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朝日新聞の虚報体質

①  

どういうわけか朝日新聞は他紙より抜けて
虚報・誤報・捏造が多い。その体質とは…



●朝日は、東ティモールで「日本軍は戦時中、5万人の島民を殺した」という後藤乾一早大教授の作り話を掲載し、船橋洋一が話を膨らませた。おかげで日本は1億ドルも東ティモールにわび金を出した。

         《高山正之 正論2006月9月号》


「茨城県神栖町の井戸水から、旧日本軍の毒ガスによると見られるヒ素が出た」と以前報道されたが、環境省の調査の結果毒ガス成分は検出されず、しかも汚染源だった不法投棄のコンクリート塊と一緒に埋まっていた空き缶は、1993年のものだった。

●しかしこれが報道されない。相手は旧日本軍なら、検証無視・冤罪・報道加害のやり放題。それが左翼「ジャーナリスト」の「正義」。
     《小林よしのり SAPIO 2005年7月27日》


●投稿はいつも豊富とは限らなかった。そんな時、記者たちが読者の声をつくった。先輩が「おれが書いてやろう」と、「中京の母」のペンネームで執筆した。時には経済部員も「投稿」した。(1991年10月16日付朝日 戦時中のこと)
      《朝日新聞社会部 「言論の不自由」》


朝日は屡々「事実そのもの」ではなく「事実だったらいいな」と自分が思うことを、さも事実らしく書く。 
      《紳士と淑女 諸君!2005月11月号》



●先日「天声人語」が回りくどい言い方で、誤った記述をしたと書いていた。第一次大戦が終わった後、
「日本人はサカナの缶詰に石ころを入れて
            平気で輸出していた」
これが実はウソでしたと。

●で、「日本人を侮辱してごめんなさい」と続くのかと思ったら、「歴史書の一部に事実めいて記されて」いて、困ったもんだ、で終わってしまった。
        《高山正之 「世界は腹黒い」》



●朝日は何でもかんでも日本の罪にこじつける体の記事が目立つが、その典型が「ナタデココに踊った町/生産地フィリピンのバブル物語」と題した94年11月30日付夕刊のトップ記事だ。日本で一時ブームになったナタデココを町ぐるみで生産しようとしたが、ブームが去って生産設備購入の借金だけが残ったとの内容である。

●しかしこれは、その町の人たちがうまい話に乗せられてひと儲けを企み失敗したというだけのことで、儲かると宣伝したのもフィリピンのマスコミなら、当初高い値段で買い取ったのも現地の商社や食品会社だ。だから本文にも触れてあるように、日本の責任でも何でもない。

●ところがこの記事を書いた記者は、戦時中の残虐行為をそれに重ね焼きして、町民に「日本人嫌いが一層募った」などと語らせている。見出しにも「大損・夜逃げ・・・『日本人は嫌いだ』」と謳っている。 

《稲垣武 「朝日新聞血風録」》(他著書「『悪魔祓い』の戦後史 進歩的文化人の言論と責任」) 


●朝日本社から支局(総局)への取材以来は、「行政」と呼ばれている。これが若い支局員にとって重圧になることがある。

◇支局時代に本社からの「行政」で、ある公害の有無を確認したことがあった。いくら調べてもないので、そう報告したら、支局長から「ないということは取材力が足らない。そんなことならば本社へ上がる芽はないぞ」と叱責された。

◇朝日の記者は社内権力に滅法弱く、上の方だけ見て睨まれないようにしているヒラメ社員なのだ。

◇私が神戸支局に赴任したのは、伊藤律の会見捏造の約10年後。古くからいる先輩に聞いても、捏造事件のことはしゃべってくれない。知らないはずはないんだが…。 
     《稲垣武 サンデー毎日2005年9月18日》


「事実」を押さえられない時には、勝負は負けなのである。架空の事実の上に、いくら立派な理論を積み上げても、それは説得力を持たない。
      《屋山太郎 諸君!2005年12月号》


●朝日の論説委員は、詐話師・吉田清治をコラムで持ち上げた。信憑性を確かめるどころか、疑いさえ持たず。
    《片岡正巳 「朝日新聞の『戦後』責任」》
   (他著書「日本から朝日新聞が消える日」)


●従軍慰安婦問題について朝日は96年6月6日付社説で「『証拠』を求めるというのはどういう感覚だろうか。そこからは、被害を受けた人の立場から日本の歴史をとらえなおしてみるという、政治家らしい視野の広さや懐の深さはうかがえない」と書いている。しかし証拠、つまり事実の検証のないジャーナリズムなどありえない。
     《小林よしのり 朝日新聞の正義

●本来、その人の証言だけではなくて、その裏付けになる証拠を取らなければならない。それを一切やらずに、嘘か誠かわからない証言だけを垂れ流している。それが誤報だったとしても、我々は悪くない、証言者がそう言っていたから事実報道・客観報道をしただけだと言い訳をする。
…これはマスコミとして全く検証能力がないということになる。
              《井沢元彦 〃 》


●1980年代初め、韓国の新聞が日本軍の残虐さを示す写真(青竜刀による独立運動家処刑の首切り写真)が見つかったといって掲載したことがあった。朝日新聞はすぐに取り上げて一席ぶったが、日本軍兵士が中国人の使う青竜刀で、首切りというのはいかがなものかという疑問が出て、「月刊朝鮮」の調査の結果、ニセモノであると検証された。 
         《西岡力 諸君!2003年1月号》


