日本の統治日本の統治に抵抗する無辜の韓国国民を
極悪非道な拷問や武力を用いて 虐殺・暴行していた日本政府。 それは真実なのか。 |
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●「日帝が両班階級による横暴を取り締まったので、民衆の生活は楽になりました。民衆の側から見れば、李朝時代よりも日本統治時代のほうが、生活があらゆる面でよくなったから、対日感情は決して悪いものではなかったんです。だから、独立運動が広範な支持を受けることがなかった」とは、ある韓国人の証言。 《朴泰赫 加瀬英明「醜い韓国人 歴史検証編」》 ●私的な会話の中では、日本統治時代を懐かしがる韓国の老人は多いが、公的な場の発言は必ず「反日的」となる、というのもよく聞く話である。 《勝岡寛次 「韓国・中国『歴史教科書』を徹底批判する 歪曲された対日関係史」》 ●実際に統治下にあった朝鮮人民は、どのように感じていたのだろう。韓国研究者のヒルデ・カンは、アメリカ在住の韓国系住民51名に日本統治下に関する聞き取り調査を行った。(2001年) ●彼女の調査には「日本人が朝鮮人民に対して親切であったり、尊敬の態度を取ったりした」という証言や、「朝鮮人官僚が日本人の同僚と同じ給料、平等の待遇を得て、昇進の可能性もあった」といった証言を読むことが出来る。日本側の「傲慢さ」や「野蛮な行為」についての証言はあったものの、「非人道的行為」の存在を主張したものはいなかったのである。 ●その一方、刑務所で朝鮮人の職員に拷問にかけられた体験を語る者もいれば、「朝鮮の人々の土地を奪ったのは、他の朝鮮人などであった」という指摘も見られた。 《ジョージ・アキタ 諸君!2006/4月号》 ●特に教養もなく素朴な田舎人として生きてきた私の母たちが、なんのてらいもなく感じたままの「日本および日本人へのよき印象」を語るのはなぜか。そこにはなんら植民地コンプレックスはなく、ただ自分たちの体験を通しての率直な日本人観・日本観があるだけだからなのである。 ●統治し善政をしく外国人支配下の生活よりも、たとえ悪政の限りをつくされたとしても同国人支配下の生活の方がいい、などという考え方は庶民のものではあり得ない。 《呉善花 正論2002/2月号》 ●日本時代、朝鮮では3・1独立運動(1919年)と光州学生運動(1929年)以外には、これといった反日騒擾がおきたことはない。3・1運動をみても、今日教科書では当時の日本軍の鎮圧ぶりを誇張している面がある。 ●全国規模のデモは発生したが、日本の警察は運動に加わったという理由では1人も逮捕しなかったし、暴動を主導した人々に対しても、大半は訓戒と軽い罰金刑ですませた。 《金完燮 「親日派のための弁明」》 ●日本は統治後しばらくして、初期の武断統治的な姿勢を根本的に改めた。そして事実、生活の蹂躙に至るような統治をしないことを一貫させ、法治主義に徹していった。過酷な統治を布いたのは日本ではなく、日本統治以前の李朝政権であり、戦後の金日成政権や李承晩政権だった。日本統治はそれらとはおよそ比較にならない善政だったし、人々はそれらの時代とは比較にならない平和で豊かな一時代を過ごした。 《呉善花 諸君!2003/7月号》 ●朝鮮総督府の武断政治は、大韓帝国の皇帝や両班(官吏)による政治ほど『武断』ではなく、憲兵警察との二本立ての制度がフランスと同じで、主な目的は朝鮮人警察に対する汚職防止と治安維持だった。 ●併合初期の治安維持には大きな貢献をしている。たとえば1908年10月から翌年の初年度に発生した傷害事件は780回、延べ34,400人にのぼったが、5年後には5回、延べ45人にまで減少したのである。 《黄文雄 「捏造された日本史」》 (他著書「『日中戦争』は侵略ではなかった」) ●吉野作造が日本に感謝していた朝鮮人本人から聞いた発言…「自分の父祖の代までは、其蓄積せる多額の財産に眼をつけられて、故なくして府の長官から捕縛せられ其度毎に多額の身代金を取られたものだが、斯くの如き不当の侵害は今日なくなった。是れ全く日本の統治以来のことだ」 ●当時の日本では、朝鮮の男性に嫁いだ日本女性には表彰状まで与えられた。朝鮮と日本の血を混ぜて、一体化をはかるべく「内鮮結婚」を大いに奨励した。 ●日本軍に志願して採用された時、小躍りして喜び、家族は赤飯を炊いて祝ってくれたと回想した韓国人もいた。 《上坂冬子 「歴史はねじまげられない」》 (他著書「死ぬという大仕事」) ●日本統治時代を体験している父親から、「生徒に体罰を与えるのは朝鮮人の先生であり、日本人の先生は体罰をしないどころか、むしろ止める側だった」と聞かされた。 《金智羽 「僕が親日になった理由」》 (他著書「なぜ日本人は韓国人にこんなになめられ続けるのか? 」) ●石橋湛山が調べたところ、日本国民1人当たりの国家予算の支出は10円54銭であり、植民地住民1人当たりのそれは9円46銭で、殆ど差がなかった。(大正時代)それに対し植民地から得られる収益は、支出をはるかに下回った。つまり日本は、台湾や朝鮮から経済的利益を得ていたとはいえない。
