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満州事変勃発

悪名高き関東軍が武力で満州を占領した
という満州事変。
関東軍は線路爆破し、
それを中国軍の仕業だとして戦闘を開始した。
(事変=国際間の宣戦布告なき戦争:広辞苑)


アジア地図


満州事変が15年戦争の原因という人がいるが、満州事変はそれに先立つ四半世紀の支那の排日侮日政策の結果だった。原因ではなく結果だったのだ。
   
      《中村粲 正論2002/2月号》


民主主義諸国は、自分たちの利益が脅かされるとみれば中国で頻繁に武力を使った。満州事変における日本の武力行為は、それ以上のものではなかった。
 《ヘレン・ミアーズ 「アメリカの鏡・日本」》


●張学良軍の日本への圧迫・弾圧は筆舌に尽くし難く、奉天近辺だけでも暴行や器物・施設の破壊などの日本人及び日本企業関係の被害が、1年間で30万件を超える有様だった。

●また、日中間で満鉄と並行する鉄道は敷設しないという取り決めになっていたのに、中国側は約束も日本の抗議も無視して2本の平行鉄道を作り、満鉄の売り上げは1/3に激減した。(社員4千人の解雇も)

●日本が既得権を持っていた関東州と満鉄を奪い返すという中国の方針が、重光葵公使と王正廷外交部長との折衝中に露呈してしまった。以上のことから、満州事変は既得権を守る自衛の戦いであった。
       《田原総一朗 「日本の戦争」》


●満州事変の実態を言うと、前年あたりから国民政府は「革命外交」を始めた。(不平等条約を撤廃し、租界・租借地を回収し、鉄道も返してもらうというもの。国民政府は革命だからというだけで、国際法上の根拠は何もないままこれをやろうとした) たとえ不平等であっても、国際条約で決められた権益だから当然諸外国は反発した。日本も幕府が結んだ不平等条約を、革命政府である明治政府が血のにじむ努力で改正していった。それを条約改正なしにやろうというのだから理屈は通らない。だから「衝突路線」をとったのは国民政府の方である。

●しかし国民政府にしてみると、条約がある以上、国際社会で法律論争をしても勝てるわけがないし、武力を使えばそれこそさらに権益を失うことになる。そこで国民党が指示を出し、排日侮日運動が行われる。婦女子に対する暴行・日本製品の不買・日用品を日本人には売らないといった嫌がらせが毎日行われた。これを繰り返すことで、いたたまれなくなった日本人に出ていってもらうという戦略。
満州にいた日本人が結束し、自衛のために立ち上がらなくてはならないと考えたのも当然である。しかし当時の日本政府、特に幣原外相は動かない。そこで関東軍が動いた。
  《渡部昇一 岡崎久彦 諸君!2002/11月号》


●満州事変は、幣原が牛耳っている外交が、緊迫する満州の事態に何の手も打たないことに業を煮やした現地の日本軍が、決定的な既成事実をつくって政府を縛りつけるために、あえてハネ上がった行動をとったからであった。

●米外交官だったジョン・マクマリーによれば、満州事変でワシントン体制が崩壊したのではなく、すでに崩壊していたから日本は力で満州権益を守るしかなくなったのである、という。

あの時点で、日本が張学良政権の一連の行動(国際条約を破って満鉄の利権を奪う、日本人居留民の安全を中国官憲が脅かしている等)に対して、正式に武力行使で対抗することは、当時の国際法上許されていた。ただしそれは、「保障占領」という形でやるべきだった。例えば奉天全域を保障占領し、満足しうる懸案の解決がない限りこの占領を続けるといえば、全く問題はなかった。しかしそれをしないで、満州全域での軍事占領という形をとってしまった。
     《中西輝政 「
国民の文明史
       他の著書「
帝国としての中国


●満州事変とは、日本がこの中華再統一のための「制夷」のターゲットとされ、猛烈な「反日・排日の嵐」に直面して暴発したものだった。その排日運動の戦術的スローガンは、もちろん「国連安保理常任理事国入り反対」や「靖国参拝反対」ではなかった。それはたまたま当時の状況から「国権回収のための革命外交」と称して、日本の満州における合法的利権を侵奪するというものであった。(正面からの武力行使では日本に敵わないので、大衆運動による暴動・デモの頻発・日系企業攻撃・日本人への各種テロ・条約違反の経済圧迫行為によって) 
       《中西輝政 諸君!2006/2月号》


●事変に先立つ時期、排日の高まりの中で、当時奉天総領事として満州にいた吉田茂は、謀略ではなく正面からの武力行使が国際法に則った正義の道であり、しかも中国人にそういう不法行為を止めさせる一番効果的な方法だと主張していた。
      《中西輝政 歴史街道2006/4月号》



●米国の外交官マクマリーは、1935年に満州事変を
「中国は、満州でまいた種を自分で刈り取っている」と書いた。(「平和はいかに失われたか」原書房) 彼は中国との条約を含め国際条約を守ったのは日本であり、守らなかったのが中国であること
、両国を公平に扱わなかった米国の偏りが日本にとって耐え難い状況を作り出したと指摘した。
●「当時、中国問題に最も深くかかわっていた人々は、日本政府は申し分なく誠実に約束を守っていると考えた」と、マクマリーは書いている。
      《櫻井よしこ 産経新聞2006/3/9》 


●マクマリーはメモランダム(邦訳「平和はいかに失われたか」)で、1935年の時点で「我々は、日本が満州で実行し、そして中国のその他の地域においても継続しようとしているような不快な侵略路線を支持したり、許容するものではない。しかし、日本をそのような行動に駆り立てた動機をよく理解するならば、その大部分が、中国の国民党政府が仕掛けた結果であり、事実上中国が『自ら求めた』災いだと、我々は解釈しなければならない」としている。

