賢者の説得力ホーム日中戦争日中戦争への欧米の介入

 

日中戦争への
欧米の介入

「中国を侵略する日本」に対して
欧米諸国は批難の目を向け、
盛んに中国を支援した。
しかし、その本音とは…



●アメリカ国民の中国贔屓は、まず19世紀末より中国へ渡った多くの宣教師たちの影響がある。
それは彼ら独特のキリスト教的優越感からくるもので、中国人は未開人種で殆ど人間以下のもの。だからこそ中国人には神の恵みが必要なのであり、その恵みに彼らを導くことこそ彼らの役割である…というものだった。

●そしてこの感情が決定的になったのが、辛亥革命以後帝政が廃止されるや、多くのアメリカ国民はアジアにおける「姉妹共和国」の誕生を歓迎してからだった。「中国人はいまや世界で一番民主的な共和国である」・「アジアにおいて最も西洋的な国は、もはや日本ではなく中国である」とかいった言論が、アメリカの新聞や雑誌では花盛りとなった。

●これがウィルソンの時代になると、その肩入れはさらにエスカレートする。ウィルソンは彼が大学長をしていたプリンストン大学が、北京のYMCAに援助したり中国から大量の留学生を受け入れていたような雰囲気を反映するものだった。

●アメリカ人は蒋介石を中国のジョージ・ワシントンになぞらえたというが、こうした一方的な思い入れが国民党の排外主義運動を免罪し、その背中を押し、ひいては満州事変の原因をも形作っていった。
          《伊藤哲夫 産経新聞》 


●元々アメリカの太平洋政策にとって日本は邪魔者だった。日本を倒してしまえば太平洋はアメリカの海になり、また中国も手に入るという計算である。蒋介石も日本を中国から追い出すのにアメリカの力を借りる気でいたから、米中両者の思惑は一致していた。
       《日下公人 「闘え、日本人」》


●アメリカは植民地主義はとらないものの、商品を買ってもらうという意味では中国を大事にしたというか、おさえようとしていた。
    《司馬遼太郎 「「昭和」という国家」》


●米国の外交専門家ジョン・マクマリーは、1935年に出版した「平和はいかに失われたか」の中で、米国が中国に幻想を抱く一方で、日本を悪く考えすぎていると警鐘を鳴らした。日本は誠実で非常に力のある国であり、中国は危険で価値観の上で相容れない国だとし、日本を冷遇する外交政策は誤りで、むしろ米日が共通の価値観の上に立ってアジア政策を行っていくことが、米国のためにもアジアのためにも有効だと説いた。
     《櫻井よしこ SAPIO2006/6/14号》


●国民党は宋美齢を中心とする極めて巧妙な外交手腕により、米世論を味方につけ、さらにはルーズベルトらの持つ中国に対するロマンティックな評価につけこんで、対日姿勢を強硬化させることに成功した。この点は誠に見事。逆に、外交戦において全面的に敗北した日本の外務当局の罪は大きい。

●しかし大戦が進むにつれ、さすがのアメリカも蒋の正体に気付いた。「アメリカからの援助は全て党幹部の私腹を肥やすか、対中共に備えるための倉庫に入れられている」と派遣軍司令官・スティルウェルはホワイトハウスに報告していた。

 《福田和也 「第二次大戦とは何だったのか?
      他の著書「
俺の大東亜代理戦争」》


●アメリカでは当時、まがりなりにも議会制があって普通選挙もやっている日本の方が、非常に強権的なファシスト政権である蒋介石よりも非民主的だと思われていた。蒋介石が民主主義をやっているというイメージがアメリカ国民に定着していたのは、中国の情報戦略の勝利としか言いようがない。
     《福田和也 「
二十世紀日本の戦争」》


アジアにファシズムがあったとすれば、それは蒋介石政権である。
《クリストファー・ソーン 「太平洋戦争とは何だったのか」他の著書「太平洋戦争における人種問題」》


●アメリカ国内の中国派をバックにしたのが、アジアへ渡った宣教師たちだった。
アメリカは非常に宣教師の影響力が強い国で、彼ら宣教師たちは「日本ではどうしてもキリスト教徒が人口の1%を超えない。それはゴッド・エンペラー、すなわち天皇がいて神道があり、布教の邪魔をするからだ。
それに対して中国は、非常に親米的であり、布教も見込みがある」という類のプロパガンダを繰り返した。

●その上、宋美齢もクリスチャンで、米議会において美貌と巧みな英語で反日の大演説をして、ものの見事に親中的な空気を作り上げた。米中連合はそうしてできた。
       《平川祐弘 諸君!2005/8月号》

