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日本の自虐史観

自国の歴史の陰の部分だけを
異常に強調する「自虐史観」。
その姿勢は立派であると朝日新聞は煽り立てるが…


世界で唯一の朝日新聞においてだけは、「自国中心の歴史観」は悪であると判定される。しかも巨悪であるらしい。歴史の叙述が始まった遠い昔から、歴史観は例外なく自国中心であった。ヘロドトス以来、司馬遷以来、各地を遍歴したりするものの、いざ記述に際しては、特に国際環境の描出では、自国中心の歴史観に固執している。それ以外は展望する方法は他になかった。今もない。自国中心の歴史観を捨てて、それで立派な歴史を書いた人が、一人でもいたら挙げてみよ。歴史観の問題は言い掛かりである。
  《谷沢永一
  「『新しい歴史教科書』の絶版を勧告する」》


●中国人が歴史を書けば中華思想になるに決まっているし、アラビア人が書けばイスラム中心主義の歴史になるに決まっている。自国中心の歴史観が世界の常識。
  《西尾幹二 「歴史教科書との15年戦争」》


●どの国家でもそれぞれの言い分があり、同時にエゴイズムを持たざるを得ない。私たちは日本人だから、日本のことをまず考えることは自然の出発点である。
    《藤岡信勝 「汚辱の近現代史」
     他の著書「新しい歴史教科書改訂版」》
 


「被害者」の主張を無批判に認め、そのまま真実だとするなら、学問も歴史もいらない。誰が被害者であるかを、例えば人民裁判で決めれば、あとはその言い分を聞くだけでよい。

●ところが、被害者であるかどうか、どのような意味で被害者なのか、そこに歴史の検証は始まる。それを無視すれば歴史は人民裁判になる。人民裁判を歴史の検証や反省として押し通すのは、権力の独占と情報の閉鎖、分別を欠いた阿諛追従である。

●デマゴーグに墜ちるのは、明白なルール違反である。そんなのは論外にしても、評論を業とする人はこの区別に敏感で、禁欲的でなければならない。歴史について謙虚な作法を守る努力は、その1つである。
       《水谷三公 諸君!2007/2月号》

 
●それにしても日本の歴史学者は気楽なものだ。「閔妃と対立した伊藤博文は極悪人」などと書いても、訴えられる心配はない。
    《井沢元彦 「逆説の日本史(11)」》
 


立ち止まらせるための一応の努力は多くの人物によってなされている。彼らが現在の進歩人諸氏より「小器」であったとは思えない。 
      《林房雄 「大東亜戦争肯定論」》
 


●一航空機の墜落事故ですら、さまざまな要因が重なりあって、簡単に解明できない場合がある。まして「大日本帝国号」ともなれば、無限といってよいほどの要因が重なりあっているであろう。しかし本当に将来二度と墜落すまいと思うのなら、この要因の一つ一つを洗い出して検討していく以外に方法がないと私は思う。
   《山本七平 「ある異常体験者の偏見」》


●欧米人からみた戦争観…日本は戦争が終わって半世紀も経ったのに、まだ戦前・戦後という時代区分が使われている。私たちの国では、戦争といえば勝ったり負けたり。だから負けても別にどうということはない。せいぜいその当座、指導者の愚かさに憤ったり落胆したりする程度。しかし日本にとっては敗戦は初体験。だから必要以上にこだわる。
    《佐治芳彦
     「新戦争論「太平洋戦争」の真実」》



●戦争が起きたのは、日本が子だくさんで貧しかったころのことである。戦死者や戦犯の方々の名簿に農家の二,三男が多いのはそのせいかもしれない。50年前、日本の状況もアジアの状況も今と全く違っていた。今は日本もアジアも見違えるほど豊かになっている。
この楽な状況に身をおいて50年前を振り返りながら、あの時大虐殺があった、この時慰安婦がいたと問題をつまみ出すばかりでは、肝心な大きな流れを見落とすことになりかねない。  
  《上坂冬子 「償いは済んでいる」
   他の著書「これでは愛国心が持てない」》
 