「『これが毒ガス作戦』と元将校」・「当時の日本軍部内写真を公表」(1984年10月31日付朝日朝刊)…
渡河作戦時の毒ガスだと書いてあったが、その写真を見ると煙突の煙のように上空に勢いよくモクモクと上がっているからおかしいと思った。毒ガスは概ね空気より比重が重いから、記事の写真のように立ち昇るはずがない。一橋大教授の藤原彰もお墨付きを与えてしまった。
→これは大誤報。11月14付紙面で誤報を認めた。(産経新聞が指摘)
       《高山正之 諸君!2004年11月号》


●朝日の毒ガスの誤報も、中国戦線に従軍したという男から変な写真を持ち込まれたのがきっかけだった。
        《稲垣武 正論2008年11月号》


●朝日は平成3年8月11日ソウル発で
「元朝鮮人従軍慰安婦、
   戦後半世紀を、重い口開く」
の見出しで、「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち一人がソウル市内に生存していることが分かり、名乗り出た」という記事を出した。

●ところが名乗り出た女性自身が「四十数円で妓生(キーセン、芸妓)に売られた」と語っている。公娼制度のあった当時、商取引として妓生に売られた女性が、どうして強制連行された従軍慰安婦なのか。でたらめの報道である。
 
朝日の植村隆記者は夫人が韓国人で、従軍慰安婦の補償を求める裁判を起こしている原告団の幹部の娘である。だから彼はその裁判を有利に運ぶために、紙面を使ったとしか思えない。これは記者としての倫理にもとり、許せない行為である。     

   《屋山太郎 「なぜ中韓になめられるのか」》
        (他著書「安倍晋三興国論」)


●人間はどんな思想を持とうと取りあえず自由である。であるから、その人間の政治的な信条というのは当然あるわけだし、新聞社にもそれはあっていいだろう。問題はその信条を優先して事実の報道を曲げているか否かということである。
     《井沢元彦 「『拉致』事件と日本人」》
        (他著書「朝日新聞の大研究」)
 


●05年1月12日に朝日が報じた「NHK番組改変問題」で、政治圧力をかけたと報道された安倍・中川両氏は、3月には自民党の「朝日問題調査チーム」と一体となり、朝日に公開質問状を送り、公開討論会へ担当記者や関係者の出席を求めることになった。

●ところが朝日は一向にNHKや安倍・中川両氏の質問に答えることなく、告訴すると言い合っていたNHKにも告訴せず、7月25日に問題を総括する検証記事を発表して一方的に収拾を図ってしまった。

●取材テープがあろうとなかろうと、これは捏造報道なのだ。安倍・中川両氏がNHK首脳を呼びつけ「番組改変」を求めた事実はなく、NHK首脳が中川氏を訪ねたのは放送の3日後であり、安倍氏の場合は予算説明に官房副長官室にNHK首脳が訪ねてきたというのに過ぎない。「呼びつけた」事実は、両氏とNHKに否定されているのである。

       《西村幸祐 「『反日』の超克 」》
(他著書「『反日』の構造 中国、韓国、北朝鮮を煽っているのは誰か」)


●「女性国際戦犯法廷」という日本の新左翼や北朝鮮関係者らが相集まった政治集会の内容を、公共放送たるNHKがそのまま放映すること自体、放送法に触る行為であり、政治的な公平さを確保するよう求めることは政治家でなくても当然のことであるが、表現の自由という建前を楯にとって、朝日はそれをあたかも大問題、大言論弾圧であるかのように喧伝した。

        《八木秀次 正論2007年12月号》

 
伊藤律会見(昭和25年9月23日)の捏造記事をコピーしたいと思って縮刷版を見たら、その記事に相当する部分が白紙になっていた。こんなところに、その後も依然として捏造記事が後を絶たない体質上の欠陥が現れているのではないか。

●昭和59年6月23日の朝日夕刊に、「南京大虐殺目撃の中山老/『語り部』記録映画に/中国での講演など収録」という見出しの記事が出た。東京・江戸川に住む72歳の中山重夫氏が陸軍戦車隊の整備兵として、南京入城の2日前に、南京郊外の雨花台で白旗を掲げてくる中国人を日本兵が銃剣で次々と刺し殺す光景を4時間あまり凝視したというのだが、「南京事件の総括」の著者である田中正明氏の調べで…

①中山氏の所属した第一戦車隊(岩仲戦車隊)は雨花台に突入していない。

②まして中山氏は輸送隊で、後方勤務であり、雨花台には行っていないはず。

③南京入城2日前の雨花台の戦闘は、大激戦が展開されている最中であり、とても白旗を掲げての大量降伏や4時間あまりにわたる殺害場面など想像すらできない。

…と判り、中山氏の目撃談は極めて疑わしいものとなった。田中氏の調査に対して朝日は反論していないのは、朝日も中山氏に疑いを抱いたからではないか。

●平成5年9月の朝日PR版は、「相次ぐ特ダネで新聞協会賞」という大きな見出しで、金丸副総裁への佐川急便の5億円献金記事が政治改革の起点になったと高く評価され、協会賞が与えられたと誇らしげに書いている。
しかし、特ダネを追い求めるあまり、無理な取材をしたり、誤報や虚報をしたり、数えきれぬほどの醜態を演じてきている。1つの特ダネより10の真実が知りたいのだ。
        《土屋道雄 「報道は真実か」》


