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東京裁判史観

東京裁判で押し付けられた戦勝国側から見た史観も
戦後の歴史学に多くの影響を及ぼしている。


●栗山尚一・元外務次官…「米国に日本の首相が『あの戦争は自衛のための戦争だった』と言ったら、日米関係はもたない。人類の歴史は残念ながら常に戦争を繰り返してきた。その歴史は、ほとんど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは『公平ではない』と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が歴史として受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない」
この堕落のメンタリティーが、「泣き寝入り外交」をもたらしてきたのではないか。
        《中西輝政 正論2006/7月号》


●桶谷秀昭…「侵略戦争とは敵側に投げつけるレッテルにすぎないかもしれない」
       《尾川正二 「戦争虚構と真実」》


今の歴史は、戦勝国やそれへの便乗国の「勝てば官軍」的な非歴史学的な解釈である。

●各国の太平洋戦争の受け止め方…

◇アメリカ:日本の帝国主義を倒し、民主主義を守る
      ための戦い(建て前論)
◇中国:抗日15年戦争
◇ソ連:日本の侵略的帝国主義反対のための戦争
   (コミンテルンの32年テーゼの焼き直し)
◇英仏蘭:植民地帝国防衛戦争(建て前は米とほぼ
    同じだが、本音は植民地崩壊を食い止める
    ことにあった)
◇日本:自存自衛そして東アジアの欧米植民地支配
    からの解放戦争(本音は東アジア植民地の
    再編にあったが解放にも共感した)

《佐治芳彦 「新戦争論『太平洋戦争』の真実」》


戦争というのは、お互いにプロパガンダを行わないとできない。国民が命を捨てることにもなるわけだから、こちら側は神のように正しく、相手側は悪魔のように悪いといわなければ国民がついてこない。
そうして戦争が始まり、どちらかが負けると負けた方のプロパガンダはもうそれっきりになり、歴史上消滅してしまう。ところが勝った方のプロパガンダはその後も残り続ける。それが戦争というものだ。

●太平洋戦争のプロパガンダだけを見るならば、日本の方が強かった。真意はともかく「これはアジアの被抑圧民族解放のための戦いである」というプロパガンダには迫力があった。
それに対して英米側には、取り立てていうほどの正義はなかった。アメリカには幸いなことに真珠湾攻撃があった。イギリスやオランダは「日本の残虐行為」というプロパガンダを行った。
戦争というのは殺し合いであるため、残虐であるに決まっているわけだが、それを「恐るべき」とか「身の毛もよだつ」というような表現ばかりのプロパガンダを使った。
…戦争に負けた国というのは、どうしてもそのようなことになってしまうのである。そのため正しい歴史観というものは、そう簡単には出てこない。
     《岡崎久彦 「国家は誰が守るのか」》


●戦争プロパガンダ 10の法則…
 ◇我々は戦争をしたくはない
 ◇敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
 ◇しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
 ◇我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は
  甚大
 ◇敵の指導者は悪魔のような人間だ
 ◇芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
 ◇我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命
  のために戦う 
 ◇我々の大義は神聖なものである
 ◇我々も誤って犠牲を出すことがあるが、敵は
  わざと虐殺行為におよんでいる 
 ◇この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
     《アンヌ・モレリ
       「戦争プロパガンダ10の法則」》


●江戸時代、徳川氏の権力が確立するや、京の阿弥陀ヶ峰にある秀吉の廟所をこわさしめ、あとは盗賊、浮浪人の巣になり、やがて朽ちほろんだ。それと同時に朝廷が秀吉にあたえた「豊国大明神」という神号もとり消され、秀吉は神でなくなった。

●秀吉にかわって家康が神になった。死後、「東照大権現」という神号がおくられ、その廟所が日光でいとなまれ、殿舎は豪華壮麗をほこった。いまなおそれをほこりつづけている。秀吉が「神」として復活するのは、その死後三百年たってからである。関ヶ原の敗者、島津氏、毛利氏などによって徳川氏がたおされ、維新政府が誕生した。その維新政権の手で豊国大明神の神号が復活し、廟所も阿弥陀ヶ峰のふもとで再建され、豊国神社になった。権力とは、こうも奇妙なものである。