●日本ファシズム体系の理論は、あらゆる点で腑に落ちないことが多く、推論による西欧解釈だけの組み立てという感じが強い。それは西欧的なものの考え方を至高とする視点に立脚していて、日本古来の風俗習慣を、未開の蛮族のそれのように蔑視する浅薄な詭弁である。

●こういう立脚点によって日本人の思想行動を許すことになると、武士道葉隠れの死の哲理も、ただの無駄な犬死同然。特攻神風自爆などは狂気の愚であるということになり、大東亜戦争そのものさえ、日本の一方的な失敗汚点であるかのようになってしまう。
        《長谷川義記 「北一輝」》
 


●「私は復員軍人です。良く私達の気持を書いて呉れました。復員当時、このような話をし、軍国主義だ、復員ゴロだと言われ、くやしいやら、日本人の心情に情けなさを感じて50数年。やっと晴れて死んでいけます。戦死した多くの戦友もよろこんでおるでせう」(長崎県・77歳 「戦争論」読者の声)
      《小林よしのり
        「新ゴーマニズム宣言(6)」》


●日本が戦争に敗れた結果、世界平和が来たわけではなく、実際は戦争は絶えず行われていたのだ。
      《坂本多加雄 「昭和史の論点」》


●「あの戦争」の本質については、「帝国主義戦争だった」「日本の侵略戦争」「植民地解放戦争だった」のように一刀両断風の見方もある。私はどれが間違っているというより、七色の虹のようにいくつもの要素が複合していたと考える。従って最低限のコンセンサスを得ようとすれば、「まちがった戦争ではないとは言えない」とか、「侵略戦争でなかったとは言えない」とでも表現するしかない。
       《秦郁彦 「現代史の対決」
         他の著書「現代史の虚実」》


●各国・各社会のさまざまな動きを関連づけ、比較対照し、その中から「極東戦争」という一大カタストロフィーに各国を導いていった歴史の大きな流れを探っていこうとする著者の方法から、まるで多元連立方程式を解くような感じを受けた。
    《クリストファー・ソーン
      「太平洋戦争とは何だったのか」》


●日本は米英中を中心とする連合国と戦争をしたが、それは米英中との間の紛争を平和的な方法で解決できなかったからである。なぜ国際的紛争が生じたのか、なぜ紛争を平和的に解決できなかったのか。それを吟味検討することが最も重要なのである。軍部の戦闘史を丹念に追うだけでなく、日本国内はもちろん、対手国の米英中が抱える問題を理解しないと戦争の全体像は理解できない。 
    《山中恒 「アジア・太平洋戦争史」》


●近現代史を論ずる人たちが陥りやすいのは、日本の行動を単に時系列に並べて済ませてしまうことである。その作業だけでは”日本は侵略国だった”という単純な構図しか見えてこない。日本政府がその当時選択した政策は、その都度アメリカ・イギリス・オランダといった交渉相手国の出方があっての反応であり、そこには因果関係がある。
     《渡部昇一 「日本を虐げる人々」
        他の著書「日本を嵌める人々」》
 


●戦後日本での戦争の歴史の語り方は、70年前後に大きな変化があった。それまでは日本が戦争で受けた被害が強調されていたのが、アジアへの加害が強調されるようになった。
加害の自覚が言われるようになった契機は、66年8月に「ベ平連」が開いた「日米市民会議」で代表の小田実が、これまでの平和運動は日本人の戦争被害を強調しながら平和の大切さを説いてきたが、これからは自分たちがベトナム戦争の加害者だという認識が必要だ、と唱えたことだと言われる。

●70年頃に新左翼運動が広がる中で、日本がアジアへ与えた加害を強調するのはよいが、日本側の被害を言うのはよくないという雰囲気ができていった。

●なぜそうなってしまったのか。新左翼運動の若者たちは戦後生まれで、戦争の被害体験がなかった。彼らは年長者から、戦争体験もないくせに甘えて反抗している、と批判されることが多かった。そうした彼らが年長者への一番簡単な反論方法として発見したのは、「あなた方はアジアを侵略した加害者じゃないか」という論法だったという面があった。
      《小熊英二 朝日新聞2007/2/27》