●「週刊朝日」は走りがすぎて、長崎市長銃撃事件の発生と首相秘書のトラブルが関係するような記事を掲載した。あれこれ書いたうえで、「事件の背景はやはり奥深く、いまだ全貌は見えない」とあやふやに結んだ。実質1ページ半の記事なのに、広告は銃撃事件と秘書との「接点」を突き、「背後にある『闇』」として政治の関与を印象づける。

さすがの安倍首相も、「言論によるテロ。報道ではなく政治運動ではないか」と怒り心頭に発した。朝日は反論するのかと思ったら、小さな新聞記事でお茶を濁す。よく見ると、後ろに5行ばかりの「広告の一部でおわび」があった。
      《産経抄 産経新聞2007年4月26日》
 (関連書籍「国会議員に読ませたい敗戦秘話」)


●「慰安婦非難決議案」は6月末、米議会で「満場一致で採択された」と朝日は嬉しそうに伝えた。定数435人の下院で、そのとき議場にいたのは10人。
実は議事録にも書きとめられない滓のような議案だから、定数も関係ない。反対者がいないので採択しましたというだけのことだが、もちろん朝日はそんなことは書かない。
        《高山正之 正論2007年11月号》


新聞の紙面を作る日常業務の中で、「現実を加工する」ことは毎日のようにあったし、それを上司(デスク等)も奨励していた。例えば、88年4月26日付社会面トップに「入学二十日…小一坊や死傷 三重・度会の県道…『魔の道』と近所は恐れていた」

●この「魔の道」は、堂々たるデスクの捏造である。僕は現場にいたのでよく知っている。このデスクはそのあと名古屋社会部の編集委員になり、十数年勤めて無事に定年退職した。記事が出たあと、支局長と社会部長に「あの『魔の道』はデスクの捏造です」と報告したのに、何の処分もなかった。握り潰されたのである。 

●僕が「現実を加工して取材する」ことに初めて遭遇したのは、新人記者として津市に赴任して10日ほど経った頃だった。86年4月20日、三重県博物館で開かれた「野鳥の保護」展の取材。博物館に行ってみると、これが悲惨なほどガラガラだった。僕は会場と展示物をいくつか写して支局に帰った。

●支局で現像してデスク(前述の捏造デスクの前任者)に渡すと、顔が曇った。「ウガヤ君、もっとにぎわいのある写真はないのか」「そういう時は、そこらにいる職員にお客さんのふりをしてもらうんだよ」「にぎわっているように見せてあげたほいがいいじゃないか。向こうも喜ぶし、紙面ものその方が活気が出る」 「そういうもんだよ」
僕は「写真の撮り直し」を命じられ、もう一度会場に戻り、そこにいた職員のおじさん2人に頼んで、トリの剥製を覗き込む「客」の役をやってもらった。
 
●朝日の記者仲間で「名作」として知られた捏造記事は、広島支局の記者が書いた「百円ラーメン」(89年)である。この記者は01年9月、「『核』取材班」という肩書きで、核拡散防止について海外取材をして堂々と署名入りの連載記事を書いていた!

  《烏賀陽弘道 「『朝日』ともあろうものが。」》



   百円ラーメン事件

●消費税3%が導入されたときの記事。広島に、一杯百円のラーメンをずっと守ってきた中華料理店のオジサンとオバサンがいたわけよ。この老夫婦が、百円ラーメンを3円値上げすべきかどうかで、頭を悩ませている、という内容だった。

●そうしたら、読者から「百円ラーメンを応援したい」という問い合わせが殺到したんですね。そこで支局長が記者を呼んで「このラーメン屋どこだ?」と聞いたが、なんかはっきりしない。どうもアヤシイ、と問いつめたら「実はこの店は存在しない」と。

●この事件の「すごい」ところは、記者が日曜大工で「ラーメン百円」という看板をわざわざ手作りして写真撮って載せていたんです。芸術的というか職人技的捏造で(爆笑)。写真までついていますから、デスクも支局長もすっかり騙された。あまりにも恥ずかしい話で、公式な処分はできなかったんです。

  《現役朝日新聞記者A WiLL2005年11月号》


バレたサンゴ・カメラマンはクビになり、バレなかった記者は処分なしでは不公平なのだ。不正を処罰せずに隠蔽すると、その組織内には「あんなことをやっても許されるんだ」という認識が広まり、さらに悪質なモラルハザードが蔓延する。

●こうした「小さな、しかし日常的な不正」が積み重なり集積されると、総体としておそろしく醜悪なものが出来上がってしまう、そんな気がする。

 《烏賀陽弘道 「『朝日』ともあろうものが。」》


●記者はデータの奴隷で、話題の主が渡辺か渡部かを調べるために千里を走る。朝日はよくまあデタラメなメモなど作れたものだ。
      《紳士と淑女 諸君!2005年11月号》
 


  サンゴ記事捏造事件

●朝日新聞89年4月20日 夕刊一面…
 
これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、長径八メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシアルを見つけたとき、しばし言葉を失った。

(中略)島を訪れるダイバーは年間三千人にも膨れあがって、よく見るとサンゴは、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけなのだ。日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない。精神の貧しさの、すさんだ心の…。にしても、一体「K・Y」ってだれだ。

 
●ところが、掲載直後から、地元ダイバーから朝日新聞社に抗議の電話が寄せられていた。海の中、「だれにも気づかれない」と思ってやった嘘を隠蔽しきれなくなってきたのである。