徳川氏は、その治世二世紀あまりを通じて石田三成を奸人としつづけた。そうすることによって豊臣家の権力をうばった徳川氏の立場を正当化しようとした。幕府の御用学者、諸藩の学者も、三成に対し奸人以外の評価をくわえることをおそれ、それをしなかった。ただひとり、水戸黄門でしられている徳川光圀のみが、その言行録「桃源遺事」のなかで、「石田治部少輔三成はにくからざるものである。人おのおのその主人の為にはかるというのは当然なことで、徳川の敵であるといってもにくむべきではない。君臣ともに心得べきことである」と語っているのが、唯一の例外といっていい。たった一人の人物を、その権力が二百数十年にわったて憎みつづけ、根気よく悪神の祭壇にかかげつづけた、という例は、日本ではめずらしい。
         《司馬遼太郎 「 関ヶ原」》


●第二次大戦は米ソという超大国が連合国として1つになって、圧倒的な力で敵対陣営(日独)を打倒したことにより、それまでのどの戦争に比べても、1つの歴史解釈を固く封印する力をもった。あの大勝利は、実際に戦争に到った原因を忘れさせる力すら持った。

●同盟国だったというだけで、日本をナチス同様の体制の国だったはず、という類推思考のおかしさは、次の点に最もよくあらわれている…
第二次大戦中、アメリカばかりでなく知的な中産階級が成熟しているイギリスにおいてさえ、スターリンのことを「われらがアンクル・ジョー」と親しみを込めて読んだ。1930年以前に生まれた英米人の多くは、戦時中「スターリンは個人の自由という考えを非常によく理解した指導者で、ロシアの民主化のために必死で改革を進めている」とか、「彼のやった国内の虐殺行為は、反対陣営が流している政治的謀略にすぎない」と殆どあらゆる新聞が書き立てていたことを覚えているはず。国際問題を深く理解している少数の知識人を除けば、英米国民の大多数がそう信じていた。戦争は勝たねばならないという「戦争の圧力」のもと、白を黒と言い含めるイデオロギーが不可欠だった。

●しかし一層注目すべきことは、大戦が終わりしばらくして冷戦が始まっていく過程(わずか数年のうち)で、「スターリン=アンクル・ジョー」という解釈を米英の政府とマスコミが一体となっていかにうまく葬ってゆき、「赤色ソ連」を全き自由の敵と決めつけたかということ。それでも一般の英米の人々は違和感を持たなかった。
…歴史を規制するもの、つまり人間の思考・正義感、あるいは他者イメージを一変させるのは、端的に言って国益や戦略環境の変化に他ならない。
《中西輝政 「日本の『敵』」他の著書「日本人が知らない世界と日本の見方」》


      【GHQの洗脳

●「真相はこうだ」=昭和20年12月9日~翌年2月10日まで、毎週日曜午後8時のゴールデンタイムに全10回、NHKラジオで放送された。日本が敗戦に至るまでの出来事を「太郎君」の質問に文筆家が東條ら「戦犯」の罪状を暴露、「真相」を明かすというドラマ形式の番組だった。GHQで教育やメディアの改革を担当してた民間情報教育局(CIE)のラジオ課がNHKを陣取り、脚本・演出を手がけた。ただ番組では米国を敵と呼び、日本製であるように「偽装」していた。

●放送の反響は大きく、日本の行為を一方的に断罪する番組構成に反発する投書がNHKに多数寄せられ、出演者に脅迫状が送られることもあった。だが占領下でそういった事実は報道されることはなかった。

●「真相はこうだ」は、昭和20年12月8日からGHQが全ての新聞に掲載を指示した「太平洋戦争史」(全10回)と同じく、21年5月に始まる東京裁判に向けた国内世論対策の色彩が強かった。

終戦直後の日本で、「真相はこうだ」がGHQの思惑通り受け入れられたとはいえない。北海道岩見沢市で敗戦を迎えた東工大名誉教授・芳賀氏(77)が17歳で聞いた印象…
「グロテスクでおどろおどろしく、子供だましという印象だった」「とにかく戦時中の日本は間違っていたというキャンペーンが目立ち、GHQがやらせていることはすぐに分かった。戦場から返った人も実感とあまりにも違う荒唐無稽な番組と考えただろう」

●GHQ文書(月報)には、敗戦直後の日本の様子が次のように記されていた…「占領軍が東京入りしたとき、日本人の間に戦争贖罪意識は全くといっていいほど存在しなかった。(中略)日本の敗北は単に産業と科学の劣性と原爆のゆえであるという信念が行きわたっていた」
驚いたGHQは、日本人に戦争に対する罪悪感を植えつけるための宣伝計画「WGIP」を開始した。その中でも南京事件はうってつけの材料として使われた。