●日本は英米と協調して国際秩序を守るべきだったのに、独伊と結び、その結果として対米戦が不可避となったことが失敗だったというが、これを裏返して考えてみれば、では英米と協調してドイツと戦争をするのか、英米と一緒になって有色人種の独立を妨げるのか、ということである。
       《戸高一成 正論2007/10月号》


●私を憎みに憎む人たちや新聞も、おまえはウソを言っているとは言っていない。ウソだったら私はいつでも直すけれども、ウソだとは言わない。けしからんとは言うのだけれど。けしからんのと、ウソとは天地の差である。
   《渡部昇一 「こんな日本に誰がした」》


「噂が放置されると後日史実になる」というのは、私の「情報理論」の1つでもある。
   《松本重夫
      「自衛隊「影の部隊」情報戦秘録」》


●東京裁判は、日本人の心理に深い傷跡を残した。その点、ニュルンベルクの場合とは違う。ドイツの場合、ナチスが兇悪であったということについては、ドイツ人も連合国人もともに納得して整理がついている。

●しかし東京裁判の場合は、日本の国家と歴史全体が貶められたのである。そしてその史観が占領軍の検閲の下に強制され、その後半世紀にわたって左翼系の教育・出版などによって保護温存されてきたため、当然それに対する強い反発があり、これをめぐる論争が今も続いているのである。
     《岡崎久彦 「吉田茂とその時代」》


戦後の歴史家は、東京裁判の判決や連合国側に都合のいい資料だけ(それしかなかったが)で歴史を書いてきた。
    《渡部昭一
     「日本は「侵略国家」ではない!」》


忠臣蔵が吉良上野介の討ち入りから始まったら、誰も感動しません。なぜ討ち入りをしたのかその理由がわからなければ、ただの狼藉蔵になってしまいます。
         《田母神俊雄 出典不明》
 


●「昭和史」などというものも、昭和3年からの歴史だけを問題にするわけである。そうすると、蘆溝橋はどうだ、張作霖はどうだという話から始まって、もっぱら日本は悪いことをした、という話ばかりになるのだ。でも、前史があるのだ、前史が。
  《「西尾幹二 「GHQ焚書図書開封(3)」》






●戦争のような大混乱の中で記録された文書を通して、その全てを知るということ自体に無理がある。極論すれば、戦争の記録における絶対的な事実は勝ったか負けたかだけ、と言うことすら出来るのだ。
      《西木正明 文芸春秋2009/1月号》


●言うまでもなく、国際関係とは本質的に相互作用的なものであり、たとえ専らににとっての「あの戦争」の意味を考えることに絞ったとしても、その関心のあり方はつねに国際要因との相互作用という面にもっともっと重点を置いた見方をとらない限り、正しい歴史の評価は望めない。

●「運命の十年」(満州事変から真珠湾まで)の始まりとされる満州事変だけを例にとっても、その本質はかなりの程度、国際情勢への日本の「受け身の対応」であった側面がある。
        《中西輝政 「運命の十年」》

【5月20日更新】

●一方的に日本軍に虐待されたことだけを言い立てて、連合軍の犯罪は問題にしない元捕虜のイギリス兵やオランダ兵がいるが、日本軍の犯罪だけを言い立てる日本人にくらべればまだしも彼らは了解可能である。人間というものは本質的に身勝手であり、彼らは身勝手な主張をしているだけだと考えてもいい。人間というものはなかなか恨みを忘れないものだと考えてもいい。とにかく彼らは自分に有利なことを求めるという人間性なるものに反する行動はしていない。
しかし、この日本人たちの主張はいささか病的で、マゾヒズムの疑いを否定できない。
    《岸田秀 「二十世紀を精神分析する」》


 ※関連ページ : 朝日新聞の「反日的言動」も参考に

【自虐史観】
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