●どう収拾するか。朝日社内は焦慮に包まれた。疑惑の声は次第に広がり、TBSとNHKの取材に応じた朝日広報担当の苦しい説明が5月15日夜テレビで放映され、問題は一挙に拡大した。

●広報担当は2コマの写真(不鮮明なものと鮮明なもの)を示し、「うっすらとした『K・Y』の文字はもとからあり、鮮明な写真の方は本社カメラマンがストロボのアームで削った」と説明したのである。
…カメラマンの弁明を鵜呑みにして、「捏造」を「取材の行き過ぎ」にすり替えたような印象を視聴者に与える結果になってしまった。

●この直後に朝日は「おわび」の紙面掲載を決定し、第一回の「おわび」が5月16日朝刊に載ったわけだが、疑惑写真の掲載からなんと1ヵ月近くも経過していた。

(前略)地元のダイビング組合員から「サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」との指摘がありました。本社で調査した結果、取材に行き過ぎがあったことがわかりました。

西表島崎山沖にあるアザミサンゴ周辺の一帯に、いくつかの落書きがありました。この取材に当たったカメラマン二人のうち一人が、そのうちの「K・Y」という落書きについて、撮影効果を上げるため、うっすらと残っていた部分を水中ストロボの柄でこすり、白い石灰質をさらに露出させたものです。

(中略)この行為は、明らかにこれに反する行き過ぎであり、朝日新聞社として深くおわびいたします。


●ところが、わずか数日の間に、「おわび」報道の訂正とは醜態である。「落書き、ねつ造でした-深くおわびします」との四段見出しを掲げ、5月20日朝刊一面に掲載された謝罪文は、次のように「ねつ造」を全面的に認めるものとなった…。

4月20日付本紙夕刊に掲載された「サンゴ汚したK・Yってだれだ」の写真撮影について、朝日新聞社はあらためて真相調査を続けてきましたが、「K・Y」とサンゴに彫りこんだ場所には以前から人為的な損傷があったという事実は認められず、地元ダイバーの方々が指摘されるように、当該カメラマンが無傷の状態にあった沖縄・西表島のアザミサンゴに文字を刻みつけた との判断に達しました。

(中略)ただ恥じいるばかりです。関係者、読者、並びに自然を愛するすべての方々に、深くおわびいたします」


●損傷現場を精査した竹富町ダイビング組合の報告書には、「このとき(4月12日午後)、ユースダイビングの関暢策氏が、ダイバーを連れて潜っており、撮影中の本田、村野両記者を目撃している。そして撮影直後のアザミサンゴに近づくと、問題の『K・Y』の文字と削り取られたばかりの白いサンゴの破片が落ちていたことを確認している」と明確に書かれている。

●そして、26日に朝日の記事掲載を知らされて驚愕、同組合は直ちに真相究明に乗り出している。その結果、12日前後の問題海域の状況から、

アザミサンゴの『KY』という文字は、朝日新聞社の本田、村野両記者による自作自演である疑いが非常に濃厚になったため、27日夕方、ダイビングチームの下田一司氏が東京本社の本田カメラマンに問い合わせの電話をするが、本人に笑って否定された。
同日夜、仲間の笠井雅夫氏がもう一度電話をしたが、丁重に尋ねたにもかかわらず、窓口の人間が『朝日に限って絶対にそんなことはない』と非常に乱暴な対応をした
と、同報告書は朝日新聞社の対応を批判している。

朝日は、地元ダイバーからの指摘を無視し、サンゴ損傷の事実を隠蔽しようとしたのではないか。しかし不利な状況が出てきたので、その影響力を極力少なくするため「うっすらあった文字をこすって撮影した」という弁明にすり替えたのではないか。(広報担当が最初の会見で2枚の写真を見せて弁明したのはおかしい)

●疑惑発覚(4月27日)から第一回の訂正発表(5月15日)までの半月以上、朝日はいったい何を調査していたのか。地元ダイバーの抗議を無視できるとの判断があったと勘ぐりたくなる。

      《池田龍夫 「新聞の虚報・誤報」》
        (他著書「崖っぷちの新聞」)


「アサヒる」=歴史的事実やニュースを捏造し、あとでそれが間違いであることが明らかになってもきちんと謝罪することなく、論点をすり替えたり、居直ったり、知らんふりをしたりする。

●沖縄の「教科書検定撤回を求める県民大会」で、11万人動員という発表が2万人しかいなかったと判明しても、テレビ朝日の報道ステーションで古舘伊知郎キャスターは、「仮に2万人だとして何か問題があるのでしょうか」とコメントした。だが、2万人を11万人と報じて問題ないというなら、報道に携わる資格はない。

●「亀井・田中会談」でっち上げ報道の時、当初はこのような重大事を「『虚偽メモ』記者解雇」(8月30日朝刊一面)と報じただけで、記者会見を開くでもなく、報道各社の取材に対しても広報で対応したに過ぎなかった。

●そして内外の批判を浴びて一週間後に改めて開いたのが、箱島前社長の新聞協会会長辞任表明と秋山お詫び会見だった。その会見でも秋山社長ら幹部は「深くお詫びします」と言って頭は下げたが椅子に座ったままで、このあたりにも世間を叩くときにはびっくりするほど居丈高なのに、お辞儀の仕方も知らない浮き世離れした朝日幹部の実態をはしなくも感じさせた。

