日本の統治」、満州事変の「日本統治時代」も参考に。

【アジア侵略】
アジアの欧米植民地の残虐さ/日本人にはできない行為
アジアの華僑/欧米植民地に巣食う者
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親日のアジア/実はアジアはほとんどが親日国家