東京裁判の本質今日、そして当時でさえ
世界から批判を受けていた この裁判の本質は、 結局どういうものだったのか。 |
●連合国側は日本が負けたことを奇貨として、アジアで戦争を起こしたのは全て日本が悪いんだという印象付けを行いたいために、東京裁判ショーを開き日本を一方的な悪者に仕立て上げた。自分たちがアジアで長期間さんざん悪さをしてきたことを隠蔽し、全ての責任を日本に押し付けた。 《諸君!2002/2月号》 ●もちろん日本からの働きかけも執拗にあっただろうが、アメリカが積極的に天皇を守ったという印象はある。天皇は「平和主義者で、侵略戦争の決定には関係していない」というのがアメリカの説明の定式だった。 ●東京裁判とは、所詮はそんな風にさまざまな政治的妥協の上に成り立ったもの。つまり所詮は「政治」だということである。「正義」にこだわるのは馬鹿馬鹿しい。日本人は裁判に対してかなりナイーブなところがある(神聖視する)。事実が追求され、正義が実現される場だと期待していた部分はある。 《日暮吉延 諸君!2007/5月号》 ●「戦勝国による事実認定」は、日本の「言い分」を排除してかろうじて成り立った。「勝者の言い分」と、それを裏付ける証拠によってのみ歴史認定を日本に強いてきた。 ●東京裁判は結局のところ、その後の国際法の進展に何ら寄与できなかった、それどころか、むしろ世界平和を希求する上で、さまざまな悪例・禍根を残すことになった… ①「戦勝国は敗戦国を、国際法を無視して断罪してもよい」という悪例を残した。 ②「戦勝国は敗戦国民の人権は無視してもよい」という悪例を残した。東京裁判では、被告が当然認められるべき権利の殆どが認められず、いわば冤罪によって死刑を宣告されたに等しい。今でいえば重大な人権侵害にあたる。 ③「戦勝国であるが故に戦争犯罪は免責される」という悪例を残した。 《江崎道朗 「世界がさばく東京裁判」》 ●戦争とは、クラウゼヴィッツが定義した通り「外交の延長」にほかならず、各国が力ずくで自国の利益を追求する営為に過ぎない。善悪を言い出せば互いに臑に傷を持つ身であるし、なによりも勝負がついた後に敗者をいたぶるのは、ヨーロッパでは騎士道精神に反する下品な行為としか思われなかった。 ●けれどもアメリカにとって戦争は(たとえそれが本質的には営利を追求するための行為であっても)、善が悪を倒す行為でなければならない。敗者は倒されるだけでなく、悪として、邪なものとして罰されなければならない。(例:第一次大戦でアメリカ派遣軍司令官J・パーシングは、ドイツからの休戦提案を拒絶してベルリンまで進撃し、カイザーを裁判にかけるべきと主張して、ヨーロッパの指導者たちを呆れさせた) 《福田和也 「日本の論点2006」》
●国際法の見地から見ると、「東京裁判」とは戦勝国が占領中に敗戦国の指導者だけを事後法で裁いた、連合国の「軍事行動(戦争行為)」である。戦時中の捕虜は「アムネスティ条約」で大赦されるのが国際法の原則である。戦争していた国々が講和に至った時、国家間に燃え上がった憎悪・怨恨感情を鎮めるために、様々な国際条約の中にアムネスティ(大赦)の慣習法が成立していた。
《小林よしのり SAPIO2006/9/27》 |
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