●度重なる事件に愛想を尽かした読者の朝日新聞離れは深刻で、ここにきて主要紙では最も多く年間数万単位で部数を減らしているという。 

 《山際澄夫 「これでも朝日新聞を読みますか?」》
(他著書「すべては朝日新聞から始まった『慰安婦問題』」)


●朝日は、平成13年1月30日にNHK教育で放送された「問われる戦時性暴力」と題する特集番組の放送から4年後の平成17年1月12日付朝刊一面で、番組内容が改変されたと報じた。

●この記事に対し、中川・安倍両氏は「呼び出したのではなく、NHK幹部の方から会いにきた」「(中川氏が)会ったのは放送後」と、記事の核心部分を否定した。

●これについて朝日は、1月22日付社説「ことの本質を見失うな」で、「問われているのは、NHKと政治家の距離の問題である」と論点をすり替え、「特定の議員に事前に番組の内容を説明することが当然のことなのか。まして、その後に番組が修正されたとあっては、『自主的な判断に基づいて編集した』というNHKの主張に疑問を持たざるをえない」とNHKの体質を批判した。

●これに対し、産経新聞は1月25日付主張「司法の場ではなく報道で」で、「問われているのは、この問題を報じた朝日新聞の12日付記事が事実か否かではなかったか。朝日こそ問題の本質を見失ってはならない」と朝日社説に疑問を提起した。

●産経はその後も、
◇「事実関係の検証を抜きに、NHKと政治家の距離の問題に論点をそらしてはいけない」(4月2日)
◇「朝日は『距離の問題』を問う前に、『自らの記事の信頼性』を問うべきである」(7月13日)
…と朝日を追及した。

●読売も1月23日付社説「疑問が残れば公共放送の危機」で、「問題の焦点を拡散させてはならない。ことの本質は、発端となった朝日新聞の1月12日の報道の内容が『事実』かどうかである」と、朝日の論点のすり替えを批判した。

●朝日は半年間かけて社内調査や追跡取材を行ったが、記事の真実性を立証できなかった。だが、同年7月25日付の検証記事で、「記事を訂正する必要はない」とした。

●これに対し毎日新聞も7月26日付社説「メディアには謙虚さが必要だ」で、「拍子抜けするほど新事実に乏しく、国民が知りたかった点に真正面から応えているといえない内容である」 「政治家がNHK幹部を『呼んだ』かどうかは核心の一つだった。だが、検証ではそれは明確にならなかった」と朝日を厳しく批判した。
        《石川水穂 正論2008年8月号》


       



【朝日新聞 上淀廃寺報道事件】(平成4年11月15日付)…地元の郷土史家が発見した鳥取県・上淀廃寺に使われたとみられる瓦を、記者が発見したように、裏付けなく報道した事件。
       《青木彰 「私のメディア評論」》
     (他著書「司馬遼太郎と三つの戦争」)


●NHK番組改変報道で不審に思った筆者は、会見後、その足で永田町に向かい、安倍・中川両事務所の面会記録を確認することにした。(安倍事務所は拒否)調べ始めてすぐ、驚くべき事実を発見した。

●衆議院事務所及び中川事務所の面会票と面会記録を調べた結果、NHK幹部に圧力をかけたとされる01年1月27日に、中川氏は国会にいなかったということがわかったのだ。さらに念のため、自民党・衆院院内・首相官邸など他の面会可能な場所も調べたが、やはり同様だった。
さらに翌日、NHK幹部と中川氏の面会日は2月2日、つまり放送後だったということが筆者の元に知らされたのである。

●こうなると、事前に会っている安倍氏はともかくとして、中川氏に関しては誤報の気配が濃厚となる。ところが朝日新聞は一貫して取材を拒否、しかも一方的に記者会見だけを開き、本田氏を隠し、「記事には一切間違いはない」と強弁を張り続けたのだ。だが、朝日は正しいはずのその記事に対して、なぜか「検証チーム」を作り、自ら本田記者らの取材過程を追跡し始めた。
      《上杉隆 「ジャーナリズム崩壊」》
 


●年末29日、名古屋の「越冬闘争突入総会」には、派遣切りと思われる人はたった3人しか見つからなかったという。各社の新聞記者たちはしかたなくその3人を代わる代わる取材していた。

●ところが翌日の朝日新聞(名古屋版)の紙面には、「寒空肩寄せる元派遣『生き残る』合い言葉に」という大きな見出しとともに集会が取り上げられ、前文の最後にはこう書かれていた。「住民確保や生活支援策が相次いで打ち出されながらも、なお路上生活を余儀なくされている元派遣労働者の姿が目立った
      《佐々木俊尚 諸君!2009年3月号》


●朝日新聞は92年8月14日付の朝刊で、カンボジアに派遣されているPKO隊員に公費でコンドームが支給されるというニュースを大々的に載せた。このことで自衛隊は世論の袋叩きにあった。

●ところが、週刊現代(92年9月19号)によれば、これは「事実無根」だったという。朝日は防衛庁の抗議を受けて、実質上の「訂正記事」を8月28日付の朝刊で出した。
もちろん「訂正」とは朝日は言っていない。ただ14日付の紙面とは違って、ごく小さな扱いで「PKO隊員に避妊具を支給せず」とある。