 
●日中戦争直前、中国の駐米大使・胡適は、“米ソを日中の紛争に介入させるには、中国が日本との戦争を正面から引き受け、二,三年負け続けることだ”と語る。

●実際に負け続けた後、蒋介石は”米国が中国を支援しないと共産主義化する”とルーズベルトを脅し、無償武器援助を勝ち取った。(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子著の書評)
          《中央公論2009/11月号》


●「無垢で哀れな中国」というイメージが、アメリカ人特有の判官贔屓というか、応援してあげたいという気持ちをくすぐる。要は「強い日本人」が「弱い中国人」を一方的にいじめているという構図。そしてそれを正義感の強いアメリカ人は放っておくことができない。
            《諸君!2003/2月号》


感情的に中国を支持し、対中貿易を守るため日本を敵視することはない。このままでは日米が武器を持って戦うことになる。
   《ラルフ・タウンゼント
    「暗黒大陸中国の真実1933年出版


●工部局(共同租界の行政機関。治安組織もある)の責任者たちの中では英国商人が最も多く、その実権を握っており、租界設置以来永年にわたる支那人の反英思潮を反日に切り換えさせるため、工部局は積極的に支那軍を応援した。

●支那”事変”である限り、第三国は中立を守る必要がなかったので、英米の軍艦が堂々と支那軍の支援活動をしていても、日本軍はこれを攻撃してはいけなかった。(12月12日に発生したパネー号及びレディー・バード号事件は、日本政府の陳謝と損害賠償によって一応は解決した)
《西岡香織 「報道戦線から見た「日中戦争」」》


●ジョン・サイモン卿…
「もし一国が武力紛争の一方の当事国に対する武器・軍需品の積出しを禁止し、他の当事国に積出しを許容するとすれば、その国は必然的に、この紛争に軍事的干渉をすることになるのであり、宣戦の有無にかかわらず、戦争の当事国となるのである」
  →アメリカはシナ事変のときの当事国になる。
      《渡部昇一 Voice 2007/10月号》


上海に跋扈した蒋介石と浙江財閥とその用心棒たちの連合軍は、中国の富を寡占したうえ、4つの銀行を経営し、その預金はたちまちの内にドルに交換され、アメリカに送られていた。
  
《宮崎正弘 「中国人を黙らせる50の方法」
    他の著書「オレ様国家・中国の常識」》


●義勇航空隊フライング・タイガースは、撃墜する日本機1機につき、500ドルの契約で雇われたアメリカ軍の「正規兵」であった。
   《江崎道朗 「世界がさばく東京裁判」》


●トラウトマンの和平斡旋の背景には、1930年代の前半から国内統一用の軍事力、また予想される日本との衝突に備えて、軍備の刷新をめぐる中独間の驚くべき親密な関係が存在していたのである。ドイツ側が軍事援助の見返りとして中国に望んでいたのは、タングステン等の希少金属の提供であった。
《北村稔 「日中戦争の「不都合な真実」 戦争を望んだ中国 望まなかった日本」》


●日中戦争時、中国はアメリカやソ連の援助を貰いながら逃げ回っていただけ。アメリカが乗り出してこなかったら、中国なんか今頃みんな日本の領土になっていた。
      《福田和也 新潮45 2008/9月号》


●「21ヵ条要求」で、満州をめぐる日中間のトラブルが増大した。当時それは「満蒙問題」と呼ばれ、歴代の日本政府はその解決に悩まされた。
中国のこの排日運動の背景に、アメリカの支持ないし働きかけがあったことから、「満蒙問題は日中問題ではなく日米問題である」と慨嘆したのは原敬だった。つまりアメリカは日中を対立させ、中国サイドに立つことで着々とポイントを稼いでいることを、この大宰相はすでに見抜いていた。石原寛爾や永田鉄山が、満蒙問題の究極的解決を対米戦争においたのも、また同様に中国がその解決を日米戦争に求めたのもわかるような気がする。
《佐治芳彦 「新戦争論『太平洋戦争』の真実」》


●満洲事変によってアメリカが中国支持に大きく傾いていったことは確か。しかしその過程で見逃してはならないファクターは、アメリカ内部の中国派、いわばチャイナ・スクールの存在である。

●1935年、中国公使をつとめたこともあるマクマリーという外交官が、マクマリー・メモランダムという報告書を書いている。(邦訳「平和はいかに失われたか」)…

「アメリカは日本をとるか、中国をとるかという問題に対して、どちらが長期的に信頼のおける国かといえば、問題なく日本である。しかるに今の米国は中国に傾斜しつつあるが、これは危険だ」と明快に論じている。グルー元駐日大使やジョージ・ケナンなどは、マクマリー・メモランダムを高く評価し、彼の助言に従うべきだったと述べている。