      《櫻井よしこ 諸君!2009/1月号》


●中国が自分から博打に負けて、満州を手放してしまったのだ。 
      《K・カール・カワカミ
       「
シナ大陸の真相 1931‐1938」》


●政党政治への不信を強め、政府の弱腰な外交方針に不満を募らせていた国民の中からは、関東軍の行動を熱烈に支持する者もあらわれ、陸軍には220万円の支援金が寄せられた。
       《「
新しい歴史教科書改訂版」》


●このときの関東軍の心理を今村均が『回顧録』に次のように記しているのは、必ずしも誇張であるとはいえないようである。

「私自身も、関東軍幕僚は、よく中央と協調し、機の熟するまで隠忍すべきであったと思わないわけではない。
けれども現地満州に駐屯していた将校の身になってみれば、毎日毎日、幾千居留民が『また満人にぶたれた』『つばをはきかけられた』『内の子供が学校へ行く途中、石をぶちつけれられた』『家のガラスはめちゃめちゃに壊されてしまった』『排日排貨運動で、店の品物は一つも売れない』『満人はもう野菜を売ってくれなくなった』『満鉄は満州側の妨害、彼のつくった並行線のため、もう毎年毎年赤字つづきで持ちきれなくなってしまっている』と連続泣きつかれ、それらの事実を、目の前にしていては、血のつながっている同胞の苦境に、こごとく同情し、憤慨に血をわきたたせるようになったのは自然である。わが外交機関の行う幾十の抗議なり、交渉なりは、ひとつとして彼に顧みられず、軍の幕僚以下、鉄道沿線に駐屯している部隊将兵の興奮がもう押えきれないようになってしまったのはやむを得なかった」
       《大杉一雄 「
日中戦争への道






●連盟理事会は、中国側の日本への非難を極めて冷淡に受けとめた。「
事件の責任は中国側にあり
、日本は中国との二国間協議の努力を続けており、兵力は付属地に帰還しつつある」という日本の説明を受け入れ、これ以上理事会での協議の必要を認めないという方針で一致した。

●満州事変が、アメリカを除く列強の本音の部分である種の容認を受けていたのは、列強が中国の過激なナショナリズムに手を焼き、強い不快感を抱いていたから。 

●張学良軍は20万を超える規模であり、そのうえ機関銃・戦車(40両)・航空機(50機)といった最新鋭の兵器が装備されていた。それに対して石原が自由にできる関東軍は約1万4千に過ぎず、しかもその装備は貧弱で、日露当時と殆ど変わらないものでしかなかった。(戦車・飛行機ゼロ)さらに張軍は、北伐戦などの歴戦のベテランであったのに対して、日本軍は徴兵制により現役兵がほぼ2年ごとに交替してしまい、実戦経験がなかった。
それが数日のうちに、張軍が満州主要部から駆逐されてしまった。

●満州事変進行の過程において、満州人の有力者は軍閥打倒への激しい気持ちから、日本軍に積極的に協力した。
       《福田和也 「「地ひらく」》


●柳条湖事件(満州事変)時の外国の反応…

◇在中米英の官民の大勢…
「我々が何年もやるべきだと言っていたことを、日本がやってくれた」

◇ジョンソン米公使に入った意見…
「長年営業妨害をされてきたビジネスマンが晴らせなかった恨みを、ついに日本軍が晴らしてくれた」

◇満州事変で日本を非難した米・スチムソン国務長官は、笑い者となった。

●宣教師は別にして、中国にいる外国人で中国人に同情する者はまずいない。「自業自得だ」というのである。考えてもみよ。商品略奪事件が何年も続くのに、政府は何の策も打たない。我々アメリカ人は、国際法に則ってあくまで公平に商品の売買をしているにすぎないが、国民党政府は中国人の生き血を吸う「帝国主義吸血鬼」と罵倒している。上海と天津以外のアメリカの役人は、詐欺・反米運動に忙殺されていた。日本は「やるべきこと」をやったのである。

●新聞は事実を伝えないから、アメリカの反日感情が高まったのである。
極東に住む外国人は皆、日本を理解していた。 

●張学良は「満州王」気取りで、中国に「満州に手を出すな」と警告まで出すほどになった。しかし中国は何もできない。だから張は我が物顔に満州で暴れ回っていた。

●ところが日本軍はわずか1万4千の兵で、しかもたった数日で20万の張軍を撃退した。
負けた張は、広大な満州から搾り取ったから金に不自由はない。選りすぐりの美女2・30人を秘書として従わせ、イタリア旅行へと洒落込んだのである。 

結論を述べよう。アジア問題の本質はなにか。それは、時代の流れに逆らう中国人の頑迷さである。
        《ラルフ・タウンゼント
         「
暗黒大陸中国の真実」》


●本来満州事変は、国策として国会を通してやらなければならなかった。
    《井沢元彦 「
逆検定中国歴史教科書」》


●石原寛爾は、満州の権益と在留邦人の命を守るためには満州をシナから切り離すしかないと考え、また、ロシア革命以後の共産主義の伸張を食い止めるために、独断で事変を起こし満州国を建国した。
       《吉村泰輔 正論2007/10月号》


●事変は関東軍の”暴走”だというけれど、政府は追認し、国会も満州国を承認したわけである。軍部への国民の期待が高まり、それがさらに政党政治への軽視につながったのは否めないが。
        《上坂冬子  〃  》


 
【満州事変】

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