●もともとその気がなかったのか、それともその気はあったがやめたのか、その辺が極めて判断しにくい記事になっている。しかし、こういうやり方はマスコミの「実質的訂正」であることは、私も何度か経験があるから知っている。

●もし朝日新聞が「平和のための大義」のために、デタラメを流して世論をPKO反対の方向へ誘導しようとしたのなら、それは記者として涜職行為であり新聞社としては自殺行為である。新聞社が独自の信念を持つのは一向にかまわないが、その方向へ世論を誘導するためにデタラメの情報を流してはいけない。

    《井沢元彦 「『言霊の国』解体新書」》


●朝日は98年夏の企画「記憶はさいなむ」というタイトルで、残虐なことをした、悲惨な目に遭ったという元日本兵の証言を、例によって検証無しで載せた。しかも証言者を特定できないように書いて、第三者が裏取りできないようにするという姑息な工夫をこらしていた。

●しかしそれでも秦郁彦氏は紙面に現れたわずかな手掛かりから証言者を特定、8月11日に書かれた「残虐行為」の証言が全くの虚言だったことを暴いた。

●秦氏はさらに公正を期すため、その記事を書いた朝日の女性記者に取材を申し込んだが、その記者は「秦郁彦」の名乗りを聞いただけで、「うわずってしまい、『広報へ聞いて下さい、広報へ』とヒステリックに叫ぶだけ」だったそうだ。この顛末は「諸君!」98年11月号に掲載されたが、結局この記事に関しても、朝日はやっぱり謝罪も訂正もしていない。

朝日の場合は、すべてに「こうあるべきだ」というイデオロギーが優先するから、結果において情報が曲げられてしまうことになる。

●「侵略」を「進出」に書き換えたとされる問題で、朝日は82年9月19日付朝刊で「一部にせよ、誤りをおかしたことについては、読者におわびしなければなりません」と言っている。

●ところが、そのあと「関係者への確認取材の際に、相手が『侵略→進出』への書き換えがあったと証言したことなどから、表の一部に間違いを生じてしまいました」と言い訳をしている。つまり、取材をした関係者が嘘を言ったから間違えてしまったと言っている。朝日新聞は証言の真偽を検証する能力がないと認めているわけである。これは逆に言えば、「ウソつき」を連れてくれば、どんなキャンペーンでもできるということだ。

《井沢元彦 朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任」》


●中国の外務省が6月18日の定例会見で「北朝鮮の金正日総書記の三男、正雲氏が6月10日前後に訪中し、胡錦濤中国国家主席と会談した」などとする朝日新聞の一連の報道について明確に否定した件で、朝日はこれら中国側の発言を一行も報じていない。
朝日の読者は、いまだに、この記事が国際的な議論を呼んでいることを知らないことになる。朝日の読者は情報を与えられていない。読者をバカにした話だ。
      《新聞不信 週刊文春2009年7月9日》
 


●慰安婦報道には、全く裏付けがない。例えば吉田清治の「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」を大々的に取り上げるに際して、事前に一度でも斉州島まで行って取材をしたら、問題にできなかっただろう。それは本多勝一「中国の旅」以来の手法である。「聞いたまま書かれているままを垂れ流す」報道。 
       《稲垣武 「朝日新聞の大研究」》


一般の企業だと、いい製品を出すかどうかなどが、そのまま業績に反映するが、言論の世界では間違ったことを言っても5,6年は分からない。結果が出た時は誰も皆忘れている。
         
 《稲垣武 「人さわがせ」》  


●新聞は昔てっきりと書いたのを忘れている。読者がすぐ忘れることをあてにしている。

      《山本夏彦 「世間知らずの高枕」》
        (他著書「茶の間の正義」)


●政治圧力によるNHK番組改変問題。朝日の記事が嘘かどうかの審査を委託された識者が出した結論が、「真実と信じた相当の理由」がある。ただ「取材は不十分だった」だけだ、と。馬鹿いうな。取材ができてなかったらそれは記事にしてはいけない。それが新聞の姿ではないか。

●記事を書くとき、一方の意見だけで書くな、双方の意見を聞け。そして得られた情報は必ず検証しろ。記者になったときに何度も復唱させられた約束だ。

《高山正之
  「歪曲報道 巨大メディアの『騙しの手口』」》


●朝日は、G7後の記者会見での醜態で引責した中川昭一前財務・金融担当相については、2009年2月17日の辞任後も「中川氏バチカンの変」「さく越え石像に素手・警報作動」(2月21日付)などと追及を続けた。刑事事件の対象となったのならともかく、もう辞任した閣僚の不祥事をこれでもかとばかりに大きく報じるのは、異例のことと言っていい。

●記事は、中川氏が触ってはいけない展示品を素手で複数回触り、警備室の警報が少なくとも1回鳴ったなどと書いていたが、中川氏は後に「報道は真実と違う。警報機も鳴っていないし、私に対しての注意もなかった」と反論した。だが、一度貼られたレッテルは簡単には引き剥がせない。

●中川氏が、持病の腰痛を紛らすための鎮痛剤と風邪薬、アルコールを併用で摂取して朦朧となり、その姿が世界に発信されたことは紛れもない事実であり、国益に損害を与えた点では猛省を求めたい。しかし、だからといってマスメディア側があることないこと取り混ぜて書いていいことにはならない。

