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満州国建国

満州事変の翌年、日本は傀儡国家として、
清の皇帝・溥儀を擁立し「満州国」を建国した。
これによって日本の満州占領が本格化した
といわれているが…


●満州事変が起きて張作霖が追われると、満州の至るところで軍閥が独立し、混乱状態になった。

●そこに日本の後押しを受けた溥儀が戻る。すると、満州族の皇帝が戻ったと歓迎され、溥儀のもとにみんなが集まり、それまでそれぞれの地域で独立を宣言していた小軍閥や匪賊の頭たちが進んで1つにまとまった。そして満州国は独立したのである。 
   《渡部昇一 「『東京裁判』を裁判する」
       他の著書「東條英機歴史の証言」》


●「世界は満州国を『傀儡国家』であるという。満州国人自ら政治の術に巧ならざりしがため当初日本人専門家の友好的援助を受けて新国家を組織したのである。

それが果たして傀儡国であるという意味になるのであろうか。しからば今日世界には無数の傀儡国家が存在することになる。ラテン・アメリカやカリブ海沿岸の諸共和国にして、合衆国の制圧を受けないものが果たして幾何あるか。印度は自治独立国を以て組織されている国際連盟の一員であるけれども、英国の傀儡にあらずして何であるか」(当時「ファー・イースタン・レビュー」の主筆だった米国人ブロンソン・レー「満州国出現の合理性」)
 《勝岡寛次
  「韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する」》
 


第一、満州国が出来た時点で、多くの国がその建国を認めて国交も結んだ。ソ連に至っては東支鉄道を満州に売却している。存在を認めていない国に対して商売できるはずがない。
      《井沢元彦 諸君!2005/6月号》


●日本がやったことは筋が通っている。先祖の土地に逃げてきた満州族の長の子孫を助けて皇帝にしたのだから。満州各地で清朝復興の運動も起こっていた。

●戦後、日本が満州を侵略したように思われているが、これは溥儀が東京裁判で「皇帝になりたくなかった」と証言したことが一因である。
      《渡部昇一 歴史街道2006/4月号》


●満州族は漢民族とは全く系統を異にする民族であり、そのラストエンペラーの溥儀が再び満州国の皇帝に戻り、固有の領土・固有の国家と国民を持つことは合法である。そして溥儀は自分の国を建てたがっていたのである。それは溥儀のイギリス人家庭教師レジナルド・フレミング・ジョンストン卿も、その著書「禁苑の黎明」の中で語っている。(これは一級史料である)
     《渡部昇一 「自ら国を潰すのか」》


●溥儀は革命で皇帝の位を奪われ、追い払われて軟禁された。殺される危険が生じたから、ある日護衛隊の目がくらんだ隙を利用して逃げ出し、命からがら日本の公使館に転がり込んできた。

●溥儀は蒋の軍隊によって先祖の墓を爆破され、骨も粉々にされてしまった。一緒に埋めておいた宝石も奪われた。そのため溥儀はつくづくシナ人に愛想が尽き、満州へ帰りたいということになった。

●「紫禁城の黄昏」に溥儀が書いた序文…「芳沢(日本公使)は私を丁重にうけいれ、野蛮な軍隊から逃れるため、亡命先として公使館を使用することを認めてくれたのであった」

●日本に感謝していた。だから東京裁判で溥儀が「日本の軍人に脅されて、いやいやながら皇帝になりました」と証言したのは全くの嘘だった。そう証言しないと「殺す」と言われたのでそう発言しただけ。(もちろん日本の弁護団は「紫禁城の黄昏」を証拠物件として提出したが、これは却下された)

●実際満州国は、総理大臣以下、大臣は全部満州人だった。ただ統治能力が足りなかったから日本人が支えた。皇帝も大臣もみな満州人あるいは清朝に仕えたシナ人であった。
   《渡部昇一 「国を愛するための現代知識」
           他の著書「日本史」》 


●張学良の勢力が関東軍によって駆逐されると、奉天省の商民代表は保境安民派と提携し奉天自治維持会を組織し、中国本土とは絶縁した民意に基づく新政権の樹立を目指した。

●そしてこの組織は、遼寧省地方維持委員会となり遼寧省の独立を宣言した。その宣言文には「我が東北民衆は、軍閥の暴政下にあること十数年、今やこれらの悪勢力を一蹴すべき千載一遇の機会に到達した。…新独立政権の建設を図らざるを得ざるに至った。これがために本会は、張学良と関係ある錦洲政府並びに軍閥の禍首蒋介石らの蠢動を否定することを決議した」とある。

●また吉林省でも、清朝復辟(皇帝の復位)派が張学良派の実力者たちを追放し、独立を宣言した。東省特別区のハルピン市長・張景恵も1932年1月1日独立宣言をした。

●その後、全満建国促進運動連合大会が奉天で開催され、ここには各省代表の他、モンゴル・吉林省朝鮮人・東省特別区朝鮮人・満蒙青年同盟・各種団体の代表など約700人が出席し、満州の建国を決定した。

《黄文雄 「日中戦争真実の歴史」他の著書「中国人が死んでも認めない捏造だらけの中国史」》



●辛亥革命で再び漢族の時代が来ると、彼等は清朝最後の皇帝溥儀を北京にとどめ、故郷の満州に帰らせなかった。清の皇帝が漢族の新政府のもと北京におわせば、清の版図つまりチベットもウイグルも満州もそのまま新政府が相続したように世界に印象付けられる。

     《高山正之 週刊新潮2009/8/13.20》


●弁髪という満州族の慣習を漢民族に強制する。これこそ清が中国を征服した印だった。
《祝田秀全
 「忘れてしまった高校の世界史を復習する本」》


●ローマ法王庁をはじめ15の国家が承認し、事実上承認した国を含めると23もの国家と関係があった満州国を、中国では「偽満州国」と呼ぶのである。
      《宮脇淳子 諸君!2006/2月号》



        



 【満州事変】
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