●1930年代から戦争に至るまで、アメリカ国務省のアジア政策を握っていたのは、スチムソン、ハル、ホーンベックといった中国派だった。このメモランダムはホーンベック国務省次官補に握り潰され、結局グルー以外には政府内で顧みられることはなかった。
     《田久保忠衛 諸君!2005/8月号》
 


●日本と中国について、古くは19世紀、松前藩に捕まったゴローブニンが「両国が手を握れば、百年といわず白人国家最大の脅威になる」と報告している。後にムッソリーニが同じことを言い、第二次大戦前にはハリファクス英外相が「日中の争いは長引いた方がいい。この二国間の仲直りは欧米国家の利益にならない」(C・ソーン「形だけの連合軍」)とも語っている。

●三輪公忠・上智大教授…「ルーズベルトは中国をほとんど溺愛していた。彼の母方の実家デラノ家は、中国への阿片貿易で財をなした。そのことへの贖罪意識が中国への傾斜を深めた一因にもなっていた」

 《高山正之 「世界は腹黒い
  他の著書「マッカーサーは慰安婦がお好き」》


●米国はさらに日本の味方になるであろう中国を抱き込んで、日本をさらに孤立させる目論みを持っていた…
中国を描いてついにはノーベル文学賞も受賞するパール・バックを筆頭に、エドガー・スノーの妻ヘレン、そしてアンナ・ルイス・ストロング、アグネス・スメドレーなど美人で進歩派の女性をどしどし投入して、「素朴で同情すべき中国人」像を創り上げていった。その中国人を苛める日本人は悪い、と。

●ハリウッドでも中国人といえば「ずるく薄気味悪いフーマンチュー」がステレオタイプだったが、それを正反対の快活で頭が切れ、それでいて分をわきまえた私立探偵「チャーリー・チャン」に置き換えた。

●その結果、第二次大戦を目前にした1937年前後の米国市民の対日本人、対中国人の好感度は「日本人2%以下に対して中国人76%」という信じがたい数字を記録している。
       《高山正之 正論2007/11月号》






●「黄禍」、すなわち黄色人種が勃興して白色人種に災禍をもたらしたという史実、あるいは黄色人種がヨーロッパ人の心理に与えた脅威感…その歴史は古い。

◇4世紀に西へ向かって侵攻をはじめ、5世紀には西ローマ帝国を滅亡に追いやったフン族。

◇13世紀に世界帝国をつくったモンゴル人。

◇14~15世紀に隆盛を誇ったオスマン・トルコ帝国のトルコ人。

◇BC13世紀頃から、金属やダイヤ・農作物などを求めて黒海・大西洋・インド洋まで侵攻したフェニキア人。
◇BC11世紀頃に発祥したインド・ヨーロッパ語族最初の帝国ペルシアが、BC5世紀にギリシャ人と繰り広げた「東西の歴史的な大戦」であるペルシア戦争。

●黄禍論を唱えた人物…
◇無政府主義者バクーニン(ロシア)
◇第二次大戦に火をつけたドイツ皇帝ヴィルヘルム二世
◇排日宣伝で有名な米新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト

●バクーニン(1860年代に日中へ来ている)…
「日本と中国が一心に西欧文明を学び、もし40年か50年後に連合したら、5億もの人間が近代兵器をもって欧州に襲来するかもしれない。そうしたら黄色の蛮族が潮のように氾濫して、ヨーロッパは防ぎようがなくなる」
その両民族にケンカさせるのも黄禍防止策の1つとなろう。それも欧米の東方政策の基本となり得ることを、はからずもバクーニンは示唆したことになる。

●支那革命の支持者ホーマー・リーは、すでに1900年代の初めに「将来、日本と戦争することになった場合に備えて、アングロサクソンにとっては中国と同盟を結んでおくことが重要」という説を述べている。「黄をもって黄を制する」戦略に選んだコマが中国であった。 

《黄文雄 「華禍―こんなに中華主義が怖いわけ」他の著書「世界中に嫌われる国・中国崩壊のシナリオ」》


【日中戦争】
21ヵ条の要求/中国プロパガンダの第一弾
中国の内戦/日中戦争前の国内混乱状態
西安事件/日中戦争前夜
盧溝橋事件/中国共産党の罠という定説
盧溝橋事件後/中国の暗躍と戦争拡大
上海事変/実は中国の侵略行為
日中和平工作/中国の妨害
日中戦争の実相/意外と緩やかだった戦闘
中国の民衆/日本軍を支援した者も少なくない
日中戦争への欧米の介入/中立のはずが中国へ肩入れ