●この間の経緯について、ある霞が関の高官は「この問題での朝日の扱い方は突出していた。朝日は以前、NHKの慰安婦番組に安部氏と中川氏が圧力をかけて改変させたと2人を攻撃して、逆に『こびりついた朝日の捏造体質』などと反撃を受けて恥をかいた。その意趣返しで、安部氏や中川氏が政治家として2度と立ち上がれないよう徹底的に叩こうとしたのだろう」との見方を示す。
       《阿比留瑠比 正論2009/5月号》


●中川氏の朦朧記者会見から1週間後、朝日がスクープした中川氏のバチカン観光をめぐる記事が、波紋を呼んでいる。問題の会見後に中川氏がバチカン博物館を見学した際、貴重な美術品に触ったりしたと報じ、他紙やテレビも一斉に後追いした。

●だが、この報道に対し現地の関係者から「事実と異なる」との声が上がっているのだ。見学の際、イタリア人ガイドの通訳を務めたバチカン放送局の和田誠神父が本誌編集部の取材に応じ、以下のようなメッセージを寄せた。
         ◇ ◇ ◇

●私は今、日本から送られてくる報道に、大きな戸惑いと、深い悲しみを抱いています。
私自身も関わった中川前大臣の博物館見学が、何故あのように、事実と異なる形で報じられるのでしょうか。私は見学の間中、通訳として中川前大臣の最もお側近くにおりましたが、報道のような非常識な行為を、見た記憶はありません。また、中川前大臣はあの時、酔っているご様子にも見えませんでした。私はアルコールを一滴も受けつけませんので、その臭いには敏感です。しかし中川前大臣からは、お酒の臭いはしませんでした。
以下、日本の報道のどこが事実と異なっているか、ご説明したいと思います。

●今回の問題を最初に報じた朝日新聞に、こう書かれています。

(バチカン博物館に)到着時から中川氏の足取りはフラフラとおぼつかなく、言葉もはっきりしていなかったという。

案内役の説明を聞かず歩き回ったほか、入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした。そのために警備室の警報が少なくとも一回鳴ったという


●足取りがフラフラしていたかどうかは、見る人の主観にもよるでしょう。しかし言葉がはっきりしなかったとは、いったい誰が言っているのでしょうか。見学の間中、中川前大臣とお話ししたのは通訳であった私です。中川前大臣の言葉は、非常にはっきりしておりました。(中略)私が通訳ている間は、もちろん歩き回りなどしませんでしたし、非常に熱心に耳を傾けておられました。

●「入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、触ってはいけない展示品を素手で数回触ったりした」というのも、私には大いに疑問です。少なくとも私は、明らかに非常識とされる場面は目撃しませんでした。1つだけ心当たりがあるとすれば、朝日新聞の記事に出てくる次のような指摘です。

バチカン博物館でも特に有名な、「八角形の中庭」の「ラオコーン」像を見学した際には、観光客が近づき過ぎないようにするための高さ約三十センチのさくを乗り越えて石像の台座に触るなど、非常識な行動をとったという


●この時の様子は、私もよく覚えています。さくというのは誤りで、実際はロープでしたが、中川前大臣がラオコーン像に見入るあまり、ロープを越えて近づいたのは確かです。このため、そばにいた警備員がイタリア人ガイドに一言二言注意しましたが、中川前大臣はすぐに戻ったため、特に問題にはなりませんでした。

●「石像の台座に触る」こともしていません。記事が指摘するような「非常識な行動をとった」とは、私を含め周囲の誰も思わなかったことだけは、述べておきたいと思います。

●ところが一週間後、あのような報道がなされたのです。この間、バチカンで中川前大臣の「非常識な行動」が話題になったとこは全くなく(そもそも非常識な行動などなかったのですから話題にならなくて当たり前ですが)、それこそ寝耳に水の思いでした。

●朝日新聞の報道の後、私は日本の新聞社、通信社、テレビ局から取材を受け、事実かどうかと聞かれました。そこで、中川前大臣の行動に非常識な点はなかったと繰り返しご説明したのですが、私の発言は一行も報じられませんでした。日本のマスコミはすでに、中川前大臣は酔っているはずだ、非常識な行動をしたに違いない、という先入観にとらわれており、私の意見をまともに聞こうとしなかったのでしょう。どの報道も朝日新聞と似たり寄ったりだったことは、残念でなりません。

●中川前大臣には、ご同情を申し上げます。また、ご家族をはじめ身近な人たちのご心痛を思うと、やり切れない思いです。私はたまたま通訳として、今回初めて中川前大臣とお会いしましたが、その場にいたものとして、事実と異なる報道に苦しんでおられるのを見過ごすわけにはいきません。

●このため取材にも積極的に応じてきましたが、記者たちの先入観を改めることはできませんでした。今はただ、バチカン観光における誤解が一日も早く解け、皆さまに心の平穏が訪れるよう、祈るだけです。 
         《編集部 正論2009月5月号》

           ★

※なぜ中川氏が朝日に狙われたのか…(管理者)

●東シナ海のガス田開発の問題でも、「一切交渉できない」と言う中国に対し、官房長官(小泉政権)だった私と中川昭一さん(農水相)とで、中国がいやがる漁業交渉をしようと決めた。それで初めて彼らはテーブルにつくんですよ。そして福田政権で合意に至った。ところがいま、民主党政権は足元をみられて、中国は合意に反し掘っています。しかも堂々と。
     《安倍晋三 週刊朝日2009年10月23日》

故中川昭一氏は経産大臣時代、中国が約束を守らないのであれば、日本もガス田を掘る方向で手続きを開始するべきと主張した。
      《安倍晋三 新潮45 2009年11月号》