●当時、番組を制作したNHK職員・小篠輝雄(86)…「仕方がないという感じだった。不満があっても、CIEに言えるような雰囲気ではなかった」

●制作にかかわり、後にNHK専務理事になった春日由三氏…「不成功に終わった占領軍時代の代表的なものだ。この番組に対する聴取者の抵抗が予想以上に激しく大きかったのを見て、私は日本人の愛国心というものに頼もしさを覚えた」(「体験的放送論」)

●番組制作を指揮したCIEに所属、翻訳をチェックしたフランク馬場氏…「20週以上連続放送する予定だったが、抗議の投書が殺到したため10週で打ち切らざるをえなかった」

●知識人たちも白い目を向けていた。昭和21年8月発行の雑誌「文学会議」創刊号に掲載された、石川達三・中野重治・河上徹太郎ら著名な作家は座談会で…

河上:「あれぢやもう一つその裏の『真相はかうだ』がいるな」
石川:「あれは進駐軍の指図があつたのだらう」
中野:「どこの指金か知らんけれども…あれは嘘だ」

…だが、この部分はGHQの検閲で消された。

●「真相はこうだ」の不人気に気付いたCIEは、ソフト路線に軌道修正した。同番組が終了した翌週(21年2月)から新番組「真相箱」をスタートさせたのだ。これはドラマ形式の演出をやめ、聴取者の質問にアナウンサーが答える「相方向性」方式に変更した。さらに、連合軍捕虜を厚遇した日本人将校の存在をとりあげるなど日本に肯定的な情報も伝え、断罪調を弱めた。(名称や形式を少しずつ変えながら23年1月まで続いた)
…一方的に聴取者に押し付けるのでは逆効果と気付き、洗練された手法に変えた結果、”成功”したのではないか

●戦中期の宣伝放送に詳しい山本武利早大教授…
「(日本人も)戦争が終わったことは歓迎だし、軍に対する反発もあった。米国がソフトランディング(軟着陸)路線に転換するなら、受け入れる土壌もあったのだろう。基本的には、戦争犯罪についての意識を浸透させるのは一貫した米国の考えであり、結局は『洗脳』なのだが…」
         《産経新聞 2005/12/20》


●戦争世代が語り継いでいれば、「洗脳」を解くこともできたかもしれない。これをしてこなかったのは、彼らだけの責任ではない。検閲で皆が沈黙していったのだ。

《櫻井よしこ 「GHQ作成の情報操作書「眞相箱」の呪縛を解く」》


●「眞相箱」の中には、明らかな嘘も、嘘と判じ難い巧妙な嘘もあった。
例えば「眞相はかうだ」の番組では、「原子爆弾を広島の軍事施設に投下しました。ダイナマイト二万トンに相当する破壊力を持つこの原子爆弾は、兵器廠都市、広島の六割を一掃してしまいました」というナレーションがあり、長崎についても「長崎軍港の軍事施設と三菱ドックに投下されました」と、目標が日本の軍事都市だったように語られている。
       《櫻井よしこ 「大人の責任」》






●占領軍は「日本人ほど好戦的で悪い人種はいない。日本人さえいなければアジアは平和なのだ」という反日本人キャンペーンを行い、これに反対する日本人は、東京裁判で裁いたり、「公職追放令」で政界・財界・学界・言論界などの指導的地位から追放した。(21万人以上追放された。講和条約発効と共に自然消滅) 
 《渡部昇一 「渡部昇一の「国益原論」入門」》


●GHQは占領政策に強力する「友好的な日本人、占領軍に利用できる人物」として数千の文化人をリストアップし、彼らを通して間接的に偏向情報を連日流させた。ここにNHK文化人、朝日文化人、岩波文化人といった反日的戦後民主主義者が生まれ、当時はさかんにもてはやされた。

●占領軍の検閲には、5千人の日本人が動員された。彼らには給料として、連合国が雇用した職員の中でも最高の日給900~1,200円が支払われた。(これら検閲官への俸給は、日本政府が負担させられた)
検閲は「闇の仕事」「アメリカの犬」であったが、英語に堪能なこれら高学歴の人々は、後に革新自治体の首長、大会社の社長、ジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授になった。彼らは自らの過去を緘して語らない。彼らの弟子や後継者も追随し、今なお日本の言語空間を縛っている。
     《清水馨八郎 「大東亜戦争の正体」》    
 ※関連ページ : 「東京裁判」も参考に。

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