●大東亜戦争では、多くの台湾人・朝鮮人が志願兵となった。1938年の初めての朝鮮での募集では約8倍に、1943年には約60倍に達した。強制だったというが、全てがそうとは考えられない。朝鮮出身の金錫源は少佐で、日本兵を率いて中国北部で戦った。(朝鮮人の最高位は洪思翊中将)
…朝鮮・台湾人の青年の中にも「日本人として認められたい」と考えて志願した人が多くいた。 ●朝鮮・台湾では、現地住民は総督府レベルの政治には参加できなかった。しかし国政レベルでは、内地在住の朝鮮人・台湾人には選挙権・被選挙権とも認められていた。(東京から朴春琴が2回衆議院に当選)逆に朝鮮・台湾に在住する内地人には選挙権がなかった。 《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史」》(他著書「国連が世界に広めた『慰安婦=性奴隷』」) ●コリア人でも軍隊内で昇進できた。(洪中将・朴元大統領は関東軍の中尉、など)このことは世界的に見れば極めて異例。例えばイギリス軍ではインド人がイギリス人に命令を下すことはなかったし、アメリカ軍でも有色人種は白人に命令できなかった。ところが日本軍ではコリア人であろうが台湾人であろうが、将校になれば兵隊はその上官の命令に従わなければならない。 ●両班八十何家は、みな日本の華族に列せられたはずである。 《渡部昇一 「日本を貶める人々」》 (他著書「決定版人物日本史」) ●日韓は連合国家であり、そうなった場合どちらかがリーダーシップをとらなければならない。この時は、大きい方が強い方がとることは世の常。 《有馬学 「日本の近代4 」》 ●当時の朝鮮の労働者は、どのような立場に置かれていたか。ホワード大学教授であるスン・ウォン・パーク(韓国系)は、朝鮮の労働者が総督府の統治政策に一定の支持を与えていたと指摘している。 ●植民地時代、朝鮮の労働者に起きた重要な変化は、「努力による昇進」が可能になったことだとパークは論じる。それによって自主性を持ち、自ら責任を負う「熟練工」が生まれ、貴重な人的資産となったのである。 …朝鮮人民は単なる「無言」で「受け身」で「無力」な被害者ではなかったし、総督府の政策も必ずしも独裁的・専制的なものではなく、それどころか「合理的」であったとパークは論じる。 ●戦時中の「朝鮮人民志願制度」に関する最新の研究成果である、ブランドン・パルマー(ハワイ大学)の「日本の戦争による朝鮮人動員1937-1945」の中で、彼は「もし日本人が朝鮮人民を抑圧していたのが事実ならば、なぜ、彼らに兵士として銃を与えることが可能だったのか」と問うた。
●パルマーは、朝鮮出身の将校の指揮の下に日本人の兵士が置かれたことに注目する。たしかにインド人指揮官が英国兵を指揮したり、インドネシア人指揮官がオランダ兵に命令を下すといった図式は考えられないだろう。 《ジョージ・アキタ 諸君!2006/4月号》 ●日本は、朝鮮を植民地ではなく、拡大された日本の一部と考えていたから、莫大な投資を惜しまなかった。 《金完燮 「親日派のための弁明」》 ●朝鮮人の朴春琴は、1932年の衆院選挙に立候補して当選している。(日本風の名前を名乗らずに) 原則的には日本国民として選挙権も被選挙権さえも持っていた。 《呉智英 SAPIO 2007/5/9》 ●韓国の教科書では、ひどい弾圧を受けている民衆がそれに屈することなく勇敢に闘った、戦後の解放を勝ち取るまでの間、いかに徹底して植民地政策に対する自主救国運動を展開し続けたか、というように激しい抵抗と闘争によって韓国人は頑張ってきたと書かれている。 ●もしそれだけの激しい闘争があったのならば、韓国全土には常時強力な軍事支配が布かれていなければならないはずだ。しかしそんな事実は全くなかった。大多数の人々がとりたてて抵抗をすることなく、比較的よく統治の秩序に従ったのが事実である。 そして日米開戦となり朝鮮半島にも危機が訪れたことによって、家族や郷土の生活を守るために日本人と同じように日本の戦時政策に協力していった。 《呉善花 正論2002/2月号》 ●帝国主義全盛時代に列強各国が植民地に建設した鉄道は、多くの場合、生産地での収穫を港湾から本国もしくは輸出先へ運び出すことのみを目的としていた。専ら資源収奪の機能を担うことから、宗主国が鉄道を現地に根ざした交通ネットワークとして位置づけることは稀であった。 ●経営史の観点から日本統治下の植民地鉄道を考察した高橋泰隆著「日本植民地鉄道史論」(平成7年・日本経済評論社)は、朝鮮の鉄道が基本的に産業鉄道であり、「『旅客収入』型であり、経営不振が特徴」であることを指摘している。これは、旅客輸送が過密だったのではなく貨物輸送が相対的に少なかったことによるものだが、旅客収入が多く貨物輸送が不振という性格は、資源収奪型の典型的植民地鉄道とは矛盾するものである。 ●こうした鉄道が、仮に当時の朝鮮人にとって「何の役にも立たなかった」のであれば、日本統治終了後に直ちに放棄・廃止されてもおかしくない。だが、実際には終戦後も大半が運行を続けている。現在、韓国・北朝鮮の双方にある合計約8千キロの鉄道のうち、日本時代の開通路線は全体の約7割を占め、今も国内交通の重要なネットワークとして機能している。 ●インド独立の父と称されるガンジーが、南アフリカを訪れた時のこと。彼は一等車の切符を持っていたにもかかわらず、鉄道員から貨車へ移るよう迫られ、拒絶すると巡査によって荷物もろとも車外へ無理やり放り出されたという。 ●欧米列強の植民地において、鉄道の利用においても被支配階級が差別を受けることが世界的に珍しくなかった当時、朝鮮の鉄道では利用上の民族差別は存在しなかった。庶民レベルにおいても旅客の中心は圧倒的に朝鮮人であり、旅客サービスもこれに対応できる体制だった。 《小牟田哲彦 「韓国・北朝鮮の嘘を見破る」》 ●(当時の朝鮮は)北海道のような感覚だったと、台湾の方から聞いたことがある。 《牛田久美 正論2010/8月号》 ●英語では植民地化を コロナイゼーション(colonization) と言い、文明の劣ったところに行って、収奪・搾取するということを意味する。 ●しかし、朝鮮の併合はまったく搾取とは関係なく、併合翌年の1911年に出たブリタニカ百科事典第11版では、日韓併合に アネクセーション(annexation) という言葉が使われた。アネクセーションは合邦とも訳されるが、イングランドとスコットランドの国境問題などに使われていた言葉である。 ●日本の統治は女性も解放した。例えば、朝鮮では夫が死んでも女性は再婚できず、その後に出来た子供を殺す嬰児殺しが絶えなかった。夫に死なれた女性が再婚できるようにしたのも、朝鮮総督府だった。 《渡部昇一 〃 》 ●引退して間もない頃、韓国・ソウル郊外の山里で、サムゲタン(参鶏湯)を食べるテレビのロケがあった。出迎えてくれた老母は感激して、初対面の私を抱きしめてくれた。「あなたたちは私の息子だ。よく来てくれた」と流暢な日本語で話し、「故郷」や「旅愁」などの唱歌を何曲も口ずさんでくれる。 聞くと、日本統治時代に本土からやってきた校長に習ったという。「素晴らしい先生で恩を感じているのです」という。韓国の田舎で、日本人と韓国人との間に生まれた縁に心が温まった。 ●ところが、テレビ局のディレクターは「すみません、日本語で話さないでください」という。 理由は「日本が植民地化していた当時を視聴者に思い起こさせてしまうから」らしい。何とあさましい了見か。ありのままの姿を伝えるべき、と思った私はその場をこらえて、打ち上げの席で猛抗議し、楽しい夕食の場を台無しにしてしまった。 《舞の海秀平 産経新聞2014/9/25》 ●朝鮮半島が日本統治だった当時は、「日本人・朝鮮人」などと言おうものなら、彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である。 《小野田寛郎 正論2005/1月号》 ●吉野作造は、ある朝鮮人が、自分は多少財産を所有しているため、父祖の代まではその財産に眼をつけられて理由もなく逮捕され、多額の「身代金」を取られたりしたが、日本の統治によってこうした不当な人権侵害がなくなったと洩らしたと書いている。(「中央公論」1916年6月号) 「権利の保障には土人と内地人との別を立てぬ」とも書いている。 《上坂冬子 「思い出すだに腹が立つ―日本の偽善を糺す」》 ●「植民地」の定義…英国のアイルランド植民地政策を例にあげると… ①土地の没収 ②無教養化 ③産業進展の抑圧 …欧米列強の植民地政策はほぼ同様。日本の朝鮮に対する政策はこれと正反対。 《原子政幸 正論 2005/11月号》 ●フランスは仏印に税を課して、苛斂誅求の果実は本国に持ち帰った。 日本は朝鮮や台湾を持っていたが、フランスとは逆に本国からカネを出して開発や民生に使った。 そのカネはどこから持ってきたかというと、それが自国民への植民地なみの課税だった。それで日本は台湾・朝鮮の面倒をみた上で、連合艦隊をつくり、50個師団の陸軍を養ってきた。 《高山正之 「世界は腹黒い」》 ●植民地となると、西欧では善良な宣教師の後に軍隊がやってくるのだが、日本では順序が逆である。 まず軍隊が入り、そのあとに人の良い校長先生や神主さんや大工の棟梁がやってきて、みんなで地域を開発し、全体で金が足りなくなると日本政府が援助する。そして一様に善良で一生懸命に近代化をやった。 《古田博司 産経新聞2006/6/9》 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」) |
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※関連ページ 「欧米の植民地」の悲惨さと 比較してみよう。 |
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