●98年7月、小渕内閣の農水相に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の代表を務めていた中川昭一氏が就任した。その就任記者会見の席で、朝日の記者は農水省とは何の関係もない「慰安婦問題」について質問。中川氏は「歴史的事実として教科書に載せることには疑問を感じている」という何の問題もない真っ当な答弁をしたのだが、朝日はこれを韓国に「ご注進」して問題化し、中川氏を更迭しようと目論んだ。
(98年8月4日の朝日新聞朝刊には「日韓漁業交渉に影響も」「中川農水相慰安婦発言 韓国世論反発の恐れ」との見出し=管理者注)

●だが、結局その作戦は失敗に終わり、8月4日の読売新聞には「慰安婦問題をもてあそぶな」と題した社説が載った。この社説は「歴史を捏造した一部マスコミが、捏造への反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だとして騒いだ」と、明らかに朝日とわかる「一部マスコミ」を非難した。
     《小林よしのり 「朝日新聞の正義」》

…結局、中国様のお気に召さない政治家は消してしまえということ。安倍晋三氏に対しても同様。だから、「NHK番組改変捏造報道」などを画策するのだ。
     →「中国様の新聞」も参考に








●朝日新聞の92年10月18日付朝刊第二面に、「環境庁が自治体の排ガス規制条例化に待ったをかけた」という記事が載せられた。ところが、環境庁はそんな事実はないと主張し朝日報道を否定した。

●21日付の朝日紙面には、18日付の内容の「否定」とも取れるような記事が載った。重要なのは、担当記者がこの記事を書いた「動機」である。残念ながら本人のコメントはどこにも載っていない。

●週刊文春(同年11月21日号)に、記者の友人の代弁として次のようなコメントが載せられている。
「あの記事が少しでも、停滞気味の環境行政の後押しになればと思って書いた。他社は提灯記事ばかり書いている」

●ここに語られている思想(?)は、「大義(この場合は環境行政の推進)のためなら、多少の誇張や誤報は許される」という考え方であり、これは実は「戦争遂行のためには、事実と異なる報道をしても許される」という「大本営発表」と全く同じ考え方である。

    《井沢元彦 「『言霊の国』解体新書」》


●1997年夏以降、奇怪としかいえないような流言を聞くようになった。「旧日本軍、パプア・ニューギニアにおいて、原住民を殺害、これを食せり」というのである。現地に3年いて聞いたこともなく、その後、半世紀以上も話題になったことすらない。まったく突然のことである。

●その発端は、8月14日・朝日新聞神奈川版の「ニューギニアの人々にとって、あの戦争は」(記者・炭田千晶)という記事だった。遺骨収集・慰霊巡拝のために、何度か渡航している「遺族会」A氏の証言によって書かれている。

●冒頭に近いところで、「(A氏は)この夏も英霊の旅に出る。それは、戦地に倒れた父や日本兵のためだけではない。日本軍に殺された現地の人々に、祈りをささげるためでもある」とある。

●一体、何があったというのだろうか。あの戦場で、ぼろぼろになりながら戦いつづけたが、われわれ(20師団79連隊の歩兵)はそれこそ一人も殺していない。戦場の全体を見ることは、人間の力ではできない。部隊によって事情が違うかもしれぬ。79連隊では、一人も殺していないと言いきれる。20師団全体と言っていいかもしれぬ。そういう噂さえ耳にしたことはなかったからである。

●アイペタ作戦(1944年5月~8月)の死闘の果てに、初めて現地の人々に接触し、生活を共にするようになった。支給される食糧もなく疲労の極にあり、生きるためには、彼らに頼るほかはなかった。恥ずかしい、申し訳ないとは思いながら、どうしようもない。

●そのとき、補充員を加えて6,150名の一個連隊が、連隊長以下100名足らずになっていた。連隊全体のことが、細部にわたって見える。共感・連帯感も深かった。それゆえに、断言できるのである。

●もし、殺害という事実があったとすれば、徹底的に究明しなければならぬ。いい加減で済ませることではない。それだけの重さをもっている。こだわるのは、われわれ生還者がその当事者であり、周辺にいる帰還者ともども承服できないからである。何で今ごろになって、という悔いも残る。
50年の間に、次々に亡くなり、確かめる人員も少ない。もの言わぬ死者を辱めることは許せないからである。 万一、加害者・被害者があるとすればである。
       《尾川正二 「戦争虚構と真実」》


もはや新聞ではない!まだまだあります。
          ⇓⇓⇓

    【朝日新聞の虚報体質その②へ



【朝日新聞の体質】
虚報体質/日本を貶めるための捏造記事の数々
二枚舌/ご都合主義の言論機関
注目!卑怯な手口/国民を騙せると考える浅はかさ
朝日の品格/大上段からものを言うが、自らは…
偽善/世論からかけ離れるその主張
大衆迎合・変節/その節操のなさ
反日的言動/過激派左翼とすべて一致する主張
中国様の朝日新聞/まるで中国共産党の機関紙
偏向報道/反権力なのではなく反自民・反日本
朝日の怪しい安全保障論/日本の弱体化で喜ぶのは中国
朝日新聞の戦争責任/最大のA級戦犯は朝日自身だ
他の反日メディア/NHK・TBS・毎日新聞など
ぼくの継父/反日メディアへ贈るフィクション